ユニークで豊かな実践は、他の実践を刺激する
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大学関連の大きな仕事が立て続けにあったこの一週間。
(倒れないこと)
(60%で走りきること)
と週の初めに誓いを立てて、なんとやりきる。
土曜日にも大学関連の仕事がある予定だったが、これが急遽キャンセルになり時間ができた。ゆっくりと身体を休めようとも思ったが、折角行けるようになったのだからと思って出掛けたのが、明日の教室大阪分校。この日は、糸井先生の教師生活29年を語るであった。
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私は、天神橋と天満橋を間違えて地下鉄に乗ってしまい、最初10分ぐらい遅れて到着になってしまったが、実に良かった。
ライフヒストリーということ。教師はどうやって教師になったのか。私はこの内容で糸井さんに本を書いて欲しいなあと思った。ライフヒストリーは、下手をするとその教師の自慢話になったり、単に年数を重ねれば分かる事をいかにも自分の努力で手に入れたと語る話になったりと、厄介な事もあるが、今回の糸井先生のは全く別もの。本物だった。
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糸井先生の講座の中で語られるつぶやきが実にいいのである。
「悩んでいると言う事は、決めている事だから」
「自分に力が無いので、一歩まえに出たんです」
エピソードの中からこぼれるつぶやきがいいのである。
私も、糸井先生の実践を聞きながらいろいろ呟いていた。
「軸のある人は強い。しかし、軸は始めからあるのではない。隠れているか、作り上げて行くものなのだと思う。ただし、時間がかかる。最低10年だろうなあ。その前に出てくるものは軸ではないんだろうなあ」
「私たちは出会っているのだ。出合っているのだ。何者かに、何物かに。そして、そのナニモノかとのデアイに気がつき、それどう価値あるものにしていくか。そこなんだよなあ」
「家庭教育に文句を言える先生は、家庭教育に期待できている先生だなあ。家庭に頼る事ができない家庭から通っている子ども達がいたら、学校だけでなんとかしないとならないもんな」
「運と偶然をどう引っぱりこむか。偶然がいつのまにか実践にとっては必然になっているためには何が必要なのか」
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糸井先生の学校の教育の仕事を聞きながら、参加者は自分の学校の教育の仕事を思い出していた。それが糸井先生の実践が豊かだからあり得たことだ。ユニークで豊かな実践は、他の実践を刺激する。
時代も地域も違うのに、今の私たちの実践を刺激する。
(ああああ、子ども達に会いたい。授業がしたい)
と多くの参加者が思ったことであろう。
私もその一人であった。
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