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2011/01/22

第二希望のメリット

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(池田ゼミ 和綴じ本の卒業論文)


大学の管理棟の前でうろうろしていたら四回生に会った。今日は授業がないのに何をしているのだと聞いたら、来年度同じ都道府県を受験する後輩のためにあれこれ話す会があって、そのために来ているのだという。

 

そこにいた彼らは全員同じ都道府県に赴任するのだが、これまた全員第二希望の都道府県に赴任するのである。つまり、第一希望は落ちたのである。それでも合格したのだからいいじゃないか、という話ではない。

 

私も進路決定では、ほとんど第二希望、または第三希望で駒を進めている。思ったようにならない。しかし、それで不幸かと言えば、そんなこともない。私にしては結構上出来のここまでだと思っている。なぜなのだろうかと学生達に話しながら以前思ったことがある。

 

 

第二希望に行くと、一時的に自分の人生の正解から外れたような気持ちになる。これはそうだ。自分が希望している大学が、自分を必要としないという答えを出す。浪人してもさらにダメだったらその衝撃は大きい。それで第二希望の大学に進むことになる。だが、正解はあるのではなくて、作るものなのである。

 

第二希望の大学に進む者が、そこに正解がないと思うとすれば、第一希望の大学に進む者は、そこに正解があると思い込む者が多いのではないだろうか。第一希望の大学に行って、不満だらけの学生生活を送るなんてことも別に珍しくはない。逆に第二希望であっても充実した時間を過ごす者も少なくない。なぜならば、正解は作るもの、育てるものだからである。

 

さらに、もう一つ決定的なことがある。第二希望の進路を選ぶということは、その人の構えの幅が広くなるということだ。第一希望に入るということは、その人の想定した中の人生を進むことになる。通常これは計画性があるとか、見通しを持った人生という言い方で良い評価を得る。

 

所が、どうもそうとばかりは言っていられないのではないかと思うのである。思っても見なかった土地で仕事をすることになる。誰も知り合いはいない、土地勘もない。そんな中に投げ出される経験は、第一希望ではなかなかあり得ない。無理矢理厳しい環境に送り込まれる。それが第二希望だ。

 

この無理矢理厳しい環境に送り込まれること、そしてそこで生きて行くことが、その人の人生を鍛える。または、魅力的なものにすることが多いのではないかと思っている。これは第二希望のメリットではないかと思うだ。

 

社会人として一歩めを踏み出そうとしている彼ら彼女らには、第二希望の勤務先で、(ああ、第一希望のところに合格しなくて良かったなあ)と思えるようになってほしい。第二希望でなければ出会えなかった子どもたちとの出会いと、その子どもたちの成長を導く豊かな実践を通して、人間の幅の広くて深い教師になってほしいなあと思うのであった。

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