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2012/01/31

最後の授業は「学級担任のための写真講座」であった

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(朝のブルーモメント 琵琶湖)

学級担任論の補講が終わった。これで今年度の全ての授業が終わった。ふう。今年も駆け抜けられたことに感謝。今年度最後の授業は「学級担任のための写真講座」であった。私はカメラを手にしてからもう30年は過ぎている。高校では音楽系のクラブにいてステージの様子を撮影する係をしていた。

暗いステージでフラッシュを焚いてしまったら、出来上がる写真は平板で面白みのないものになる。だからそうならないように、明るいレンズを買い、増感現像をし、四つ切りに焼いて額縁に入れてとやっていた。だから、それなりに写真のことは分かるつもりだ。

教師になってからも自分で写真を撮って、それを現像に出し、学級通信に載せていた。勿論フィルムカメラの時代からだ。写真をそのまま印刷するととても見られない。真っ黒になってしまう。そこで、写真だけを写真モードで印刷し、その後、文章を印刷するという二度刷りをしながらやっていた。

で、昨今のデジカメである。まあ、まさに隔世の感である。というか、隔世である。カメラの基本的なことを知らなくても、写ってしまう。良い時代だ。しかし、これは写ってしまっているだけであって写してはいない。今回の授業では、目的を持って写すこと。担任として学級作りのツールとしてデジカメを考えた。

講義で「なぜ、担任がカメラなのか? 準備 撮影 公開 活用」の話をし、実習で写真を撮りその写真を私もMBAirに送信し、それを私はiPhotoで読み取ってスライドショーで見せるということをした。デジカメとiPhoto、MBAir、iPadを使うとこんなに簡単にできるのを実演した。

なんかもう実演販売のようになってしまった感もあるが、学生たちはその簡単さに驚いていた。勿論、Macを売るための授業ではないので、デジカメがどのように学級作りのツールになって行くのかの話を具体的にした。肖像権のこと、著作権のこと、インクを使わないで公開する方法なども。

いま、小学校の各教室には50インチのテレビが置かれている。このテレビをモニターとして活用する具体的な方法、写真をムービーにする簡単な方法、そしてiBoook Autoorの持っている可能性などにも触れた。

『就職してから新しいパソコンを買おうとか考えている諸君がいるとしたら、それは違うぞ。君たちは、分からない所だらけの学校教育現場に入って行く。その時、そこで使うツールが使いづらかったり、使ったことが無かったりしたらもうアウト、アウト、アウトでしょ』

『黒板を使うのに、板書のしかたを知らない。鉛筆の指導をするのに、シャーペンしか使わない。成績を付けるのにエクセルが必要だと分かっているのに、使い方を学ばない。数字を打ち込むことが多いのに、テンキーをタッチタイプで打つ練習をしない。私には信じられない』

仕事の基礎になる部分は、ある程度使えるようになってから仕事を始めないと大変なことになる。教師の仕事は、一年目からベテランと同じ仕事をするのだから。写真講座をしながら、学級作りのこと、学級担任の仕事とこの半年を振り返りながら、講座を終えました。やっていても面白かった(^^)。

あっという間の15回でした。
日本中の教員養成大学で、学級担任論の授業が開かれると良いなあと思う。


2012/01/30

「学級担任のための写真講座」の準備がようやっと終わった

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明日の学級担任論「学級担任のための写真講座」の準備がようやっと終わった。ふう。今回の授業は、写真を多用するということもあり、私の授業にしては極めて珍しくKeynoteを使ってプロジェクターに提示しながらの授業となる。90分の授業で58枚は多すぎるかf(^^;。

ま、58枚と言っても一枚に接続詞一語しかないものもあるから、大丈夫だろう。授業作りは辛くて楽しい。本当はこのテーマで行う授業は2012年度の学級担任論で行うつもりであった。ところが、水曜日の補講が一日発生し、他の予定の所をほぼ終わらせてあったので、今年やることを決意。

決意した時、すぐに、Treeを開いて授業のアイディアをドンドン打ち込んでおいた。そして、しばらくしてから、そのアイディアを授業の展開に従って入れ替えて行き構成を寝る。このまま1ヶ月ぐらい寝かしておいた。そして、いよいよ明日という所になって一気に作り込んだ。

だいたい5時間ぐらい掛かったことになるか。90分の授業を作るのに今日だけで5時間。これを長いと見るか少ないと見るかはいろいろだろう。ただ、この授業は私が高校生のときに部活動の記録をするためにカメラを本格的に始めたところから、始まっていると考えることも出来る。

そうすると、明日の90分は30年間、準備をしていたことになる。ま、結果的にだが。そして、昨年末の明日の教室で塩澤一洋さんをお招きして写真講座をしていただいたことも大きなきっかけになっている。DVDは、これ http://t.co/aLc9gymM

こうして授業が作られて行くことを、やがて学生諸君も経験するのだろうなあと思う。今、自分が興味を持って深い所に入っていることが、一見教育とは全く関係ないように見えていて、実はそれがあとでとても大きな影響を与えてくれるものになるということだ。

今のこれが、その後の人生の伏線になっているとは、その時には当たり前だが気がつかない。それが人生の面白さの一つでもあるということだ。

で、授業を作るためにあちこち資料をひっくり返していたら、面白いものを見つけた。Macの中にあったf(^^;。ある資料を検索していたら、そのキーワードで別のものがヒットした。学級担任のためのカメラ講座をやろうとしていて忘れている自分に驚いたのだが、こんな資料が見つかった。

ある出版社のHPに一年間かけて「デジカメの活用」という連載記事を書いていたのでありました。そして、それがいろいろな事情があって本にならないまま原稿のままで残っているのを発見してしまったのです(^^)v。中身を見ると、びっくりすることに、明日の授業と多く重なっています。

なんというか、2005年の原稿の時点で今と同じことを考えていたわけです。進歩が無いと言えばその通りですが、根本原則を発見してしまっているとも言えるかなと(^^)。できれば後者でありたいなと思うわけです。で、さらにこの原稿の古いデータを変えて、新しい知見を書き加えて、、、、

iBook Autorで一冊にしてしまったら面白いんじゃないかなと気がついたわけです。勿論、まだ日本での販売がどうなるのか分からないままですが、ま、習作として作っても面白いんじゃないなと。まだまだ仕事があるので実際は再来週からの作業になるかなと思いつつ嬉しい私です。

授業を作りながら、あれこれ次のステップが見つかってくるというのは、実に幸せな展開。仕事をしているのか遊んでいるのか分からなくなるこの瞬間が心地よいのでありました。

2012/01/25

それでいい。

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(写真は、京都の空に出現した雲のドラゴン。太陽の玉を掴んでいる。吉祥である)

お茶碗に入ったご飯、餃子を片手でがちゃがちゃしていた娘(4)。お茶碗がこけて中身をばらまいてしまった。当然怒られる。そして「自分で片付けなさい」と言われる。まあ、これが悲惨な飛散。途中で私も手伝う事に。しかし、それでも全く片付かない。娘は拾いながら食べている。

戦争の時代だったら、いやちょっと前だったら拾ったご飯を全て洗って食べさせられていたし、食べていた。それをやらせようとも思ったが、娘はちょっと風邪気味。それはさせられない。かなり反省したようだったので、途中から拾ってゴミ箱に捨てる事にした。

ただ、捨てる前に一言。
『お米さんに、ごめんなさいと言いなさい』
と。すると娘は泣きながら
「ごめんなさい」
という。また
『お肉さん、ニラさん、キャベツさんにも』
と言うと同じように泣きながら謝る。
『そうだね。色々な人が関わっているんだよ。粗末にしては駄目だね』
と。

泣きながら謝る娘を見て、大丈夫だなと思った。ちゃんともうやってはいけないと理解しているのが分かった。だから、
『はい、こっちにおいで』
と膝の上に乗せて
『今日は何があったのかな?』
とお話をすると、
「んーとね(^^)、えっとね(^^)」
と笑顔。をい、本当に分かったのかf(^^;。

だけど、それでいいんだと思う。いつまでも引きずらなくてよい。子どもは沢山間違いをして、勉強するものだ。一回で言う事を聞く訳が無い。一回で出来るようになるはずが無い。また失敗したら叱る。反省したら許す。そして、また失敗する。この繰り返しで大人になるんだよな(^^)。

明日になったら、何事も無かったように、ケロリとしているだろうなあ、娘は(^^)。それでいい。


2012/01/23

あけましておめでとうございます

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旧暦の正月を迎えました。
旧正月です。
今宵の滋賀は、9度もあります。
あけましておめでとうございます。

みなさんにとって幸せな一年でありますように。

2012/01/22

ユニークで豊かな実践は、他の実践を刺激する

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大学関連の大きな仕事が立て続けにあったこの一週間。
(倒れないこと)
(60%で走りきること)
と週の初めに誓いを立てて、なんとやりきる。

土曜日にも大学関連の仕事がある予定だったが、これが急遽キャンセルになり時間ができた。ゆっくりと身体を休めようとも思ったが、折角行けるようになったのだからと思って出掛けたのが、明日の教室大阪分校。この日は、糸井先生の教師生活29年を語るであった。

私は、天神橋と天満橋を間違えて地下鉄に乗ってしまい、最初10分ぐらい遅れて到着になってしまったが、実に良かった。

ライフヒストリーということ。教師はどうやって教師になったのか。私はこの内容で糸井さんに本を書いて欲しいなあと思った。ライフヒストリーは、下手をするとその教師の自慢話になったり、単に年数を重ねれば分かる事をいかにも自分の努力で手に入れたと語る話になったりと、厄介な事もあるが、今回の糸井先生のは全く別もの。本物だった。

糸井先生の講座の中で語られるつぶやきが実にいいのである。

「悩んでいると言う事は、決めている事だから」
「自分に力が無いので、一歩まえに出たんです」

エピソードの中からこぼれるつぶやきがいいのである。
私も、糸井先生の実践を聞きながらいろいろ呟いていた。

「軸のある人は強い。しかし、軸は始めからあるのではない。隠れているか、作り上げて行くものなのだと思う。ただし、時間がかかる。最低10年だろうなあ。その前に出てくるものは軸ではないんだろうなあ」

「私たちは出会っているのだ。出合っているのだ。何者かに、何物かに。そして、そのナニモノかとのデアイに気がつき、それどう価値あるものにしていくか。そこなんだよなあ」

「家庭教育に文句を言える先生は、家庭教育に期待できている先生だなあ。家庭に頼る事ができない家庭から通っている子ども達がいたら、学校だけでなんとかしないとならないもんな」

「運と偶然をどう引っぱりこむか。偶然がいつのまにか実践にとっては必然になっているためには何が必要なのか」

糸井先生の学校の教育の仕事を聞きながら、参加者は自分の学校の教育の仕事を思い出していた。それが糸井先生の実践が豊かだからあり得たことだ。ユニークで豊かな実践は、他の実践を刺激する。

時代も地域も違うのに、今の私たちの実践を刺激する。
(ああああ、子ども達に会いたい。授業がしたい)
と多くの参加者が思ったことであろう。
私もその一人であった。


2012/01/19

『大学を頼れば良い』

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(今朝の琵琶湖のかぎろひ。iPhone4にて)

本日の学級担任論は、先ず、保護者対応。家庭訪問、保護者会、面談などについて講じる。モンスターペアレンツがいたらどうするのかという話。私の答えは
『君は相手にしてはならない』
である。なにせモンスターなのである。新卒、若手の教師が対応できるわけが無い。それは、主任、教頭、校長に頼む。

それでもうまく行かない場合はどうするか? 
『大学を頼れば良い』
と話す。私学の良いところはそう言う所だ。卒業したらそれでおしまいではない。私も恩師からのご指導は卒業後の方が多いと思う。
『卒業して3年は大丈夫。そのぐらいの授業料は払っているだろう(^^)。ただし、三年だ』

『その後は、君たちが後輩を守る側に回る』
その時に読んでおく必読の本を紹介した。『先生! 親ってそんなに怖いんですか?』(星幸広 立花書房)。本来は、校長が読む本だろうが、新人が読んでいても勉強になるところがかなりある。学校としてどう対応すれば良いのか分かりやすく書いてある。

私はモンスターペアレンツはいるという立場をとるが、この本ではモンスターペアレンツに育てているも学校だという指摘がある。それも分かる。だから、基本的にどうするのかをしっかり勉強すべきである。しかし、保護者のほとんどは、モンスターペアレンツではない。寧ろ協力的だ。

その中で、どうやって保護者と友好関係を作り、学校での教育に支援をもらうようにするのかについてあれこれ。・子どもの記録を取り、情報を残す。・子どもの良いところをどんどん伝えるなど ・保護者の話は聞く。肯定的に聞くなどの話をあれこれする。

学生が教師になった時に大丈夫かと不安に思うことはいろいろとあるが、授業、学級作り、保護者対応は三本柱だろう。実際は、校務分掌や職員室の人間関係などあれこれあるのだが、そこを教える余裕は大学の15回の授業にはない。しかし、学級作りと保護者対応を触れずに教職課程というのも多い。

授業がダメで教師の仕事を辞めて行く若手教員はほとんどいないのではないかと思う。学級作りと保護者対応が原因で病んで行くのだと思う。だとすれば、ここをに焦点を当てた授業を教員養成過程に作るべきなのだ。

その後、今日の授業は「いじめ」対応、対策についてを行った。根っこの所をどう考えるかでいじめ対策は違ってくるが、根っこは「ここにある」ということを分からせるケーススタディを一つやって終わる。これも本当はじっくりやりたいのだが。あああ。

2012/01/12

授業中の私語の対策について

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(雪の降る琵琶湖に立ち待ち月の昇る夜 by GR4)

本日の学級担任論は、授業中の私語の対策について講じる。私の結論は、児童、生徒の私語の原因の9割までは先生に原因があるというものである。子どもの私語の指導というが、実は先生の授業方法の工夫で9割までは私語の発生を減らすことができると考えている。その技を講じた。

技には大技、中技、小技とあるが今回は大技について講じた。『授業規律で学ぶ力を うるさい授業よ、さようなら』(学事出版 家本芳郎編著)で私が纏めた部分を使って講じた。大技には3つある。1つめ、教師の体を作るである。

これは4つある。音読の技術を高める、立ち位置を工夫する、身振り手振り、板書の文字である。例えば、音読の技術だけでも、滑舌を良くする、口癖をなくす、間のある語りと磨かなければ技術はたくさんある。たくさんあるが、この技術は身につけるのにかなり時間がかかる。だから大技なのだ。

大技の二つ目は、生徒の要求を聞くである。授業に関して生徒からの要求を聞き直せるものは直すのだ。私は・声が大きすぎる ・話が横にズレすぎる ・チャイムが鳴っても話しているなどのクレームがあり、それぞれになぜそうなるのかの理由を話し、改善をしてきた。

大技の三つ目は、楽しい授業を心がけるである。つまらない授業は、それだけで「つまらない!」という子どもたちの私語を生む。私は何がつまらないかを聞いて、「じゃあ、そこを直そう」と直して授業を改善して行った。

すると、もう生徒は「つまらない」とは言えなくなる。なんとなれば、生徒のリクエストに応じて授業を改善したのだから。生徒は授業を作る共同企画者になったのである。「責任」も負うことになるのだ。そうすると、生徒は私語ではなくて意見を言い始める。そうなってくると授業は面白くなる。

子どもの私語の殆どは、授業に参加したいのに、先生の声が聞こえない、説明が分からない、黒板が見えないなどのクレームのことが多い。「昨日のテレビ見た?」という私語は、授業がつまらないから出てくる言葉であって、これは「先生、面白い授業をして下さい」と翻訳して聞かなければならない。

嘗て私たちが子どもだった頃、私語の多い授業は、どんな授業だったのか考えれば分かると思う。はっきり言う。つまらない授業だったのだ。分かりにくい授業だったのだ。そして、それは今でも変わらないだろう。子どものせいにしては駄目だと私は思う。

私の敬愛する校長は、朝礼で一人も倒れる生徒を作らなかった。あまりにも話が面白くて倒れないのだ。薬師寺のお坊さんは、一言も「静かにしてください」とは言わない。言わないのに、話を始めてものの1〜2分で初対面の中学三年生の修学旅行生たちの心を掴んで私語をさせないで話を聞かせる。

「生徒がうるさいんです。なんとかしてください」
と中学校の教師をしているとき、学級担任である私に文句を言ってくる先生がいた。
私は
(をい、恥ずかしくないのか?)
と思っていた。
学級担任ではないけど、教科担任ではある。なんとかするのは、その先生だ。
協力はするし、生徒に話もする。しかし、その私語はその先生の授業の中で起きているのだ。

私語を言う子どもに対して、子どもが自分を変えなければならないという事は、私はほとんどないと考えている。今まで書いたことの中を見ていただければ、子どもが工夫する所はないことが分かると思う。私語の原因の9割以上は、教師の工夫で無くなる、教師の責任だというのが、私の考えだ。

2012/01/10

無事に戻ってきました

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昨日は一気に滋賀に戻って来た。
480キロ。
帰りは中央道を通って。諏訪湖までは近いのだが、そこから名古屋までが遠いのが中央道である。夕日を追いかけながら走った。
合計で1250キロ走ったことになる。
さすがの325iであっても、荷物を満載にしてこれだけの距離を駆け抜けてくると、疲れるなあ。

途中の刈谷PAでは、観覧車に乗る。
娘(4)は、観覧車がとにかく好きなのだ。煙となんとか高い所に昇るのが好きというが、そうなのかなあと思う。

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子どもを授からなかったら、まあ一人で乗るのも変だし乗らないだろうなと思えば、娘にねだられて乗るのは、ありがたいことか。

この日は、満月。
満月の昇ってくるタイミングで観覧車に乗る。
実に贅沢であったなあ。

車に思い切り積んだ荷物を降ろし、家に運ぶ。
マンションの大変さはここだ。車から部屋へ運ぶのが大変。
だが、去年は眠りこけてしまって抱えて部屋に運んだ娘が自分の足で歩くばかりか、荷物を少し運んでくれる。

マンションの良い所は、部屋が暖かいということ。廊下などは一軒家と比べ物にならないくらいに暖かい。とにかくこれはいい。
玄関に運んだ荷物を、さらに部屋の中にどんどん運んでくれる。お手伝いになっている娘。
(ああ、成長したんだなあ)
と思う。

疲れた身体で直ぐにでも寝たいのだが、気持ちが高ぶっていたので軽くシャワーを浴びて、一杯やる。
満月の光を浴びながらの「花陽浴」。

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無事に戻ってきました。

1/28(土) 明日の教室 菊池省三先生 小学校国語の今

2012年最後の1月の明日の教室は、九州から菊池省三先生をお迎えしてスタートします。菊池先生は、いま乗りに乗っている国語教育の実践家です。全国を行脚しながら講演活動をされています。そのお忙しい所をお越し頂きます。

是非、ご期待ください。

菊池先生のHPは、http://members.jcom.home.ne.jp/s.kikuchis/ です。
ブログは、http://plaza.rakuten.co.jp/kikuchis/ です

お申し込みは、

http://kokucheese.com/event/index/25203/

です。

2012/01/08

親の通院の付き添い完了

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親の通院の付き添い完了。色々考える。色々あるが、病院と薬局のことで、これはどうなのかなあと思ったことを書く。

病院では、問診票を記入する。私が問いを読んで、親に確認して書いて。これで30分以上掛かってしまった。これは付き添いを前提にしているのではないかと思った。

そもそも、体調が悪いから病院に行くのであって、その体調の悪い人に30分以上もかかる問診票を書くことが前提になっている病院と言うのはいかがなものかと思う。私だって面倒くさいのに、70歳を超えた病人に書かせる制度はおかしいと思うのだ。その問診を医者にやってほしい。

病院が終わり、薬を買いに行く。調剤薬局だ。嘗ては病院の中に全てまかなうことができたので、便利だったと私は思う。いったん病院の外に出てまた並んでというのは、実に面倒くさい。これは患者のためになっているのかなあといつも思う。

面倒くさいことをしないように、しなくて済むようにしなければならない。だって、病人なんだもの。健康な人間であれば、多少の面倒臭さはいいが、病人に面倒なことをさせるシステムはどうなんだ?と思う。

で、薬を貰うときにあれこれ説明を受けるのだが、これが分かりにくい。説明する側の論理で説明をしている。説明する側は分量と飲む時間を間違えないように説明するのが大事なのだろうが、飲む方は先に何に効く薬なのかが知りたいと思うのだが。

また、薬の飲み合わせで不安がる患者に対して、「これは大丈夫です」と言い切って欲しい。「大丈夫だと思いますよ」などと言う言葉はなしにしてほしい。「よ」をつけて優しさを醸し出しても駄目。不安なのだから、その不安を増やすような言葉は駄目だ。

さらに「薬で喉が乾くことがあるので、どうにかならないか?」と親が確認したら「いろいろと考えてみてください」と言う答え。ちょっと待て。そこを考えるのが医療のプロの側の仕事じゃないのか? 患者は考えたくないのだ。指示は従うが、自分で考えるのができないのが不安を抱える患者なのではないか。

健康で伸びゆく子ども達であれば、厳しく接することもあり。いや、寧ろ厳しく接するべきだと思う。しかし、病気の高齢者に難しいいことを求めるのは、おかしい。


2012/01/07

「友」という字に難儀している

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午前中は、髪を切りに行く。年末に切る予定であったが予約が入らなかったので、今日ということに。
もう15年近く私の頭を見てくれている人なので、座ればほとんど何も言わずに仕上げてくれる。楽だ。で、あれこれ最近評判のラーメン屋の話なんぞをしながら小一時間で。ああ、すっきり。

昼ご飯は、これまた行きたかったカレーとラーメンの店。 昨日の昼に寄ったのだが、1/7からということで残念でした。再チャレンジで美味しく頂く。
八王子系のラーメンに本格スパイシーカレーで、実に上手い。アチャールもあって辛みの調整もばっちり。私はここで食べると自分でもビックリする位の汗をかく。頭皮からかく。これもいい。

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午後から、姪っ子の書き初めの宿題につき合う。筆の調子が悪いと言うので、近所の店に買いに行く。初心者の筆は硬い毛を選ぶのが良いのだが、なぜか柔らかい毛で書かせる指導者がいる。知らないのだろうな。硬い毛の筆を買って上げる。

一緒に行った娘も欲しそうにしているので、面白い筆ペンを買ってあげる。私は先日一本買ってその書き味に参ってしまった「極細 朱色 あかしや 新毛筆」を買いだめする。相当いい。黒も買おうと思って捜したがない。店の人に聞いたら、売り切れとのこと。ああ、分かる人には分かるのね、この書き味。

で、帰りは公園。娘と姪っ子は走り回る。お父さんでありおじさんである私は二人の
「見て、見て!」
「見て、見て!!」
という声に反応しつつ、安全を確認しつつ、笑顔で応え、写真を撮って、手を振る。
実に大変だが、こんなことが出来るのも今年か、来年が最後だろう。さすがに姪っ子は来年はこんなことはしないだろう。

遊んで帰って来て車をちょっと離れた駐車場に置いた所、娘と姪っ子が隠れてしまった。本人達はふざけて遊んでいるだけだが、交通量のあるところでの遊び。厳しく叱る。
「おとうさん、ごめんね」
と娘が言ってくるが、
『ごめんなさいだろ!』
と叱る。
「ごめんなさい」
と直ぐに言い直す娘。
『とても心配したんだよ。車のある所では、遊んでは駄目。いいね?』
「うん」
『そうか。それならもう一つ近い公園に行こうか(^^)』
「うん!」
父は娘に甘い。

月が出ていた。

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夕ご飯前にもう一度、姪っ子の書き初めの練習につき合う。
「友」という字に難儀している。この字を奇麗に書くためには、

1)△の外形(結構)の中にあることを理解する。
2)二画、三画、四画では、一番短いのが三画で長いのが四画であることを理解する。
3)三画目の最初の横棒が一画目と平行ではなく、やや上に上がっていることを理解する。
4)右払いを決める。

この四つができると良い。
まず、私が何も言わずに書いてみて、その次に上記の四つを説明しながら書いてみて、最後に一緒に筆を持って説明しながら書いてみる。すると、このうちの3)と4)は一発で出来るようになった。ミクロの方は割とすぐに修正がきく。しかし、マクロの1)と2)は実は結構修正が難しい。頭では分かっているのだが、できないのだ。身体に字形が染み付いているので、これを取り除くのは難しいのだと私は考えている。

ここの部分を直すのは、練習して小脳を鍛えるしか無いと思っている。筆の動かし方も運動なのだ。ま、でも一発で3)と4)が治ったのは、結構センスがいい。楽しみだ。

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イタリアン料理を大量に食べて、この日は休肝日で寝る。


まあなんというか、ダイエットだ

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今回の帰省は、カレンダーの関係と授業日の関係で東京に長くいられるので、いつもの帰省では出来ないことをしている。

自分の身体のメインテナンス。通い慣れていた整体の先生の所に行き、身体のひずみなどを整えてもらう。いつも後回しにしている自分の身体だが、メインテナンスをしながらつき合って行くのを普通にしていくことを今年から考えたい。

午後からは娘と姪っ子を連れて、温水プールに向かう。 夏休みは入場制限が出るほどに人気の場所だが、流石に正月は空いている。ただ、ここはとてもいい。大人2時間500円。子ども200円。駐車場300円。つまり、1000円で楽しめるのだ。中には、プールの他にジャグジーやスラーダーや流れるプールもあり、十分楽しめる。

流れるプールでは、両腕に娘と姪っ子を抱えて歩く。まあなんというか、ダイエットだ。そう思って歩く。これも幸せの一つの形なのだな。

身体を動かせば、夜はゆったりとねむることができる。

2012/01/05

1/4は私が恩師に会う日である

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1/3が教え子と会う日なら、1/4は私が恩師に会う日である。大学卒業以来ほぼ毎年ご自宅に伺っている。

聖蹟桜ヶ丘で買い物をするという親戚たちを車で送り届けてその足で、先生のご自宅に向かう。向かうのだが、途中でどうしても食べたいラーメンがあって、立ち寄る。
(替え玉はしないぞ)
と誓ってのれんをくぐったのだが、もろくも崩れた。

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「たまぞう」
美味しいんだよね。8年前、学芸大学の大学院に通っているときは、週に一回位は食べていたかなあ。ちょうど通学路にあったので。しかも、当時は学生は替え玉が無料だったので、私ははずかしげもなく、学生証を見せて無料で替え玉を食べていた。

他にもいろいろあるが、写真のこのラーメンは豚骨ベイス。ここにごまやナッツなどが入っている。これは京都にもないラーメン。食べた後、
『関西にも是非進出してください。勝負できますよ、この味』
と話すと
「励みになります」
と言っていた。いや、そうじゃなくてまじめに進出して欲しいなあ。

先生のお宅で1時間ほど過ごす。
嘗ては酒盛りもし、延々と過ごしたが、先生も疲れるだろうし、私も風邪気味なところもあって、今年は1時間で失礼すると決めて伺った。

思っていたよりもお元気で安心。
研究の相談や愚痴等を聞いていただく。
来年はもう少し大人数でやりたいものだ。

しかし、こうしてお会いできる幸せをありがたく思う。

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その後、聖蹟桜ヶ丘で買い物をしていたメンバーと合流。
嘗て通い慣れていた街を歩く。
買い物をする。
実に便利な街なのだよなあ。
6年前、私はここにいたんだよなあと不思議な感覚になる。

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恐らく、いまこの瞬間が、未来の何かの伏線になっているんだろうなと思う。
聖蹟桜ヶ丘で過ごしていた、あのときが今につながっていることを感じるからだ。

この瞬間の何が、未来の伏線になっているのかがわかるのは、神の視点であり人には分からない。人生は後ろ向きに乗ったジェットコースターだというのはそういう意味であろう。

また、そんな一年がありがたいことに始まったんだなあと思う。

2012/01/04

教師の喜びは、子ども達の成長の側にいられることである

1/4

Sin

毎年1/3は、卒業生達と会う日になっている。私が学生時代に塾の教師をしていたときの卒業生達から始まって、中学校の教師をしていたときの教え子達が、なんとまあありがたいことに、毎年集まって新年会を開いてくれている。

東京にいるときは、昼頃から私の家に集まって、箱根駅伝の復路を見ながらそれぞれの母校の応援をしつつ、酒を飲み騒いでいた。京都に移ってからは、夕方から店で集まるようになった。
今年も行われた。10人を超えて夕方から日付をこえてまであれこれであった。

教師の喜びは、子ども達の成長の側にいられることであると私は学生達に良く言っている。親にも見せることの無い、その輝く瞬間の顔を見ることが出来る。これは何にも代え難い喜びだ。

そして、時々その後の彼らの成長の続きを見ることも出来る。
これも本当に嬉しいものだ。
昨日は10人を超えた卒業生に会い、さらに二次会では二校目の中学校で最初に担任した子ども達の新年会にも参加させてもらったのだが、今日は一人の元生徒のことを書きたい。

Mくんは、優秀な生徒だった。物腰が穏やかでとても落ち着いた判断のできる、それでいて茶目っ気のある優秀な生徒だった。その彼が、大学進学を考えない高校に進学することを決めたとき、私は相当驚いた。新幹線の運転手になるには、当時は高卒でなければなれないということがあり、高卒でJRに入るために高校を選んだのだ。

ま、なんというか黙っていても早慶大には合格するような生徒だと思っていた彼が、その道を選ぶと決断したとき、ただ凄いと思ったことを覚えている。そして、彼のような運転手が運転する新幹線なら、安心して乗れると思った。

高校を卒業してJRに就職したとき、たまたま東京駅の改札で勤務する彼を見かけ、写真を撮ってあげることができた。その後、新幹線に乗ることの多くなった私は、検札にくる車掌の顔を見ながら、会えないかなあと思っていただが、ま、会えなかった。そして、去年は主任車掌になったという話を聞いていた。

そして、とうとう運転手の試験に合格し、いま新幹線の運転手をしていると報告してくれた。わざわざその免許証も持って来てくれて見せてくれたのだ。卒業してから12年である。これを感激と言わなくて何を感激と言うのかということだ。

嬉しい。
乾杯であった。
写真は、新幹線を運転できる運転免許証。

今は、新幹線の運転手は大学卒業してもなれるという。時代が変わった。そして、リニアモーター新幹線になると、運転手そのものが要らなくなるだろう。その間に彼は運転手になった。このタイミングをどう見るかだ。

私は、自分でもおせっかいだなあと思いながら、今後の彼に対してあれこれアドヴァイスをした。ちょっと大変かもしれないなと思うアドヴァイスだったが、彼ならやれるんじゃないかなと思ってのこと。期待していない者には、そんなアドヴァイスはしないからな。

新年が始まり、今年も教え子達からエネルギーを貰った。


2012/01/03

初夢

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(琵琶湖の朝焼け 去年の夏の一枚 iPhone4にて)

初夢。
一月二日の夜に見るのが初夢だ。

毎年私の父は、舟形に切り抜いた紙に「宝船」などの文字を書いて、枕の下に入れてくれた。私も娘を授かってからそれをしている。ただ、今年はちょっと油断してごろりと寝転んだら、私が寝てしまった。準備をすること無くである。

そんな朝4時頃。
顔に痛みを受けて飛び起きた。娘の踵落としである。右側の目の下、小鼻の上を思い切り蹴られてしまった。眼鏡を外しておいてよかった。という話ではなく、そうとう痛い。 

ま、その御陰で起きられて娘の枕の下に慌てて「宝船」の文字を書いたものを置くことが出来たが。
(お父さん、おきてやって!)
という意味の踵落としであったのかもしれない。

で、私の初夢は。
授業の準備をしていました。必死にしていました。なんの授業かと言えば、大学の英語の授業です。必死にやっているわりには、嬉しそうに準備をしているのです。そして、そのまま授業に向かいました。でまあ、結構上手いこと授業をして満足という夢でした。

なんなんだろう。
英語を勉強しようと言う意味か? その割には英語を教えているけど。ま、教えて学ぶのが私のやり方なのかもしれないが。

一富士、二鷹という夢は、いままで一回だけ見た記憶がある。
そんなもんなんだろうなあ。
しかし、仕事の夢、それもちょっと新しい展開がありそうな夢。
これはなかなか、春からいいかもしれないな。

明けましておめでとうございます

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(娘(4)の書き初め。筆を持たせたら自分で書いていました)

明けましておめでとうございます。
穏やかな春をお迎えのこととお喜び申し上げます。

池田は、東京に帰っています。
それぞれの両親と会い、娘は従兄弟、従姉妹と楽しく過ごすという、ありがたい正月です。

年賀状は、まだ拝見しておりません。
旧正月並みのお返事になるかと思います。よろしくお願いいたします。

今年は去年手に入れた、実践や研究のヒントを育てて小さくともいいので確実な形にして残したいと考えています。また、今までとは違った生き方を模索する一年目にしたいと思っております。

当たり前のことではありますが、思ったことが思った通りにならないの生きると言うこと。
目的地は、分かっていてその目的地にたどり着くことが目的であれば、人生は旅行になってしまい、旅ではなくなります。

旅とは、目的地を目指してその過程を味わい、充実させること。
また、今年もその旅が始まったのだなあと思っています。
ただ、その過程で小さなゴールを設定したいなと。小さな形に残したいなと思っております。生き方を変えたいなと思っております。

とはいえ、相変わらずの私ですが、
よろしくお願いいたします。


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