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2011/07/27

授業、そして生活指導にはこういう「勝負」の場面が突然現れる。

7/26-3

模擬授業の指導に関してもう一つ、私のメモ程度に書いておく。小学校の2年生を対象とした「を」など助詞の指導に関しての授業があった。最初の発問は「顔( )洗う」の( )には何が入りますか?であった。(ああ、それじゃダメだ)と思っていたが、そのまま暫く見ていた。

見ているとやはり、「を」が入ることが前提で授業を作っている。クラスの中にいる先生の持っている正解を言ってくれるであろう子どもを期待して作る授業だ。正解が入ることを前提にし、そこから授業を組み立てている。この授業の作りかただでは、ダメだ。

なぜダメなのか。この授業では、正解を言う子は元々授業で教える前から答えを分かっていて、答えている。そして、何が入るのか分からない子どもは、よく分からないまま(ふーん、「を」なのね)ということで考えることもなく答えを受け入れてしまう。つまり、どちらも授業で育てていない。

発問後、子どもの正解を前提にした授業展開はこのような形に陥りやすい。違うのだ。子どもの不正解を前提に授業を組み立てると面白くなるのだ。『顔で洗うって、言える? 顔は洗うは?』と聞いて行くのだ。「えー、先生、顔は洗うっていう?」『朝起きてお母さんに、顔は洗うっ!て言われない?』

「私は言われないけど、お兄ちゃんは言われる!」なんてなことを想像しながら、子どもが正解ではないどんな答えを入れるのかを考えて授業を作らなければ、子どもたちに届かない。届かないけど、ここは大学学生相手の模擬授業なので、ドンドン進む。

ところが、流石に次の発問では詰まった。「学校( )行く」「公園( )行く」と言う例文で、授業者は「へ」を入れさせて、「え」との違いに注意する授業を展開しようとしていた。そして「(  )に何が入りますか?」と聞いたら、子ども役の学生が「(に)が入ります」と答えたのだ。

(を、ををを。さあ、ここをどうするのかな?)と見ていたら。「そうだね。それも入るね。でも、ここは「へ」で考えてくれる? で、「へ」と「え」の違いだけどね」と授業を展開してしまった。アウトである。授業の10分の持ち時間を途中で切って止めた。解説に時間がかかると判断したからだ。

『あそこは、無理矢理だったでしょ?』「はい」学生も自覚はあった。『そうだったら、どうしたら良かったと思う? 因に、へとにの違いは?』のような話から入った。『あそこで無理矢理、へとえの話にした瞬間、子ども役のクラスの諸君がさーっと授業から離れて行ったの分かった?』「はい」

『だったら、踏ん張らなければならなかったなあ』。授業、そして生活指導にはこういう「勝負」の場面が突然現れる。自分の教材研究不足や理解不足に指導力不足を子どもたちは、鋭い切れ味で突っ込んでくる。この突っ込みをどう受け止めるかだ。残念ながら、今回の授業は逃げてしまった。

だから、授業を受けていた学生たちが引いてしまったのだ。そこは、小学生でも同じ。いや、小学生の方がもっと深い所で引いてしまうだろう。取るべき方法は二つあったはずだ。一つは、へとにの違いについて考える展開に持って行く。折角いい意見を子どもが言ってくれたのだからこれを拾う。

しかし、これを拾った以上はそれをきちんと子どもたちが納得するまで説明しきれなければならない。これができないと判断したので、へとえの話に無理矢理授業の流れを作ろうとしたのであろう。だから授業を受けていた学生は引いたのである。では、話を拾ったとしても展開できないと判断したら?

それが二つ目の方法である。それは、子どもたちの前で謝りお願いするのである。『いやあ、いま良いことを言ってくれたねえ。確かに、へとにと両方とも入るね。うーん。そうだ入る。だけど、先生、この違いをうまく説明できません。すみません。調べてくるので少し待って下さい』この言葉である。

そして、次の授業までに必死で調べて説明できるようにするのである。こういうとき、子どもたちは優しい。先生が謝ったら、「なんでえ、先生分からないの? 馬鹿じゃないの?」とは言わない。少なくとも私は一回も言われたことはない。自分の授業展開の力量不足を謝るのである。

そして、その上で『で、今日は、へとえの違いについて授業を進めたいのだが』とすれば良いのだ。教師自身を守るための、保身のための発言、授業展開というのは、子どもたちは敏感に気づく。そして、そんな先生を馬鹿にし始める。それよりも、間違いを認め、努力をしますという先生を信頼する。

これも小さなことなのかもしれないが、実は1年という長い間子どもたちを面倒見る先生にとっては大事な大事なポイントなのだと私は考える。そんなことを指導した模擬授業のあとのコメントをちょっと再現してみました。今日はこんなことを全部で10個やりました。ふう(^^)。

「家で書いておきなさい」

7/26

3回生の学生の模擬授業を指導する。授業のレッスンはやりがいがある。本学は、3回生の後期に教育実習が組み込まれているので、いまが直前指導ということになる。今日はグループで練った指導案を一人の代表が10分で行い、私が5分の志度をするという流れで行った。

良い授業をするかどうかは、最初の2~3分を見ればだいたい分かる。だから45分の模擬授業は私は行わない。45分の授業ができるってのは相当な力量が必要なのである。先ずは、10分で1つのトピックをきちんと説明できる力が身に付いていることが大事。

この10分の授業で、指示、発問、説明の3つの指導言が適切に使われているかどうかを見ながら、学生たちの授業を見る。勿論、(を、なかなかやるなあ)という授業もあったのが、(これは、まずい)というものもあった。漢字の指導である。空書きの指導である。

指先は動かしやすいのでついやってしまうが、これは避けたい。動かしにくい所を動かすことで、画数や書き順を意識できるのである。さらに、アウトは児童の方を向いてやっていた。これもダメ。児童に背中を向けてやらなければならないのである。そうしないと、鏡像になってしまい児童の理解が難しくなる。

で、問題はそれだけではなかった。「漢字を3回書いて、まだ不安な人は家に帰って書いておきましょうね」という指示を出して授業が進んで行ったのである。私はここを取り上げた。『この指示がダメな指示だと分かる人はいるか?』と 確認した。学生たちはよく分からない顔をしていた。

私は決定的にダメな指示だと思っている。まだ不安な人というのは、漢字がしっかりと書けていない子どもである。その子どもたちに「家で書いておきなさい」という指示を出して、書くわけがない。つまり、この指示はやらないと暗黙のうちに分かっているにも関わらず出している指示なのである。

これは子どもの側から見るとどう見えるかというと、(この先生は、やらなくてものに、やれという指示を出しているな)と見えるのである。つまり、この先生の指示はやらなくてもいいと子どもたちは理解し、学習してしまうのである。授業だけでなく、学級活動においても。たどり着く先は崩壊である。

授業中の先生の指示というのは力があるのだ。それは教師が思っている以上のものと考えて良い。できないことをやらせようとする指示。これはやらなくてもいいからねということを教えてしまう。やらなくても良いという指示を出し続けていては、子どもたちはやらなくなる。

それでいて「この子どもたちには、指示が通らない」ということを言い出す先生になってしまうことがある。これは、とても恐ろしいことだ。ほとんどの学生がこれに気がつかなかった。だから学生なのだが。だから模擬授業形式のレッスンはやりがいがあるのだ。さ、しっかりとした実習をするんだよ。

山の事故は多くはその下山で発生する。

7/26

また一つ、前期の授業が終わった。まだ採点が残っているが、一つの山を越えたことは確かだ。毎年毎年、「山」を登る。授業の力がつけば「山」は登りやすくなるかと思いきや、豈図らんや山はだんだん高くなる。

見えていなかった所が見えるようになり、難しさが増す。それを何事もないかのように登りきる力が新たに付かないと、この山を登りきることは難しい。今年度の前半は結局4回も風邪を引いてしまい、声が出ない頭がまわらないというなかでの授業が多すぎた。学生たちには申し訳なかった。

それでも滑落事故を起こすことなく、登りきれたということは、まあ、よしとしよう。しかし、山の事故は多くはその下山で発生する。丁寧に下りて行こう。評価をきちんとしよう。それで夏休みを迎えるとしよう。ま、夏休みの方が、今よりももっと激しい山が待っているんだけどね(^^)。

2011/07/26

『(髪の毛を乾かすために)扇風機の前でが~ってしとおきなさい』

7/24

地上波のTVが終わるという今日ではあったが、その瞬間を見るよりも家の周りにあるあれこれをライブで見に行こうと計画を立てる。昨日は昨日でさんざん遊んだのに。

まずは、全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会だ。これはあの『ちはやふる』で紹介されているもの。家の近くの、娘(3)がお宮参りをし、七五三もした近江神宮で行われる。

先ずは、試合前の会場の様子を見に行く。選手は開会式をやっている。熱戦が繰り広げられる前の会場と言うのは、本当に静かだ。この空気が良い。

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会場を後にしようとしたら、選手達に遭遇。
なんだかディベート甲子園の高校生たちとかぶるんだよなあ。みんな、頑張れという気持ちになる。おじさん達は、見えない所で若者を応援するのである。

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その後、高速を走り醒ケ井まで行く。
地蔵川に咲く「梅花藻(ばいかも)」を見に行く。
まだ満開にはなっていなかった。

娘はとにかく水が好きなので、早速この川に足を入れる。
私もつき合っていれる。
ひええええええ~、冷たい。
この冷たい中に足を入れて喜ぶ娘も凄いが、咲く梅花藻もすごい。

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帰りの高速でぐっすりお昼寝をした娘は元気。
今日もプールを所望。
お父さんは、プールサイドで寝たいがそうも言っていられず、つき合う。

プールの傍の大津市民会館には、高校生のブラスバンドが沢山いた。
ここはここでそういう大会があったのだろう。

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プールの後、お風呂に入る。風呂のロッカーの数字で、数字を覚えている娘⑶。毎回新しい数字に挑戦している。なんでも楽しみに変えるのが子どもの凄さ。

風呂から上がった娘は、自分の番号を理解してドンドンロッカーを開けてサッサと着替える。
早く着替えたので、
『(髪の毛を乾かすために)扇風機の前でが~ってしとおきなさい』
と言ったら、わざわざ椅子を持ってきてその上に乗って
「が~!」
って叫んでいた。こういうのがたまらない(^^)。

その後、近江神宮に戻り、決勝戦を見る。最後の10分ぐらいだったが。
あの真剣な眼差しは、切なくて愛しい。

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写真は『ちはやふる』にも描かれた近江神宮の階段。

一日で三日分のあれこれをやったような日だった。
今日もよく遊んだなあと思っていたら、花火があがった。

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遊びの一日のしめに、琵琶湖の花火の夏が始まるのであった。

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