問題を、その先生個人の問題にすり替えてしまっては、駄目だ
一つ前のエントリーの記事を良く読むと、最後にこう書いてある。
引用開始 ーーーーーーーーーー
いずれにしろ、教員採用の見直しと同時に、採用直後から、教員のメンタルヘルス(心の健康)対策が求められます。
引用終了 ーーーーーーーーーー
実は、
(ああ、またここに着地するのね)
と私はがっかりでありました。
問題の所在はここではないと私は考えている。
いや、もちろんしないよりは、した方がよい。しかし、教員採用をどう見直すのだ? 心が傷ついたら対応するという後手でいいのか? という問題がある。
ここでは、心の強い人間が教師になれ。なまっちょろい心の者が教師になっては駄目だという隠れたメッセージが見て取れる。心の強い、弱いというのが何をどこまで表しているのかは議論がある。ただ、心が繊細な教師は弱いと言われることが多い。
だが、考えてみれば分かる。
心が繊細というのは、教育をするには大事な資質だ。子どもの小さな変化を感じ取れるセンサーを持っている先生というのは、かなりいい先生だ。これを否定することにもなりかねない。
◆
また、この結論からは、教師の個人の問題として取り上げていることが、問題である。問題は、教師だけにあるのではないのだ。寧ろ、システムに問題があるのではないかと思うのである。繊細な心を持った人間が教師になって、子どものために働ける学校を作っていると言えるのだろうか。
例えば、親対応の一つをとってもやれることは沢山ある。
『先生! 親ってそんなに怖いんですか? 親対応の基本中の基本』(星 幸宏著 立花書房)を読んでみれば沢山やれることは書いてある。
◆
問題を、その先生個人の問題にすり替えてしまっては、駄目だ。
システムを変えなければ駄目なのだと思う。
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