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2012/02/14

明日の教室が終わった翌日は、研究室にこもる

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(水墨画のような琵琶湖)

明日の教室が終わった翌日は、研究室にこもる。

文部科学省のGP大学教育推進プログラム【テーマA】についてのまとめの原稿を書かねばならない。三年間「オリターが養成する学習コミュニティの形成」をテーマにして、文学部と人間発達学部で取り組んで来たのだが、その三年間のまとめを書くのが私の役割なのだ。

教師になるということは、いろいろな段階がある。

指導内容を理解する。
指導技術を身につける。
採用試験に合格する。
授業をする。
担任をする。
管理職になる。

様々な立場や、レヴェルがあると思う。
あると思うが、私が考えている事は何かと言えば、
子どもの成長に関われたとき、教師になれたということなのではないかと思っている。どんなに説明が上手く出来たと思えても、それが子どもの成長につながっていなければ、殆ど意味は無いと思うのである。

このGPでは、先輩が後輩をサポートする。ここに焦点を当てている。二回生が一回生の新入生キャンプで面倒見る。三回生が二回生の面倒を見る。四回生が三回生の面倒を見る。一年間経験して来た先輩達が、その生々しい体験を語る。そして支える。例えば、大学の一年間であり、教育実習であり、インターンシップであり、就職活動である。

本学には、教員を目指す学生を支援する部署として、教職保育職支援室があり、一般企業を目指す学生を支援する部署としてはキャリアセンターがある。ここでの指導は専門の教職員がその専門性の下に支援を行う。それはそれでかなり重要である。しかし、その一方で身近な先輩たちからの支援というのも大事なのではないかと考えているのである。

あなたの体験は、あなたの体験で終わらせるのではなく、誰かの役に立ったときに価値が生まれる。そして実は、誰かのために力を出そうとしているとき、その人自身が成長するという構造になっていることに学生達は気がつくのである。

教師になるということは、この構造に気がつく事である。
勿論、これは教師になるということだけではなく、大人になるということの一つの側面でもある。

そんなことを考えながら、教職員で三年間を続けて来た。
なんとかみなさんの御陰でまとめの原稿も書けたと思う。

学生達がこのGPを通して、少しでも人間的な成長を遂げていたら、嬉しい。

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