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2012/03/31

平成23年度最後の残照

3/31

Zansho

平成23年度最後の残照を研究室から眺めていました。

本学は、明日が入学式。
あっという間に年度末が過ぎ、新しいスタートとなります。

研究室で、片付け、新しいプリンターの設定、研究の下準備、新学期の教務委員の仕事の準備とあっという間に半日が過ぎて行きました。

どちらさまも、幸せな年度末、希望に満ちた新年度でありますように。

2012/03/28

『現古辞典』(古橋信孝ら著 河出書房新社)

『日常生活で使ってみたい「侍」の日本語』(市川スガノ著 日文新書)、『使ってみたい落語のことば』(長井好弘著 アスペクト)などの本は実に面白く、私の愛読する所である。

例えば、『日常生活で使ってみたい「侍」の日本語』では、「覚悟!」という言葉を、日常ではどのような時に使うのかという例として、丸ごとの魚に包丁を入れて捌く瞬間に言うのだとしている。こういうのはとてもいい。

そして、これを上回る辞書が出た。『現古辞典』(古橋信孝ら著 河出書房新社)である。もう実に面白い。現代語で言う言葉を古語ではどういうのか分かるように編集してある。

1)サービスする
2)調子づく
3)はんぱじゃない

なんて言葉があって、これが古語ではどんな言葉なのかと説明があるのだ。
いやあ、面白い。
いきなり現代が過去に繋がる。

因に正解は、









































1)つかへまつる
2)うかる
3)おぼろげならず

である。ああ、これで授業が作れるなあ。面白いなあ。

3/28

1

今朝は、春らしい日の出でした。

2012/03/27

『はい、体育館でサンドバック50発。行ってこい』

3/27

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(今夕のブルーモメントを背景にしたキャンドル)

文科省のHPで「教室等の室内環境の在り方について」ということが言われている。新学期の教室設計を考えるのは、今の時期。あれこれ考えるであろう。教室は学習の場である。が、それと同時に、いや場合によってはそれよりも先に生活の場であると言えるだろう。学習と生活を支える環境を考える必要がある。

いわゆるスクールタイプの座席は、教える側の都合にはいいが、勉強する側の都合にはどうなのだろうかと思ったりもする。小学校の教室レイアウトは、最近ではかなり面白いことになって来ているとは思うが、中学校はまだまだという感じがある。

私は、中学校の教室に置いたら良いんじゃないかなあと思っているものがある。大きなぬいぐるみ、体にフィットするソファ、ハンモックだ。何を馬鹿なと思うかもしれない。しかし、結構本気だ。

教室で勉強するとき、不安とイライラが生徒にあると、なかなか難しい。しかし、この不安とイライラの生徒は珍しくない。そんなとき、特に不安に関しては、体を包むもの、体を抱きしめるものがあると落ち着く。大きなぬいぐるみ、体にフィットするソファ、ハンモックは、これに対応する。スヌーピーのライナスはいつも毛布を持っているが、あれと同じ効果を齎すと思うのだ。

更に言えば、体育館にはサンドバッグを置くべきだと思う。突き上げる衝動というのが、中学生にはある。壁を叩いたり、同級生を殴ったりということはあってはならないが、現実にはある。また、休み時間の何かを引きずったまま授業を受けてイライラしている生徒もいる。そんなとき、

『はい、体育館でサンドバック50発。行ってこい』

と指示を出せるといいなあと思い、学校の予算で買ったらどうかと何回か言ったこともあるのだが、荒唐無稽だと鼻で笑われておしまいであった。
でも、いまでもそう思っている。

普通の教室に心地よさを生み出す仕組み、仕掛けは、大事だ。
しかし、もう一方でマイナスの部分をきちんと吐き出させて、感情をフラットにする仕組みも私は必要だと思う。

どっかの学校で実際にやらないかなあ。
ハンモックがある学校、いいと思うのだけどなあ。

「10年ものは無いんです」

3/27

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(比叡山の上に並ぶ星)

今年度は、教員生活25年。そう「ど根性ガエル」の町田先生と同じである。ヒロシを捕まえて「ううう、教員生活25年....」と泣く姿を見ながら(おっさんだなあ)と思っていた私。そのおっさんにあっという間になるんだから驚くばかりだ。

お酒は全く飲めなかった。子どもの頃に、家で梅酒を作っているその匂いを嗅いで酔っていた。ところが、いつのまにか飲めるように。サントリーの宣伝という か山口瞳さんの文章に憧れてウイスキーから飲み始めた。が、これが全くダメ。そして、ワインに走るが、特段美味しいと言うことでもなかった。

しかし、だんだん美味しくなって行く。最初はビール。21歳の時に突然美味しくなった。それからワイン。当時ワインは悪酔いすると思っていたのが「井筒ワイン(酸化防止剤なし) ナイヤガラ 白」を飲んでびっくり。21歳の頃。

日本酒。これもワインを上回る酷い酔い、二日酔いということで基本的には飲まないでいた。ところが、「鳳金寶」を先輩に二日酔いの朝に飲まされて、ぶっと ぶ。(なんだ、これ)。つまり私が飲んでいたのは日本酒のようなものだったわけだ。

醸造用アルコール、醸造用糖類の入っていない日本酒。米にこだわりのある日本酒ってこんなに美味しいのかと思う。今でも、この二つの添加物の入っている日本酒は、コップ一杯も飲めばもう頭が痛くなる。きちんとした日本酒は全く痛くならない。以来、日本酒は相当楽しむことになる。

で、最初に飲んだ割には以後殆ど飲まないことになったのが、ウイスキー。ホワイト、レッド、ダルマ。フロムザバレル。ジョニーウォーカー黒、アーリータイムズ、I.W.ハーパーと飲んだがやはりダメ。いや、今のは飲んでいないので分からないが昔のはダメ。そんな中で教師になって出会ったウイスキーがある。

Teacher'sである。値段の張るウイスキーではない。単に名前にひかれて飲んだだけだ。ご案内の通りウイスキーは何年ものというのがある。そこで自分の仕事の時間ごとに飲むことにした。8年ものを飲んで10年ものを求めたとき言われた。

「10年ものは無いんです」。
なんでなのかを聞いたところ、10年から先は本当に力を持ったウイスキーでないとダメで、そこまで成熟していないものは他の ウイスキーに回されてしまうとのことだったのだ。そんなに高くないブレンドウイスキーであってもそうだったわけだ。

(あ、これは飲み続けよう)
と思った。自分の成長と樽の中の成長とどう関係があるのか良くわからないが、一年の区切りを付けるにはちょうど良い。そして、 そんな風に自分のビンテージのお酒を楽しむことを覚えた。子どもが生まれて、結婚して、就職してと勝手に思いだめて飲む。

今宵は結婚記念日。今年のビンテージは何だ?と捜そうと思ったら、昨日からの大忙しで 、結局は棚にあったマッカラン12。ま、若返るビンテージもあっていいかもしれない。

星たちが一直線に並ぶ夜に、乾杯。

『こんな時どう言い返す』を書いてから結構な時間が経っている

Asahi

『こんな時どう言い返す』を書いてから結構な時間が経っている。
御陰さまでまだ売れ続けている。
小書を紹介していただいた。 

一人の人間は、他の人が持っていない、または他の人よりもかなり優れている才能を持っていると思う。それが見つかっているか、または意識されているかは別にしても、眠っていると思う。担当する子どもに対して、それを発掘したり、発見したりする仕事が教師の仕事の一つだとは思う。

ではあるが、自分でやるときはどうすればいいのだろうか。
実は、自分に自身のあるところを捜すと言うのは違うのではないかと思う。
自分はこんなんじゃダメなんじゃないかなと思うところを見直してみるのがいいのではないかと思っている。

母親に良く言われたのが
「修。男はそんなに話すんじゃない。お婿に行けないよ」
と言う台詞。
(そうか、男は話しちゃダメなんだな)
と何回も思ったが、そうはいかないのが私。

だから、割と話すことに関しては嫌いではないが、なんとなく後ろめたい思いを持っていた。

ところが、教師になり、「わくわく授業」に出たり、「伝える極意」に出たりするようになる。伝える極意は、スピーチ指導の達人として出ている。面白いものだなあと思う。

ひょっとすると、自分に自信があるところで勝負するということだけではダメなのかもしれない。自信のあるところは、もっと他に優れている人がいて話にならないということも割とあるのではないだろうか。

逆に言えば、自分はどうもここが苦手だとか、あまり表に出したくないなあとかいう部分にその人ならではの才能が隠れていることもあるのではないかと思う。

時間が過ぎて行くってのは、面白いものだ。

2012/03/26

手作りの薫製で楽しみますか

3/26

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原稿を書きながら一日がどんどん過ぎて行く。あっという間にもう三月の最終週だ。そういえば、先週はNADEの理事会で東京に日帰り出張したり、義理の父が中学校の同窓会でやってきたので宿泊してもらったりと、やはり忙しく時間を過ごしているのだと思う。

昨日は、NADE(全国教室ディベート連盟)近畿支部の春の交流大会があり、大阪桐蔭中高まで出掛けて行った。前日から娘の体調が良くなく、発熱。熱をあまり出さない娘が39度を出すと言うのは、ちょっと心配。あれこれをして大会会場に向かう。

試合は、論題発表から一ヶ月程度とは思えない位の良い試合が続いた。特に私が見た灘中学校と奈良学園登美ケ丘中学校の決勝戦は、なかなかのものであった。論題は【日本は救急車の利用を有料化すべきである。是か非か】である。有料化することで不必要な出動が減るということは、議論の一致が見られた。しかし、必要な出動も減ってしまうのではないかと言う部分について争点が絞られて、議論が展開した。面白かった。今年は、高校論題が【日本は死刑制度を廃止すべきである。是か非か】である。半年間、命を考えるシーズンになりそうだ。

閉会の挨拶、反省会を終わらせ、懇親会にも出ないで一気に帰宅。熱が下がらない娘を休日救急病院に連れて行くことにしたからだ。簡単に食事を済ませて、20:00過ぎに病院に連れて行く。混んでいる。今回は非常に混んでいる。信じられないのだが、診察等全てが終わったのが25:00過ぎ。インフルエンザでなく、風邪だということが分かったので安心したが、却って悪化してしまうのではないかと思った。

『あ、結婚記念日になったなあ』

と奥さんに。
まさか、病院で娘を抱えて結婚記念日を迎えるとは思わなかった。
ま、これも子育て。これも幸せか。

ということで、今朝はなかなか起きられずにぐっすり。
起きて来てからは今取り組んでいる中学校の国語の授業の作り方の本の原稿を書き進める。

食洗機を回して、娘の寝息を感じながら書き進める。
掃除機と洗濯機の働く音はどうも好きになれない私だが、食洗機の回る音は心地よい。
その音をリズムにしてMacBook Airに向かう。今日は「古典」の部分を仕上げた。8600字ほど。

娘は解熱剤で熱が下がった途端に遊びたいになり、寝て起きて来たらさらに
「お腹がすいた。ラーメン食べたい!」
となる。まあ、一安心だ。私の娘だ。

ではあるが、今日は自宅でゆっくり静養の結婚記念日である。
手作りの薫製で楽しみますか。

2012/03/18

児童教育学科の卒業パーティ

3/17

Sannjoa

昼過ぎに、来年度の研究の打ち合わせのため出掛ける。
1時間ほど説明をして快諾を得る。
まったく新しいことに挑戦するので、どういう結果が出るか分からないが、とても楽しみだ。未知の領域に乗り出すってのは、本当にわくわくする。

夕方から京都三条に出掛ける。
児童教育学科の卒業パーティだ。
ここにはほぼ全員が集まった。

全員とは話すことは出来なかったが、話しかけて来た卒業生たちとはあれこれ話をする伊ことが出来た。
彼ら彼女らにとって、この児童教育学科がホームになっていることを感じることが出来て、とても嬉しい。成長した姿を見ることが出来るのは、実に嬉しい。

Sannjob

一次会を終えて、三条の河原に向かう。
集合写真を撮影した。
GR4はフラッシュなしで、撮影できるのでなんとも頼りがいがある。

フォーマルな写真と、未来を見つめる写真。
未来の方向には、餃子の眠眠の看板があると分かる人は、相当京都の通である(^^)。

二次会、三次会と店を移動して日付が変わっても語り合う彼ら彼女ら。
三次会の途中で、そっと店を出て来た。
タクシーを捕まえて、帰ろうとしたら店から学生たちが走って来た。
「先生、酷いです。そっと帰ってしまうなんて」
『ははは。なんか苦手でね』
「ありがとうございました」
『元気で』
「ありがとうございました」

「良い学生さんたちですね」
と運転手さんに言われた。
『ありがとうございます。応援してやって下さい』
と言ったままタクシーの中で寝てしまう私であった。

四月から体に気をつけてそれぞれの場所でしっかりな。

2012/03/17

卒業パーティのお土産をもらったかの気分だった

3/17

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卒業式が終わり、卒業パーティに参加する。
児童教育学科は翌日に学科の学生主催のパーティがあるので、大学全体の卒業パーティへの参加者はさほど多くはない。

娘たちが艶やかに着飾って参加するのに、参加しないのも失礼だなあと思い私は大学に着任してからずっと参加している。着任当時は、まだ女子大であった。ゼミ生がいないときから。授業で担当した学生たちが卒業するのだから、祝ってやりたいなあと思って参加している。

このごろは謝恩会とは言わない。卒業パーティである。だから先生もしっかりと参加費を払う。ま、払うのはいいが、私は謝恩会でいいのではないかと思っている。謝恩されるぐらいしっかりと指導すれば良いんだと思う。そして、謝恩したくない学生はそれはそれでいい。パーティをやればいいし、参加しなくても良い。私は古いのかなあ。

ではあるが、卒業パーティでは卒業生たちに、ビールを注いであげたりする。
卒業生たちが注いでくれるが、私も注ぐ。

http://www.youtube.com/watch?v=1xj08mRrOGQ

自分が卒業するときは、卒業パーティは無かった。
だから、曲の中だけでそんなもんかなあと思っていた。
この曲の二番の歌詞の冒頭がいま、そうだよなあと思うのだ。
だから、卒業生たちにビールを注ぐ。

もちろん、授業は忘れて欲しくないが(^^)。

パーティ会場を離れて、同僚の先生と〆のラーメンを食べに木屋町に立ち寄った。
私たちが帰るときに入れ替えで入って来た若い三人の男性の一人が声をかけてきた。
「今日は何かあったんですか?」
『ん? 今日は落語の高座があったのですよ』
「またまた〜」

実は卒業パーティも紋付袴で出席していた。
『ははは。いやね、今日は私の学生たちの卒業式だったんだよ』
「えー、そりゃあいいですねえ」
『ありがとう』
「自分も昨日だったんですよ」
『そうか。おめでとう。立派な社会人になるんだぞ』
「はい。ありがとうございます」

なんかさわやかだった。
卒業パーティのお土産をもらったかの気分だった。

あまりに気分が良かったので、タクシーで帰ろうと思ったが
春の夜を味わいたくなって、歩いて帰ったのでありました。

2012/03/16

ご卒業おめでとうございます

3/16

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卒業式を終えた。
これからパーティだ。児童教育学科は明日も学科主催のがある。
まあ、遊ぶことも大事な勉強と教えて来た児童教育学科の学生たちである。しっかりとやるわい。

卒業、おめでとう。
と、学生たちにいう。

いろいろあって大学を辞めざるを得なかった者たちがいるなかで、卒業できたことはそれだけでおめでとうだと思う。四年間、または五年間以上あれこれあるなかで走り抜けて卒業できたことは実にめでたいことだ。天気も幸いにして晴れて、笑顔で、こんなにいい卒業式で実に良かったなと思う。

だけど、思うのだ。
ここが頂点ではだめだと。
幸せの、その一番良いときの姿を私たち教員は見ることが出来る。それも毎年見ることが出来る。なんと幸せなのだ。

だが、その度に思うのだ。
ここが頂点ではないぞ。この先まだまだ幸せになるのだぞ。
そして、この先いろいろな災いが降り注いで来ても、なんとか凌いで行きて行くんだぞ。
当たり前だが良いことばかりが人生ではない。

私たちは君たち卒業生のことは大事にしたいと思う。
だけど、当たり前だけど、四月からは今目の前にいる、授業に必死に向かっている学生たちに力を注ぐ。君たちは君たちで一日を過ごし、自分を成長させ、社会を復興し成長させる一翼を担わなければならない。

あっという間の四年間だったと思う。
そして、早く過ぎる時間ほどあとからゆっくり思い出せるというこの人生の時間の仕組みにあと10年もすれば実感するだろう。
これからはもっと早いぞ。
もっと早く過ぎる人生であって欲しい。
それは充実していることと同義だと思うのだ。

ご卒業おめでとうございます。
君たちの活躍を期待しています。

2012/03/15

『で、どうするの? 自宅から通うのかね?』

3/15

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卒業式が明日になった。児童教育学科の二期生の学生たちも、いよいよこの学び舎を巣立って行く。今日は、教員免許証などを渡した。勤務先が決まった学生たちがあれこれ報告に来る。

『で、どうするの? 自宅から通うのかね?』
「1時間位かかるので下宿をしようと思います」
『うーん、できるだけ自宅がいいぞ』
「そうですか」
『君は、自宅生だったろ。働くと一人で暮らすが同時にあるというのは、かなり大変だぞ。それに、採用試験の勉強もするのだろ?』
「はい」
『それなら、自宅だ。疲れて帰って来た娘に「掃除、洗濯、食事を作りなさい」とは親は流石に言わないだろう。が、下宿ではこれはマストだからな』
「は〜」

『ま、どうしても家を出ると言うのであれば、私のお薦めはマンスリーマンションだな』
「?」
『家具が付いていて、あとは服を持って行けば生活できる奴だ。勤務のときはここに戻ってきて、土日は実家に戻る。そして、7月ぐらいまでここで過ごす。土地勘が分かり、採用試験が終わったら、夏休みに引っ越しというのが良いと思う』
「夏休みですか」
『その方が、引っ越し代は安い。さらに、引っ越し帰りの空トラックを使うともっと安くできるけどね』
「先生、詳しいですね」
『私も東京からの引っ越しはそうしたからな』
「そうなんですか」
『ただし、非常勤講師の場合は来年度もここで仕事をするとは限らないので、引っ越しは本当に慎重にね』

その後、研究室で卒業式の準備。
中学校の担任のときに比べれば、比較にならないぐらいの仕事量だが、卒業と言うことでは人生でほぼ最後の卒業式となる。ま、私の恩師がしてくれたことぐらいはしてやりたいなあと思う。

なんとか準備も完了。
さ、明日は晴れろよ。

校庭で 小野十三郎

卒業を迎えた教師の気持ちをこれほど見事に書いた詩はないだろうなあ。
卒業式を迎えようとするたびに、読み返す。

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本学は、明日卒業式です。
児童教育学科はお陰さまで、無事二期生を社会に送り出すことができます。
どこかでご縁を頂きましたら、厳しくご指導ください。


2012/03/14

叱るのが大変なのは、叱るのゴールが、褒めるだから

3/14

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子育ては、ときどき譲れない場面がある。
今朝、娘(4)は結構な我がままを言い、暴言を吐いた。
暴言を吐くに至った事情は分かる。
その言葉を覚えた事情も分かる。
ただ、言葉は大事にしたい。

心から言葉が生まれるという考え方を持っている人が多いが、
私は逆だと考えている。
言葉が心を生むのである。
言葉を手に入れたときに、その感情や思いや考えが固まるのだ。
だから、言葉は大事。
言葉遣いは大事。

謝らなければならないときに謝れない子どもは厳しく叱らなければならない。
今日は、幼稚園に行かなくても良いという判断で厳しく。
謝るまで、泣こうが叫ぼうがベランダから部屋に入れないとした。
ご近所のみなさん、すみません。
でも、今日が暖かい日で良かった(^^)。

叱るのが大変なのは、叱るのゴールが、褒めるだから。
叱り飛ばすだけなら簡単。叱ったことができるようになったときに「よし(^^)」と褒めるまでが叱るであって、これが大変。その子どもを見守り続けなければならない。

子どもの成長とともにこの見守る時間が長くなる。
小さいときは、直ぐに謝るが成長すればするほど
(なんで、謝らなければならないの?)
とか、プライドとかが出てくる。

そんなに簡単に子どもが大人の考えを理解できる訳が無い。理由を説明しても分からないことだらけである。だから大人の責任で叱るのだ。根拠は大人なのだ。嫌われようがなんだろうが、叱るのだ。そして見守るのだ。

大人は辛抱である。

ちなみに、最後は謝れたので抱っこしてあげました。
ギリギリで幼稚園には行けましたf(^^;。

2012/03/12

多賀塾のご案内

甲南小学校の多賀先生からご案内を頂きました。
多賀塾です。

多賀先生の国語の授業は、とっても丁寧に作り込まれています。
子どもの姿をきちんと描いてその姿に対応した作り込みをされています。
しかし、その授業があまりにも自然なので、授業がよく見えていない人には何が凄いのか分からないかもしれません。そして、その作り込みの凄さが見えないかもしれません。

そんな多賀先生から、勉強会を開くというご案内を頂きました。
若者に残す、伝える。
これを本当に考えていらっしゃる先生です。
神戸近辺の先生方、チャンスだと思います。

ご著書は、子どもの心をゆさぶる多賀一郎の国語の授業の作り方
ブログは、http://www.taga169.com/

資料は「taga.doc」をダウンロード です。

ご案内致します。

2012/03/11

終業式まであと少し

3/11

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今日は、震災から一年経った日である。
あっという間の一年だった。
沢山の尊い命が犠牲になり、さらにまだ30万人以上の人が避難生活をしているという現実。
この国がどんな国になってしまったのかが良くわかった一年だった。

この日は、私たちの大学の児童教育学科の一期生の卒業式でもあった。
午前中に式を終えて、午後学科の会議をしているときに、私は揺れを感じた。
(誰だ? 貧乏揺すりをしているのは?)
と思ったのだが、誰もしていない。それどころか会議をしている部屋の書棚が微かに揺れている。
手元にあったiPhoneで確認したら、地震。それも話にならない規模。

マグニチュードが8.6というニュースが流れたときに、理科担当の先生が、「そんな地震、日本ではいままでにないだろう」と言っていたのを思い出す。会議は途中で終わりにしてその後の対応に走り始めた。

一期生は、9人が関東に就職した。
この9人は、児童教育学科に入学して来たとき、将来は関東の小学校の先生になろうと決めていた者は一人もいない。ところが、あれこれあって関東の小学校の先生になった。

そして、卒業式の日に震災があり、これから教師の最初の一年を過ごして行く不安に、さらに大きな不安が重なったことになる。働くと言うことはそういうことであると言えばそれまでだが、それにしても大きすぎるものを背負ってのスタートとなった。

その後、教職保育職支援室の先生が、アフターケアを受けながら、この一年間を走り抜けて来た彼ら彼女らである。それでなくても教師の一年目は大変なのにだ。

終業式まであと少し。
体に気をつけて辿り着いて欲しい。

2012/03/09

「校長の初任者教員に対する評価」のグラフ

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本学も来週卒業式がある。
私のゼミの卒業生も、殆どが四月からの勤務が決まった。
四月から小学校の先生として教壇に立つ。
担任を持つが者も多くいる。

先日の明日の教室で野中信行先生が、新人の教室は7〜8割は荒れるということを話されていた。そして、その原因は授業ではないということも。荒れる原因、すなわち「アレルゲン」は何かと言えば、これはもう学級づくり、学級経営なのである。

授業はそんなに簡単に上手くはならない。
仕事は、始めてから1万時間位やらなければ、仕事にならないという話を読んだことがある。一週間に30時間授業をするとしても、8年以上掛かることになる。

平成23年1月31日に出た「中央教育審議会 教員の資質能力向上 特別部会」による「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について(審議経過報告)」を見ていた。
(ああ、やっぱり)
と思った。

「校長の初任者教員に対する評価」のグラフである。
校長が「とても充足している」「やや充足している」という項目が多いのは、a. 教師の仕事に対する使命感や誇り、b. 子どもに対する愛情や責任は、二つを足すと8割を超える。二つの項目ともである。

一方で、「やや不足している」「とても不足している」という項目が過半数を占めているものは膨大にある。この二つを合計して、その中でトップ3を見てみるとその項目が、e. 集団指導の力(69.6%)、f. 学級づくりの力(64.6%)、d. 児童・生徒理解力(63.7%)となっている。因に、4つ目の項目はg. 学習指導・授業づくりの力(59.4%)となっている。

ここから分かることは、新人教師は

1)やる気や、教師に対する規範意識は高い。
2)子どもと子どもたち(集団)に対する理解、指導の力が足りない。
3)学級づくりの力が足りない。

ということが分かる。意識が高いのに新人のクラスは荒れる。
なぜか。
もうお分かりであろう。
教員養成大学、または教職課程で集団指導の仕方、学級づくりの仕方を学んでいないからである。

勿論、習えばできるというものではない。分かると出来るは別だからである。
しかし、教職に対する意識があって、教科教育の方法を学んでいて、それでいて荒れるのは、集団指導の仕方、学級づくりの仕方を授業で扱っていないからだということは強く言えるのではないだろうか。

最終答申では、ここを踏まえた提言がされることを期待したい。


2012/03/08

大阪湾に沈んで行く夕陽

写真を整理していたら出てきました。
雲に太陽が隠れてくれた御陰で、面白い光に出会えました。

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大阪、こんな美しい顔を見せてくれるんだなあ。

娘のアモーレ情熱に引きづり回されて

3/8

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(小式部内侍のあの歌です)

アモーレ情熱ということばがある。『ほめるな』(伊藤進 講談社現代新書)にある言葉だ。

アモーレ情熱とは、本書に寄れば内的動機付けのことである。周りからほめられたからやるというのではなく、その子どもが持っている内側からの、やりたいという思いを大事にせよ。ほめると、そのアモーレ情熱を台無しにしてしまう恐れがあるよ、というのが本書の重要な主張の一つである。

私は面白く読んだし、学生たちに紹介したところこの本を手がかりに卒業論文を書く学生も何人かいた。ほめて伸ばすことが主流の現在において『ほめるな』という主張は、実に面白い。

娘を見ていると、このアモーレ情熱で突進する姿を見ることが出来る。勿論、幼稚園や近所の友達がやっているのを見てというのもあるのだが、いつの間にかそれにハマって突進している。

クルクル剣
綾取り
なぞなぞ
貝合わせ
お習字

とにかく突進ししている。

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このアモーレ情熱に降り回されているのが親だ。
朝の忙しい時間や寛ぐ時間に、このアモーレ情熱で襲いかかってくる。

「一緒に作ろ!」
「四段ばしご教えて」
「問題出して」
「貝合わせしよ」
「お習字したい!」

と。
(えっと、四段梯子の作り方は?)
とyou tubeで確認して必死に覚える、思い出す。
『大辞林』の後方一致検索で「とり」の付く言葉を捜して「鳥は鳥でも、見とれている鳥は?」なんて問題を考えてたりする。割と大変。

まあ、でもこの時間がいいんだよなと思う。娘のアモーレ情熱に引きづり回されて、新しい地平に辿り着けるかもしれないってのは、嬉しいものだ。

2012/03/06

貸し切りで良かったと思った

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「テレビを見ているよりも、お前の顔を見ている方がよっぽど楽しいね」
と、私が小学生の頃母親に良く言われた。
私はドリフターズを見て笑い、白鳥の湖を聞いて感動していた。
『お母さん、白鳥の湖はいいね。でも、ドリフもいいね』
と言うと
「感動して損したよ(^^)」
という母親であった。

今日は娘の四歳と六ヶ月の記念日。
偶々幼稚園はお休み。
スキーに行きたいと言っていた娘を連れて、行こうと思ったのだが近場でスキーウエアをレンタルしてくれるスキー場がなく、天候も悪いので諦めた。

昼前までにあれこれ仕事を進め、昼過ぎから娘と出掛ける。
娘の大好きな王将でラーメン、ライス、餃子を食べさせる。
その後、彼女の人生初の映画館での映画に連れて行く。
「映画ドラえもん のび太と奇跡の島~アニマルアドベンチャー~」だ。

東京帰りの疲れが残っていたので、映画の途中で寝てしまう心配があったが、5分間程度の睡眠ですんだ。それは、やっぱり感動だったからだ。
映画館は、実は娘と二人っきり。貸し切り状態であった。娘は誰もいないのが寂しいということを言っていたが、私は満足。

【ここからややネタバレ注意】
私の膝の上に乗って来て、映画を見る。
大音量と暗さで怖いと言っていたが、だんだん映画に引きづりこまれていく。
今回のドラえもんは、のびたのお父さんがキーマンになる。
参った。
「フィールドオブドリームズ」を見たときのように、駄目だった。
【ここまでややネタバレ注意】

さらに、娘は映画の一番悲しい場面で大泣きを始めた。いや、その後にクライマックスがあることが予測されて、大丈夫だと分かるのだが、娘にはもう耐えられなかったようで広い映画館中に響き渡る大声で、泣いた。
『大丈夫だよ。応援しよう』
と私も泣きながら声をかける。

悲しい場面で大泣きすることのできる娘を膝の上に抱えながら映画を見ていた。
素直な娘に育ってくれているのを嬉しく思い抱きしめながら見ていた。

娘を通して、映画を見ていた。
貸し切りで良かったと思った。
私の母親の気持ちが少し分かった。

2012/03/04

野中信行先生、初任者一ヶ月のシナリオ資料 無料配布

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Nanohana

昨日の明日の教室で、配布された資料です。
野中先生は、著作権は放棄されるとのことでした。
兎に角、これをもとにして四月からの学級作りのために役に立ててくれればとのことです。

小中高、どの校種でも役に立つ情報だと思います。
特に若手の教師には必携だと思います。

どんどんダウンロードして、四月からの学級作りのために活用してください。

「1.doc.zip」をダウンロード

2012/03/03

雛祭りの日に

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 今日は、雛祭り。
 まさか人生の後半で子どもを、そして娘を授かることになるとは思わなかった。この詩を我がごととして読める日がくるとは思わなかった。

 雛祭りの日に
      谷川俊太郎

  娘よ
  いつかおまえの
  たったひとつの
  ほほえみが
  ひとりの男を
  生かすことも
  あるだろう
  そのほほえみの
  やさしさに
  父と母は
  信じるすべてを
  のこすのだ
  おのが いのちを
  のこすのだ
  (『落首九十九』より)

今は、お父さんが生かされていますf(^^;。

毎年出掛けていた下鴨神社の流しびなは、娘が幼稚園ということもあり、今年は行けないなあ。でも、手作りのひな人形を作れるようになった娘を愛でられれば、それだけで幸せだな。

2012/03/02

さらにモノクロの琵琶湖

暖かかったせいか、湖上に霧がでているのかもしれません。
ずっと対岸が見えないままの幻想的な琵琶湖です。

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雨もまた良し。
三寒四温の三月。

『ハリス・バーディックの謎』のような琵琶湖

『ハリス・バーティックの謎』のような琵琶湖。

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RICOHGR4 ハイコントラストモノクロで撮影。

サラサラ降る雪は積もらない

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サラサラ降る雪は積もらない。積もっても直ぐに消える。どかっと降る雪があり、それが根雪となってその上にサラサラだと積もる。コツコツ勉強しても駄目なんだと思う。「根雪」になるようなどかっとやる勉強があって、その上にコツコツなのだ。

ところが、教師は「コツコツやりなさい」しか言わない。これでは駄目ではないかなあと思う。ポイントは、根雪の部分をどう作るかであり、サラサラと降る雪をどう続けさせるかである。前者はその子どもの興味関心に近いところがポイントになるだろう。

例えば、熱帯魚が好きな子どもであれば、熱帯魚に関する原書を読ませてみる。どかっと読ませるのだ。日本語で得た知識があるので、ある程度の英語力でも行けるはずだ。これはムツゴロウさんの本で読んだことがある。その上に、新しい知識としてのサラサラを重ねて行く。

教師が、この二つを意識して子どもたち一人一人に応じた「オーダーメイドの授業」を作って行けば、かなり面白いことになるだろう。やがて、彼らは自分で自分のためのオーダーメイドの勉強を始めて行くと思う。その入り口をどう作るかだ。

研修とは、研究と修養である。指導方法をあれこれ考えていくのが研究。指導者の人間の器を大きくするのが修養。その子どもに合ったオーダーメイドの指導 法、さらにそのクラスに合った授業を創るためには、研究と修養が大事。春休み、まだ見ぬ新学期の子どもたちのことを思いつつの「研修」は良い。

2012/03/01

私はまだ他人が困っているときに優しくできる大人になっていない

3/1

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旅行で安芸の宮島に行った。
そう、子どもの頃
(どうして秋の宮島というのだろう? 春、夏、冬はどうなっているのだろう?)
と思った安芸の宮島である。

大潮の頃に行ったので、これが凄かった。
到着したときには、鳥居の下まで満ちていた海水が、島を離れるときには干潟になっていた。なんだこりゃの世界である。

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それはそれで凄いのだが、その日はなにかの撮影があるようで、ぼーっと見ていたら谷村新司さんがいた。彼を見かけるのは下北沢のレストランで食事をしているときに次いで二回目。勿論、話したことも無い。だが、縁があるんだなあと思う。高校時代に、良くアリスの歌を歌っていたからであろうか。

さらに、会うはずの無い人にも会った。「わくわく授業」を収録したときのディレクターだ。確か広島に転勤したということは知っていたが、なにも宮島であうこともないでしょ。
(なんか似ている人だなあ)
と後ろ姿を見ていたのだが、間違いないと思って声をかける。驚いていた。そりゃあそうでしょ。会いましょうと予定を入れてもなかなか時間の合わない人で、代理のディレクターが名古屋から新幹線に乗り込んで来て、東京に着くまでの車内で打ち合わせをさせるようなディレクターと、なんで宮島で会うの? これもご縁のある人。

そして、宮島の頂上にロープーウエイで登ったときのことだ。
いや、そんなに登るつもりは無かったのだが、伊藤博文が登れとパンフレットで言っているので登った。なんで伊藤博文に言われたからなのかと言えば、私が泊まったホテルの部屋が1841号室で、
(ん、1841年に何があったかなあ?)
と思って調べてみたら、伊藤博文の誕生の年だった訳である。ま、これもご縁と思って登った。

この景色は凄かった。
宮島は頂上まで登るべきである。
伊藤博文の言うことは間違ってなかった。
政治家も正しいことを言うこともあるのだ。

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で、そこでGR4で写真を撮っていたら
「あ、同じカメラです」
と若い女性に声をかけられた。うーん、若い女性がGR4とはなかなかだなあと思って話を聞いていたら、MacBook Airを使っている美大生だと言う。これは凄い。それであれこれカメラ談義、Mac談義を宮島の頂上でした。なんてこった(^^)。

「厳島神社がライトアップをされるのを待つ間、登ってきました。建築をやっています」
とその女性は言う。
「バッテリーが切れてしまいそうなので、ここの写真もあまりとれなくて」
と言う。
『ああ、バッテリーは予備を持った方がいいね。私も一つ目のバッテリーはもう使い終わって、いま二つ目を使っているよ』
と話した。

ところが、思い出せなかったのだ。気が回らなかったのだ。気がついたのは、帰りの高速船に乗ろうとしたとき。
『ああ、GR4は単4電池も使えるじゃないか。ああ、私のバッテリーを貸してあげれば良かった。あとで大学に送ってもらえばいいんじゃないか。私はiPhoneで撮れば良かったのに』
と。
もう後の祭りである。

大事なことは後から気がつく。本当はそのときに思いつきたいのだが、だんだん今まで以上に後から思いつくようになって来ている感じがする。加齢だろうか。根性がさらに曲がって来たのであろうか。

東京からお金のない学生さんが、夜行バスで勉強のために来ている。で、GR4のバッテリーがない。この段階でなんで
『はいどうぞ』
と私のバッテリーをサッと差し出せなかったのか。
旅行から帰って随分と時間が経つのに、このことが悔しくて仕方が無い。

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ああ、私はまだ他人が困っているときに優しくできる大人になっていない。

『大人の流儀』(伊集院静 講談社)

3/1

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大人という言葉が本のタイトルにあると、つい買ってしまう。
教師になった年に、
「先生、大人ってなんですか?」
と中学校一年生に質問され、うまく答えられなかった。
三ヶ月待ってもらって、その後「大人とは何か?」という授業をした。
それから25年以上、ずっと大人とは何かを考えている。

そんなわけで手にしてしまった本がある。
『大人の流儀』(伊集院静 講談社)である。因に『続 大人の流儀』もある。

伊集院さんは、夏目雅子さんのご主人であったということ、「ギンギラギンにさりげなく」の作詞者であることぐらいしか良くわからず、気にはなったが読まないでいた作家である。最後の無頼派と言われる作家であるからして、破滅、堕落の願望のある私が読むと、もう戻れない世界に連れて行かれてしまうかもしれないという思いがあったのかもしれない。

しかし、大人研究家としては読まなければなるまいと思って読んだのだが、これがいい。
グイと掴んでくる。

山口瞳『酒呑みの自己弁護』、
遠藤周作『我が青春に悔いあり』、
高橋義孝『大人のしつけ紳士のやせ我慢』、
畑正憲『無頼の船』、
沢木耕太郎『深夜特急』、
藤沢周平『蝉時雨』。

もう良いだろう。この辺りの系譜にハマった。

「40歳を過ぎたら、その後の人生は自分の人生に注釈を付ける作業をするためにある」

という言葉をどこかで読んだ。ちょっと早くないか?と思いながらも、初老とは40歳の事であり自分の人生がどんな意味を持っていたのかを考え始めるにはいい年齢なのかもしれない。

私は偶然、この「大人とは何か?」という素晴らしいテーマを手に入れ、これに寄り添いながら本を読み続けて来た。大人にはなりたくないという思いを持つ青年期に、

(どうやら、俺も大人にはならざるを得ないらしい。だとすれば、つまらない大人にはなるまい。かっちょエー大人になりたい)

と佐野元春の「ガラスのジェネレーション」を聞いて思った。
さて、今かっちょエー大人かどうかは別にしても、そうなりたいと今でも思っている。

「大人にとってはずかしいことのひとつに迂闊な行動をすることが挙げられる。
相手が悲しみの淵に、喪に服しているのにも気付かず、礼を外す態度を取ることが人間にはある。
世の中というものは不幸の底にある者と幸福の絶頂にある者が隣り合わせて路上に立つことが日常に起こるものだ。
だから大人はハシャグナというのだ。」『続 大人の流儀』154p

そういうことだ。
こういうことが普通にできる大人がかっちょエー大人であり、これをきちんと文章に表せるのが、大人の文筆家なのだと思う。

伊集院さんの半生は、多くの男が憧れるのではないだろうか。

破滅と、堕落の中でのたうちまわりながら、美しく優しい女性に愛され、別れる。酒とギャンブルもそれこそ半端ではない。そうして生き苦しみつつあるのが彼の人生だ。この本は、その自分の人生に注釈を入れる作業を進めている本のように思えてならない。

彼の小説にも手を出してみようかなあ。

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