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2011/10/15

その中で恐ろしいことが判明した

10/15

Otsujazz

昨晩は、新大阪駅近辺で快飲であった。今関わっている仕事のメンバーたちと一献。こういうのはとても嬉しい。で、今朝はちょっとゆるりとした時間を過ごす。

娘(4)が幼稚園から帰ってきたのを拾って、浜大津まで出かける。今日と明日は大津ジャズフェスティバルがあるのだ。http://otsu-jazz.com/index.html 簡単な食事もできるので、そこでランチとすることにした。

あいにくの小雨ということもあり、会場はさほど人はいなかった。が、演奏はなかなか良かった。大阪のあるバンドは、四人のボーカル(男女2人ずつ)に、ホーンセクションを兼ね備えていた。ドゥービーブラザーズやE&Fのナンバーをやってくれて、いやあとても良かった。

明日も行っちゃおうかなあと思ってしまうぐらいであった。

その後、車検に出していたE91を引き取りにいく。丁寧に見てもらって調整もしてもらったのが説明で良くわかった。

その中で恐ろしいことが判明した。
なんと、タイヤが間違って装着されていたというのだ。前後が逆だったと。今はスタッドレスをはきつぶしているが、そのスタッドレスタイヤに変えたときに、その店で前後逆に装着されてしまっていたのだ。

スタッドレスにしたとき
(ん? なんか重たいな)
と思ったのだが、スタッドレスにしたからだと思っていた。ところが、原因はそこにはなかった。逆だったのだ。

当然リアのタイヤの方が大きい。だから、それをフロントに持ってくるとハンドルは重たい。でも、それはスタッドレスのためだと思い込んでいた。場合によっては事故につながるところだ。今からでも文句を言ってやろうかと思った。

で、正しい位置に装着されたタイヤで走り始めたE91。いやあ、快適。ハンドルは軽いし、加速もいい。なんか新しい車に乗り換えたかのようだ。エンジンオイルを変えたりあれこれもしてるので、すべてタイヤのおかげということではないのだろうが、こんなに味わいが違うのかと、感心することしきりであった。

夜は、久しぶりに休肝日。
食事の後、コーヒー何ぞを楽しむ。
夜のコーヒーが美味しくなるのが、秋。

もう少ししたら寝よう。


2011/10/13

『もの食う人びと』(辺見 庸 角川文庫)

この本を読み終わるまで12年掛かったことになる。
『もの食う人びと』(辺見 庸 角川文庫)だ。

何かの書評で見つけて面白そうだと購入し、読み始めてはどっかになくしてしまうことが続き、結局読み終えたこの本は三冊目ということになる。

初版で買ったのが平成九年。今手元にある本は平成十五年で十四版だ。ま、この本を手に入れてからももう既に八年も経っているが。


だが、おそらくこの本は私にこのタイミングで読まれるために、無くなったり隠れたりしていたのではないかと思えた。

本は、筆者の辺見さんが世界中のさまざまなものを現地で食べ、そのことを書いたドキュメントである。今から20年前の世界が描かれている。食べたものと言えば、

346pから引用開始 ーーーーーーーーーー

ダッカの残飯、ビター、猫用缶詰、ソムタム、キャッサバ、ジュゴンの歯の粉末、スズメ、フォー、バンザイ、ドイツの囚人食、ドナー・ケバブ、サチカオルマ、ボグラッチ、旧ユーゴ難民向け援助食料、...

引用終了 ーーーーーーーーーー

と実に様々。それだけでも圧巻である。

その中に、「禁断の森」と名付けられた一編がある。まるで福島原発事故のことを書いているのではないかと思いながら読み進めた。勿論、20年前の書籍にそんな記述があるわけがない。これは、チェルノブイリのことなのだ。

電力、放射能、働き口、老人、食事。

ここで語られていることは、20年前のチェルノブイリのことではなく、今の日本のこと、これからの日本のことではないかと思えて仕方がないのだ。12年前に一気に読んでしまえば、この一編は、単なる他人事として読み飛ばしていたかもしれない。だが、今は違う。

なんて自分勝手なんだろうとも思う。
だが、今読めて良かったと思う。

『もの食う人びと』(辺見 庸 角川文庫)「禁断の森」

ここだけでも読んでみることをお薦めする。

iPhone 4Sのすごさ。大阪弁バージョン

http://www.youtube.com/watch?v=xjFFz4Grwe0&feature=share

いやあ、面白い。
こういうのいいなあ。
5分間、笑いながら情報を増やして下さい(^^)。

2011/10/11

叱りつけるところである

http://mainichi.jp/enta/sports/news/20111011spn00m050008000c.htmlより引用開始 ーーーーーーーーーー

大相撲:高見盛 小学生の「どうしてブサイク」にタジタジ


ちびっ子相撲教室で司会を務める高見盛=スポニチ提供
 大相撲の十両・高見盛(35)が10日、東京都小金井市内で子供相撲教室を行い、小学生の厳しい質問攻めにタジタジとなった。

 自ら胸を出して稽古をつけた後の質問コーナーで「どうしてそんなにブサイクなのですか?」ときつい一発を浴び「生まれつきだから言えない…」とシドロモドロ。慣れない司会進行も担ったため「しゃべったりするのは難しい」と終始戸惑い気味だった。それでも「生意気盛りなところも含めて(子供は)かわいい」と進退を懸けて臨む九州場所(11月13日初日)に向け、英気を養ったようだった。(スポニチ)

2011年10月11日

引用終了 ーーーーーーーーーー

あほかと思う。
ここは、
「失礼なことを聞くな!」
と叱りつけるところである。

高見盛関ご本人が言えなかったら、周りの者か教員が叱り飛ばさなければならない。これを許しておくから駄目になる。子どもが可哀想だ。

体育の日。ハッピーマンデー。大学は授業がある

10/10

Akiyugure

体育の日。ハッピーマンデー。大学は授業がある。
『ハッピーマンデーが、ハッピーな諸君は手を挙げよ』
と聞くところから授業を始めた。

二つの授業があったが、どちらもハッピーな者は1割にも満たない。
『では、なぜハッピーなのか?』
『ハッピーな人たちはどこにいるのか?』
と問いをたてて考えさせる。

勿論、この社会の中には三連休になることでハッピーになる人たちがいるだろう。しかし、私はこの法律ができてからハッピーに感じたことはない。昔母親が言っていた言葉を思い出す。
「全く休みばかりだとお金がかかって仕方がない」
庶民はこの感覚だろう。しかし、立場を変えればお金が入ってくる人たちがいる訳で、これはハッピーなのだろう。

権力を持つということはどういうことか。いろいろな考え方があるだろうが、私は「他人の時間をコントロールできるようになる」ということではないかと思う。休日を勝手に変更するのもそうだし、勤務時間を決めるのもそうだし、最悪の場合は戦争で殺すこともできる。つまり、その人の生きる時間を奪い取るというコントロールである。

どこがどのようにハッピーなのか。このネーミングをした人たちのその意図は何か。三連休にする法律でありながら、例外の祭日があるのはなぜか。そんなことを考えることは、批判的に物事を見る訓練の一つとして入りやすいかもしれない。

授業の一つ教職総合演習であった。今日のテーマは「子どもの発熱」について。グループが発表する。最初のグループであり、一回目でもあるのでおかしな点は叱るのではなく、教えて指導する。発表原稿の不備や発表の仕方、さらには実習コーナーでの指示の出し方などに問題があることを指摘し、その改善の仕方も示す。

うがいの仕方の説明、手の洗い方の説明があって、実際にやってみる。
実はしっかりやるとなかなか面白い。学生の説明を聞いていたのだが、どうも私の理解と違うことがあるので、私の説明でもやってみる。例えばうがい。「ガラガラする」というのが違う。この擬音語がくせ者。学生たちにやらせると声を出してガラガラやっている。だが、これは声を出さないでやるのがいい。その方が水がしっかりとのどの奥に入る。

また理解のための説明と、行動をさせるための指示の違いが分かっていない学生も多く、ここも具体的に違いを指摘して説明する。一つ一つ教えるしかないなと思いながら。

国教法2は、私の研究テーマの柱である「国語科を実技教科にしたい」の部分の説明であった。私がなんでこんなことを考えるようになったのかをあれこれ話す。教師は子どもから影響をもろに受ける。出会った子どもたちによって、教育の考え方や指導のあり方などが大きく変わる。

私が「国語科を実技教科にしたい」と考えるようになったのも、子どもたちの変化によることがおおい。若い頃の私は『勉強は、できるできないではない。やったかやらなかっただ』という考え方を持っていた。実際そうだと今でも思っている部分もある。しかし、ある学校に行ったときこれは無理だと思ったのだ。やろうと思ってもできないのだ。

家本先生の本の中にあったのは、「新しい漢字が出てきたら、辞書を引いてその意味をノートに書いてくる」という宿題を忘れる女の子の話だ。しっかりやるその子は毎回忘れる。よく調べてみたら、辞書が買えないというのであった。だからやりたくてもできないので、「忘れた」と言っていたという。

このことを思った。家に帰っても勉強できる環境にない子どもがたちがいるのだ。そんな子どもたちに、やればできるなんて言っても無理なのである。そうであれば、折角来たその学校。そのチャンスを生かさなければならない。学校には来るが保健室でぐだぐだしている彼ら彼女らを教室に入れて、それも力づくではなくて(なんか面白そうなことをしている)と思わせて自分から入りたくさせて、それでもって国語の力を1時間でつける。そのためにはどうしたらいいのか。私の出した答えは、国語科を実技教科にするということである。

そのあと、この具体例をあれこれ話した。

折角の休みの日に来ている学生たちに、ああ来てよかったと思わせる授業に挑戦の一日であった。

写真は、この日の夕焼け。秋は夕暮れというのはほんとだなあ。


ちょっとウルっと来た

10/9

Photo

指導すること運営することは、それこそ随分とやったが保護者として参加する運動会は初めてであった。こんなに楽なんだと思った。勿論、お客さんたちが大変だったら困るが、先生の仕事の大変さを改めて思うのだった。

親として参加の私は、とにかく怪我をしないこと、させないことである。自分が怪我をしないためには準備運動が大事。親子リレーに参加したが、準備運動がメイン種目であるかのように私は入念に行った。娘(4)と一緒に走るのだが、娘の勢いが良くわからなかったので足手まといにならぬよう、急かさぬようにと気を使う。

中学校と違うなあと思ったことは、いくつかあった。

1)殺気立っていない。
2)ストーリーがある。
3)早い。

1)入場門に子どもたちが集合すると、保護者もカメラを持って集まる。それで問題がない。また、席取りもあったようだが、いざ始まってみるとカメラを構えた人たちが自由に動いている。譲り合って撮影している。

中学校の場合、生徒席に卒業生や他の中学校の生徒が混じって面倒を起こすことが多いので、生徒席と一般席は厳密に分けることがほとんどだ。だが、幼稚園は違うなあと感じた。

2)運動会が、一つの物語になっている。三つの組があって冒険の旅に出るという設定。途中にゴリラさんがいて、おなかをすかしていたので玉のご飯をあげる。これが玉入れ。実になるほどなあと思った。ファンタジーの世界が運動会も包むのかと驚く。

3)当たり前だが、子どもの競技なので一つ一つの演目の時間が短い。あっという間に終わっていく。運営する方としては、これはいいなあf(^^;。

改めて良かったなあと思ったのは、娘の人間関係が見られることだ。家で幼稚園の話題として出てくる友達の顔が良くわかり、じゃれ合っている姿も見ることができた。なるほどなあと思うし、なんか安心。

小中学校でも、この姿を保護者に見せるというのは大事だなと思う。

私はカメラを持って懸命に競技に参加する娘の姿を撮り続けた。また、同じマンションの子どもの姿も。幼稚園によっては保護者のカメラが駄目だというところもある。私には信じられない。その理由は、しっかりと目で子どもの姿を見て欲しいからだという。写真は業者を入れて写真は販売するからいい大丈夫とのことだ。

それはそうなんだろうけど、実際は場所取りの混乱排除とかが目的だろう。業者を入れたら高いし、親にしか見せない表情は撮れない。こんなデジカメで便利な時代なのにねえ。

娘は、ちょっと笑ってしまうぐらい一生懸命であった。
「お前も、一生懸命だったねえ」
と私の母に言われた。こういうところは良く覚えているようだ。そして、こういうところも遺伝するのかなあと思った。ちょっとウルっと来た。

夕方、ヨットハーバーを通り抜け近所のガーデンに娘と散歩に行った。
『あれ? バラさんのところに何かあるよ?!』
と話すと、嬉しそうに恥ずかしそうに向かっていく。
「あ、お手紙!」
封筒に入ったお手紙を娘は発見。
中には、運動会一生懸命がんばったねという内容のお手紙が入っていた。バラさんからである。

『頑張ったのをバラさんもどこかで見ていたんだね』
「うん!」
『よかったね』
「うん!」

その後、近くの温泉に娘と一緒に向かう。
長い一日を振り返りながら露天風呂に入る。
そこに、琵琶湖で打ち上げられた花火が目の前に広がった。

出来過ぎの一日であった。


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