« チョークの持ち方等に関する連続ツイート  その2 | トップページ | こういう2時間は大事にしたい »

2012/04/25

『あるけど、教えない』

4/24 -2

R0024218
(キャンパスの青紅葉 by GR4)

授業後、キャンパス内の桜の写真を撮りに行こうと思ったら、4回生が相談があるとのこと。どうぞと研究室で話を聞く。教育実習で古典と小説をやることになった。古典はなんとかなりそうだが、小説がどうもだめだとのこと。何をやるのかと聞いたら『羅生門』とのこと。

どうも自分が受けた授業でも、良い思いが無いとのこと。『何が良くなかったの?』と聞くと、「だらだらしていて、メリハリの無い授業だった」とのことだった。『それは、先生が説明を重ねるだけの授業ということ?』と聞くとそうだという。『だったら、原則は簡単だよ』と。

『だらだらと説明をしないで、生徒が考えて議論を交わす授業を作れば良い』。ま、そういうことである。「先生、何か参考書はないでしょうか?」と聞くので、『あるけど、教えない』と話す。それは、学生の読みがまだ足りないと感じたからだ。まず、指導者が教材を大人の解釈で読む。これが大事。

そして、大人の読解力、解釈で読んでも分からないことを調べ、考え、教えたいことを見つけ出すことが先。そして、これが極めて大事。岩下修先生が60歳になった時にもこれをされているノートを私は見せていただいたし、野口芳宏先生も70歳を越えてもされている。

この作品では、これをどうしても教えたいというものを手に入れる前に、やり方ばかりあれこれいじり回してもダメだし、誰かの何かを持ってきて授業を作ろうとしても、結局ダメだと私は考えている。勿論、授業を作るには「追試」という方法があるのは知っている。

しかし、折角授業を1から作れるチャンスとして教育実習の機会がある。まだ一ヶ月も先である。じっくりと考えて作ることなんて、教師になってからは実はなかなか出来ない。特に若い教師の時には。
『本文を覚えるぐらいまで読み込んでみて、見えてくるものを待つ。そういう教材の研究をせよ』

そんなことを話した。すると学生は自分が改めて読み直して感じていた疑問を出してきた。をを、面白い。それをベースにして発問のあれこれを指導する。参考書を示す。そして、私ならどういう授業をするのか。『羅生門』の冒頭の部分で実際にやってみる。一読総合法と分析批評の手法で。

『羅生門』に関する知識を得ること、文学的評価を知ること、解釈のあれこれを知ることは大事。また、授業の展開例を知っておくのも役に立つこともある。しかし、私はまず自分でやることだと考える。自分が考えて仮説を立てて授業のプランを作る。その後で、確認するのは良い。そのとき、自分の間違いやもっといい方法に気がつく。そして、教師が鍛えられる。

誰かの何かの授業プランをさっと持ってきて、それを自分の授業で並べても、目の前にいる生徒に届くとは到底思えない。そもそもやっている本人が楽しくないだろう。

そういう持ってきた者をやる先生は、一般化された授業案を自分の子どもたちにあった授業にするために手を入れることはしない。だから、オリジナルの、またはオーダーメイドの授業を作る力量はつかない。それでは困る。

新しい時代には新しい授業が必要である。授業を開発できない者が、30年以上も教壇にちゃんと立つことはかなり厳しい。教育実習は、チャンスである。生意気に、謙虚に、授業作りに挑戦せよと私は思うのだ。まだ見ぬ生徒のために、届く授業を作れ。そのチャンスなのだ。そんなことを話したのだ。

こういう時間は本当に楽しい。勿論、事務や学内行政も大事ではあるが、事務の時間ではなく、学生の指導の時間になれば、いいなあと思うのだ。因に、参考書は『読むことの教育―高瀬舟、少年の日の思い出』(竹内常一)、『発問の作法』(野口芳宏)。名著である。

« チョークの持ち方等に関する連続ツイート  その2 | トップページ | こういう2時間は大事にしたい »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« チョークの持ち方等に関する連続ツイート  その2 | トップページ | こういう2時間は大事にしたい »