「神を降ろす」方法
12/8
本日の卒論ゼミは、卒論提出の一週間前である。来週の今日のゼミは卒論を仕上げての振り返りの時間になる。5/6の学生が規定の2万字前後をクリアしているので、後はブラッシュアップをすれば良い所まで来た。1/6の学生は書くしか無い。まあ来年もあるが、後一週間で書くのが良い。
四回生が発表の資料の準備をする間に、三回生にあれこれ話した。「神を降ろす」方法である。良く「あ、文章の神様が降りてきた」のような言い方をするが、降りるのではなく、降ろす方法である。そんな方法はあるのか?と思うかもしれないが、私はあると考えている。百発百中ではなく、降ろす精度を高める方法である。
あなたが神様になったとしよう。(さて、今日はどこに降りようかな?)と思ったとしよう。あなたならどこに降りるだろうか? 私が神様だったら降りやすい所に降りる。具体的には、二つの場所を規準にする。a 高い所 b 広い所だ。
足をうっかり降ろしたら降りてしまうには、足の下が高いところにあることが大事。また、どこに行っても降りられるには広い場所が大事。ということは、高い興味知識と、広い興味知識を持っていることが、降りてきてもらう側の人間には必要になるということである。
また、アイディアが湧くという言い方がある。どこから湧くのか? 名著『ワープロ作文技術』(岩波新書)の著者の木村泉先生は、地底湖にいるお魚が表面に浮かんでくることをメタファとしてこれを見事に説明している。地底湖にいるお魚に針と連想の糸とをつけてしまうのだという。
とてもよく分かる。浮かんできたお魚がまた地底湖に沈んでしまう前に、メモを取りそこに針と糸をつけてしまうというのだ。(ああ、これはとても良いアイディアだから絶対に忘れないな)と思ってそのアイディアが消えてしまう経験を、多くの人がしていることだろう。それを回避するのだ。
ワープロで、テキストでだーっと書くことを勧められているのがこの本。しかし、今はもっと便利なものがある。マンダラートやマッピングやアウトラインプロセサーである。自分の好みに応じて、そのアイディアを思いつきのスピードでデジタルで記録することができる。
私は車で通勤しているので、車を運転しているときに思いつくことも多い。これは困る。メモが出来ないからだ。路肩に停めてメモすることもあるが、この路肩に停める時間が勿体ない。そこで、iPhoneのハンズフリーを使って、音声認識メールソフトに話しかけてしまうようにしている。こうすると、大学の駐車場に到着したときに、その音声がテキスト化されたものを私宛にメールすれば、研究室に到着したときにはそれが届いているという案配である。
神が降り、魚が浮かんでくるの、古来、馬上枕上厠上(ばじょう、ちんじょう、しじょう)の三上だと言われる。リラックスしてアルファ波が出ている時だとも言われている。つまりホゲーッと緩んでいる時である。そのときに、降りてきやすいように、浮かんできやすいようにする。そして、それをさっと掬い取って形にする方法を常備しておく。それが大事なんだと一年後の卒論に向かう三回生に話したのでした。
◆
実は、これは今朝の私のあれこれを元に話したこと。
朝、風呂に入りながら本を読んでいたら、
(うわわわわああああああ!)
というぐらいに論文アイディアが降ったり、湧いたりした。そこで、読んでいる本にアイデアのキーワードをだーっと書き出した。本は、テキストのあるメモ帳である。
そして、風呂から上がって一気にTreeというアウトラインプロセッサに書き出した。論文の構成が二つ思いついたので、その二つに従って書き出した。書き出して時間を見ると、大学に行く時間。今日は実に京都大学名誉教授の森先生のお言葉が頭の中を駆け巡った。
「本日、頭脳明晰につき休講」
そんなことは、今の大学ではあり得ないと思うが、実に気持ちはこれだった。冷静になって考えようとしてもわき出してくるあれこれのアイディアをTreeに書いて、その一方で
(このアイディアはもう発見されてしまっているアイディアだろうか)
と思い、キーワードと思われる言葉でグーグルでチェックもする。どうやらそれに関する実践も、論文もなさそうなことを確認。
そして、関係するであろう論文や書籍をだーっっと検索。
必要な書籍は注文。
そのテンションで、卒論指導であった。
んでもって、教務の仕事をして、娘の子守りをしてとしながら体制を整えた。
ま、取りあえず最低限の手配はしたので、あとは書きまくることになる。
こういう瞬間はとても幸せなのではあるが、身体には悪い(^^)。
あとは、時間と精度の勝負だな。
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