« 2011年12月11日 - 2011年12月17日 | トップページ | 2011年12月25日 - 2011年12月31日 »

2011/12/24

この日の琵琶湖は実にいい表情を見せてくれた

12/23

17
(このページの写真は全てiPhone4)

年賀状の写真を撮りに日吉大社に向かう。
今頃と思うだろうが、まあ、今頃なのだ。
年末になると、ここに来年の干支を示す大きな絵馬が飾られるのでそれを背景に使ったらどうかということになり、今頃なのであった。

CX2のインターバル撮影モードにして、三脚に設定した上で撮影を重ねる。5秒に一回撮影なので、娘(4)に100まで数えてもらって撮影することにした。なかなか便利な娘である(^^)。

その後、娘の好きなうどんやに出掛けていく。
こんなに寒いのに、娘はいつも「冷たいうどん」と頼む。あったかいのは直ぐに食べられないので、冷たいのがいいのだ。ま、いいけど冬は暖かいうどんを食べて欲しいねえ。

お腹がいっぱいになったので、珈琲を飲みたいなあと思って、久しぶりにオーパルに向かった。
レストランがあるので、そこで一年のご挨拶をかねて珈琲を飲もうと向かったのだが。

なんとそういう日に限ってレストランは貸し切り。結婚パーティが行われていた。
だけど、まあ、仕方が無い。お祝いである。

急遽、撮影モードに切り替える。
この日の琵琶湖は実にいい表情を見せてくれた。
天候がどんどん変わるのだ。だから、光がどんどん変わる。これは撮影していてとても気持ちが良い。

『これ、勿体ないですよ。これを撮影しないのは』
とオーパルスタッフの中岡さんに言うのだが、見慣れていて当たり前の景色なので、改めて撮影しようと思わないというのだ。勿体ない。かわりに私がバシャバシャ。オーパルの周りでもバシャバシャ。虹まで出ていた。

16

13

12

325iの調子はいいのだが、タイヤに問題がありとの警告ランプが点いたまま消えない。年末に帰省することを考えると、どうも気になる。空気圧の問題のようなのでガスステイションでタイヤの空気圧をチェックしたのだが、問題は無い。コンピュータのトラブルかと思って、リセットを掛けるのだがかからない。

これはやはり何かあると見て、申し訳ないが大学の用事をキャンセルして、ディーラーに向かう。
そしたら、なんと釘が刺さっていたのであった。ごめん、325i君が正しかったのね。

珈琲を飲みながら、新車展示を見て乗ってとしながら、修理が仕上がるのを待つ。
私の325iは2500ccの直6エンジンとしては、唯一になってしまったんだなあと思いながら、あれこれの新車のシートに身を沈める。まあ、時代の流れって奴ですから仕方が無いかねえ。
そもそもこの325iを買うときも
(次の車は、ガソリン車じゃないかもなあ。ハイブリッドかなあ。電気自動車かなあ。それならば、今、手に入るエンジンで伝説に残るシルキー6に乗っておくかな)
と思った。

足回りの直った325iは実に快適であった。
早く直してよかった。

明日はクリスマスイブ。
あっという間に時間が過ぎていく。


2011/12/23

「フォトジャーナリストの見た原発震災 ~イラクから福島へ~」

12/23

22_2

世界を飛び回って取材活動をしているフォトジャーナリストの豊田直巳さん。児童教育学科学生学会主催「フォトジャーナリストの見た原発震災 ~イラクから福島へ~」の講演で連続ツイートしたものから、昨日の記録を掲載します。

ブータンは、10万人が追い出されて来ている。追い出した側は、幸福度が高いが、追い出された側はカウントされない。報道カメラマンなどは、紙媒体の発表場所が無くなって来たので、ギャランティが発生しないので、大変なことになっている。なんとか取材と生活が出来るというレベル。これからますます酷くなるだろう。

現実は、福島には今も津波が襲い続けている。目に見えない津波が続いている。放射能である。目に見えないので実感はない。今日は福島から直接来たが、「まさかあなたその服のままで若い学生さんの前に立つんじゃないでしょうね」と家内に言われて、今日の服は新しく京都駅前で全部買って着替えてきました。

目に見えない。ベクレルという単位は、ガイガーカウンターでは測れない。が、野菜の測定器では出てしまう。三日前にあった母親。一般の牛乳は5ベクレルが基準。しかし、20ベクレルが幼稚園の牛乳から出ている。信じられないと。この親は2ヶ月アメリカに避難し、これからは沖縄に脱出すると言っていた。

福島から逃げたいという母親に会った。「頑張ろう福島」という幟は、「もう、いい。もう頑張れない」と言った。今後子ども達がどうなるか分からないということから。心配の種はあるが、どうなるか分からない。

6500人の子どもがチェルノブイリでは甲状腺ガンの手術を受けている。これを知っている母親は圧倒的に少数派である。何で福島? なんで放射能なのという風に思うのがほとんどであるのは分かっている。

福島の桃が風評と言われているが、本当でしょうか? 本当ではない。あれは実害です。しかし、マスコミで風評と言われ続けると、それが真実になり、損害賠償の請求ができなくなる。風評ではない。実害です。東京電力による実害です。

「目に見えない戦場で戦っているみたい」と映像の中の福島の女性が言っている。ダッシュ村のすぐ側にいた女性。500マイクロシーベルトが測定されていた。1年間に浴びさせていいのが1000マイクロシーベルト。この村では2時間で超える。3/11前の東京は、0.02~0.04が東京の値であった。大丈夫だと言われたからここにいたとのことであった。500マイクロシーベルトの大きさがどの位なのかは分かると思います。

イラクでアメリカが行って来た劣化ウラン弾の実態についての説明。戦争のシナリオがどのように描かれていったのかを説明しています。300グラム持っているだけで違法の劣化ウラン。持っているだけで逮捕される。が、100万発アメリカに撃った。沖縄の鳥島でもアメリカ軍は1300発間違えて撃ってしまった。が、不問にされているのが今。

イラクの癌の子どもは85%死んでいた。そのとき、経済制裁だったので治療は出来なかったのだ。勿論、全部が劣化ウラン弾が原因だと証明はされていない。日本の65年前の被爆者が今でも、原爆症と証明されないので裁判になっている人もいる。安全ならば、安全という方が証明しなければならないはずだが、日本では逆に被害者が証明しなければならないということになっている。これは、おかしい。

被害に遭った子ども達の写真を撮ったところで、何も解決しない。その子どもの命は救えない。薬が欲しいと肉親は言う。言い訳は出来る。取材をして世界を動かすことができるかもしれないと。しかし、目の前の子ども達は救えない。だから、今、私はNGOを通じて薬を送り続けている。イラクでは、劣化ウラン弾で破壊された所で子ども達が遊んでいる。放射線は見えないのだ。その子ども達の様子を写真に撮って、見る。

だけど、勿論、これが劣化ウラン弾で起きたとは断定できない。しかし、現地の医者は「劣化ウラン弾の以前には、このような症状は見ることが出来なかった」と言っている。また、日本は世界で唯一の被爆国と言われながら、実は核兵器を開発していたということは報道されていない。湯川博士もそれに関わっていたことは、日本では報道されていない。

新潟の柏崎原発の事故のときに、取材に行っていたので「安全神話」も十分に分かっていた。災害時避難場所は地震で壊れるものになっていた。分かっていて防げなかったので、大人として責任を果たせてなかった。申し訳ない。福島でも一般民家が避難場所になっていた。

地震の直後に、病院に入った。100マイクロシーベルトまで測れるガイガーカウンターの針が振り切れていた。1000マイクロシーベルトまでのも。この結果をすぐに衛星携帯電話で東京に伝えた。その3時間後に東京電力が1500マイクロシーベルトであったと発表した。

3.11から一ヶ月後の原発の近辺の場所の映像が流れています。牛小屋の中で倒れている子牛の映像です。

逃げ出したり、逃がした牛や豚は、自分で餌を捜して食べていきのびていたが、周りに被害を与えるので、畜産農家が集めて薬で処分をしたとのこと。そして、今は、3/11の後に生まれた子豚たちが出て来て、それを集めてまた処分しているとのこと。

京都大学で25年間チェルノブイリ原発の研究をしている今中先生は、飯館村を調べにいった。そして今中先生「信じられない。この世のものとは思えない」とつぶやき続けた。「チェルノブイリには人はいないのには、ここにはいる」。牛を殺すわけにはいかないので、餌を与えるためにいる人。でも、その牛から出た牛乳は捨てざるを得ないので捨て続けていた。村長は今中先生に「なんとかならないのか?」と訴えるが「この世のものとは思えない」ところなので、どうしようもない。

136億円かけてスピーディを開発したが、発表されなかった。首相に届かなかった。経産省の役人が途中で握りつぶした。2週間あれば子ども達は逃げられたはず。村での検査の後、「大丈夫」と言われて、値は教えられなかったとのこと。そして、牛に餌を与えることはなくなった。全滅したからだ。

廃業をしよう。生き物を飼っているとここを離れることは出来ない。犠牲者を出さないようにしようと決意をした。が、酪農を営んでいた犠牲者が出た。「原発がなければ」と書き残して。(報道ステーションの映像が流れています)福島県相馬市の男性。

自殺男性は、酪農の二代目で親から受け継いで規模を拡大しようと借金をして建物を大きくした直後だった。自転車操業の酪農業だから耐えられなかったのだろうとのこと。実は一人目ではなく、この前にもいたし、102歳の老人が子どもに迷惑をかけられないと自殺した。まだ、続いている。

除染というが、やっているのは大掃除と同じ。やっている人たちはみんなみんな分かっている。「無駄」です。田んぼの表土を掃いても山からまた落ちてくる。自分たちは残っても、子どもは戻らせないと老人達とは口を揃えていっている。

病院の放射線管理区域には医者しか入れないが、そこに普通の人が住んでいるのである。3200億円の予算で原発を作っていた建設会社で除染をしている。これはマッチポンプではないか? 仮設住宅に住んでいる人たちは、もう一度戻れたとして、野菜を作る体力や気力は残っているだろうか。飯館村に私は戻りたいが、子どもは絶対に戻らせない。北海道にでも行きたいと言っている。

それでも、ヨルダン、トルコ、ベトナムに輸出しようとしている日本。なぜ、原発を全廃にしないのか。8割ぐらいの国民が無くせと思っているのに。原発の稼働は、プルトニウムを作ることになる。これは核兵器を直ぐに作れることである。これが抑止力になると石破政調会長は発言してる。

その結果、誰が被害者になるのですか? 子ども達です。スピーディで逃げていれば、被爆しなかった子ども達なのに。

ここに来た皆さんには、是非、思ったことを表に出していただきたい。待っていたところで何も変わりません。3/11以降良くなっていない。寧ろ、今の日本を世に出したことになってしまっているというのが現実だろう。200万人が福島だけで被害者になってしまっている今、訴え続けたい。ありがとうございました

今日の講演の豊田直巳さんのHPは、http://t.co/Jxpt7qeTです。これで児童教育学科学生学会主催「フォトジャーナリストの見た原発震災 ~イラクから福島へ~」の連続ツイートを終わります。ありがとうございました。

このあと質疑があり、お茶を飲みながらあれこれ話しました。
大学のある山科の市営団地にも60人ぐらいが疎開していることや、滋賀県の休耕田のあるところに集団で移住するというのはどうだろうかという話が協議されていたりとあれこれ。

3200億円「除染」に使うのであれば、一人5000万円を支払って、集団で移住の方がいいのではないかという話も出ました。「出て行ってください」と命令がないと「お前だけ我がままだ」と言われてしまうという二重被害に遭っている人もいるという話もありました。

現状に対して、これは教育にできることを超えたことだと私も理解しています。しかし、この現実を背負って行きていく子ども達がいる。さらに、これからの社会を立て直すには、現状の理解ということが大事だと考えています。関西にいるとなかなか現実感はありませんが、そこは想像力を働かせることと現実を見ることで補うことだと思っています。

人の痛みをどれだけ背負えるか。その痛みを背負って、それを我がごととして生きて行けるか。歴史の重みをも背負って、今を良くするために生きて行けるか。煩悩や欲望に振り回されながら、それでも大きなことは出来ないが少しは前に進めるようでありたいなあと、今日の講演で改めて思いました。

2011/12/22

だけど、教師の喜びはそこではない

12/21

4
(iPhone4で撮影)

ときどき、
「池田先生、中学校の教員を辞めて大学に移って寂しくないですか?」
と聞かれることがある。まあ、中学校も大学も授業は出来るので、そんなに違いは無いのだが、合唱コンクールだけは、無いのが寂しかった。

そんなことをチラッと、今年卒業した児童教育学科の一期生達に、話したことがあった。そうしたら、児童教育学科で合唱祭が行われるようになったのが去年であった。嬉しかったなあ。で、どうなるかなあと思っていたら、今年も今日開催された。

学生達が実行委員会を立ち上げて、手作りで合唱祭を作り出していく。これは大したことだと思う。企画運営をする側も大変だが、自分たちで練習を重ねる学生達も結構大変だ。年末の忙しい時期に、作り上げていくのだから。試験もあるだろうし、クリスマスもあるだろうに。

1、2回生はクラスごとの参加。ここがコンクール。3、4回生は有志の参加。3回生はコースごと、4回生は全員で合唱ということになっている。オープニングはパイプの楽器の演奏。そして、マルモリで身体を温める準備運動となかなか面白い。

1回生は初めてなので、どんな感じなのか分からないまま練習を重ねていた。が、驚いたと思う。2回生以上は、結構本気なのだ。選曲は特に指定はないので自由だが、結構本気なのだ。

玉川大学の教育学部は、コースに関係なくベートーベンの第九をドイツ語で歌うということを玉川大学卒の教師仲間から聞いたことが有る。はっきり言ってうらやましいと思った。大学の教員になったとき、これをしたいと思った。だが、立ち上げの学科であれこれやることも多く、まして、国語科の教師になにができるわけでもない。

いいなあということを学生達に言っていた。
そしたら、全員合唱をしたいということになった。学科の歌になっている歌ではない。しかし、こうしてみんなで歌う歌を持てるというのはとても、いい。私も学生達の輪に入って一緒に歌った。

幸いにして、私が担当していた2回生ゼミは準優勝だった。嬉しい。
嬉しいが、教師の本当の喜びはそこではない。
学生は準優勝で喜んでいい。
だけど、教師の喜びはそこではない。

三回生から四回生のお礼の言葉があったり、みんなで写真をとったりと、なんと言うかプレ卒業式のような様相を呈していた。

教師の最大の喜びは、教えている彼ら彼女らの成長する瞬間に側にいられることだと思っている。彼らが成長していくその側にいられる。こんな幸せなことは無い。確かに、人間は教師なんていなくたって成長するものだ。そもそも成長するものだ。だから、私たち教師が育てたなんてことを心の底から思う教師は、私の学科の教員にはいないと思う。

彼らが仲間達とともに育ったのだと思う。
そして、その側に私たちがいた。
そうなんだと思う。
明日はどうか分からないが、今日は、そう信じていいのだと思った。

教師の喜びは、この行事を通して学生達が人間的に成長すること。
ここだと私は思っている。

3
(iPhone4で撮影)


2011/12/20

因に、今朝の琵琶湖の動画はこれ

12/20

因に、今朝の琵琶湖の動画はこれ。
3秒ごとに撮影し、動画にする際は、30コマを1秒に割り振って撮影しました。

雲の流れが、今朝はダイナミックでした。
最後の数秒は、雨が降るのも捉えています。

http://www.youtube.com/watch?v=89s1Zy-WzRE&feature=youtu.be&a

月のあった場所に太陽がある

12/20

10
(iPhone4で撮影)

朝は執筆。4000字弱を書く。
その後、朝の風呂読書を楽しむ。『鬼平犯科帳』は五巻まで来た。しみじみいいなあと思いながら読んでいたら、突然やってきたのである。
アイディアである。執筆のアイディアである。

慌てて鉛筆を取り出して、『鬼平犯科帳』に書きまくる。
本はテキストの書いてある、メモ帳である。
とにかくアイディアが沸き出している瞬間に書きまくる。
この瞬間を逃すと、次にいつになるか分からないので、必死に書く。

しかし、なんで『鬼平犯科帳』を読んでいるときに、本の執筆のアイディアが出てくるのだろうか。脳みその仕組みはつくづく不思議だと思う。

風呂上がりに外を見ると、今朝撮影したときに月のあった場所に太陽がある。
一日でこれが見られるのは珍しいと思い、パシャリ。

18
(iPhone4で撮影)

午後からは、姫路まで出張。
新幹線で京都から姫路まで1時間弱。早い。

姫路駅で何気なく時刻表を見たら、「湖西線経由敦賀行き」という表示。へ?と確認したら確かに新快速で行ける。凄い長い距離を行けるんだなあ。関東にはこんなに長い距離を行く普通のJRはないんじゃないか? 

で、高校でディベートの入門講座を3時間実施。
生徒達が、ぐんぐん成長する瞬間に立ち会えるのは、教師として本当に嬉しい。
来年、ディベート甲子園で会いましょう。

帰宅したら娘(4)は寝ていた。
それでいい。
沢山遊んで、寝る。
幸せな寝顔を見せてくれるだけで、いい。

さ、明日は会議満載の日だ。

2011/12/19

週末は走り回った

12/19

Img_5973
(琵琶湖のかぎろひ。 iPhone4にて)

ふう。

週末は走り回った。

土曜日は、大阪のある教育委員会主催の講座。150人相手にあれこれ。2時間だったけど、やはり時間が足りなかったなあ。

この日は本当は電車で行く予定だったのだが、急遽自動車に変更。E91で高速を流す。松岡直也さんの曲を流しながら大阪湾の上を走る高速は気持ちよく、降りるはずのインターチェンジを乗り過ごしてしまうというミス。40分前に到着の予定が5分前になってしまった。

終わってから、知り合いといま取りかかっている研究についてあれこれ話を聞いてもらう。私は、話を聞いてもらって自分の考えを整理するタイプなので、とてもありがたい。良いヒントももらう。

その後、また車で帰るのだが、名神高速道路に乗り継ぐ所を危うく間違えそうになったりで、危なかった。その上、疲れも出てきて眠たくなってしまったので、SAで仮眠。10分ねるだけで本当にすっきりするからなあ。

2時間の講座のために、まるまる半日以上、いや、準備を入れると勿論それ以上の時間を使っている。この講座が役に立ってくれれば良いなあ。

Img_5980
(桃山の椛 iPhone4にて)

日曜日は、全国教室ディベート連盟近畿支部の冬のディベート交流会。京都橘大学付属中学校を会場にして行った。中高とも同じ論題でやった。【日本は遺伝子組み換え食品の販売を禁止すべきである。是か非か】である。

中高一緒にやるというのは、なかなか面白かった。
私は中学を一試合、高校を二試合ジャッジした。
三試合とも主審ということでコメントをあれこれ考えるのは、面白かった。

一つ分かったのは、中高で論証の流れはあまり変わらず、精度が違うということであった。
ただ、圧倒的に違ったのは、第二反駁。第二反駁の議論の価値の比較がさすが高校生ということだったなあ。

議論の価値の比較というのは、メリットでメリットのラベルの比較だけでなく、そこに含まれている価値の比較なのだが、これがなかなか出来ない。今回、ある高校は、肯定側として、食品は予防原則で政策を立てるべきであるというスタンスをとり、否定側の取り組みをリスク分析という形で対象化して価値の比較を行っていた。とても分かりやすい議論であった。

こういうことができるようになると、ディベートは面白いし、ジャッジも楽になるなあと思うのであるf(^^;。

終わってからの打ち上げは、足を伸ばした。中書島にある「黄桜カッパカントリー」名前はいかがなものかと思うが、これはなかなか良かった。ここいらあたりを龍馬がうろうろしていたんだろうなあと思いながら美酒を頂く。

一年があっという間に過ぎて行く。
この一年で何を成すことができたのかと思いながら、若い仲間と一緒に杯を重ねた夜であった。


« 2011年12月11日 - 2011年12月17日 | トップページ | 2011年12月25日 - 2011年12月31日 »