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2011/05/21

太陽の塔

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もう一つ。
国立民族学博物館は、1970年の日本万博の跡地にできたと書いた。実際は、梅棹忠夫先生はこの跡地に国立民族学博物館を建てるつもりであれこれ動いている。開会の佐藤総理大臣のスピーチを書いたのも梅棹先生だ。

「こんにちは、こんにちは。世界の国から〜」
「1970年度のこんにちは〜♪」
と三波春夫さんが歌ったのは良く覚えている。さらに、入場の時、警官が手をつないで先頭を歩き、その後ろに群衆がゆっくりと歩いているのも覚えている。

TVでだ。

私は東京にいた小学生。とてもじゃないが、行くことは出来なかった。月の石があったり、太陽の塔があったり、世界の珍しいものが見られる。それに、そこには未来が感じられた。明るい10年後、20年後の未来がその万博に行くと見られる、体験できると思いつつ,思いつつ、自分の置かれている環境を考えるとそれは無理だなあと思ってテレビで見ていた。

関西に移り住み、名神高速道路が中国自動車道に変わるあたりの吹田IC付近で進行方向右側に太陽の塔は見える。
(ああ、これが行きたくて行けなかった、万博か)
と感慨に浸りながら高速を流す。
これが関東で1970年代に小学生だった私の思いだ。

通るのだが、なかなか行けなかった万博公園。
そこに昨日梅棹忠夫展の後に、足を運んだ。

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もう、後ろから近寄るだけでドキドキであった。
夕方5時を過ぎている万博公園は、殆ど誰もいない。
あのだだっ広い所に誰もいない。
(夕暮れを楽しむ人はいないのかい)
と思いながら、向かう。

(ああ、ここに上って占拠したひとがいたよなあ。あんなことでも大ニュースになったんだよな)
そんなことも思い出す。

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空は、雲一つなかった。
70mもあるその塔は、ひっそりとそれでいて物凄い存在感で立ち続けていた。現在の顔はしかめっ面で、未来の顔は輝いていた。
岡本太郎さんは、未来は輝いている、常に輝いていることを表したかったのだろうなあと思う。

あれから40年。
万博の示した未来は、
岡本さんの見ていた未来は、
果たしてその未来になったのであろうか。

まさか、40年後にその場所に立ってこの塔を見上げることになることになるとは、当時の池田少年は思いもしなかったのであった。

私以外に誰もいない太陽の塔の傍に居続けながら、
これから先の40年を思うのであった。


ウメサワタダオ展

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行かねばならぬと思いつつ、なかなか時間が作れず行けなかった「ウメサオタダオ展」にやっと行って来た。国立民族学博物館(吹田)である。http://www.minpaku.ac.jp/special/umesao/catalogue.html

この場所は1970年の日本万博が行われた場所である。
その跡地に作られたのが、国立民族学博物館であり、その初代館長が梅棹忠夫氏である。

ご案内の通り、梅棹先生は『知的生産の技術』の著者である。1969年の出版以来、累計140万部を売っているとのことだ。今年も新たに刷を重ねている。私は知的生産技術の研究会のパソコン通信の会員であったこともある。近くにあるのだから行かなければなあと思いつつ、先生は他界されそのきっかけもなかなか掴めないでいた。

そんなところに、今回先生の特別展があるというので、スケジュールを調整して行くことにしていた。ま、風邪を引いてしまって動けなかったので、随分伸びたのだが。

結論から言う。
凄いの一言。関西にいる大学生は全員。日本にいる研究者は全員見に行くべきである。3時間あればビデオも見れる。2時間でも大丈夫。常設展は2時間かかるけどこれも見よう。

60歳を過ぎて、朝起きたら突然失明していたこと。そして、失明後の方が執筆した本の数は増えたこと。90歳まで生きられたこと。

こざねなど知的生産の実物とそれから作り出された論文の実物を実際に見て、レプリカを触れること。すごい。

以上。

で、終わっても何だと思うので疑問に思ったことを少し書く。
梅棹忠夫先生は、整理魔であろう。ダビンチのノートのに刺激を受けて、自分も書くと決めたというが、それ以前に記録魔であり、整理魔であったと実感した。つまり先生の整理力は先天的なものである

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私の疑問は、
1)私のような片付けの出来ないものに、整理整頓の力は後天的に育つのか?
2)育たなかった場合、いかなる方法で知的生産は可能なのか?
ということである。

教育に関する一研究者として、刺激を沢山もらってうりゃりゃりゃああと帰って来た。


2011/05/20

「たほいや」の夜  言語力育成にはこれで

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昨晩、ネットであれこれ繋がって面白い体験をした。

第三舞台の大高洋夫さんが、「たほいや」について呟いていたので、反応した。あれはいい番組だったと。いまでは国語の教材にも使っているということを。そしたら、「たほいや、懐かしい」というコメントがあちらこちらから届いた。

今は、you tubeで当時の番組を確認することができる。
http://www.youtube.com/watch?v=D8ptbGe6WKg
http://www.youtube.com/watch?v=v-VsSUjYPDk&feature=related

で、盛り上がっていたら、たほいやを作っていたプロデューサーから書き込みが。さらに、盛り上がる。

んでもって、さらに私が出演していた「伝える極意」の音楽を担当していた方からもコメントがある。

たほいやは、語威力、読む、書く、聞く、話す、調べる、さらには司会の力まで育てることができる学習ゲームだと思っている。実際、私が教えていた子どもたちは、この「たほいや」が大好きで、毎日の授業でも良いと言い、卒業生も私の家に遊びに来ては、未だに「たほいや」で遊ぶ。

実は、私はたほいやのDVDも出している。
http://www.japanlaim.co.jp/fs/jplm/c/667

たほいやが、百人一首ぐらいまで学校に普及しないかなあと思っている。新学習指導要領が求めている言語力育成には、ぴったりの教材だと思っている。いや、ほんと。

子どもは遊ぶのが仕事とは良く言う。
この「たほいや」は、言葉で遊べるのだ。言葉で遊べると言うのは、実は相当高度な思考をしていることになる。言葉遊びでたっくさん楽しむこと。これが、子ども時代にはとても大事なことなのだと思う。言葉が楽しいということを体に入れておくことが、その後の豊かな人生に繋がると、本気で思っている。

"たほいや リターンズ"を楽しみにしたい。


2011/05/17

娘(3)の冒険

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娘(3)の冒険

あまりにも面白かったので、奥さんがメモした。
それを手に入れたので、記録としてブログに上げておこう。

きのう、お風呂の水を抜いて暫くしたら、配管内の水が出て来たのを音で聞いて、お風呂を入れているのと勘違いし、
「あれ? 出て来るの見たかったのに、出て来ない!」

私が笑って事情を説明。
「玄関のところでお湯を沸かしてて、それをず〜っとホースで引っ張って来てるの。だから、そのなかに溜ってる水を一度全部出してきれいにしてるんだよ」

するといきなり玄関に直行。
!!!
「ちょっと〜〜! お〜い、もしかして見たいの?」
「みた〜い♡」

それから玄関のメーターボックスを開けてレクチャー開始。
「これがガス。沸かすとこ。今は静かだけど、お風呂入れ始めたら。ボ〜ッって音がして動き出すよ」
「みた〜い♡」

仕方ない。
娘(3)は玄関のドアを開けてスタンバッたまま、私はお風呂洗ってセットして、
「聞こえる〜?じゃあやるよ〜! スイッチオン!」
私も玄関に急行。

「ほら、音がしだしたよ」
「ほんとだー!」

でもってまた全部開けてレクチャー。
「これがガスの通ってくるところ。これが水の管。ここからぐるっと回ってさっきのところで沸かして、それがずっと天井を通ってお風呂まで行くんだよ」
「えーっ!!」
「青いホースが水で、赤いのがお湯だね。遠いからなかなかあったかいの出ないんだね。」

メータの数字が出てるのも説明。
「水を使うと数字が動いてくよ。見ててごらん。」
「あ、くるくる回ってる!」
水の場合、数字は殆ど動かない代わりに、水流があるときだけコマのようなのがあってくるくる回る。

ガスは動き出すといい調子で数字が動くので、声に出してカウントアップしながら楽しむ。

電気は数字は動かないけど、円盤がくるんと回っているのを確認。

よほど気に入ったようで、じい〜〜っとしゃがみこんで覗き込んだまま、何度声をかけても動かない娘でした。
変なヤツ。
なんでも知りたがるけど、こういう機械の仕組み、なんでそうなるのかを追求しないと気が済まないのね。
あれ、これは私の血かな。

にしても、びっくりしたわ。
あれだけの説明で玄関に飛んでいくと思わなかった。

またそれに付き合って説明する私もわたしだけどね。

ということである。
こういうのを大事にしたいなあ。








2011/05/15

有田先生はジャンプをしていない 明日の教室有 有田和正先生

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(三井寺)

念願かなって、明日の教室に有田和正先生をお招きすることができた。帝国書院の地図の使い方の出前授業と一緒に。

参加者は80名。本当はもっと申し込みがあったのだが、申し訳ないが断った。明日の教室は、あの空気感を大事にしたいのだ。大人数では、講師の先生との距離が、参加者同士の距離が遠くなってしまう。通常は40人を定員にしているのだが、さすがにそれは出来ないと判断して、今回は80人だったのだ。

最初に出前授業。地図の見方のあれこれをクイズ形式で教えてくれる。これはなかなか面白かった。4年生のときにこれを知っていたら、つまらない授業中はf(^^;、ずっと地図帳を見ていたかもしれない。ま、私はそういうときは辞書ばかり見ていた子どもだったけど。

で、有田先生の授業。
有田先生と言えば野口先生と双璧をなす授業名人。最初から名人、ずっと名人、いまでも名人である。「クイズ面白ゼミナール」の出題者であったり、ユーモア教育の嚆矢であったり、小学校の社会科の授業のほとんどのすべてを作った先生である。

私は私淑をしており、実際にお会いするのは初めてであった。研究室でお話をさせていただいた。久し振りに身が引き締まった。

講義の素晴らしさは、言うまでもない。
何回も先生の話を聞いている先生は、まるで落語のようだ。落ちは分かっているのに何回聞いても面白いというのである。

講義のあと質疑の時間に、有田先生に質問をした。
『先生は、どうしてそんな風にジャンプできるのですか?』

先生は、「知識はものを見る為の眼鏡である。知識がないと見ることができない」とおっしゃる。(ちなみに、「鉛筆の先から煙が出るくらいのスピードで書け」という名言も有田先生のオリジナルである。昨日、確認した)

基礎的な知識がなければ、物事を見ることができないのは分かる。しかし、しかしだ。基礎的な知識があったとしても、有田先生の見ている世界を私たちはそう簡単に見ることは出来ない。なぜ有田先生は見ることができて、私たちはできないのか。有田先生は基礎的な知識からジャンプしてその先の世界を見ることができるのか。それを知りたかった。

いや、実をいうと私には仮説があった。それを確かめたいが為の質問であった。

有田先生は
「うーん、好奇心かなあ。私、好奇心の固まりなんです。一つのことを調べ始めるときりがないんですねえ。それで仕事をしすぎて病気になる(^^)」
とおっしゃった。

私は、仮説が正しいに違いないと思った。
それは、有田先生はジャンプをしていないと言うことである。私たちからは、有田先生は、一つのことをきっかけにしてジャンプしているように「見える」。しかし、有田先生は、ジャンプしていない。だーっっっっっっと階段を上っているのである。

私たちの目には、一歩めと最上階の階段が見える。
その途中は見えない。
だから、ジャンプしているように見える。
しかし、そうではないのだ。だーっっっっっっと階段を上っていらっしゃるのだ。

それは、私たちには希望である。
勿論、誰もが有田先生になれるとは思わない。しかし、努力の方向性は示していただいたのだ。

最後の最後に、有田先生はマイチョークの話をしてくださった。先生も絹ごしチョークを使われていた。やれうれしやである(^^)。

懇親会では、私の授業ネタの極太チョークなどを先生にお渡しした。あの有田先生もご存じなかった! これは非常に私の自慢になる(^^)。やでうでじや(谷岡ヤスジ風)。

予定していた半分しか講座が終わらなかったということで、
『先生、今日は前半が終わったと言うことでよろしいでしょうか?』
『また来ていただけますか?』
「はい」
との言葉を頂いた。

有田先生の再登壇を約束していただき、大満足の一日であった。


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