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2011/06/03

最大のプレゼント

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原稿が煮詰まっている所に、買い物に出かけていた奥さんが面白いものを買って来た。娘(3)のための腕時計である。いや、腕時計と言っても正確な時を刻む時計ではなく、指で針を動かせるような腕時計である。

子どもにものを与えるのは、難しい。
親が気に入ったから買った。だからプレゼントしたというのは、ダメだと考えている。それを続けたら、もののありがたさを理解できない子どもに育ってしまうと思う。

でも、この腕時計はとてもいい。最近時計を読もうとし始めている娘のためにもとてもいい。さて、どうしたことか。

原稿書きの息抜きに散歩に出かけようと思っていた所だったのを思い出した。
『じゃあ、ガーデンに行っておやつを食べようか?』
と娘を散歩に誘った。腕時計を一緒に隠し持って。


ガーデンは、薔薇が満開。
ではあるが、平日の湖西なんて誰も人は来ない。貸し切り状態である。しばらく娘と芝生の上を裸足で走り回ってから言った。

『あれ、なんか薔薇のところにプレゼントがあるよ』
「えー、なにー(^^)」

娘はそこに置かれている袋を大事そうに持ち上げる。

『そうそう。お父さんの所に、薔薇さんからメールが来ていたよ。「いつも、ガーデンに遊びに来てくれて、ありがとう。お花を見て喜んでくれてとても嬉しいよ」って、書いてあったよ』
「えー!」
『それで、プレゼントを用意しておくって薔薇さんのメールに書いてあったよ。それじゃないかな』
「えーっ!(^^)」

ということで、この腕時計は、薔薇さんからのプレゼントということになりました。

『薔薇さんに、ありがとうって言えるかな?』
「ばらさーん、ありがとう!!」
と言う娘でありました。そして、
「今度はお父さんにもプレゼントあるかな?」
と。
『ははは。あると嬉しいなあ』

勿論、娘との散歩が最大のプレゼントです。


2011年 「明日の教室」研究会の予定

2011年 「明日の教室」研究会の予定

教育研究会「明日の教室」関連のご案内をブログのトップに置くことにします。

                   ◆

11月26日(土)   塩澤一洋氏 写真講座(ポートレート、風景写真)

12月10(土)『僕は君たちに武器を配りたい』『武器としての決断思考』の著者の瀧本哲史氏。この本をベースにして、では教師はこれから何を学び何を教えて行くことが肝要なのかについて、縦横無尽に語って頂きます。← NEW!!

2012年3月3日(土) 野中信之先生 
                   ◆

明日の教室の書籍1〜5と、DVD1~13が発売されました。(16まで製作中)

書籍は、http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-000/
DVDは、http://www.sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm

からお求めください。

2011/05/30

自分の積極的な関与がないと発動しないのだ

5/30

週末は全国大学国語教育学会が京都教育大学で行われた。私が入っている学会の一つであり、地元開催ということで風邪が治らないままではあったが、出かけた。

平成15年度に私は大学院に通っていた。そのときのメンバーが多く集まっていた。久し振りに、そう8年ぶりにほぼ揃ったと言う感じであった。

大熊徹先生にご指導を頂いた、この研究室。そこに在籍しているときはまさか自分が大学の教員になるとは夢にも思わず、ゼミ生を指導する立場になるとも思っていなかった。だが、振り返ると自分がいま学生達を指導している時、大熊先生のお姿を追いかけようとしている自分に気がつく。

大熊先生は、驚異の記憶力と優しさでご指導下さった。この両方とも私にはない。ではなにを追いかけているのか。それは、研究室運営とその存在である。

先生は、院生達の交流を促す為のあれこれを、あのお忙しい中で設定してくださった。現職教員として大学院に通っていた私は、学部学生達との交流にはなるべく関わるようにしていたし、院生同士の懇親会も全て出たと思う。まあ、院生であるから。ところが、大熊先生も全て参加されているのである。

先生は当時二つの自主ゼミを担当されていたから、ゼミ合宿も二つでるし、院生の修論指導の為のゼミ合宿も開いてくださっていた。今の自分を考えるとちょっと信じられない忙しさだ。

また、先生のあり方と言うのを学ばせていただいた。先生と言うのは、何が出来るかというよりも、どんな人であるかと言うことが大事なのだなあと思ったのだ。勿論、先生の学識の深さはあってのことだが、それよりもその先生の傍にいることの幸せを感じられるかどうかの方が大事なのだと思った。

私が出来ているかどうかは別にして、そうなんだなあと、久し振りにお会いした懇親会の席でも改めて思ったのだ。


懇親会は二次会まで続いた。

二次会からは、私のゼミ生も数人参加した。国語教育界のトップ集団の中にいることは大事だと思って声をかけたのであった。そこで語られる言葉が「日本語の筈なのに、意味が分からない」という環境の中に身を投じる体験は、学生時代に是非経験すべきことなのだ。

ゼミでもその世界を作りたいと思うが、ゼミはどうしても甘えが出る。こういう外部の環境の中で鍛えられるのは大事なのだ。

学生の一人が、
「池田先生が、大熊研究室に行ってくださって、橘大学に来てくださらなければこんなに凄い経験はできませんでした。ありがとうございました」
と言っていた。
半分だけ正しい。

私はゼミ生全員に声をかけた。その中で、参加できないと連絡をしてきた学生と全く連絡のない学生がいたわけだ。そこで、違う。さらに、欠席の学生に二次会なら来れるか?と聞いたときに、来れる学生と来れない学生がいた。

つまり、自分から連絡をして来た学生にチャンスはあり、さらに時間があった学生達に扉が開かれた訳である。


こういうのをご縁と言うのだろうなあと思うのだ。
ご縁と言うのは、与えられている条件だけでは成り立たないのだ。そこに自分の積極的な関与がないと発動しないのだ。積極的な関与があった所で、それが実るか実らないかと言う部分にも、もうワンステップがあるのだが、まずは積極的な関与なのだ。ここがなければ、まず、発動しない。

おそらく、人事の本質の部分にも関わっているんじゃないかなあとも思う私であった。


大熊先生、大熊研究室のみなさん、ありがとうございました。

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