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2011/01/28

彼ら彼女らの旅立ちに、大声で歌いまくった夜

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ということで、昨日で本学の一般入試が終わった。お陰さまで前年度の受験者数を上回っている。ありがたいことである。教員、職員で学生達を鍛え、サポートしている姿を、あちらこちらで評価してくれているのだと思う。

昨日は入試が終わってから、いったん家に帰りまた山科に向かった。今年卒業する、去年の国語科教育法の受講生たちと打ち上げである。教育実習が終わるのがなかなかのびたのと、就職活動、卒論、卒業制作とあれこれあったので、延び延びになってしまっていた。

美味しいものを食べながら、彼ら彼女らの実習の話を聞き、来年度から何をするのかを聞いた。この不況の時代にきちんと職を得ているものが殆どであった。職を得ていないものは大学院に進学するか、教職を得るために浪人するということなのだから、100%進路は決まったということになるだろう。

彼ら彼女らに最初に会ったのは二回生の特別活動論。ま、これは
120人の中の一人だからよくは分からない。そして、三回生の国語科教育法である。15人弱の参加者の中で徹底的に指導した。それを乗り越えての教育実習であり、卒業である。

ま、彼ら彼女らは、二回生のときにまさか私とこんな風に食事をする関係になるとは夢にも思っていなかったと話していたが、そういうものである。

学ぶとは変わることである。

私は私の学びで変わって行く。彼らは彼らの学びで変わって行く。だから、私と学生との関係も変わって行く。見えなかったものが見えるようになり、分からなかったものが分かるようになり、分かっていたはずのものが分からなくなってしまう。

だから、また学ぶ。そうして、結果的に成長というものに繋がるのだと思っている。

二次会はカラオケ。なんかとても久し振りだった。
花粉が飛び始めているのかのどの調子が今ひとつだったので、高音が出なかったのが悔やまれるが、ま、こんなもんだろう。彼ら彼女らの旅立ちに、大声で歌いまくった夜でもあった。

次に彼ら彼女らに会うのは、書道コースの諸君は卒業制作展。それ以外の諸君は卒業式となる。
だから、
『ご卒業おめでとうございます』
と挨拶した。
「先生、まだ早いですよ」
と言われたが、人生はあっという間なのである。

卒業おめでとう。
いい人生を作るんだぞ。

去年の国語科教育法の受講生たちと打ち上げ

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ということで、昨日で本学の一般入試が終わった。お陰さまで前年度の受験者数を上回っている。ありがたいことである。教員、職員で学生達を鍛え、サポートしている姿を、あちらこちらで評価してくれているのだと思う。

昨日は入試が終わってから、いったん家に帰りまた山科に向かった。今年卒業する、去年の国語科教育法の受講生たちと打ち上げである。教育実習が終わるのがなかなかのびたのと、就職活動、卒論、卒業制作とあれこれあったので、延び延びになってしまっていた。

美味しいものを食べながら、彼ら彼女らの実習の話を聞き、来年度から何をするのかを聞いた。この不況の時代にきちんと職を得ているものが殆どであった。職を得ていないものは大学院に進学するか、教職を得るために浪人するということなのだから、100%進路は決まったということになるだろう。

彼ら彼女らに最初に会ったのは二回生の特別活動論。ま、これは120人の中の一人だからよくは分からない。そして、三回生の国語科教育法である。15人弱の参加者の中で徹底的に指導した。それを乗り越えての教育実習であり、卒業である。

彼ら彼女らは、二回生のときにまさか私とこんな風に食事をする関係になるとは夢にも思っていなかったと話していたが、そういうものである。

学んだことの唯一の証左は変わることである。内田樹先生はそうおっしゃる。

私は私の学びで変わって行く。彼らは彼らの学びで変わって行く。だから、私と学生との関係も変わって行く。見えなかったものが見えるようになり、分からなかったものが分かるようになり、分かっていたはずのものが分からなくなってしまう。

だから、また学ぶ。そうして、結果的に成長というものに繋がるのだと思っている。

二次会はカラオケ。なんかとても久し振りだった。
花粉が飛び始めているのかのどの調子が今ひとつだったので、高音が出なかったのが悔やまれるが、ま、こんなもんだろう。彼ら彼女らの旅立ちに、大声で歌いまくった夜でもあった。

次に彼ら彼女らに会うのは、書道コースの諸君は卒業制作展。それ以外の諸君は卒業式となる。
だから、
『ご卒業おめでとうございます』
と挨拶した。
「先生、まだ早いですよ」
と言われたが、人生はあっという間なのである。

卒業おめでとう。
いい人生を作るんだぞ。

ポスター作成とポスターセッションで心がけたことは3つである

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月曜日火曜日と東京は秋葉原で「平成22年度 大学教育改革 合同フォーラム」のポスターセッションに参加して来た。いわゆる文科省のGPである。うちの大学は「オリターが養成する学習コミュニティの形成」ということで発表。上にあるポスターを二枚横にパネルに並べて発表。

このポスターセッションというのは、聞きにくる人がいないと暇そうに見えて疲れる。また、聞きにくる人が多いとそれはそれで疲れるというなかなかの代物。10:00から17:30まで行ったのだが、結構疲れた。

このポスターセッションでのポスター作成は私が行った。どうせやるならいいものを作ろうと思うのが私。ま、うまく行ったかどうかは当日に分かるので、少し緊張しながらではあったが、基本的に人が途切れることがなかったので、うまく行ったであろう。

ポスター作成とポスターセッションで心がけたことは3つである。

1)ポスターに(おや?)と思わせるものを入れておく。

会場にはたくさんの人が来る。その際、見たいものが決まっていない人は、ぐるっと会場を見て歩く。その際、(あれ、これなんだろう?)というもの があると、足を止める。

私の場合は、「オリターが育てる学習コミュニティの形成」という発表テーマであった。オリターという言葉は聞き慣れない言葉なので、その言葉 で足を止める人が殆どであった。そして、その言葉を質問してきた。

さらに、ポスターの上に活動の様子を示す大きな写真を入れておき、歩いている人の足を止めさせた。

2)30秒で全体を説明できるように準備しておく。

足を止めさせることに成功したら、説明を始める。ただし、だらだらと説明をしてはダメだと考えている。

私は『良かったら30秒だけご説明いたしましょうか?』と話を始めた。見に来ている人は、たくさんを見てみたい。良い発表なのかどうか分からないのに、一つの所に長く捕まりたくはない。本当に聞きたいものだったら、 自分から長く質問するはずである。だから、30秒で全体を説明できるようにしておく。また、興味があれば、さらに質問してくるはずである。

3)質問に答える。

質問を聞いて、興味があれば質問をされるはずである。ここに端的に答える。また、質問がないようであれば、「質問を頂ければ」と振れば良い。

だいたい30秒で全てを説明できるわけがない。不十分になる。それでいいのだ。不十分だから、相手が質問を思いつく。その質問に答えれば良い。も し、ここで質問がなければ、発表に興味がないわけであって、30秒だけ聞いてくれたことに感謝して、次に移動するのを見送るのである。

興味を持って聞いてくれた人には、
「○○さんが、似たテーマでやっていますので、次はそこに行くと良いと思いますよ」
のように知らせる。聞いてくれた人に感謝のプレゼントをするのだ。

とまあ、そういうことで説明を続けたのでありました。
話を聞いてくださった方からは次のような感想を頂きました。

1)他の大学の発表を見ると、教員と職員が頑張る発表ばかりだが、学生達が頑張るシステムを作っているのが良い。
2)直接学生同士の交流を組織して切るのがすばらしい。ITなどに頼るのではなく。
3)学生を大人に育てるシステムがあるのはすばらしい。

ああ、伝わったんだなと嬉しく思った。
そう、話す機会がなければ伝えられない。
話すにつなげるためのあれこれ、結構大事だと思う。

2011/01/23

弱吟 内田樹先生の最終講義で学んだこと

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(ああ、弱吟なんだ)

そう思った。

昨日は、神戸女学院大学の内田樹先生の最終講義を受けるという、なんともすばらしい機会を得た。

だいたいからして、東京の中学校の教員をしていた私が、なんで神戸女学院大学のキャンパスに向かっているのだ。実に不思議な気持ちだ。私淑することが当たり前なのに、なんでこんな機会を得られたのかと思いながら、向かっていた。

あの時、あの小さな決断をしたことが、私を大学院に向かわせて、大学教員の職に導き、滋賀に住まいを得、娘を授かり、学生達と出会い、明日の教室の仲間達と楽しみ、そして、さらにこうして内田樹先生の最終講義を受けることのできる私になっている。

人生の不思議さとありがたさを感じつつ、岡田山の坂道を上った。

二時間前に到着。会場入り口で深呼吸。ゆっくりと見渡す。すると、そこには先生のお姿が。うううう、内田樹先生だ。

受付をすませ、会場で席(中央前から2列め)を確保し、早速ご挨拶に向かう。勿論私のことなんぞ知らない先生だが、私は一度お会いしてお話ししたことがある。乾杯のグラスをかわしてもいる(^^)v。名刺を交換していただき、先生のご著書で学生達と一緒に学んでいることなどを話す。

最終講義の前の先生の大事な時間なので、『「明日の教室」に来てください』という話をしたい所をぐっと堪えて、『ツイートしてもよろしいでしょうか?』と聞いたら、なんとオッケー。え、iPhoneは持参していたが、ブルートゥースキーボードは持って来ていない。MacBookAirは持参して来ているがwi-fiはない。うーん。フリック入力か?

どうしようかと考えながら、外でメールを書いていたら、そこに準備に向かう先生の姿を発見。もうこれは行くしかない『先生、一緒に写真を撮って頂けませんか?』というと、明るく了解を頂き、ゼミ生に頼んでツーショットで写真を撮っていただけた。いやあ、2時間前に行って良かった。

なんというか、小沢征爾さんに嘗て下北沢のホームで遭遇した時にサインをお願いした時に明るく了解してくださった、あの雰囲気と同じだったなあ。私もかくあらねばと思う。(ま、私に一緒に写真をとか、サインをとかいう方はないだろうがf(^^;。)

閃いた。

明日の教室でお世話になっている平井さんが、ポケットwi-fiを持ってくるはずだ。そこに乗っけてもらえれば、MacBookAirでツイートできると。

早速メールでお願いすると、気持ちよく了解してもらえた。そして、iPhoneから『どなたかハッシュタグを決めてくれませんか?』と依頼すると、早速これもやってくださる方がいた。#tatsuru_lect を確定する。そして、開始一時間前にツイートすることを予告する。

最終講義は、静謐な時間だった。
私はキーボードを叩く音がこの静謐さを打ち壊すことのないように、指を運び続けた。MacBookAirのキーボードで良かった。

講義の内容は、サマリーがhttp://togetter.com/li/92210にまとめらている。私のツイートが使われているのは、http://togetter.com/li/91886。その内、本となって世に出ると思うので、そちらを読んでいただければいいとは思うが、早く知りたい方は、追いかけてください。

私は内容そのものにもあれこれ深く学ぶことがあったのだが、それよりもその語り口に持ってかれたのであった。内田樹先生がおっしゃるように、ヴォーリーズ建築はとても心地よい音の響きを生み出してくれる建物であった。

その構造を熟知している、というか建物をご自身の体の一部にした上での話し方であった。それは私には、

(ああ、弱吟なんだ)

と思えたのだ。

弱吟(よわぎん)は、能の謡い方の一つの方法である。恥ずかしながら私も少しは謡えるので分かる。弱吟は通常女性が主人公のお能の演目で使われる謡い方なのである。

内田樹先生はご案内の通り、謡の稽古を続けられている。バリバリに謡えるのである。その先生が、最終講義の語り口に弱吟を選ばれたのだなあと思いながら聞いていた。

800人入る、立ち見の出たヴォーリーズの建てた講堂での最終講義。そこで21年間の女子大学での教員生活を終えようとする内田樹先生が最終講義で選ばれた発声は、弱吟だったと私は思った。

なんだろう。
本ではなく、ネットのyoutubeでもなく、あの静謐な空気、内田樹先生ありがとうございますという空気の中で響いている先生の声、言葉。

私が敬愛する元校長の蛭田容之先生は「池田さん、退職というのは一つの死なんだよ。職業人としての死なんだね」と語って下さったことがある。内田樹先生は退職され、一つの死を迎えられるのだ。

その悲しみを受け入れつつ、それでもありがとうございますという言葉では表しきれない、ありがとうございますの空気の中に響いて行く、内田樹先生の弱吟の言葉。

さようなら
ありがとう
さようなら
ありがとう
さようなら

という音律の中に展開する、頭と体と心を揺さぶる言葉の、論理展開の、響きの洪水。さよならだからといって悲しいのではなく笑いもあり、ありがとうだからといって嬉しいのではなく切なさもあり。

ヴォーリーズの建物までもが、その別れを惜しんでいるようなあたたかな響きであった。

満員の茶話会で先生に
『明日の教室にご登壇ください』
とお願いした所、
「連絡を下さい」
と言って下さった!!!!

その後、先生はパーティに向かわれた。
私たちは、この興奮をどこかに落ち着かせようと、いや、さらに味わおうと帰り道に店に入った。

私は僭越ながら、先生のこの先の新たな誕生、そして益々のご活躍を祈念して「開運 純米吟醸」を飲み続けた。

内田樹先生、長い間ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。


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