親の通院の付き添い完了
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親の通院の付き添い完了。色々考える。色々あるが、病院と薬局のことで、これはどうなのかなあと思ったことを書く。
病院では、問診票を記入する。私が問いを読んで、親に確認して書いて。これで30分以上掛かってしまった。これは付き添いを前提にしているのではないかと思った。
そもそも、体調が悪いから病院に行くのであって、その体調の悪い人に30分以上もかかる問診票を書くことが前提になっている病院と言うのはいかがなものかと思う。私だって面倒くさいのに、70歳を超えた病人に書かせる制度はおかしいと思うのだ。その問診を医者にやってほしい。
病院が終わり、薬を買いに行く。調剤薬局だ。嘗ては病院の中に全てまかなうことができたので、便利だったと私は思う。いったん病院の外に出てまた並んでというのは、実に面倒くさい。これは患者のためになっているのかなあといつも思う。
面倒くさいことをしないように、しなくて済むようにしなければならない。だって、病人なんだもの。健康な人間であれば、多少の面倒臭さはいいが、病人に面倒なことをさせるシステムはどうなんだ?と思う。
で、薬を貰うときにあれこれ説明を受けるのだが、これが分かりにくい。説明する側の論理で説明をしている。説明する側は分量と飲む時間を間違えないように説明するのが大事なのだろうが、飲む方は先に何に効く薬なのかが知りたいと思うのだが。
また、薬の飲み合わせで不安がる患者に対して、「これは大丈夫です」と言い切って欲しい。「大丈夫だと思いますよ」などと言う言葉はなしにしてほしい。「よ」をつけて優しさを醸し出しても駄目。不安なのだから、その不安を増やすような言葉は駄目だ。
さらに「薬で喉が乾くことがあるので、どうにかならないか?」と親が確認したら「いろいろと考えてみてください」と言う答え。ちょっと待て。そこを考えるのが医療のプロの側の仕事じゃないのか? 患者は考えたくないのだ。指示は従うが、自分で考えるのができないのが不安を抱える患者なのではないか。
健康で伸びゆく子ども達であれば、厳しく接することもあり。いや、寧ろ厳しく接するべきだと思う。しかし、病気の高齢者に難しいいことを求めるのは、おかしい。
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