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2011/10/22

(あ、橋掛りか)

10/22

411年前の今日は、関ヶ原の合戦の翌日である。その本日、大学祭の初日に出かけていった。学生たちが頑張っている姿をなんとなくでも目に納めて置こうと思って、娘(4)と出掛けていった。
私と一緒にいると娘はあちこちから声をかけられるので、その度に
「こんにちは」
と挨拶をする。そんなので、ちょっと疲れてしまったようだった。

ま、これだけのお兄さんお姉さんから視線を受ければ、通常の子どもは疲れてしまう。だから、時々研究室に行ってゆっくりさせたりもしていた。

そんなところに中庭でステージが始まった。

研究室から見下ろした所、ダンス関連の舞台であった。それが二つ続いた。二つは違う種類の踊りなのだが、私が(あれ?)と思う共通したことがあった。私にとってはちょっと違和感のあった、あれ?であった。

それは踊り始める前の円陣であった。

アホの坂田と呼ばれる芸人がいる。お笑いの大物芸人である。彼がステージに立つ直前に、袖からステージに出るときに、付き人の若い衆から
「よ、日本一。師匠、最高。日本一!!」
と声をかけられていたのだ。

勿論、これはアホの坂田師匠が、付き人に言わせているのである。
これだけの芸人であってもステージ前は恐怖に教われるのだなあと思った。

私はマドンナのライブステージビデオを見たことがある。
あのマドンナが、ステージに立つ前にステージの袖でダンサーたちと一緒に円陣を組み
「このステージの成功が〜。神の祝福がありますように」
のようなことを唱えていたのを覚えている。

ちょっと衝撃的であった。マドンナにしてステージ立つ直前はこうなのかと思った。

だから、学生たちがステージに立つ前に円陣を組んで気合いをかけるというのは、十分分かる。分かるのだが、場所が違うんじゃないかなあと思ったのだ。客席とステージの前の空間。いや、そこでも踊るからステージの一部である空間で、円陣を組んで雄叫びを上げていたのだ。

私の認識では
(そういうのは、お客に見えない所でやるものであって、お客の目の前でやるもんじゃないよなあ)
というものである。だから、アホの坂田師匠とマドンナの件は、そうだよなあと思うのであった。
二つの踊りのグループがそうだったため、
(最近はこうなのか?)
と思ったのだが、その後の和太鼓のグループは違ったので、
(やっぱり今流行の踊りのグループだけなのかなあ)
と思ったのだ。
(ああ、おじさんになったねえ)
と思ったのだ。

ところが、帰り道車を運転しているときに、ふと思ったのだ。
(あ、橋掛りか)
と。

能舞台は三つの場所方で来ている。鏡の間、橋掛り、本舞台である。http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc9/kouzou/stage/tokusyoku.html
橋掛りは、この世とあの世を結びつける橋である。「隅田川」「道成寺」「井筒」などは、この橋掛りの意味が良くわかる演目だ。

そう考えると、あのダンスのグループの舞台前での円陣は、実は橋掛りをわたっているときの姿なのだとも言えるかな、と思ったのだ。お能もダンスと言えばダンスだしf(^^;。

でも、まあ、私の気持ちとしては、そういうのはお客に見えない所でやって欲しいなあというものであった。もと、ステージ作りをしていた私としてはね。

2011/10/19

学級担任論 行事とレクで考える

10/19

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本日の学級担任論。
各地の小学校で運動会が行われている。このことを受け、行事での子どもの目標と教師の目的の違いを説明する所から入る。子どもたちは勝つことを目標に取り組む。優勝が目標だ。担任も勿論一緒に燃えて良い。

ただ教師は、勝ったり負けたりだけではならない。学習指導要領の特別活動の「D 学校行事」には、「生徒児童は、体育的行事において勝利を第一に目指す指導をすること」とはない。http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301b/990301k.htmとある。一言で言えば、人間の器を大きくしようと言うことである。

勝ってダメになるクラスというものはある。逆に、負けたとしても良いクラスに成長してくクラスもある。3月にクラスを解散するときに、どれだけ子どもたちが成長しているか。ここが指導者のポイントなのであって、一つ一つの勝ち負けに子どもと同じレベルで一喜一憂してはならない。

授業の中では、学級担任がすべき仕事を、毎日、毎週、毎月、毎学期、毎年にわけて説明する。それだけでも多いが、生徒指導が入るとこのルーティーンの仕事ができなくなることを理解させる。

(ま、これは後で良いや)
と思っていると、そういうときに限って子どもは事件を起こし、教師の仕事のスケジュールを変えてしまい、追いつかなくなることを話す。子どもは教師のスケジュールを知っていると思った方が良い。そして、仕事を追いつめる方向に進むものであるとも。

一つ考えさせたのは、子どもの連絡帳や日記のチェックをどうするかである。例えば、クラスが30人だとする。一人1分でそのノートを確認してコメントを書いたとして、30分かかる。朝集めたノートは、帰りの学活で返却する。

『さて、諸君。朝からずっと授業をしていて、中休み、昼休みと子どもたちと一緒に遊ぶ小学校の先生である。いつそのノートを点検するのだ?』

学生諸君は考えこむ。この30分が確保できるのは、専科の先生が授業をしてくれる時間がない限りは、一日のうちで一カ所しかない。それは給食の時間だ。もう少し詳しく見ると、給食の配膳の時間と、先生だけ早く食べ終わって、ごちそうさまをするまでの時間しかない。たったか仕事をしないと、話にならないのである。

その後、学級開きにおけるレクリエーションのあり方について。実際に私が学生を小学校五年生に見立ててやってみる。三種類のレクをやる。その後、問を出す。

『さて、私は何を目的にこのレクをやっていたのでしょうか?』

勿論、子ども同士のコミュニケーションを促すということは学生も分かる。しかし、それは表の目的。そう、今日の授業の導入で話したように、子どもは勝ち負けにこだわって良いが教師は違う視点が必要だということを改めて話す。この展開のために伏線を張っていたのだ。

違う視点が必要だとすれば、教師はこのレクリエーションで何を見ていたのであろうか。これを考えさせる。なぜそのレクリエーションの項目なのか、なぜその順番なのか、なぜそのテーマでやらせているのか。考えさせた。そして、正解を話す。

学生諸君は、まさかそんなところまで配慮してレクリエーションの項目を設定しているとはまったく思っていない。説明を聞いて驚く。ほとんど愕然とする。そして、
(そんなことまで配慮するのか。私に出来るのだろうか)
と落ち込む。

アホか。
今の君たちに出来るわけがない。だから勉強させているのだ。
私と自分を比べる事自体が失礼なのだということが分からない。

学級担任についての勉強は、まだ3回目が終わった所である。

白身魚のガーリッックオイルグリル レシピ

10/19

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久し振りに作ったら、美味しそうだと言われ、レシピを知りたいという声があったのでブログに載せます。美味しいですよ。是非作って下さい。私のお気に入りの店の代表的な一品です。「白身魚のガーリッックオイルグリル」

1)用意するもの
・白身魚(石持、ニシン、アイナメ、金目鯛、甘鯛など)一匹。腸と鱗を取っておく。
・ニンニクひとかけら。唐辛子1〜2本
・香草(タイム、ローリエなど自分の好きなもの)
・塩、こしょう、バージンオリーブオイル、レモン。
・ビール。たくさん。

2)下準備
・グリルに火を付けて、5分程度空焚きして、庫内の温度を上げておく。
・白身魚の腹に塩、こしょうして香草を詰める。
・白身魚の外側にも塩、こしょうする。ちょっと多めにするのがコツ。
・ニンニクを細かく包丁で切る。粒を同じにすること。そうすると火の通りが均一になる。
・唐辛子を輪切りにしておく。

3)調理
・グリルで白身魚を焼く。片面ずつ両面をしっかりと焼く。えらなどは焦げても良い。
・フライパンに細かくしたニンニクを入れ、多めのオリーブオイルで加熱する。この際、弱火でゆっくりやるのがコツ。きつね色になり始めるころに、唐辛子を入れる。
・焼きあがった魚を皿に載せ、そこに加熱したニンニク唐辛子オリーブオイルをかける。
・最後に、レモン(お気に入りの柑橘類。グレープフルーツなども美味しい)を半分ぐらい絞りながら魚にかける。

4)実食
・ビールを傍らに置いておき、常に飲める状態になっているのを確認する。
・とにかく、熱熱の内に食べる。「うまーい」と叫ぶ。
・しかし、さめても実はおいしい。

で、大事なのは、ビールです(^^)。
お楽しみあれ。

2011/10/17

原稿書きと大津ジャズフェスティバルの週末

10/17

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週末は、来週締め切りの原稿書きを優先した。
7月に依頼されたICUでの講演の内容を元にしたまとめの原稿だ。資料の整理をしながらあれこれ書き進めた。引用する文献のページ数とかを確認するために、書斎に籠って書き進めた。

自分の実践を語るとき、その時の子どもの顔が思い浮かぶのは当然だが、私の場合はそのときに読んでいた本や出会った人も思い出すことが多い。人生には人それぞれその人を支えてくれた本や方向性を変えてしまった本というものもあるだろう。私にもある。今回原稿を書くためにその本を改めて読み直してみて、
(ああ、俺はこの本に出会ったんだよなあ。幸せだったなあ)
と思った。

その中の一冊は『学校』(松崎運之助 晩聲社)である。
大学生のときに読んだ一冊だ。
東京の夜間中学校のドキュメントだ。後に山田洋二郎監督によって「学校」という映画になるのだが、私は本が先であった。というか映画は見ていない。

この本から得られたものは、本当に大きい。自分の実践の根っこの部分を作ってくれていると行っても良いんじゃないかな。読んでない若い先生には是非読んでほしいなあ。

私は90分を1コマとして原稿を書き進めることが多い。90分書いて、ちょっと休憩。そしてまた90分。修士論文のときはこれを一日に最低6回やっていた。午前、午後、夜と二回ずつ。これを二ヶ月半やり続けたのだから我ながら偉いと思う(^^)。

ま、このペースが私にはあっているのだろうと思う。今回、その90分が過ぎた辺りで、娘(4)がやってきた。
「お父さん、どうしたの?」
いつもはリビングで物書きをしている私なので、姿が見えなくて心配したのかもしれない。
『お父さんは、文章を書くお仕事をしているんだよ。でも、ちょうどいいタイミングで来たね。お父さん、休憩をしていたんだ。おいで』
というと娘は喜んで書斎中にはいり、私の座っているところに乗ってくる。
なんという贅沢なことだ(^^)。
疲れがすっと抜ける。

原稿もあと5時間以内には終わるぐらいまで書き進めることができた。よしよし。

午後からは、大津ジャズフェスティバルに向かう。前日も出かけたのだが雨と風でちょっと残念。しかし、二日目の日曜日は見事な秋晴れ。私はじっくりと堪能した。

青空、トワイライト、ライトアップの三つの時間で、ジャズを楽しめた。しかも無料。勿論カンパはあるのだが、無料。この贅沢さはなんだと思いつつも、贅沢は好きなのでたっぷりと楽しむ。

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世界一のジャズフェスティバルにするぞと実行委員達は言っていた。私はロケーション的にも参加メンバー的にも十分可能だと思っている。私は実行委員をやる時間はないのだが、こうして宣伝することぐらいはと思う。

来年は第四回になる。
お越し下さい。なんとも良い時間を過ごせますよ。

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そんな週末であった。


今日学生諸君が選んだテーマは「子どもの名前」である

10/17

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(写真は、琵琶湖噴水にできた虹)

教職総合演習の授業。
今日学生諸君が選んだテーマは「子どもの名前」である。最近の子どもたちの名前がDQNネームだとかキラキラネームだとか言われているものが増えていて、これはどういうことなのだろうかということで授業取り上げることにしたとのこと。面白いテーマである。

戸籍法では常用漢字2136字と人名漢字861字に使われている漢字を使って名前を登録することができる。漢字さえ、この中から選ぶことができれば、読み方はどうでも良いということになっている。極端な話、太郎と書いて「じろう」と呼んでも法律的には問題はない。これは日本の文字が表音文字と表意文字を持っているというすばらしい言語環境にあることにも起因していると思われる。さらに、日本は「にほん」とも「にっぽん」とも呼んでいてとくに問題がないというような言語環境も前提にあるのかもしれない。

発表では、大正時代から現代までの100年の名付けの歴史を概観し、その特徴を説明する。クイズ形式なども取り入れていてい面白い。社会情勢を反映したもの、有名人の名前をもらったもの、音の響きを大切にして選んだものなどがあることが分かる。

実習コーナーでは、最近の子どもの名前の例を出して、どんな呼び方をするのかを当てさせたり、逆に音を出してどんな漢字なのかを考えさせたりしながらの授業展開でこれも面白かった。

例えば、「こづえ」「ひよこ」はどんな漢字が出るだろうか? これは「虎強」(男)、「一夜子」という漢字が与えられているとのことであった。

(えー、かわいそう)
(なんだ、この親?)
と思うこともあるだろう。しかし、教師はその子どもに名前を付けることは出来ないし、親を否定するのも問題だ。教師として考えなければならないことは、その子どもの名前を先ず全面的に受け入れるということなのだろう。それがたとえ、教師の価値観とはまったく違っていたとしても。

例えば、自分のクラスに変わった名前の子どもがいたとする。これはいかがなものかと思う教師は多いだろう。ただ、ここで大事なのはどんな親でも、その子どもを大切にしたいという思いからつけようとしたはずだと思うことであり、子どもにそれを理解させることがだと思う。

私が中学校の教師をしていたとき、その中学校の隣の学区で「悪魔」と名付けられようとした子どもがいた。これは社会通念上、子どもの福祉上の問題があるということで受理されなかった。が、その親であっても、悪魔という名前が子どもには力強さを与えるもの、または悪魔が良いと思ってつけているというところは、子どもに良い名前を付けたいという思いと同じではないかと思う。

しかし、実際のところ変わった名前というのは、つけた後に気がつく。あれこれ気がつく。私の場合、日本語では二音で呼ばれることが多いので、子どもの名前は女の子だったら二音の名前を付けてあげたいなあと思っていた。ところがこれは思わぬメリットもあった。幼稚園の持ち物に名前を書くとき、実に楽なのだ(^^)。「けんいちろう」とか名前を付けたら、大変だったろうなあと思う。私の場合はメリットだったが、逆の場合もあるだろうと思う。

親は満足、子どもも満足。
親は満足、子どもは不満。
親は不満、子どもは満足。
親は不満、子どもも不満。

小学校に入ってきた辺りの子どもは、名前に関してどのような思いを持っているだろうか。
親はまあ良いとして、子どもが不満を持っていたときにどう対応するのかが、教師の大事な役割なのだと思う。

クラスにいる生徒の名前を取り出して具体的に説明するのではなく、今回、下記にある「一夜子」の場合のように、子どもたちとは直接関係のない名前を出しながら説明するというのが良い方法だと思われる。そもそも名前とは何なのかついて、中学校なら特別活動の進路で扱っても良いのではないかなあと思うのだ。

その際、まず、「親は自分の子どもを不幸せにしようとして名前を付けることはない」という前提を子どもに伝えることが大事だろう。その上で、あれこれ考える。

例えば、悪魔だったらどうするか。これは私が中学生に話したことだ。豊臣秀吉の子どもの幼名のことを出して説明した。
『鶴丸の名前は、子どもの頃は「捨(すて)」。これは拾われてきた子どもは丈夫に育つという言い伝えがあったことから付けたというものなんだな。さらに、良い名前を付けてしまうと、悪魔がすぐに見つけてその子の命を取ってしまうので、悪い名前を付ける習俗をもつ人たちもいるるのだぞ。わざとそういうい名前を付けることもあるということも、あるのだ。これも子どもを大事にしたいという願いからだ。だから、そうなのかもよ』

今回の授業では、「一夜子」だ。これは「一回セックスしたら出来ちゃった子ども」という意味があってとても耐えられない名前だと学生たちは言う。確かにそういう思いがわくのは分かるかもしれない。しかし、現代では10組のカップルのうち1組のカップルは不妊症に悩んでいるという。そういうカップルからすれば、うらやましい名前かもしれない。

さらに、これが戦時中だったらどうなのだろうか。連続テレビ小説では、陽子は結婚して一週間でご主人は出兵する。その間に授かった子どもがいたとしたら。いや、一夜限りの結婚の場合も多くあったはずだ。そこで授かった子どもは(その後の養育の大変さは別にして)、「一夜子」というのはありなのではないかという話をした。背景が変わるとかなり変わるのである。

人それぞれの事情なんてのは、周りにはそう簡単に分からないものなのである。
私が話そうとすることはまったく違うかもしれない。しかし、こういう話は、ありだと思うし、場合によっては積極的にすべきだろう。

また「一夜子」という漢字の問題もあるかもしれない。「ひよこ」という読み方は、どういう文字が考えられるであろうか。ヒヨコ、雛。Macの変換ソフトの「ことえり」でやってみるとこのカタカナと漢字が出てくる。ま、一般的にもこれだろう。ここから「一夜子」という漢字をひねり出すのは大変なことだ。

私は、この音からどんな漢字を思い浮かべますかという学生の発問に対して、「陽与子」という漢字を考えてみた。お日様のあたたかさを与えられる子どもというのは、結構いいのではないかと思う。(ま、連続テレビの「おひさま」の「陽子」ぽいけど。で、来年は、この陽子の名前がはやるんだろうなあ。火与子までなると、卑弥呼っぽくなるなあf(^^;。)

だから、「あなたの名前の音には、こういう意味もあるね」という説明の仕方もあるかもしれない。

また、ワーキングネームや、通名、呼び名、筆名などを考えるという手もあるかもしれない。
そして、最後は改名の方法だろう。実際に改名をするかどうかは別にして、親と子どもが悩んでいるのであれば、改名はこのようにして出来ますよということを教師は知っておいてもいいのかもしれない。

この「名前」というテーマは実に奥が深い。
実はもう一つ別のグループもこのテーマで発表することになる。今回の発表を受けて次の発表がさらに深まった発表になることを期待する。

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