オフと研究で、暫く家を離れていた
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オフと研究で、暫く家を離れていた。
車を走らせて瀬戸内海に出掛けた。
まあ、関西に引っ越してこなければ瀬戸内海を楽しむなんて事は私の人生には無かったと思う。30代に夏休みに研究会の全国大会巡りをして、日本全部を回ったが、そのときに瀬戸内海と四国に行ったきりで、再び訪れる事なんて無いだろうなあと思っていたのだが、去年は香川大学に二回お招きに預かり、さらに今回もでかけることに。
瀬戸内海と呼ばれるようになったのは、そんなに歴史があるわけではなく、明治になってIsland seaと外国の船乗りが言い始めた事から始まったそうだ。それまでは、播磨灘とかの灘という単位だったとか。それにしても瀬戸内海は美しい。
光の移ろいが島の陰に彩りを加え、見ていて飽きない。
晴れても、雨でも良い。
また、美味しい。
魚が美味しいのは分かっていた。
そこに、柑橘類の美味しさだ。
饂飩の美味しさだ。
温泉の心地よさだ。
学生達を見ていると、いわゆる大都市で育っていない学生達のその穏やかさに驚く事がある。なんだろうと思うのだが、恐らくこの地方の生み出す穏やかさなのだろうと思う。
旅の醍醐味は何にあるか。
それは、昼寝だと思う。日常生活を離れたところでの昼寝。これが贅沢の極みだ。だが、車での旅ではこれがままならない。運転しながら昼寝と言うのは無理。
ではあるが、今回は出来た。フェリーである。
移動しながら昼寝。ゆったりと進むフェリーで流れて行く景色を目に収めながら、うとうとして眠りに落ちる。これだ。
教師、研究という仕事はきりがない。際限なく続く。これで終わりというのは自分で決めるものではなく、締め切りが決めるもの。締め切りがきたらおしまいにならざるをえない。そこまでは走り続ける。
だから、自分で強制的にオフを設定しないと、バーンアウト(燃え尽き)してしまう。一年間だけ走り抜けると言うのであれば休み無くでもいいが、30数年を走り続けるのだ。それでは無理。
東京で中学校の教員をしていたときも、春休みは一日は都内のお気に入りのホテルに籠って一日中お気に入りの景色を見ていた。青空から夜景になるまでの夕方の時間を読書しながら見続けていた。そして、一年の時間を切り替えていた。
今日は都立高校の発表の日。
明日から三月。
卒業式、年度の纏めと続いて、新年度の準備。
別れの切なさを包み込むような忙しさが襲ってくる。
燃え尽きないように大事に過ごしたい。
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