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2011/10/29

11/26 明日の教室 塩澤一洋さん 写真講座

お待ちどうさまでした。
明日の教室ならではの、企画です。

まず、この写真をご覧ください。
http://shiology.com/

教師は、学校でいろいろな書類を保護者に出します。その中で学級通信、学年通信は大事な書類です。その中の、一枚の写真が見事に決まっていると、その通信はさらに愛読されると思われるのです。

デジカメの隆盛により、簡単に写真を撮ることができるようになりました。ほとんど何も考えずにシャッターを切れば、見事な写真ができあがります。しかし、ここに写真の基礎基本が理解されていたら、さらに素晴らしい写真がその紙面を飾ることになるでしょう。

今回の明日の教室では、研究者、教育者でありつつ、写真家である塩澤一洋さんをお招きして、写真講座を開催します。子どもを撮るにはどうしたらいいのか。おまけに、秋の京都を舞台にして風景を撮るにはどうしたらいいのか。これを理論とワークショップで展開します。ああ、なんて贅沢なんだ(^^)。

さらに、凄いことが二つ。

1)株式会社リコーさんの提供で、コンパクトデジカメを25台ほど貸し出しをしていただくことができました。先着順です。申し込み欄にご記入ください。

2)京都橘大学の学生は、準備片付けなど手伝うことが前提で、参加費が無料になりました。チャンスを掴むようにね。

なお、参加者のみなさんにお願いです。

1)デジカメをご持参ください。一眼レフでもコンパクトデジカメでも、携帯電話に付いているものでも構いません。ご自身がいつも使っているものが良いかと思います。

2)当日はDVDの撮影があります。撮影された写真、肖像権はDVD作成に関わってご協力いただくことになります。よろしくお願いいたします。

講師のプロフィールです

塩澤一洋(しおざわかずひろ)
成蹊大学法学部教授
政策研究大学院大学客員教授
写真家

1990年代から、ポートレイト、結婚式、風景などの「きらきら」を写し続けている。日本、韓国、米国で、写真集、書籍、雑誌の表紙や記事に多数の写真が掲載されているほか、複数の写真展に委嘱出品。Apple社の前CEO、スティーブ・ジョブズ氏を撮影した写真は多くの媒体に掲載されている。写真撮影に関するセミナーやワークショップにも講師として多数登壇しており、最近では9月から10月にかけて、「GR DIGITAL×Macであなたの写真が変わる!!」と題して、福岡から札幌まで全国のApple Storeで8回講演。

『月刊MacPeople』に「一語一絵」を連載中。
2004年から書き続けるブログ「shiology」は月間十数万アクセス。

1993年慶應義塾大学経済学部卒業。95年同法学部卒業。2000年同大学院法学研究科博士課程単位取得退学。同年成蹊大学法学部専任講師。助教授、准教授を経て08年より教授。04年から政策研究大学院大学客員教授および財務省研修所講師、10年から慶應義塾大学非常勤講師を兼務。専門は著作権法、知的財産法、民法。

この他、03~07年に東京大学先端科学技術研究センター特任助教授、05~07年に米国スタンフォード大学ロースクール客員フェローを歴任。また02年から現在まで、カンボジア王立法律経済大学で学生及び教授陣に講義をするボランティアを続けている。

ブログ→ http://shiology.com/
twitter→ http://twitter.com/shiology
Facebook→ http://www.facebook.com/shiozawa

おまちしております(^^)。
お申し込みは、
http://kokucheese.com/event/index/20545/です。

琵琶湖の朝 インターバル撮影から動画

http://www.youtube.com/watch?v=iuGe0eO0f94

今朝の琵琶湖を、iPad2でインターバル撮影して、それを動画にしてみました。
いやあ、実に簡単。

使ったアプリは、iTimeLapse
http://itunes.apple.com/jp/app/id335866860?mt=8

地球の時間を感じることができます。

今日は、娘(4)とうどんを作っている

10/29

小学生の頃、父方の祖父の芳美ばあちゃんに良く言われた。
「修、男だったら、相撲を見なさい」
と。
一夏田舎に一人で預けられたときに、NHKの相撲実況を見ることを強要されていた。良くわからないが、田舎で一人の私はそれに従うしかない。田舎のだだっ広い部屋でただ相撲を見ていた。

私に分からなかったのが、あの仕切りである。なんで何回もやるのか。一回で立ち上がれば良いじゃないかと思っていた。数回やるわりには時間が決まっていて、そこでは必ず立ち上がる。だったら、一回目で立ち上がれば良いじゃないかと思っていた。だから、イライラしながら見ていた。

当時、剣道をやっていた私は、主に先鋒を務めることが多かった。先鋒か大将かどちらかであった。剣道では、礼をする所から試合は始まっている。礼は、通常頭を下げて行う。視線は相手の足下にいくだろう。しかし、剣道では違う。腰を曲げて礼をしつつ、顎を少し前に出して視線は相手の目を見る。頭を下げた瞬間に切り倒されても仕方がないという考えだ。

「始め!」
の声で試合は始まる。瞬間に飛び込んで面を決めて、一瞬で試合が終わることもある。だから、あの相撲の仕切りの時間が、どうも嘘っぽくでダラダラ感じられて駄目だった。夜のNHKのニュースでその戦いの場面を見るだけで十分であった。

今日は、娘(4)とうどんを作っている。うどんが大好きな娘なので、時間ができたらうどんを一緒に作りたいなあと思っていて、少し時間ができたので作っている。塩、小麦粉、水。それぞれの分量を量って混ぜて捏ねて、醗酵するためにしばらく待つ。

ああ、と思う。
間なんだなと思う。
それぞれにあった、間なんだと思う。

この間を大事にすることができるようになるのが、成長なのかもしれないなあと。
無限に時間があると感じられた子どもの時代は、せっかちで、人生の残り時間が見えて来た頃になって
、間というものを考えるようになる。

せっかちでなければ駄目ということもある。
しかし、醗酵のための時間が必要なこともある。
両方のバランスんなんだよなあと思う。

2011/10/28

2012年 「明日の教室」研究会の予定

2012年 「明日の教室」研究会の予定

教育研究会「明日の教室」関連のご案内をブログのトップに置くことにします。

                   ◆

2012年4月14日(土) 星  幸宏先生 http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2012/02/414-9339.html

2012年5月26日(土) 高久啓吾先生 

                   ◆

明日の教室の書籍1〜5と、DVD1~21が発売されました。

書籍は、http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-000/
DVDは、http://sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm

からお求めください。

2011/10/26

学級担任論 レクは、re-creationなのだ

10/26

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本日の学級担任論は、先週に続き学級レクの話。その理論と実例について語る。一言でレクというが、これはre-creationなのである。気晴らしにレクでもいいのだが、re-creationは再び創造するということなのだ。何を創造するか? それは人間関係である。

学級の中の人間関係をかき混ぜてさらに一段高い所にその集団の質を高めて行くのである。学級開きで行うのはアイスブレイクであるが、学期の途中でやるもの、学期の最後にやるもの、一年間経ってやるものなど、それぞれ目的が違い、やることも違う。

私は、一学期打ち上げ花火大会や、学校に泊まって星を見る会などをやってきた。学期の最後には学校中を使って鬼ごっこのようなものをしたこともある。花火大会の時は、地域の公園を借りてやったのだが、事前に生徒達を地域の人たちにご挨拶に伺わせた。

「7月○にちは、1年3組で花火大会をやります。うるさくなりますが、よろしくお願いいたします」と班毎に地域を決めてさせた。子ども達は嫌がったり照れていたりしたが、させた。すると、地域の人たちは「偉い!」と言って、お菓子や花火を差し入れしてくれた。

そういうもんである。そして、そういうことをさせるのが、この花火大会の大きな役割だと私は考えていた。自分たちが楽しむとき、それを迷惑だと考える人たちはいないか? いたとしたらどうしたらいいのか。社会で生きて行くということは、ここを考えていくことだと思うのだ。

また、行事を行うときににクラスで話し合いがもたれて、多数決で決められることが多い。多数決で何をするかが決まるわけだ。多数決は少数意見を大事にするということが言われるが、どう大事にするのかということについて、実はほとんど教えられていない。学生たちに今日聞いてみてもそうだった。

少数意見は、条件に入れるのである。例えば、クラスが30人で16対14でレクがバスケになり、サッカーが負けたとする。そのとき、「じゃあ、次はバスケね」とするのである。こういうことをする。30人のうち、3人が何もしたくないと言えば、年に一回、何もしないレクを入れるとかするのだ。

自分が楽しいと思う時、(面白くないと思っている人はいないか?)と考えられる子どもを育てたい。面白くないと思っている人は「実は、楽しめていない」と言える子どもを育てたい。それがクラスの中で話し合いの中で出てくる時、クラスはその行事を通して、次の段階に進める。

行事を楽しむ。レク。そう、気晴らしでも良い。だけど、そこを通してクラスの子ども達が、もう一歩成長する機会を得られるようにするのが、学級担任の仕事だと思うのだ。ここが出来るようになってくると、次は、学年。そして、学校と範囲を広げて企画を立てられるようになる。

私は、仲間と一緒に「学校でワールドカップを見る会」http://t.co/QhuzFbDl まで企画してしまった。学校はその気になれば、結構いろいろなことができるのだ。子ども達を楽しませて、力をつけさせたい。クラスを育てたい。レクは、re-creationなのだ。

2011/10/25

26巻の旅が始まったのでありました

10/25

30歳になったら読もうと思っていた本がある。『蝉時雨』(藤沢周平)である。いや、何歳で読んでも良いのだろうが、その本を手にしたとき漠然とそう思って、30歳になるまで待った。正解であった。10代や20代ではあの世界の凄さは、理解はできても納得することはなかったかと思う。

40代のうちには読んではいけないような気がする。
そう思っている本もある。『鬼平犯科帳』である。良いのは読まなくても分かる。いろいろな人がいろいろなところで良さを述べているのだから。
テレビ番組のエンディングの曲が、http://www.youtube.com/watch?v=Tm7N0-LGpEcと知ったときには、内容も知らないのに
(ああ、合っているなあ)
と思ったものだ。

それだけになんだか読めなかった。というか、若造には分かってはいけない世界のような気がしてというのが正しいか。

ところが、うっかり読んでしまったのだ『鬼平犯科帳 1』。
あっという間に一冊を読み終えてしまった。
いい。やっぱり、いい。
結末を心地よく裏切りながら、解決していく。
それでいて、その解決の中に次の話の種をまいていくのだ。
引きづり込まれる。文章には独特のリズムがある。これは句点の使い方が絶妙なので生まれてくるのだと思う。

26巻の旅が始まったのでありました。

2011/10/24

5)生徒の失敗、勘違い、間違いから作る授業

10/24-2

もう一つの授業は、国語科教育法2。学習指導案の書き方についての説明である。学習指導案は、教育実習で担当される先生やその地方によって独特のカラーがあるので、柱の部分だけをしっかりと教えることになる。

学生たちに強調したのは、

1)生徒観
2)基準と規準の違い
3)板書計画
4)評価の規準と観点
5)生徒の失敗、勘違い、間違いから作る授業

である。1)〜4)はまあ、その通り。5)は私が特に指導している所だ。

学生諸君は放っておくと、授業中生徒が簡単に正解を言ってくれるという前提で授業を作る。
『○○が分かる人?』
「〜です」
『そうですね。ということは、△△は?」
「〜〜です」
のような授業の案を作ってくる。
こんな授業はあり得ない。あり得ないからこういう指導案で授業をすると、子ども達はまったく反応しない。そして、その授業で頭が真っ白になり、自分で独り言のように正解を呟きながら進める授業になっていくのだ。

そんな授業はその授業をしている学生が、生徒時代に、いや大学でも最も嫌う授業であったにも関わらず、それをやるしかないところに追いつめられてやってしまうのだ。

授業は、生徒の失敗、勘違い、間違いから作るのである。
もう少し正確に言えば、この発問をしたとき、どんな反応があるのかを予め十分に予測しておくのである。そして、正解から遠い子どもの発言を大事にして、なぜそれが違うのかという説明を予め授業の流れに予定しておいたかのような授業を作って行くのだ。

そのためには、深い教材研究が必要になる。子どものつぶやきやノンバーバルコミュニケーションを見て取る眼力も必要になる。

私が読んだ実践記録で、今でも鮮やかに覚えている授業のシーンがある。理科の授業だ。

コップに冷たい水を注いだ先生は、教室にそのコップを暫くおいておく。すると、コップの表面に水滴が現れる。先生は
『この水滴はどこから現れたのでしょうか?』
と発問する。子ども達は考えるが分からない。その中で一人の児童が
「コップの中の水がガラスを通って出てきたんだ」
と呟く。それを聞いた先生は
『あ、そうかもしれないねえ』
と言ってその発言を認め
『じゃあ、実験してみようか?』
と言ってコップの中にインクを垂らすのであった。
もしコップを通って出てくるのであれば、外の水滴はインクの色にならなければならない。しかし、勿論ならない。子どもたちは正解に向けて深い思考に入って行くのであった。

この先生の凄さは、子どもが「コップの中の水がガラスを通って出て」来るということを考えるのではないかと予測し、その答えに対応できる準備をしている所にある。これが私の言う、生徒の失敗、勘違い、間違いから作る授業である。

この授業を作るのは、実に難しい。しかし、この授業を受ける児童生徒は実に楽しい。答えは出ている。難しくても教師はここに挑戦するしかないのだ。

教職総合演習の今日のテーマは食育

10/24-1

教職総合演習の今日のテーマは食育。
(食べるものの指導ぐらい家でやってくれないかなあ)
(いや、食べ物のことぐらいほっといてくれって、家庭は思わないのかな?)
と中学校現場にいたときには思っていた。
(食べることは家庭での教育、養育の根幹のところだから、そこを学校にいじられたくないんじゃないかなあ)
と思っていた。

ところが、2005年に「食育基本法」が成立し、学校教育でも扱うことが法的に定められた。その前文は以下のように始まる。

引用開始 ーーーーーーーーーー

 二十一世紀における我が国の発展のためには、子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすることが大切である。
 子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である。今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けるとともに、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進することが求められている。もとより、食育はあらゆる世代の国民に必要なものであるが、子どもたちに対する食育は、心身の成長及び人格の形成に大きな影響を及ぼし、生涯にわたって健全な心と身体を培い豊かな人間性をはぐくんでいく基礎となるものである。

引用終了 ーーーーーーーーーー

さらに、第八条と第九条は以下のようにある。

引用開始 ーーーーーーーーーー

(食品の安全性の確保等における食育の役割)
第八条  食育は、食品の安全性が確保され安心して消費できることが健全な食生活の基礎であることにかんがみ、食品の安全性をはじめとする食に関する幅広い情報の提供及びこれについての意見交換が、食に関する知識と理解を深め、国民の適切な食生活の実践に資することを旨として、国際的な連携を図りつつ積極的に行われなければならない。

(国の責務)
第九条  国は、第二条から前条までに定める食育に関する基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、食育の推進に関する施策を総合的かつ計画的に策定し、及び実施する責務を有する。

引用終了 ーーーーーーーーーー

お分かりだと思う。国による現状の放射能、放射線対策は、食育基本法に違反している可能性が極めて高いと言えないだろうか。

このごろでは、買い物に行っても「国内産野菜使用」と書かれている冷凍食品を見ても喜べなくなっている。なんと悲しいことであり、怒りを覚えることか。

学生たちは、食育のテーマに関わって、朝ご飯のあり方について発表していた。農林水産省の資料のhttp://www.maff.go.jp/j/soushoku/kakou/pdf/230630hp.pdf から朝ご飯を食べない子ども達は実はとても少ないということを話していた。1~6歳児では94.1%,7~14歳児では94.2%が朝ご飯を食べているとのことだった。
『私たちが問題にしたいのは、 残りの6%の子ども達である。そこを発見できるようにすること、そこに適切な指導、アドヴァイスができるようになることが大事なんだな』
と話す。そして、

『食育は、実は被曝の問題と大きく関わると言えるだろう。内部被曝の問題をきちんと理解していなければならない。特に君たちは、乳幼児を相手にする、乳幼児の本当の味方にならなければならない仕事に就く。しっかり学ぶことだ』
とも。
学生諸君はいつも以上に真剣に聞いていた。

2011/10/23

「ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか」

10/23

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まずは、以下の文章を読んでいただきたい。

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっかにんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?ちんゃと よためら はのんう よしろく

ひらがなばかりでちょっと読みにくいと思いますが、読めましたか? 読めましたよね。私たちの世代だと「こなさん みんばんわ」を思い出すのですがf(^^;、それとはちょっと違います。

で、一文字ずつ聲に出して読むと、とんでもないことになっているのが分かりますよね。昨晩寝る前に、つぶやいて寝た所、結構大きな反応がありました。
時々ネットで見かけるこの文章。ここにある「ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか」が気になる訳です。そこで捜してみました。

一つ目は、文士・事物起源探究家 松永英明さんのブログ。細かく調べていて、面白かったです。
http://www.kotono8.com/2009/05/10yometeshimau.html

「ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか」は都市伝説のようですね。

二つ目は、学芸大学の岸先生の認知心理学を活用した文章読解・作文指導のヒントです。
http://psycho.u-gakugei.ac.jp/teacher/kishi.html

トップダウンとボトムアップという考え方は、教えると学ぶにも似ているのかなあと思いながら読みました。

ま、私が不思議に思うレベルのことは、大概もう調べられているということの良い証左ですね(^^)。ただ、こうして一つのことを調べていったら、岸先生の文章に出会うという楽しみは、やはり良いものだなと。一時セレンディピティという言葉が流行りましたが、そうなんだと思います。

仮説、または妄言や野望をばらまきながらでも前に進もうとしなければ、出会うことのないものというものはたくさんあるのだろうなと思う訳です。勿論、良いものばかりに出会うとは限りませんが、それでも大事なことなのだろうと思うのです。

と言い訳をして、これを児童生徒にやってみたらどうなるかなと思うのです。
恐らく、日頃から文章が読めている児童生徒は、このひらがなだらけで単語がおかしな順番になっている文章を、読めると思います。しかし、文章を読むことが苦手な児童生徒ほど、間違いに気がつくと思います。

それは、文章を読める児童生徒は、黙読で内言語化しつつ、さらにその単語の音を心の中で声に出さないで、見ているからだと思います。見て、意味を取っている。音にしていないわけです。我が家の娘(4)は、
「いいなあ。大人は。スラスラ読めて」
と三歳の後半の時に、言ったことがあります。

これは何を示しているかというと、娘にとっての言葉は音で、音の固まりとして言葉を認識しているということです。文字を覚え始めた娘は、たとえば「おはよう」と書かれいてる文字を「お、は、よ、う」と人文字ずつ読む訳です。しかし、大人はさらっと「おはよう」と読める。これがうらやましいということを言っていた訳です。娘は文字を一つずつ音に出して、その結果、あとからつなげて意味を拾うということをしているわけです。

私たちは、簡単に「教科書を読みましょう」と言いますが、実は多くのステップを経て読むということができるようになっており、さらに、読むは、見るにつながっていくということもあるのではないかということが、今回のことからわかるのではないかと思うのです。そして、この見るが「速読」と関連しているというのが、速読の考え方だと私は理解しています。

仮説をあれこれ述べるのは、楽しい(^^)。

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