入試の問題で正解を得るのとは、問題も正解も解法も違うのです
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二回生ゼミが終了。この授業では、子どもが書いた詩を、テキスト論的な読解方法で読み進めることをしている。小学校の低学年の書いた詩。10行前後の詩をレポーターを決めて読み込ませている。これが面白いのである。
90分の授業のうち、私が10分位事務連絡や今週起きた教育関係の事件、ニュースについてなどあれこれ話した後、残りの時間を学生の発表者たちに任せる。当初一作品、一グループ40分程度の持ち時間で、90分の授業の中で二つの詩を扱う予定でいた。
ところが実際にやってみると、一つの作品で私の時間あとの70〜80分をまるまる使って議論をすることになっている。学生たちは、最初40分の発表なんて出来るのかと思っていたのだが、いざやってみると40分ではとても時間が足りなくなる。発表者も驚いている。
私はいいなあと思っている。私がファシリテートするのではなく、学生たちが自分たちで発表をして授業を回す。まだ二回生なので模擬授業も何もやっていないが、せめて同学年の仲間たちでの発表は自分たちで舞わせるように育てたい。そして、それが二回生ゼミだと考えている。
一つの詩の解釈を通して、子どもの姿を読み取る。書かれている事を根拠に、書かれていない部分を推察する。その子どもがどんな子どもかは分からない。だから、作家論的には読解できない。精々、小学校1、2年生が書いたという情報位のことである。私にも分からない。学生と同じ地平で読解する。
これが心地よい。ま、多少のハンデはつけなければならないから、私は事前にその詩を読み込んで行く事はしていない。今日やるところはどこだっけ?あたりは確認するが、事前にじっくりと読み込んで自分の解釈を作ってから授業に挑むということは、この授業ではしていない。それもまた面白い。
文字として書かれている情報の多さと少なさを実感しながら読み進めて行く学生たちである。関西の、子どもの書いた詩なので、方言や口語が随所に出てくる。関西と言っても滋賀、京都、大阪、奈良、兵庫では読み取り方が違う。それを確認しながら、子どもが何を伝えたかったのかを読み取る。
脱線も面白い。今日は男子学生の髪型の話になった。私がとある髪型について『これはどうなの? あれって格好いいの?』と聞いたら「あれはアウトです。中2病です」と言っていた。『じゃあ、なんで止めないの? 周りは止めさせないの?』なんて話をしながらあれこれ。
私のあれは変だという感性は間違っていなかったも嬉しかったが、こんな風にあれこれ話すのもゼミの楽しい時間である。で、授業が終わってからある学生が質問に来た。自分が○か×かどちらかの意見を選んで下さいと指示されると、いつも選べない。なぜなのかという相談であった。
『それは、考えていないか、考えすぎているかのどちらかではないかなあ。でもあなたの場合は、後者だと思うよ』と話した。『○か×かで選べと指示が出たとき、あなたは10対0になるように考えているでしょ』「はい」『そこは違うのですよ』「?」
『現実問題として、10対0ということは殆どあり得ない事でしょう。6対4とか、5.5対4.5とかでどちらかを選ぶわけです。ただどちらかを選べと言われると、外側から見ると10対0に見えるだけです』「...」
『どちらかを選ばなければならないときには、より可能性のあるものを選ぶわけであって、一方的に正しいと思われるものを選ぶのではないのですよ。どちらにもそれぞれ相応の理由や可能性がある。しかし、選ばなければならないときに選ぶとすればどちらなのかということです』
『選ばなくてもいいのであれば、そのままにしておけば良いかもしれません。しかし、ここでは立場を決めて議論をするという授業のスタイルを選んで行われているわけです。そのスタイルでいくならば、より可能性のあるものを選ぶことをやってみましょう。選ぶと言うのは実は大変なことですよね』
まじめな学生だと思う。自分がなぜ一歩を踏み出せないのかを見つめているのだから。そんな学生だから丁寧に対応したつもりだ。さらに『入試では、◯と×で答えが決まるように出題をしています。そして、みなさんはそういう決め方で物事が決められるように訓練されています。それが入試です。だけど、人生は違う』
『人生は数限りに無い可能性、グレーのグラディエーションの中にあります。どれが、どちらがより良いのかをじっくりと考えて、取りあえずはこっちが正しいだろうと決めて一歩を進みだす。これが正解なわけです。入試の問題で正解を得るのとは、問題も正解も解法も違うのです』
『さらに言えば、入試は分からない事が分かる、解けない問題が解ける事がゴールです。しかし、学問や人生ってのはなかなか大変で、分からない事が分かったら、その先に新しい分からないものが出現するというように出来ています。分かるというのは分からないことが見えるという形で提示されます』
『分かりましたか(^^)?』「はい」。この学生は分かったようだ。少し肩の力が抜けたようであった。ああ、良かった。やはり、授業と言うのは実にいいなあ。来週も楽しみ。