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2011/12/04

風呂に持っていって、一回湯船に浸すのだ

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(琵琶湖に上がった冬の花火)

読みたい本が溜まりすぎて困っているというか、嬉しいというか。一日に一冊レベルで読んでだとしても、相当溜まっている。本は、買う。私は基本的にはそうだ。借りる本では、書き込みが出来ない。本とは、テキストの書いてあるノートだという定義をかなり昔に読んだことがある。とても良くわかる。

私が中学生の頃は、赤と青の二色の鉛筆を持って読んでいた。賛成の所に赤の線。反対や疑問があるところには青の線を引きながら読んでいた。そして、青の線が多い本に価値があるというのを、確かムツゴロウさんか遠藤周作さんの本で読んでその通りにやっていた。

この二色の線を引くことが出来るようになると、著者と対話が出来るようになる。疑問や反論。さらには、この文章の先の論の展開の予測等を本の回りに書き込み始める。そうすると、これが実に楽しくなる。

トイレでも風呂でも枕元でも読む。それぞれに違う本を用意してあったり、時には一冊をずっと読み続けたり。この楽しみを知らないで人生を送るなんて、実に勿体ないなあと思い生徒達にも随分話してきた。本の世界に引きづりこんできた。

私が風呂で読むというと、「本は濡れないのですか?」と質問を受ける。『え、濡れますよ』と答えると、「いいんですか?」と聞かれる。私は『え、駄目なんですか?』と答えることになる。図書館の本でなければいいでしょ。

私は中学生の頃から、ムツゴロウさんの文庫本にハマっていた。『ムツゴロウの青春期』から始まってずっと読んだ。当時文庫本は半年に一冊のペースで出ていた。買うと一気に読みたいのだが、読んでしまうのは勿体ない。でも読みたい。どうしよう。そこで考えた。

風呂に持っていって、一回湯船に浸すのだ。そうすると、急いで捲ろうとしてもくっついてしまっていてなかなか捲れない。そーっと、「剥がし」ながら読んでいた。何回も湯船に浸して読んでいた。書き込みは鉛筆。濡れていても書ける。

親に呆れられたが、私はこの方法がベストだと思っていた。勿論、今でも。そうやってじっくりと読んでいた。風呂から出てゆっくり読めばいいように思うが、それは風呂読書を知らない人の言葉。あのそーっと捲るのがいいのだ。

だから、風呂で本を読む。濡れてシワシワになるというのは、私にとっては何も問題がない。寧ろ、買ったままでそのまま投げ捨てられている本よりも、全然大事に扱われている本だと思う。本は読まれてなんぼ。読み方はいろいろ、で良い。


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