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2012/06/26

なかなか難しいなと思っているのは教材である

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学生たちに授業をするとき、なかなか難しいなと思っているのは教材である。
私が開発して来た教材を元に大学の授業をする。イメージの花火、書き込み回覧作文、たほいや、対義語でポンなどなどである。

学生たちは、その開発された教材の凄さを実感し
「これは先生になったときに使いたい!」
と言うのである。

意味が無いと言われるより、私の気分は良いのであるが、単純に良いとも言い切れない。というのは、私が学生たちに身につけさせたいのは教材の使い方ではなく、なぜこの教材を池田が生み出さざるを得なかったのかという部分だからである。

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教材は、教育内容を教える為の材料である。教育内容と学習者と指導者の関係の中で生まれてくるものである。だから、私が開発した教材は、汎用性はあると思われるものの、それでもそれが絶対と言うことではない。

私が学生たちに学ばせたいのは、なぜこの教材を生み出さざるを得ないと考えたかであり、それをどうやって開発して来たかということだ。彼ら彼女らは、学校教育現場に出たときに、自分の指導する子どもたちに出会う。そのときに、その子どもたちの抱えている問題を、教師の指導の課題と捉えて教材を開発して行くことになる。そこでどうやってやっていくのかを考えて行くその根っこの部分を育てたいと考えている。

教育には、間違いはあっても、正解は一つだけということはない。
色々な角度から挑戦をして課題を解決して行く。
私が学生たちに紹介している私が開発した教材も、授業では90分で教えるが、開発までに10年、15年と掛かっているものなんてざらにある。授業で示しているのは、その課題を解決する為の、取り合えずの最終形態であって、かなりバージョンアップしているものである。

そのことに気がつく学生は
「先生が長い間掛けて開発したものをこうして簡単に手に入れられるなんて、実に凄いことです」
と感想を述べる。
ま、それはそれでいい。授業で教えてもらうと言うことはそういうことだ。エッセンスをドーンと受け取れば良い。

だが、繰り返すが社会に出れば、このようにエッセンスをドーンを与えてくれる研修や勉強会というのは殆ど無くなるし、あってもあまり意味を持たなくなる。なぜならば、日々の実践の場がテキストになるからだ。目の前にある出来事に課題を発見して、それを解決して行くことになる。だから、「教材」を手に入れたということだけを喜ぶ学生ではまずい。

今回、書き込み回覧作文を教えた。
実際に体験作文を書き、買い込み回覧作文のやり方を教え、体験させた。学生たちの評価は高い。だが、この書き込み回覧作文に至までの所が上手く教え切れていないと感じたので、私のHPに嘗て書いた文章を読ませた。

http://homepage.mac.com/ikedaosamu/kokugo/sakubunn/kakikomikairann-sakubunn.htm

このことで、少し教材を開発して行くこととはと言う部分は届いたようだ。

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15回の講義形式の授業ではこの辺りまでかなあと思っている。
しかし、ゼミであればそれよりももっと深く入れる。
現在三回生ゼミでは、この「教材開発」の部分に関わって半年間かけてある挑戦をしている。

小学生の使う「教材」について、従来の教材のあり方とは違うもので、子どもたちが学習したいと思うであろうものをいくつかのグループに分かれて作成している。

昨日のゼミでは三回目の検討会が行われ、β版というか作成の方向がほぼ確定した。彼らは今年度の後期に教育実習に行く。そこで自分たちのゼミで開発した「教材」を実際に子どもたちに投げかけてくる予定である。

昨日のゼミでは、その一部をフィールドワークに行っている小学生に少しやらせてみた所、小学校の5、6年生は大興奮して
「やるやる!」
となったという報告を得た。

これは三回生ゼミの学生たちに大きな力を与えてくれた。

子どもたちの喜ぶ顔が見たい。
そして、子どもたちが力を付ける力になりたい。
そのための、実力をつけたい。

学生たちはそう思っている。
それは実に正しいことだと思う。

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私が教材を開発するのではなく、学生たちが一つの考え方に基づいて開発して行く。これをゼミで検討し合い、私がアドヴァイスし、クオリティを高めて行く。ゼミでの開発、研究室での開発。実に面白い。いい感じだ。

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