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2011/12/15

超簡単で安いiPhoneのスタンド

ちょっとした発見をしてしまった。
超簡単で安いiPhoneのスタンドである。
正確に言うとスタンドというか、iPhoneを見やすい角度で立てておく道具。

まずは横置き。

1

次に縦置き。

2

後ろにおいてあるケーキのメモブロックと比較するとだいたいの角度は分かると思う。
横置きで45度ぐらい。縦置きで30度ぐらいだろうか。簡単に角度は調整できるが、和紙はこれぐらいがいい。

では、何を使っているのでしょうか?
答えは100行下。

100
99
98
97
96
95
94
93
92
91
90
89
88
87
86
85
84
83
82
81
80
79
78
77
76
75
74
73
72
71
70
69
68
67
66
65
64
63
62
61
60
59
58
57
56
55
54
53
52
51
50
49
48
47
46
45
44
43
42
41
40
39
38
37
36
35
34
33
32
31
30
29
28
27
26
25
24
23
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21
20
19
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17
16
15
14
13
12
11
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1

ジャカジャン!

3

なんと100円ショップで買ってきた5個100円の吸盤付きフックでした。
いやあ、便利。
ちなみに、iPadもいけます。

お試しあれ。

2011/12/14

「デンマークの大学で試験中のインターネットへのアクセスを許可」から考える

12/14

Photo

昨日、調べ物をしていて次の記事を見つけた。

「デンマークの大学で試験中のインターネットへのアクセスを許可」http://t.co/o7Grttds

これについて、「これが世界の流れでしょう。こうして鍛えられた学生たちと、日本の学生たちは同じ時代を生きて行くことになります。」とツイートした所、これがまあ、凄い勢いでRTされている。Favされている。私のtwitterで最高記録になっている。こんなに反応があるとは私もびっくりである。

なんでこんなに反応があるのかと考えたのだが、これは一種の日本の教育やテストに対する、批判なのではないかと思ったのだ。もっと簡単に言えば、知識偏重主義への批判である。

「だからね、ネットを使って調べればいいんだよ。覚えなくても良いんだよ」

という思いがあるように感じられる。
だが、このリンク先の記事を良く読んでみるとこう書いてある。

引用開始 ーーーーーーーーーー

南デンマーク大学がカンニング対策として試験中に学生がインターネットへアクセスすることを許可する方針を採用したことを紹介しています。

引用終了 ーーーーーーーーーー

知識が要らなくていいということにはなっていない。
以下のようにある。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「テストで見たいのは、学生の問題解決と分析能力であり、ある特定のトピックについて考え議論する能力である。」

引用終了 ーーーーーーーーーー

つまりカンニング対策をきっかけとしながら、テストの問題の質を変えてきたということなのである。

持ち込み可のテストというものは今でもある。
このテストを受けたことのある人は、持ち込み不可のテストと比べてみると、可の方がテストが難しいというのは体験的に知っている。

何でも持って行っていいというのは、何を持って行かないかということなのである。持ち込んだ資料のどこに何が書いてあるかを理解していないと、すぐにテストの時間は終わる。試験問題と資料がどのように関係しているのかを理解できないと、資料は資料として活用されない。

インターネットに接続してテストを受けることが可能になる。これは何が前提になっているかと言えば、

・問題を解くために必要な、適切な検索Wordを手に入れている。
・出てきたデータの真偽を見抜く力を持っている。ヘイトサイトを見抜ける。
・データは何を表しているのかが分かる。
・そのデータから、論証すべきことが分かる。
・論証によって問題を解決することができる。

ということであろう。

(意味は分からないけど、暗記しておけばいいや)

で点数が取れるテストではないということなのだ。
難しくなると考えて良いだろう。

私が懸念するのは、日本のテストは、問題解決の力を見るテストがなかなか行われないということ。さらに、ネットさえあればあとはなんとかなると思っている若者が多いということである。

ネットは、簡単に検索できると思われるが、きちんとした資料に辿り着くのは結構実力が必要である。そしてまた、恐ろしいことに検索の結果、答えらしき物が出てくるとそれを自分の答えにしてしまっておしまいということにする者も多い。考えないでおしまいということが実に多い。

検索で出たものは、答えらしきものであり、答えではない。
これを答えにするのは、いやなかなか難しいものなのだ。きちんと検証して議論を構築しなければならないのだ。ディベートをやっている人にとってみれば、当たり前のことなのだが、やっている人は多くないしねえ。

あ、ディベートに興味がある人は、http://nade.jp/やhttp://japan-debate-association.org/を見られることをお薦めします。

ま、いろいろと考えさせられる記事であります。

因に、記事の全文は以下の通り。

引用開始 ーーーーーーーーーー

デンマークの大学で試験中のインターネットへのアクセスを許可(記事紹介)
Posted 2011年5月18日

2011年5月12日のTimes Higher Educationに、“The Danish gambit: online access, even during exams”と題した記事が掲載されています。記事は、南デンマーク大学がカンニング対策として試験中に学生がインターネットへアクセスすることを許可する方針を採用したことを紹介しています。この方針を採用した背景には、2012年1月までに原則として同大学の全ての試験を、手書きの試験からデジタルプラットフォームへ移行させていることがあるようです。記事では、同大学のeラーニングプロジェクトを担当するLise Petersen氏の言葉として、「テストで見たいのは、学生の問題解決と分析能力であり、ある特定のトピックについて考え議論する能力である。」「試験でインターネットを利用することで、インターネット上の巨大な情報源から、関連する情報とそうでない情報を峻別し、関連する情報を文脈に載せるスキルが学生には求められることになる」という意見を紹介しているようです。また、Petersen氏はカンニング問題に関して、「(試験中に)コミュニケーションをとったりディスカッションをしたり、あるいは検索したりすることが許されるのであれば、誰もカンニングをしなくなるだろう。なぜならもはやそれはカンニングではなくなるからだ。我々が考えるべきはその方法である。」ともコメントしているようです。

The Danish gambit: online access, even during exams (2011/5/12 Times Higher Educationの記事)
http://www.timeshighereducation.co.uk/story.asp?sectioncode=26&storycode=416090
• カレントアウェアネス-R, 情報検索, 情報リテラシー, インターネット, デンマーク
• 参照(3813) 印刷用ページ

引用終了 ーーーーーーーーーー

2011/12/13

そろそろ、自分の頭で考えましょうよ

12/12

土曜日の明日の教室は、古くからの友人の瀧本さんに来てもらって、日本のこの先を俯瞰した上で、では教育はどのようになっていく可能性があるのかということについて、語っていただいた。初めて瀧本さんに触れる人たちは、おそらくかなり衝撃だったことだろう。

私は
(いやあ、丸くなったなあ)
という思いが一番最初で、その次に相変わらず切れがいいなあであったf(^^;。


この国は、右肩上がりに成長し、未来は明るい。
というイメージの中で育って来たのは、私たちの世代。

今の若者は、日本が景気が良かった時代があることを全く知らない。
私たちが生きて来たときに必要なストラテジーやスキル、いや、社会のフレームの捉え方、パラダイムそのものが疑われるなかで、今の若者達は生きている。

太平洋戦争に負けたというはっきりとした区切りがあったわけではない。だから分かりにくかったのか。いや、インターネットの登場、バブルの崩壊、失われた10年、9.11、3.11と実際は大きな区切りがあったし、モダンからポストモダンに、成長社会から成熟社会へと変わっていったが、それを無かったことにして、成長社会と明るい未来を願う絵を描きながら、世の中を見させられてきたと言っていいのかもしれない。

そろそろ、自分の頭で考えましょうよ。
というのが瀧本さんの講義の趣旨である。

・リスクを取る。
・自分の頭で考える。
・仲間の成功を自分の成功とする。

この三つが大事なのだと、改めて思ったのであった。
ありがとうございました。
また、来てもらえることになりました。え、確かそう約束したお思いますf(^^;。

今回来れなかったみなさん、またの機会をお楽しみにどうぞ。

問題を、その先生個人の問題にすり替えてしまっては、駄目だ

一つ前のエントリーの記事を良く読むと、最後にこう書いてある。

引用開始 ーーーーーーーーーー

いずれにしろ、教員採用の見直しと同時に、採用直後から、教員のメンタルヘルス(心の健康)対策が求められます。

引用終了 ーーーーーーーーーー

実は、
(ああ、またここに着地するのね)
と私はがっかりでありました。

問題の所在はここではないと私は考えている。
いや、もちろんしないよりは、した方がよい。しかし、教員採用をどう見直すのだ? 心が傷ついたら対応するという後手でいいのか? という問題がある。

ここでは、心の強い人間が教師になれ。なまっちょろい心の者が教師になっては駄目だという隠れたメッセージが見て取れる。心の強い、弱いというのが何をどこまで表しているのかは議論がある。ただ、心が繊細な教師は弱いと言われることが多い。

だが、考えてみれば分かる。
心が繊細というのは、教育をするには大事な資質だ。子どもの小さな変化を感じ取れるセンサーを持っている先生というのは、かなりいい先生だ。これを否定することにもなりかねない。

また、この結論からは、教師の個人の問題として取り上げていることが、問題である。問題は、教師だけにあるのではないのだ。寧ろ、システムに問題があるのではないかと思うのである。繊細な心を持った人間が教師になって、子どものために働ける学校を作っていると言えるのだろうか。

例えば、親対応の一つをとってもやれることは沢山ある。
『先生! 親ってそんなに怖いんですか? 親対応の基本中の基本』(星 幸宏著 立花書房)を読んでみれば沢山やれることは書いてある。

問題を、その先生個人の問題にすり替えてしまっては、駄目だ。
システムを変えなければ駄目なのだと思う。

2011/12/12

新人先生なぜ辞める……大半は「精神疾患」

産經新聞の記事にありました。2011.12.12 15:00

http://sankei.jp.msn.com/life/news/111212/edc11121215340000-n1.htmから
引用開始 ーーーーーーーーーー

新人先生なぜ辞める……大半は「精神疾患」

2011.12.12 15:00 (1/2ページ)[受験情報]
2010(平成22)年度に公立学校教員として新規採用された教員のうち、300人近くが1年以内に依願退職していたことが、文部科学省の調査でわかりました。正式採用前に辞める新採教員自体はほぼ横ばいですが、そのうち病気を理由に辞める者は増加傾向を示しており、文科省や都道府県教育委員会も問題視しています。新採教員に、何が起こっているのでしょう。

調査結果によると、公立学校(小・中・高・特別支援学校)に新規採用された教員2万5,743人のうち、288人が1年以内に依願退職しました。公立学校教員は1年間の「条件附採用期間」が設けられているので、これらの新採教員は、正式採用前に自ら教壇から去ったことになります。内訳を見ると、最も多い退職理由は「自己都合」で167人、次いで「病気」が101人、勤務成績などが悪く不採用になる前に退職した「不採用決定者」が20人でした。

採用から1年以内に依願退職した教員の数(※筆者計算による)と、全体に占める割合の推移を見ると、2004(平成16)年度172人(0.9%)、05(同17)年度198人(0.9%)、06(同18)年度281人(1.3%)、07(同19)年度293人(1.3%)、08(同20)年度304人(1.3%)、09(同21)年度302人(1.2%)、10(同22)年度288 人(1.1%)……で、数年前まで増加傾向にありましたが、最近ではほぼ横ばいとなっています。

新規採用教員全体から見れば、2010(平成22)年度の288人という数は、わずか1.1%にすぎません。この程度ならば問題はないという見方もできます。ところが、依願退職者のうち「病気」を理由に辞めた新採教員の数だけを見ると、04(平成16)年度61人、05(同17)年度65人、06(同18)年度84人、07(同19)年度103人、 08(同20)年度93人、09(同21)年度86人、10(同22)年度101人と、明らかに増加傾向を示しています。

このため文科省は、2009(平成21)年度調査から「病気」を理由とした者に対して、「精神疾患」の項目を追加しました。その結果、「精神疾患」を理由に採用後1年以内に依願退職した新採教員は、09(平成21)年度が83人、10(同22)年度が91人であることがわかりました。「病気」を理由に依願退職した新採教員のほとんどが、「精神疾患」だったのです。

文科省のほかの調査でも、精神疾患を理由に休職する公立学校教員の数が、年々増加していることが大きな問題となっています。精神疾患の問題は、新規採用直後から起こっていたことがうかがえます。

教育関係者の多くが理由として指摘するのが、子どもや保護者の多様化、予想以上の教員の多忙化などです。また、多忙化により、ベテランや中堅の教員が若手の面倒を見る余裕がなく、若手教員が孤立化していると懸念する声もあります。最近の若手教員はコミュニケーション能力などに欠けるという批判も、一部にあるようです。

いずれにしろ、教員採用の見直しと同時に、採用直後から、教員のメンタルヘルス(心の健康)対策が求められます。

引用終了 ーーーーーーーーーー

なぜ病むのか。
若者は、体の不調は大丈夫です。いや、体の疲れは取り戻せます。
心の方は、通常しがらみが多くなってくる年配の方が、問題を抱えることが多いのですが、
若手の心に負担が掛かっているのがかなり深刻です。

仕事は、ワーク、レイバー、プレイと三つあると習いました。
心と体の関係で説明できます。
心がハッピーで体が疲れている。ワーク。
心と体が疲れている。レイバー。
心と体がハッピー。プレイ。

教師の仕事は、少なくともワークでなければと思うのです。
年に数回はハッピーな瞬間もあるべきです。
子どもの、社会の未来を担う仕事です。
それが、今はレイバーになってきているのだと言えるのではないでしょうか。

さらに、さまざまな、そして深刻な原因があることが、私の耳にも届いています。
なんとかせねばと思います。

『月刊 生徒指導』(学事出版)の2012/2月号に、【「学級事務職」を導入するべきである】という小論を書きました。良かったらご覧下さい。提案しています。

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