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2012/06/29

授業を作る時の大前提

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(今年初の収穫)

二回生のゼミも面白い。いま、子どもの書いた詩を読解することをしている。
ゼミであるからして、私が説明をするのではなく、小グループに分かれた学生たちが、自分たちで授業を作る。そして、他のゼミ生たちに授業をする。

まだ教科教育法を習う前の二回生なので、授業の進め方はほぼ素人である。
また、考え方によっては今まで自分たちが習って来た授業方法でやっているということも言える。

昨日で全てのグループの授業が終わったのだが、彼の授業の特徴として言えることが一つある。それは彼らが、子どもは自分が発問すれば正解を言ってくれるという前提で作っていると言うことだ。

この場合の子どもと言うのは、大学生のことであるが、大学生であっても正解を言えないような発問をすることが良くあった。そしてその場合、なんとなく誤摩化して前に進もうとしてしまうのである。だが、これではダメだ。

授業を作る時の大前提は、子どもの「わからない」という答えからスタートすることだ。(この発問には、子どもがこう応えるだろう)
から作るから、失敗する。授業は、分からないから分かったへと進むように構成する。子どもの分からないは、授業の宝なのだ。分からないが分かったになる授業を作るのだ。

子どもへの発問で、子どもが「分かる」を前提にして授業を作ると、

1)たまたま分かった子どもからスタートする。
2)たまたま知っていた子どもからスタートする。
3)先生が独り言で答えを言うからスタートする。

この3つの授業の流れになる。こうして実に面白くない授業が始まるわけだ。

ただし、この子どもの「分からない」から作る授業は、作る側にとってはかなり大変なものとなる。分からないに答えられる力量が必要だからだ。

だが、プロであろうとするならば、この方法で作れるようになっておくことは、極めて大事なことなのだと私は考えている。

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