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2012/06/27

教師は母港ではない。教師はあくまでも寄港地だと私は考えている

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ディベートの授業。今日は、2001年に行われたディベート甲子園中学校決勝のビデオを見せながら、フローシートを書く小テストを行った。この試合は、私の教え子が決勝まで言った時のもので、【日本は環境税を導入するべきである】という論題のものである。学生たちは小学校1年生だったとか。昔だ(^^)。

教師の喜びは成長する子どもの傍にいられることだと私は思っている。声変わりもしていない中学校1年の男子が、卒業する時にはうっすらと髭を生やして挨拶に来る。この貴重な成長の三年間を一緒の場所で一緒の時間を過ごすことが出来る。これはなんとも素晴らしいことだ。

この時のメンバーの一人から先日結婚式の招待を受けた。私は卒業してからはあまり私の方から積極的に卒業生に関わることはない。あれこれあって心配しているものについては別だが、基本的にはそのままにしてある。教師は母港ではない。教師はあくまでも寄港地だと私は考えている。

彼らは自分の人生という旅にとって親、家族という母港を持つ。教師は彼らの寄港地でしかないと考えている。旅立って行ったものを見送るのが役目だ。卒業してから母校に帰ってくる生徒には『もうこっちから呼ぶまで帰ってこなくて良い。新しい場所で居場所を作れ』と言ったこともある。

新しい場所に居場所を作れない者は、昔に戻りたくなる。戻れば先生にちやほやされるし、後輩にでかい顔が出来るからだ。しかし、それはその卒業生を成長させない。新しい場所で頑張らせなければダメだと私は考えている。だから、戻ってくるななのである。君も私も新しい出会いの中でやるのだ。

が、こうして10年ぶりというのは、やはり嬉しい。卒業してもこうして成長の傍にいられるというのは嬉しいものだ。ま、勿論これは教師の方が勝手に思っているだけだが。教師は、おそらく一生生徒への「片思い」のままなのだと思う。あしてやりたい、こうすれば良かったと思い続けるのだ。

私たち教師は、児童生徒への伴走者であり、伴奏者であり、絆創膏であるというのも、私の基本的な考え方である。学校にいる時は学校で、学校を離れたら勝手にそう思っている。寄港地である私たちは、追いかけることはしない。しかし、寄港地はいつでも受け入れる用意をしておくものだ。

ディベート甲子園に挑んだこの彼らとの時間は、大会後の夏休みの二週間をかけてこうして纏めた。http://homepage.mac.com/ikedaosamu/debate/01kiroku.html 10年後に書けと言われても絶対に書けない文章だと、その時に思ったので必死に書いた。教師は彼らの努力の結果を後世に伝える仕事があると思ったのだ。

まさか、その文章が10年後に大学で学生達の教育に使われることになろうとは、当たり前だがその時はこれっぽっちも思っていなかったが(^^)。人生には何があるか分からない。だが、有り難いことに私は生徒達のお陰で、結果として幸せな時間を過ごしている。彼らに恩返しするためにもっと良い授業を、だな。

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