1/4は私が恩師に会う日である
1/4
1/3が教え子と会う日なら、1/4は私が恩師に会う日である。大学卒業以来ほぼ毎年ご自宅に伺っている。
聖蹟桜ヶ丘で買い物をするという親戚たちを車で送り届けてその足で、先生のご自宅に向かう。向かうのだが、途中でどうしても食べたいラーメンがあって、立ち寄る。
(替え玉はしないぞ)
と誓ってのれんをくぐったのだが、もろくも崩れた。
「たまぞう」
美味しいんだよね。8年前、学芸大学の大学院に通っているときは、週に一回位は食べていたかなあ。ちょうど通学路にあったので。しかも、当時は学生は替え玉が無料だったので、私ははずかしげもなく、学生証を見せて無料で替え玉を食べていた。
他にもいろいろあるが、写真のこのラーメンは豚骨ベイス。ここにごまやナッツなどが入っている。これは京都にもないラーメン。食べた後、
『関西にも是非進出してください。勝負できますよ、この味』
と話すと
「励みになります」
と言っていた。いや、そうじゃなくてまじめに進出して欲しいなあ。
◆
先生のお宅で1時間ほど過ごす。
嘗ては酒盛りもし、延々と過ごしたが、先生も疲れるだろうし、私も風邪気味なところもあって、今年は1時間で失礼すると決めて伺った。
思っていたよりもお元気で安心。
研究の相談や愚痴等を聞いていただく。
来年はもう少し大人数でやりたいものだ。
しかし、こうしてお会いできる幸せをありがたく思う。
◆
その後、聖蹟桜ヶ丘で買い物をしていたメンバーと合流。
嘗て通い慣れていた街を歩く。
買い物をする。
実に便利な街なのだよなあ。
6年前、私はここにいたんだよなあと不思議な感覚になる。
◆
恐らく、いまこの瞬間が、未来の何かの伏線になっているんだろうなと思う。
聖蹟桜ヶ丘で過ごしていた、あのときが今につながっていることを感じるからだ。
この瞬間の何が、未来の伏線になっているのかがわかるのは、神の視点であり人には分からない。人生は後ろ向きに乗ったジェットコースターだというのはそういう意味であろう。
また、そんな一年がありがたいことに始まったんだなあと思う。
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