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2012/07/30

これを「省察的教材研究」と呼んでいる

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(で、これが今朝の琵琶湖。パステルカラーの色調は、昨日の名残でしょうか?)

もう一つは、「http://sekichan.net/kokugo/tomodachinarikiri.swf」にある「友達なりきり自慢作文」の追試の模擬授業であった。これもなかなか学べることの多い模擬授業になった。

まず、「友達なりきり自慢作文」というタイトルが良くわからないという意見が出た。

1)自慢は、作文の中で、友達が友達の語り方で自分を自慢するように、私が書く? 
2)自慢は、作文の中で、私が私の語り方で友達を自慢するように、私が書く? 

作業をさせると、ここが最初から混乱してしまっていた。HPにある例文と授業者がそれを元にオリジナルで書いた例文では、1)を想定しているのだが、上手いこと説明できずに混乱させてしまっていた。ひょっとしたら、「友達なりきり自慢作文」というタイトルに工夫が要るのかもしれない。

授業は、作文を書かせる為の準備に移った。
「ペアになって、友達のことを知りましょう。さ、どうしたらいいかな?」
という発問が起きた。そこでは、

・お話をする
・友達と遊ぶ

という答えが出た。授業者は「お話をする」の「答え」を選択して授業を進める。そして、「そう、取材が大事なんですね」と進めて行った。これは、HPにある通りの流れである。しかし、ここも私なら拾うのは「友達と遊ぶ」である。

「友達と遊ぶ」と子どもが答えたとき、教師の中には
(この子は何を考えているのか?)
(勉強したくないのか?)
(???)
と思う者もいるだろう。
だが、落ち着いてこの子どもが答えた「友達と遊ぶ」の真意をこの瞬間に読み取らなければならない。柱になるのは、「本当に勉強をしたくなくて遊びたいのかどうなのか」である。私は授業を聴き乍ら、この発言をした児童役のゼミ生は「本当に勉強をしたくなくて遊びたい」という意味で発言したのではないと理解した。

授業の後の検討会で学生は
「だって、友達と遊んだら、その友達のことが良くわかるから」
と発言していた。そうなのだろう。そこを言いたかったのだろう。しかし、この「だって、友達と遊んだら、その友達のことが良くわかるから」という理由の発言は、通常授業では言えない。そして、「友達と遊ぶ」という主張の部分だけが、取り上げられ、その主張が一見突拍子もないほど、授業では捨てられて行く。そして、スカスカの授業になる。発言した子どもの不満が残る授業になる。

『じゃあ、どうしたら良かったのだろうか?』
といくつか議論をさせた後、私ならこうすると言ってその場でやってみた。

『どうしたら良いと思う?』
「友達と遊ぶです」
『えー、なんだって?! びっくり!! 友達と遊んじゃうんだ』
「うん」
『だって、作文書くんだよ。遊んで大丈夫なの?』
「だって、先生、一緒に遊んだらその子のこと良くわかるよ』
『あ、そうか。なるほど。お話をすることでそのお友達のことが分かることもあるけど、遊んでも分かるってことね』
「うん」
『そうだね。この作文は友達のことを取材するんだけど、取材は色々なやり方があるかもしれないね』

という展開である。授業者は、取材という概念を狭く考えすぎていたのである。HPの先行実践は確かにその通りに書いてあるのだからその通りにやってみるのがいいのだが、このように授業にはその場での瞬間の判断を迫られる場面が突然訪れるのである。

その時に、そこで流すことをせず、捨てることをせず、
(これはいったいなんなんだろうか?)
と踏ん張って立ち止まって、仮説を立てる。
そして、授業の展開を再構築して進んで行くことが大事なのだ。
これを、「省察的教材研究」と呼んでいる。授業の後にやることが多いとは思うが、優れた授業者は、これを授業内にやりながら進む。これが出来る力量を身につけないと授業は面白くならない。

授業は、やりたかったことと、出来たことがズレるものである。それは、良い方向にズレることもあれば、残念な方向にズレることもある。しっかりと教材研究をした所で、その発生を0%にすることは、講義メモをそのまま読み上げるスタイルの授業をするか、録画して修正した映像を流す以外には、あり得ない。だから、ズレることを恐れてはならない。

問題は、残念な方にズレたとき、何がきっかけでズレてしまったのかを省察することである。自分で省察できない場合は、教えを請うことである。模擬授業、研究授業では授業が終わってから授業者に「自評」を述べる時間を与えられるのが普通である。その際に、
「私がしたかった授業はAというものです。しかし、Bになってしまいました。どこの指導が悪かったのか。どうすれば、Bに向かえたのか。そこの部分をご指導ください」
と言えば良いのである。

研究授業の検討会では時に
「指導案にはAとありますが、Bになりましたね。おかしいですね」
とだけ指摘する方もいる。授業者は頭を下げて反省すると言う構造だ。だが、私は違うと考えている。

指導案にはAとあるが、Bになったというのは授業者が十分に分かっていることなのだ。そんなことを指摘しても意味が無い。そこを踏まえた上で、Bにするにはどうしたら良かったのかを、授業の事実を元に検討する。そして、授業者が(なるほど!)と思えるアドヴァイスを研究授業を見ていた人がすることができたとき、その省察は授業者に響くのだと思う。そして、やがて授業者が授業内で省察を行いつつ、授業を進めることのできる力量を身につけることが出来るようになっていくことを期待したいのである。

念のために加えておけば、話し合うという方法に付いても、1)話し合う項目のリストを用意する、2)話し合う時の例を示す、3)Why -Because Gameのようなコミュニケーションゲームを用意しておく等の準備も必要である。

「お話しして下さい」

という指示は、子どもによっては泳げないにもかかわらず「泳ぎなさい」と指示されていることと同じ意味を持つことがある。

教師は出来る。出来る側からだけ考えて、指示を出し、その指示に子どもたちが従うという前提で授業を作る。そろそろこういう授業はもう終わりにしたいものだ。

ゼミ合宿の模擬授業とその後の検討会が面白かったので、長文を書き続けてしまいました。

ゼミ合宿の模擬授業に関する三回連載は、これでおしまい。

「いるか」(谷川俊太郎 言葉遊びうた)の模擬授業

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(赤銅色の次に現れたのが、この紫色の空。これも実に神秘的でした)

忘れないうちに、後二つの模擬授業に付いても書いておく。

一つ目。「いるか」(谷川俊太郎 言葉遊びうた)の模擬授業だ。この授業は音読を楽しむ。声に出して読んでみてその面白さを楽しむのだ。

■□■

「いるか」 谷川俊太郎

 いるかいるか      いるかいないか
 いないかいるか     いないかいるか
 いないいないいるか   いるいるいるか
 いつならいるか     いっぱいいるか
 よるならいるか     ねているいるか
 またきてみるか     ゆめみているか

■□■

である。
音読の授業ということは声に出して読めば良い、ということではない。声に出して読むには意味を理解しないと読めないと言うことなのである。

この詩を扱った発問で優れているなあと思うのは、http://homepage1.nifty.com/moritake/kokugo/1/iruka.htm にある「一連の中に、動物のいるかは何回出てくるでしょうか?」というものだ。つまり、「いるか」は、海豚であるものと、そうではないものが混在しているということなのである。だから、どの「いるか」が「海豚」なのかを特定しないと音読できないと言うことなのである。

今回の模擬授業では、学生の最初の発問は
「この詩を読んでどんなことを思いますか?」
のようなオープンドの発問であった。学生たちは最初の発問に、この手の発問を好む。なぜかと言えば、子どもたちが答えやすいからというのである。つまり何を言っても良いので答えやすいということなのである。

「一連の中に、動物のいるかは何回出てくるでしょうか?」のクローズエンドの発問との差は歴然としている。この発問は、数を数えることで子どもたちの中に差が出てくる。その差を活用して議論を生み出し、理解を深めることが出来る。

一方オープンエンドの発問は、好き放題の「答え」を言うことが可能になる。そして、それはどんな「答え」であっても、「どんなことを思いますか?」と発問した以上「正解」にしなければならなくなるはずなのである。これで授業が混乱しないわけが無い。

因に模擬授業で生徒役の学生の出した「答え」には、

・水族館
・お菓子、いるか?

などがあった。
当然、授業者は「水族館」を拾う。そして、授業を進める。ま、そうだろう。しかし、私だったら拾うのは断然「お菓子、いるか?」である。

授業者は、「いるか」は「海豚」と「居るか」の二つの意味だけで考えている。ところが、この他にも「要るか?」という可能性があることを「お菓子、いるか?」という答えは示してしまったのである。教材研究をそこまでしていなかった授業者は、「お菓子、いるか?」を捨て、「水族館」で授業を進めた。「お菓子、いるか?」と発言した子どもは不満を抱えつつここから先は授業の傍観者になるのである。

「いる」は、「射る、要る、居る、煎る、鋳る、炒る」などの漢字を思い浮かべることが出来る。授業が小学校二年生であれば、この漢字の全部を検証することは厳しいが、少なくとも「要るか?」は検討する必要性が出たわけである。

ここで授業の計画を、授業中に見直して
「あ、ほんまや。要るかもあるねえ。他にもある?」
と発問を組み立てることができないと、授業は実につまらなくなる。

例えば
「いるかいるか いないかいるか」
の第一連の最初の二行だけであっても、

1)海豚 海豚 海豚
2)居るか 居るか 居るか
3)居るか 居るか 海豚
4)海豚 海豚 居るか
5)海豚 居るか 居るか
6)居るか 海豚 海豚
7)海豚 居るか 海豚
8)居るか 海豚 居るか

の読みが可能であり、さらに「射る、要る、煎る、鋳る、炒る」も健闘するとなると、相当な検討をしなければならないことになるのである。そして、どれにすると良いのかを、クラスの議論の中で一致させて行く指導が必要になるはずである。

この詩は、単純に深く意味を考えずに音の響きだけを楽しめば良いのかもしれない。
しかし、意味をしっかりととらえて読もうとすると、このような検討が必要になるはずである。これを小学校二年生に向けて、何を選び何を捨てて、何を学ばせるのかと言うゴールがきちんと決められていないと、意味を取らせて読ませようとしつつも、簡単に失敗してしまうだろう。

そんなことを話した。
後一つ、続きます。

10分の模擬授業を通して、授業を作ることの基礎基本についてのレッスン

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(昨日の夕暮れ。赤銅色というかセピア色というか。こんな色は滅多に見ることが出来ません。驚きました)

三回生ゼミ合宿には、キャンプファイヤーから参加した。キャンプリーダーのボランティアをやっている学生たちが多いので、かなり正式なキャンプファイヤーであった。私は、ビールを飲み乍らゆっくりと火を見て過ごすのを想像していたが、ま、それは単なる焚き火であったf(^^;。

あれこれの活動をキャンプリーダーが指示してやって行く。ゼミ生たちの新しい顔を見ることが出来て、それはそれで面白かった。しかし、私は違和感も感じていた。なんというのだろう、押しつけ感を感じていたのだ。

「リーダーの言うことを聞け。これに従え」というものを感じていたのだ。
リーダーが正しくて、それに従うべきであるというようなものを。私が生徒の立場で参加していたら、引いていただろうなあと思うのだ。

勿論、この指示で新しい自分を出す子どももいるだろう。だが、ダメという生徒もいるに違いない。翌日ゼミ生たちに聞いてみたら、確かにいると言うことであった。なんというか1960年代の冷戦構造がしっかり残っている時の文化のように感じたのであった。

キャンプリーダーではなく、キャンプファシリテーターという存在はいないのかなあと思った。構成と演出をきちんとやって、その場での存在を消してくれる存在。ファシリテーションの可能性はここにもあるなあと思った。そして学生たちには
『ファシリテーションを勉強すると良いよ。もっと良い、ファイやストームが出来ると思うよ』
と伝えた。

お約束の肝試しをし、二回目の肝試しをしているときに流石に東京日帰りの疲れが出て寝た。
真っ暗な森の中のテントでぐっすりであった。

翌朝は、パンを食べてネイチャーゲーム。
いくつかやったのだが、「動物交差点」というのが面白かった。頭の上に動物のカードを自分に見えないように乗せ、クローズエンドの質問をしながら自分が何の動物なのかを当てるゲームである。

私は
『四つ足歩行ですか?』
『肉食ですか?』
『アフリカ大陸にいますか?』
の三つの問いで、ライオンという答えを導いた。

ところが学生たちを見ていると、これが実にうまいこといっていない。なんでだろうかと見ていた。理由は大きく二つあった。一つは、動物に関する知識がないため、質問されてもそれが正解かどうかを答えられないという答える側の問題。もう一つは、質問する側が戦略的に概念レベルを整理して消去するということが出来ていない問題である。

ネイチャーゲームとしては、動物の知識を得られることが面白いのかもしれないが、私は後者の質問する側の問題としてこれを面白く見ていた。このゲームを、メタ概念やグループ化ということを教えるレッスンに使えるのではないかと思った。実に面白かった。

その後、講義の出来る部屋に場所を移して、10分、または15分の規模の模擬授業を四つ行った。これも面白かった。ゼミ生たちは自分がやってみたい授業を書籍等から捜して来て、それを追試し乍ら行っていた。実習を一ヶ月後に控えた彼らにしては、思ったよりも上手く出来ていると思ったが、当然のように上手く行かないことが出て来た。

追試の場合、書き手はこの指示の仕方で大丈夫だろうと思って書く場面であっても、別の者が追試をすると上手く行かないことがある。それが何故なのかを検討し、修正追試を加えることで授業の腕は上がって行く。また、それを文章に残すことで実践記録の書き方も身につけて行く。

今回は10分の模擬授業を通して、授業を作ることの基礎基本についてのレッスンを行うことにしたのだ。

例えば、中村健一さんの「ダジャレ川柳」の授業をやったグループがあった。
10分という制限を掛けたことで授業者は「導入が難しかった」と感想を述べた。何故難しいかと言えば沢山の例を出すことが出来ないからである。そうなのである。ダジャレ川柳の例を5つも6つも出せれば出すのだが、そんなことをしていたら時間がなくなる。だから、1つにする。そう、ここで1つに絞ることで、「導入にはそもそも何が必要なのか?」と考えざるを得なくなるのだ。ここが大事。

そして、困った所である。中村さんの本には子どもからダジャレが出てくる前提で書かれている。ところが実際に模擬授業をやってみると学生たちも急にはダジャレが出てこないのである。ダジャレが出て来たらそれを575の形に変えて、川柳にするということなのだがそもそもダジャレが出てこないのである。さ、どうするのか?ということで授業後の検討会に移った。

私が学生たちに口を酸っぱくして言っているのは、授業は子どもが発問に答えてくれる前提で作ってはだめだといことである。コナン型の授業構成で、こういう発問をすれば、子どもたちが答えてくれて、それを受けてさらに発展させてとしてしまうと、最初の発問で子どもたちが答えられないと、あっという間に崩壊してしまう。答えてくれることを前提にして展開を考えているからだ。

だから、答えてくれないを前提にせよと言うのである。
今回の場合では、ダジャレが作れないを前提にしなければならないのである。幸いにして、導入でダジャレを使った川柳は一つしか紹介していない。そうしたら、ここで紹介することも可能である。

ところが、もう一つ問題がある。多くを紹介してしまうと、児童がダジャレを考えるネタを潰してしまうことになる。だから多くは紹介できない。さ、どうしたらいいのだろうかと考えて行くことになる。

わたしのアドヴァイスは、川柳のダジャレになる部分の一部を紹介するという方法である。例えば「布団干す 風が強くて ふっとんだ」という川柳の場合、これを丸ごと紹介するのではなく、「布団」だけを紹介すると言うことである。これで子どもたちを刺激するのである。

このダジャレ川柳の実践は、ダジャレを川柳の575に収めるということで面白さを生みだすというものである。柄井川柳の示した川柳はおかしみが大切になる。それをダジャレという視点で子どもたちに作らせると言う観点は、さすが中村本である。しかし、よく見てみると、1)ダジャレを作る、2)川柳形式にするという二つの内容がはいっている。1)が前提になっていて2)になっている。

だから、1)が出来ない児童にはこの授業はとても難しいものとなり、日頃からお笑いを考えている子どもだけが参加できる授業になってしまうのだ。(この指摘はゼミ生からもあった。なかなか鋭いなあと思った)

そうだとすれば、修正追試では、1)の部分がクラスの子どもたちにとって可能であるような工夫を加えたものを行えば良いのである。そうして、授業をしたものを記録に残したとき、新たな実践論文が生まれて行く。授業がより良いものになっていくのだということを話したのであった。

この時の残りの模擬授業も結構面白かったので、このことについては多分続きます。

お幸せに

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朝五時に起きて東京の結婚式に向かい、和やかな挙式と披露宴を終えて、とんぼ返りで近江八幡に向かう。三回生ゼミの合宿だ。

結婚式は、実に和やかだった。招待してくれた彼とは、彼の高校三年生のとき以来だから、10年ぶり。ディベート甲子園で戦っていた頃の仲間たちも一緒に久しぶりに会えた。

10年間は、風の便りに消息を聞くことはあっても、特に連絡があるわけでも無かった。そして、10年ぶりの連絡が結婚しますであった。

私はそんなもんでいいと思っている。卒業してからは、私は只のおじさんでいいのだと思う。こっちは勝手に彼らのことをあれこれ思うが、私たちが積極的に関われるのは、関わらなければならないのは、目の前の生徒、学生でいるとき。

その後は、彼らがどう思うかだ。
特に毎日を充実して忙しくしている卒業生は、卒業した中学校の先生なんて、10年に一回ぐらい思い出す位で上等である(^^)。

お幸せに。

2012/07/27

「見る、看る、診る、視る、観る」

7/27

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(キャンパス中庭の百日紅。燃える紅。盛夏に似合います)

昨日は、前期最後の授業。2限は、4回生ゼミ。この一週間のことをあれこれ報告させ、交流する。採用試験が終わった彼ら彼女ら。あれこれ振り返る。広島の試験問題がなかなか面白いことが分かった。共同学習を意識した採用試験のように思えた。

最悪の状態を想定し、その上で、最高の状態も考えて、今できる事をやるようにと話す。
実際は中々出来ないし、想定していたこととは違う所に辿り着くのが人生ではあるが、たとえ違う所に辿り着いたとしても、勉強をすること、準備することをにおいてやっておいて意味が無かったということはない。

3限は、2回生ゼミ。大学祭でのゼミの取り組みの打ち合わせのため、実際のゼミで使える時間が1時間になってしまった。が、その時間でやりくりして、フィールドワークのまとめを行った。

この纏めは、学生たちが書いて来たハンドアウトから行うことをする予定であった。ところが、朝の風呂読書をしているときに、授業のアイディアが浮かんでしまった。急遽資料を作り、準備をしてと作り替えることにした。

何をしたかといえば、学生たちが前期の間に「見て来た」クラスのチェックリストを示した、チェックートである。学生たちが通っているクラスのことを思い出させ、それを書かせた。例えば教室環境に関しては

1)一番大きな掲示物は何でしょうか?
2)子どもの目の高さの位置に掲示してあるものはなんですか?
3)一番高い所に掲示してあるものはなんでしょうか?
4)教室で一番価値がありそうなものは何でしょうか?
5)一番大きな文字で書かれているものは何ですか?
6)子どもたちの名前が覚えられるような工夫がしてあるところはどこですか?
7)先生の机の周りに常備されているものはなんですか?

等の項目を挙げた。

彼らが見えていれば書けるはずである。しかし、これはなかなか難しい課題であろう。ほとんどの学生が満足に書けず、イメージで書いていた。それで良いと思っている。そして、そのシートを持って、フィールドワーク先の教室に出向いて行って、自分が書いたものと比較することを課題とした。

人は、見たいものだけを見るようにできている。
脳みそがそのように働くということは、『未来を発明するためにいまできること スタンフォード大学集中講義2』(ティナ・シーリグ  阪急コミュニケーションズ)にも書かれている。

フィールドワークは、現場での観察が重要になる。ところが、現場にさえ行けば、観察が出来ていると思い込みがちである。現場にいることと、観察が出来ていると言うことは別なのだと言うことを学生たちに、理解させたいと思うのだ。

そもそも、見ると言う言葉だって、「見る、看る、診る、視る、観る」と色々な漢字が使われている。白川静先生せよれば、見るは、膝を折って見る、看るは、手をかざして見る...とそれぞれ見方や見る対象、内容が違う。授業ではこの五つの見るの説明をしつつ、フィールドワークではこの5つの「見る」を駆使して、子どもたちを観察するのだということを説明した。

私たちは、見たいものだけを見る癖がある。
見たくないものは、見ないものだ。
日常生活であればそれでいい。

しかし、子どもたちを人間的に成長させようと思う時、この「見たくもないものを見る」という姿勢は重要になる。学級での問題、事件、トラブルは、ほとんどの場合、この「見たくないもの」の中に存在している。そこに目を向けて「見る」ことをしなければならない。元々見たいものしか見ないように出来ている人間の脳みそに対して、「見えなかった」または、「見たけど、見なかったことにする」とならないように、私たちは「見る、看る、診る、視る、観る」のだ。

観察について、考察してみた。

2012/07/26

教師は、過去の自分にも擬似的にプレゼントを上げることが出来る

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前期の授業が終わった。
学生たちは
「こういう国語の授業を小学校のとき、中学校のときに受けたかった」
と書く。

授業者としては、嬉しい感想である。
だが、嘗ての小中学生として一言言えば、
『私だって受けたかった』
のである。

教師は、過去の自分にも擬似的にプレゼントを上げることが出来る。
私が指導している中学校のクラスには、私はいない。
だが、嘗ての私がいたら喜んでくれるかなと思ったりすることもあった。

授業の質が上がると言うことはどういうことかと言うと、
(今の子どもたちは良いなあ。こういう授業が受けられて)
ということを言えるようになると言うこともあるのではないかと思う。

俺が小中学生の頃には、こんな授業は受けられなかったぞ。
と思うのであれば、その学生は幸せである。
指導方法を身につけて、やがて持つ自分の教室にいるであろう
嘗ての自分のような児童、生徒に対して指導できるからである。

自分が受けたかった、受けられなかった授業を、
自分が担当する子どもにプレゼントすることが出来る。
これが教師。

なんとも贅沢なことだ。
幸せなことだ。
学生たちはここに気がつくべきである。

2012/07/23

この夏のお薦め読書

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この夏のお薦め読書

池田です。この夏のお薦め図書を紹介します。
どれを読んでも良いと思います。勿論全部読んでも良いと思います。
一冊鞄に入れておき、時間を見つけて読むことを強く進めます。

新しい世界が待っているでしょう。

1)『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』(ティナ・シーリグ  阪急コミュニケーションズ)スタンフォード大学教授。
2)『未来を発明するためにいまできること スタンフォード大学集中講義2』(ティナ・シーリグ  阪急コミュニケーションズ) スタンフォード大学教授。

問題解決、発見、新しい価値を生み出す、アイディアを出す。
このような言葉に興味があるのであれば、この本はお薦め。どうやってこれらを生み出すのかということについて、分かりやすい授業として描かれている。教科教育法(国語)で扱った内容と被る所があると思う。この本を読んでから作った授業ではないが、私も嬉しく驚いている。1)を読んだ人は、すぐに2)を買うことになるだろう。

3)『武器としての決断思考』(瀧本哲史  星海社新書)  京都大学客員准教授。

ディベート仲間で、15年位付き合いのある瀧本さんの処女作。いきなり20万部も売れている所がすごい。ディベートが分かればより深い理解になるが、そうでなくても、分かる本になっている。武器というのは、ナイフやピストルのことではなく、考える力のことを言う。この考える力を身につけて行くことが、これからの社会を生き延びる為には大事だと言う主張の本。この本を読んでへーっと思えたら『僕は君たちに武器を配りたい』や『武器としての交渉思考』なども読むといいだろう。

4)『いちばんやさしい教える技術』(向後千春 永岡書店 ) 早稲田大学人間科学学術院教授。

専門は教えることを教える学問であるインストラクショナル・デザイン(教育工学)の先生。教科教育法や教育方法などで、教えるということを学んでいる諸君であるが、もう一つめたレベルを挙げて、そもそも教えるといういことはどういうことで、そこにはどういう技術があるのかということを、分かりやすく教えてくれる。教育実習に行く前に是非読んでおきたい本。

5)『みんな言葉を持っていた―障害の重い人たちの心の世界』(柴田 保之  オクムラ書店) 國學院大学教授

私はノーベル教育賞と言うものがあれば、この柴田先生に贈られて良いのではないかと思いました。数十年の実践と研究の結果、言葉を発することの出来ない重度障害を抱えた人間の中にも、しっかりと言葉があることを明らかにした本です。ここに収録された詩や文章はとても言葉を発することの出来ない人が紡ぎだしたものとは思えません。教育とは、言葉とは、人間とは、教育実践とはということを深く考えることのできる本です。

2012/07/20

自習の時間に学習の進度が変わってくるときの対応

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(比叡山の上に湧き出る雲)

昨日のの2回生ゼミでは、学生たちがフィールドワーク(以下FW)で得て来た体験や、疑問を元に議論を行った。2回生はFWで近隣の小学校に行っている。そこで色々な疑問を手にしてくる。これをゼミで議論する。

今日は柱が三つ立った。

・自習の時間に学習の進度が変わってくるときの対応。
・ADHDの児童にへの対応。
・ADHDの児童への具体的な対応のあり方。

であった。

その内の最初の一つについて。
学生たちの結論は、「進度の遅い子どもに合わせる」であった。

私はこの学生たちが提示した答えについて、どう答えるのかをものの3秒で決めなければならない。ゼミってのはこうして突然の反応を求められる場面が多くある。ま、これがゼミの醍醐味なのではあるが(^^)。

で、私は学生たちに聞いた。

『遅い子に合わせると、早い子はどうなる?』
「遊び始めると思います」
『だねえ。じゃあ、早い子に合わせれば?』
「そ、それは」

という感じであった。
通常、学級では勉強のできない子ども、または問題を抱えている子どもに焦点を当てて授業を作る。簡単に言えば、勉強のできる子どもは放っておかれるのだ。私はここはおかしいと思うのである。

しっかり予習復習をして、学校で勉強しようと思っている生徒たちが、そんなことをされないでいて、授業で分からないとなると先生にヘルプを出して、丁寧に見てもらえる。これが常態化すれば、子どもたちは
(なんだ。勉強しないと先生に構ってもらえるのだ)
と思うようになるのではないだろうか。

このことに関して理論的な背景を示したのが、千葉大学の藤川先生である。
http://ace-npo.org/fujikawa-lab/bulletin.html
にある、「学級経営と利得構造―学級経営研究のための試論―」は、
利得構造という概念で、ここに光を当ててバッサリと切る。

出来ない子どもを「いじる」ほど、出来ない子どもがスポットライトを浴びているという構造になるのである。

立命館大学の蔭山先生も、明日の教室の講座で
「出来る子ども、普通の子ども、出来ない子どものどこに焦点を当てて授業をしますか?」と発問をし、「出来る子どもです」と言っていた。勿論、出来ない子どもは、授業外で個別指導をするのだということも話しつつではあったが。

◆   

野中信行先生も、クラスに二、三人いるやんちゃ(私はこの、やんちゃという言い方も実は好きではない。なんだか悪いことをしているのを教師が許している感覚がどうしても拭えないのだ)を相手にする必要は無いと言っている。

クラスの中でちゃんとやっている子どもたちを評価して育てて行くことの方が大事だと主張されている。そして、クラスの大部分を占める中間層を育てて行くことが大事だとおっしゃっている。

お三人から出ているメッセージは、ちゃんとやっている子どもを評価しようよということではないだろうか。

教師をしている人は「一回りしてぐれている」という実感を持っていないだろうか。
教師をしている人間だって、第二次反抗期を経ている。そのときに、簡単にグレて暴れている同級生を見ると

(ああ、いいよなあ。あんな風にぐれることが出来て)

と思わなかったであろうか?
私なんか、ぐれたくてもあんなにぐれることは出来ないなあと思っていた。いや、自分の中で180度ぐるっと回るぐれ方をして、表面上は普通で過ごすということをしていた。それを「一回りしてぐれている」と表現してみる。

「俺は若い頃悪だったけど。まあ、今はこの通り普通だぜ」
という言い方も私は大嫌いだ。

若い頃の悪さが、ー50としよう。そして、今が普通だとして、絶対値50分直っただけのことである。+50があってゼロのポジションにいるはずだ。+50がなければ、0ではない。しかし、そのような言い方をしている人を聞いたことが無い。悪かったのが普通になっただけで、自慢されてもなあと思うのだ。

話が彼方此方に飛んだ。
原則として、出来ない子どもの側にいると言うのが教師だ。いろいろな事情を抱えて出来なくなっている子どもたち。子どもたちは被害者であることがほとんどだ。だから、その子どもたちを大事にする。私もそれには賛成である。

しかし、授業中にべったりと指導すると言うあり方は、考え直されて良いのではないだろうか。授業中にべったりと指導すると言うあり方は、一つのヒドゥンカリキュラムを生んでいる可能性があるのだから。

【出演予定】本日です。 伝える極意

【出演予定】本日です。10:00~ 10:15

『伝える極意』「話して聞いて幸せになろう~話し合い~」話し合いの指導について「半リアル」の状況を設定するという提案をしています。

2012/07/17

娘(4)が泳げた

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娘(4)が泳げた。

いや、本当に驚いた。
昨日、プールの中で目を開けることが出来た。
私とプールの中でじゃんけんが出来たのだ。
そして、目を開けたまま蹴伸びができた。

以前から
『目を開いて泳げたら、ゴーグルを買って上げるからね』
と約束をしていた。
このごろは、最初からゴーグルをかけて泳がせる親も多いようだが、私はそれは認めなかった。目を開けてプールで泳げる。これが大事である。

私がスキューバのライセンスを取ったのは、沖縄の座間味島だ。自衛隊の特殊潜水隊上がりのインストラクターは、厳しく叩き込んでくれた。

海の中でレッスンをしている時のことである。こっちにおいでというサインを出すので、私はマスク、シュノーケル、足ひれの素潜りの状態で海の中をインストラクターの所に泳いで行った。

すると突然、インストラクターは私のマスクを取った。当然目の前は海水。目に海水が直撃して、痛いのである。ま、私はどういうわけかパニックにはならない性質なので、そんな状況でも冷静に判断して、トラブルを回避していたのだが、これはとても大事なレッスンだと思った。

足ひれを片方外してまっすぐに泳ぐ訓練とか、他の人のレギュレーターで泳ぐ訓練とか、方位磁石を見ないで三角形に泳ぐ訓練とか。他のダイビングのレッスン場所がやっているかどうかは分からないけど、この非常事態を想定したレッスンは、本当に大事だと思う。

ゴーグルがあれば泳げるというのは、無ければ泳げないと、無くても泳げるだ。私は娘に無くても泳げる、あったらもっと泳げるということを実感させたくて、
(いいなあ、あの子、ゴーグルをして泳いでいる)
という娘の目をぐっとこらえて、買わないでいた。

買って与えるのは、簡単。
実に簡単。
だけど、それでいいとは思えないのであった。

で、目を開けていられるようになったので、私は急いでゴーグルと、水泳帽を手に入れた。
それだけで、泳げるとは思わなかったが、約束通りに買って来たこれらを娘に見せたら、まるで『動物のお医者さん』のチョビのように、「俺はやるぜ俺はやるぜ」の目をしていたので(^^)、これは今日連れて行かなければならないと思い、夕方慌てて連れて行ったのであった。

第一声は
「うわー、泡が見える!」
であった。

その後、ワンストロークの平泳ぎのようなもので、1メートル進むことから始めて、水に浮くことが出来るようになり、5ストローク、私が橋の形をしたその中を潜水で潜って通り抜けるところまで出来るようになってしまった。いや、まさになってしまったのだ。私がアドバイスしたのは、平泳ぎの手を
『スプーンのようにしたらいいよ』
と言っただけである。
あとは、防水デジカメで撮影していただけである。

私は、娘が初めて歩いた瞬間を見ている。そして、今回、初めて腕輪を外して泳いだ瞬間も見ることが出来た。なんと幸せなんだろうと思う。

泳ぎ終わって着替えていたら、プールサイドにいたおじいさんに声を掛けられた。

「いやあ、凄いですねえ。家内と一緒に見ていました。最初は勢いだけだったのに、最後は10m近く泳いでいましたね。感動しましたよ。私にも孫がいますが、ああいうようにはならないですねえ。なんというか、意欲が違いますねえ」

と言われた。父として素直に嬉しい。

『ありがとうございます。幸いにして意欲を沢山持って生まれて来てくれた娘なので、それをそのまま伸ばして挙げたいなあと思っています(^^)』

と答えた。

実家の親に泳げるようになったことを電話して、祝ってもらった。動画は両家の親に配信したf(^^;。
寝る前に、娘にゴーグルのことを話した。

『実はね、お父さんはお前がゴーグルを買ってと言ったときに、すぐに買ってあげたかったんだけどね我慢したんだよ』
「?」
『ゴーグルがないと泳げない子になって欲しくなかったんだ。ゴーグルがあれば直ぐに泳げるとは思ったけど、それじゃあ、ないときには泳げない子になってしまうでしょ。沢山泳げる子になって欲しかったんだよ』
というと、娘は笑顔で首肯いていた。

なんともドラマティックな夕方であった。
娘の人生の記念日の一つであった。

乾杯。

菊池先生の、そんな凄みを見せて頂いた

7/17

友人の菊池省三先生が「NHK プロフェッショナル」に出演した。録画して見た。

驚いた。転勤して一年目の春を取材させると言うこと自体が驚きである。子どもたちとの人間関係の出来ていない転勤直後の一学期。しかも最高学年。保護者、職員室、管理職などの了承を得るそれだけでも相当のエネルギーを使ったと思われる。私も何回かNHKに出演しているので、そこのことは良くわかる。

また、今回の番組の作り方からすると、誰かを「悪者」のポジションに置かなければならないことは想定される。それは、今までに指導をして来たけど成果のでなかった先生たち、新しいものを求めていたときに菊池先生を非難していたであろう他の先生。もっと言えば、今担任をしている子どもたち。

それらが菊池先生の指導によって改善して行くということを描くことになろうことは、番組を引き受ける際に、予め十分に予測されることである。

そこを、それでも引き受ける。
ここがこの番組の表に出ないドラマだと思う。

番組の方は、後半に山場があったと思う。
菊池先生の出演は、前半に多いのだが、教育を知る人は後半が山場だと理解するだろう。
菊池先生の発言の量が極端に減るのだ。

運動会、しかも、初めて取り組ませる創作ダンス。
ここの指導に際して、指示ことばが減る。
番組を見る限りでは、全体に掛けることばは皆無と言って良いだろう。

菊池先生がしていることは、全体を見守って、ポイントでリーダーにちょっとしたアイディアを与えること。そして、全てが終わってから労いの声をかけることであった。
これは、教育を知らない人には誤解を与えるかもしれない。
(え、どこがプロフェッショナルなの? 指導していないじゃん)
と。

しかし、違う。
見守っている菊池先生の中には、話したいことや自分がやってしまいたいという思いが渦巻いているに違いない。これをぐっとこらえて見守って子どもたちに任せる。転勤早々の5月にこれをするというのは、相当の賭けであり、腹の据わった指導なのだ。

運動会で創作ダンスは失敗したように見える。
しかし、教師は運動会で創作ダンスを成功させることが目的ではない。子どもたちは成功させようと努力をする。それはそれでいい。

しかし、教師は違う。
教師の目標は、この運動会、この創作ダンスを通して、彼、彼ら、クラスの人間的な成長を促すことにある。そして、それはテレビの取材があろうと無かろうと関係のないことだ。3月の卒業式を目指して、このクラスをどう育てて行くか。それが菊池先生の頭にはしっかりと描かれているはずだ。

菊池先生の、そんな凄みを見せて頂いた。

再放送は、7月20日(金)午前0時50分~
http://www.nhk.or.jp/professional/2012/0716/index.html

2012/07/16

明日の教室の夏の一泊二日が終わった

7/16

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明日の教室の夏の一泊二日が終わった。
東京から甲斐崎先生をお招きしての一泊二日であった。

初日は、アクティビティの連発。
3時間半、みっちり。
そして、圧巻だったのは夜だ。
夜にアドヴェンチャープログラム(プロジェクトアドベンチャー)の基本的な理念、理論、そしてそれをどう授業に活かして行ったのかなどについてのレクチャーがあった。

おそらく昼間のアクティビティの連発で得た「ネタ」で、数時間クラスを楽しませることは出来るであろう。しかし、なぜ、アドヴェンチャープログラムを実践の核に据えるのかということについての理解と実感がなければ、恐らく簡単に空中分解してしまうだろう。

アクティビティと理論の両面を理解することが出来たこの初日のプログラムは、相当凄いと思う。この後そのまま懇親会に突入。私はなんだかとても疲れていて、12時には撃沈。

実は、甲斐崎先生とは面白い縁がある。
私は初任地の青梅に20人の同期がいる。新採研が施行される前年だったので、強制ではないが参加を強く勧められていた時期である。私はそこに自分の書いた学級通信を持って参加していた。同期に配って意見を言ってもらうためにだ。

で、その一年目の学級通信を、甲斐崎先生が読んでいたのだ。
最初にこれを聞いた時は、とても驚いた。なんで?なのである。
なんでかと言うと、甲斐崎先生の奥さんが、私の同期の一人だったのだ。
つき合っているときに、私の通信を渡していて、読んでいたというのである。
実になんというか、恐ろしいと言うか嬉しいと言うかなのであるf(^^;。

私の学級通信は、基本的には今のブログロ余変わらない。
子どもが活躍したこととかなんとかということは書かず、私の考えたことをガンガン書いていた。同じ時間を同じ空間で過ごした大人が、何を考えていたのかということを書き示す学級通信だ。子どもは大人になる。ならば、大人が何を考えているのかを示すことが大事だと考えてこのスタイルを取っていた。

甲斐崎先生は、そのスタイルに刺激を受けて自分も学級通信をがらりと変えたと言うことであった。そして、その当時の通信をまだ持っているとのことf(^^;。内容もしっかりと覚えていた。「忘れ物指導についての連載」があったとのことであった。確かに、書いていました。

25年前のあれこれがこうして繋がっていると言うのは実に嬉しいものだ。

翌日は、オーパルでドラゴンボートの体験。
朝方豪雨があり、どうなることかと思ったのだが、これがまあ実にすんばらしい天気。早めに到着したのだが、オーパルさんのご好意でカヤックも体験することが出来た。

ランチ前にもう我慢できずに、プールとジャグジーにも突入。
んで、ランチ、ドラゴンボート、プール、ジャグジーと琵琶湖の夏を満喫。
本当に有り難い時間であった。

2012/07/14

傘が直った

7/14

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傘が直った。

娘(4)のためにデンマークのアンデルセンミュージアムで買って来た、人形姫のデザインされている傘。とっても気に入って使っていたのだが、先日壊れてしまった。体の大きくなった娘が杖のように使って体重をかけてしまい、傘の芯が折れてしまったのだ。

娘は大泣き。
そりゃあ、そうだ。
大事に使っていたのだが、自分の不注意で壊してしまったのだから。
私に謝る。

そう言う時は、当たり前だが怒ることも、叱ることもしない。
『大きくなったんだね。だから、今までなら大丈夫だったのに壊れてしまったんだね。これからも、こういうことがあるから注意しようね』
と説明して終わり。

終わりだが、この傘はこのまま捨てるわけにはいかない。ものを直して大事に使うことを教えたい。お父さんは娘の見えない所で奔走することにした。

ネットで傘の修理が出来る所を捜す。
結果として5つほどの修理屋さんに連絡をしたのだが、デンマーク製で規格が違っている可能性があるということ、子どもの傘ということで修理する材料がないということなどの理由で断られ続けた。

実は、もっと簡単に傘の修理屋さんが見つかると思っていたので、やや焦った。
というのは、娘には
『傘の修理は、ガーデンの薔薇さんにお願いしようか』
と言って、お願いをすませてあったのだ。
我が家では、ファンタジーの世界を生きている幼児期の娘の世界観を大事にしてあげたいなあと思い、ガーデンに咲いている薔薇に、「薔薇さん」という人格を与えている。

時々「薔薇さんから」お手紙やプレゼントが来ることもある。
だから、今回も直して下さいとお願いしに行ったのだ。
にも関わらず、修理するお店が見つからない。
これは困った。

最終的には、この店で引き受けて頂けた。
修理ネット http://www.syuuri.net/

電話をして事情を話した所、先ずは送って下さいということだったので送って、祈った。
そしたら、何とかなりそうと言うことで修理をお願いした。

新しい上等な傘が一本手に入る位の値段になったが、
それこそ値段ではない。
見事に直してもらった。

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本日届いた宅急便の伝票に、玄関で慌てて
「ばらさんより ◯◯ちゃんへ」
と手書きで書き添えて、娘に箱ごと渡した。

大喜びかと思いきや、やや照れくさそうに箱を開けて
傘を発見したら喜ぶ娘。
リビングからガーデンの薔薇さんに方向に向かって、
「薔薇さん、ありがとう!」
と叫ばせたのは言うまでもない。

ファンタジーの世界に生きている娘。
その世界を一緒に楽しんで味わって、その世界をもう暫く守ってあげたいなあと思うのでありました。

ま、その後娘は今ハマっているハサミのアートの方に突入してしまい、傘は一瞬で忘れられてしまいましたがf(^^;。それも子どもの良さです。

やがて娘がこのブログを読むようになったら、
そんなことがあったのかと思い出してくれるかねえ(^^)。

2012/07/13

自分で自分の学習ストラテジーを身につけて行くことができること

7/13

Pool

娘(4)をプールに連れて行っている。

つい先日、腕輪をしつつではあるが、犬かきが出来るようになったと思ったら、
今日は腕輪をしつつ、バタ足が出来るようになった。
犬かきは20メートル位。バタ足は10メートル位やれるようになった。

別にスパルタ教育をしているのではない。
私は子どもの用のプールに浸かって、ホゲーッとしているだけである。
そして、時々間の手を入れているだけである。
それなのに出来るようになって行く。

見ていて面白いなあと思うし、我が娘ながら凄いなーと思うことがある。

自分でスモールステップを設定している。
バタ足に辿り着く迄に立ったままジャンプ。前にジャンプ。ジャンプして私につかまる。その距離を伸ばして行くというように勝手に課題を設定して、スモールステップで克服して行くのだ。

また、スモールステップで挑戦しているときに、失敗をするのだがその時の言葉も面白い。
「でも、〜はできたんやで!」
と前向きなのだ。凹まない。

多分、学ぶと言うことはそう言うことなのだろうと思う。
自分で自分の学習ストラテジーを身につけて行くことができることが、学ぶことができるということなのだろう。

子どもはこういうことをするのだと思う。
(それを自覚的にできるように指導して行くのが、教師なんだよな)
と、娘から学んだ親ばかの私であった。

2012/07/10

もうそろそろwantで生きて行こうと思うのだが

7/10

Photo

(今朝の我が家のトマト)

ワープロに文字を打ち込む一日であった。

現在、
書きかけの本が一冊。
依頼されているのが二冊。
書くべき論文が二本。
依頼されている論文が一本。
共著の原稿が二本。
教育雑誌の原稿が一本。
書きたい本が二冊。
書きたい論文が二本。

今年度中に仕上げるのではなく、今年度の前半にかなりを仕上げなければならない。
書き出してみると、もうクレイジーだなあと思う。
もうそろそろwantで生きて行こうと思うのだが、いつのまにかmustが入り込む。
勿論、mustは本当はmustではなくて、次のwantに繋がるステップだと言うことも分かってはいる。いるが、なかなかである。

夕方、娘(4)とプールに行って体をほぐして来た。ま、子守りなのでは子供用のプールで水を浴びて体をストレッチしつつ、鬼ごっこの相手をしているだけだが。
それでも机で固まり続けるよりは数倍いい。

明日は、一限だけ授業をして会議の日。
原稿を書く時間があるといいなあ。

2012/07/09

もっともっとエピソードを語るべきだ。古人がそこに居るように

7/9

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(琵琶湖上空を行く)

古典の部分を教科教育法(国語)で教えている。なんというか、本当に学生達が可哀想という思いがこみ上げてくる。これは国語教員として、教科教育法(国語)を教えている人間として猛省しなければならないことだと思う。一言で言えば、国語の面白さを高校までに味わっていないのだ。

言葉の面白さ、さらに、古典の世界の面白さを味わっていないまま、大学生になっているのだ。私は言葉が面白い。文字が面白い。(こんなに面白いのに、なんで国語が嫌いな人がいるんだろう)と単純に思っていた。それは、言葉や文字の面白さに早い段階で気づかせてもらったからかもしれない。

小学校4年生の時に「のらくろ」の漫画を読んだ。歴史的仮名遣いはこの漫画で覚えた。一時期、自分の書く文章はすべて歴史的仮名遣いで書いていたぐらい影響されていた。中学で歴史的仮名遣いが分からない仲間がいるのに驚いたぐらいだ。また、さだまさしさんに出会えたのも大きい。

グレープ時代のアルバム、さらにソロの「帰去来」「風見鶏」のアルバムに収められたさまざまな古典の世界。これは今聞いても色褪せない。「さだまさしを聞く奴はネクラだ」などと「攻撃」もあったが、やはり今聞いても良い。

「フレディもしくは三教街」に憧れて漢口(ハンカオ)に行ったり、「飛梅」から、『大鏡』を読み、太宰府天満宮に行ったり、「絵はがき坂」から長崎の活水大学に行ったりと、今風に言えばたっぷりスローリーディングしてたわけである。勝手に灘校の橋本武先生がされていたことをしていたのだ。

私が塾や中学校の教師だった頃は、だから文章の、文学の内容というよりはその周りにあるエピソードをタップリと語って来た。横道にそれているという言い方も時にはされたが、文学と古典を彼らに結びつけるには、生徒の生活とこれらが繋がっていることを実感させないと入って行かないと思っていた。

所が彼らは、見事にこれがされないまま大学生になっている。(君たち、辛かったろうなあ)と思う。というか、授業で言ってしまった。教科書を読まされて、問題集をやらされて、漢字を暗記させられて、先生の説を聞いて。まるで私が受けた中学校2年生の時の授業だ。これをずっと受けて来たわけだ。

古典が古典でありうるのは、そこに描かれている世界が今と繋がっているからだ。今と繋がっている。または同じであることを発見するとき驚きと喜びがある。言葉は変わる。やさしが、痩せる思いという意味から、優しいに変わったりするように変わる。しかし、人の思いはそれほど変わるものではない。

言葉の難しさから、古典の世界が敬遠される。それは分かる。しかし、それはあまりにも勿体ない。また、国語の教科書は教科書だけに人間の正しさ、美しさ、立派さを扱った教材が載る。これだとうんざりする生徒が出てくる。しかし、当然だが人間は間違っていたり、醜かったり、情けなかったりする。

その古人の「生き様」を他人事としてではなく、(ああ、同じだ)感じられるとき、人間への愛しさや共感が生まれるのではないかと思う。国語の授業では、もっともっとエピソードを語るべきだ。古人がそこに居るように、そこに居て違和感が感じられないように。今日改めて強く思った。

因に、参考図書としては、「学校では教えない古典」 と 「SONG OF LIFE」 がお勧め。先生が先にはまってしまうでしょう(^^)。

2012/07/06

天命を知る

7/6

Hikari

確か、山口瞳さんの『新入社員諸君!』だったと思う。

「そこいらにいる50歳のおじさんに聞いて見なさい。50年は長かったですか?と みな声を揃えて言うだろう。『あっという間だったよ』とね」

これを読んだのは大学生の頃であったか。『酒呑みの自己弁護』でファンになってから山口瞳さんの本は読み進めた。ここから高橋義孝先生、内田百閒先生と読み進めることになるのだが、まあそれはいい。兎に角50歳はあっという間ということを読み、
(まあ、山口瞳さんがいうんだから本当なんだろうなあ)
と思っていた。

本当であった。
あっという間であった。
御陰さまで昨日、天命を知るの年になってしまった。
いや、だからね、なったでははくて、なってしまったというのが正直な思いなのである。

孔子先生は、「四十にして惑わず 五十にして天命を知る」とおっしゃっている。私の実感としては、四十にして惑わずというのは自分の意志で「惑わず」というよりは、惑っている暇もなくという感じであったなあ。

特に私にとってこの10年は、大学院に通う、都内の中学への転勤、大学への転職、学生たちとの出会い、突発性難聴、新居の購入、家族が増える、「明日の教室」の立ち上げ、GPの責任者就任、NHK教育テレビの出演、編集委員の就任、本の執筆などなど
(いったい誰がこんなにドラマチックな私の人生のシナリオを書いたのだ?)
と思ってしまう10年で、惑っている暇もないというものであった。

誕生日は、自分の両親にありがとうをという気持ちが年々増してくる。
「産んでくれなんて頼んだ覚えは無い!」
と言う台詞は、言うか言わないかは別にして思春期の青年は一回は親に思うことであろう。私も親に産んでくれと頼んだ記憶は無い(^^)。因に人類で、誰も頼んだ記憶は無いはずだ。

頼んだ思いも無いのに、この世に命を授けられた。親は勝手に私を愛しみながら育ててくれた。そして、そこからもうすでに50年が経った。
電話で母親と話した。
『産んでくれて育ててくれて、ありがとう』
「お前の時は大変だったんだよ」
と誕生日のたんびに話される話を聞く。これが嬉しい。
嘗ては面倒くさいと思っていたこの会話が、嬉しい。

山上憶良の長歌がまた別の味わいで読める。

 瓜食(うりは)めば 子ども思うほゆ 栗食めば まして偲はゆ 
 何処(いずく)より 来りしものを
 眼交(まかなひ)に もとな懸(かかり)て 安眠(やすい)し 寝(な)さぬ

 瓜を食べては 子どもを思い 栗を食べては 子どもを思う 
 まったく何の因果で俺たち親子になったのだろう 
 かわいい あの子のその姿 やたらとまぶたにちらついて 俺はちっとも眠れない 

                            『万葉集』巻5 802
                            訳は「SONG OF LIFE」より

子として、父として両方の思いでこの長歌を読めることに幸せを感じる。

ちょうど昨日は、大学で4回生ゼミがあった。
まあ、誕生日だと口にして言うほどのものでもないので、そのことには触れずゼミを進めた。卒論の進捗状況と採用試験に向けての勉強の進捗状況の報告、言ってみれば近況報告である。学生たちがそれぞれ自分を見つめて頑張っていることが再確認できた。

で、昼食を急いで済ませて3限の準備をしていたら4回生に呼び出された。
3、4回生が誕生日のお祝いの歌を歌ってくれた(^^)。
そしてプレゼントをくれた。
こういう手作りのは嬉しいなあ。
(私、恩師に大学時代にお祝い等しなかったよなあ)
と思いながらも、有り難く頂く。

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3限後、大学の七夕飾りのあれこれをして、家での七夕飾りをするために早く帰ろうと準備をしていたら、卒業生が相談にやってくると言うので待つことに。そしたら、そこに2回生ゼミの学生がやってきた。また、お祝いの歌を歌って色紙を貰った。2回生ゼミからも?! なんだかびっくり。私そんなに甘い先生になってしまったかなあ?と変な反省をしつつ、やはり嬉しいf(^^;。有り難く頂く。

Watashi

で、卒業生の悩みをあれこれ聞いてたら18:00を過ぎてしまっていた。
そこから慌てて帰る。
家では七夕飾りが完成していたf(^^;。


「お父さん、お誕生日おめでとう!」
と娘(4)に起こされたので、両親からiPad経由でおめでとうのメールをもらった私はまあ、それだけで結構満足していたのだが、家でもお祝いをしてもらった。
夕食を取り、寝る時間になったときにリビングの灯りを娘が消した。
(ま、もう眠いから朦朧としているのかな。後で点けなおすか)
と思っていたら、
ロウソクに火をつけてブルーベリータルトを持って来てくれた。

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一日に三回もお誕生日の歌を歌ってもらえるなんて、
人生で初めてであろう。
ありがたいことだ。

さらに、もの凄い数のFacebook経由でのお祝いメッセージ。
50歳のおじさんの誕生日としては、なんとも申し訳ない位のありがたさであった。
みなさん、ありがとうございます。

さて、天命を知るである。

このことを意識してこの頃は天を見上げては、天の意思を聞こうと耳を傾けてみたのだが、突発性難聴の後遺症の耳鳴りのせいか、私には良く聞こえてこない。
聞こえては来ないが、耳鳴りの調子がやや良いときに
(あれ、これか?)
と聞こえることがある。たぶん、それなんだと思う。私は何教を信じているわけではないが、私の意思とは違う何かはあるんじゃないかなあとこの10年を生きてみてつくづく感じる。それを天命と呼ぶのであれば、私の天命は「これ」なんだろうなあと思うことがある。

50歳迄の10年がジェットコースターのようだったように、恐らくこれからの10年も同じようなものになるのだと思う。今迄育てて下さった方、支えて下さった方の御陰で半世紀を生きることができたのだから、あと半世紀生きる勢いで、後半人生のスタートを切ろうと思う(^^)。

よろしくお願いいたします。

2012/07/05

育っている

7/5

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今日の四回生ゼミでは、児童教育学科の使っている校舎、児優館に
『七夕飾りを飾るぞ』
と四回生には伝えておいた。

数年前迄は学生たちが大学の山から竹を切って来て、飾れるようにしていたのだが、去年はなかった。今年復活せねばと思っていた。教師は、日本の文化を次世代に伝える役割を担っていると思っている。1000年以上も続いた七夕を、この世代で終わらせるわけにはいかない。今朝、飾りがなければやるぞと思って大学に向かった。

見てみると、七夕の飾りは無い。
やるしかない。
大学の敷地に生えている竹を営繕の方の協力で切り取って設置した。

七夕飾りには、短冊、飾りの二つが必要になる。
私は今日地元のスーパーで折り紙と紙縒りを買って行くつもりだった。が、家を出る前に思いついてしまった原稿のアイディアを書き続けていたため、寄れなくなってしまった。

家には、今晩準備をする為の娘(4)の折り紙と紙縒りがある。
これを持って行って帰りに買ってくれば良いかなとも思ったが、で変えてしまえば何があるか分からないのが仕事。

(ま、でも短冊は研究室にあるし、紙縒りは作れば良い)

と思って手ぶらで出掛けた。
これが大正解であった。

4回生ゼミ生に短冊を配り、
『さ、書け』
と言って私の書いた物は渡して、私は3限の授業に向かった。
そして、後悔した。

(あ、短冊を渡したのはうちの四回生ゼミだけだ。ということは、あの竹に飾られる短冊は、私のゼミ生の書いたものだけになってしまう。これじゃあ、学科全体で七夕祝いをするということにならんなあ。いかん)

と思った。いや、今日は昼休みが忙しく、色紙を買ってくるとかすることができなかったのだ。

3限の授業が終わって、私は筆ペンと短冊を持って、七夕飾りがしてあるところに行こうとエレベーターの前に立った。ドアが開いたら、4回生ゼミの学生が
「先生、筆ペンをお借りしようと思ってきました」
という。私は
『短冊と筆ペンを持って今行こうと思ってエレベーターを待っていた』
と言った。なんだかリアル「啐啄の機(そったくのき)」であった。

で、筆ペンと短冊を持ちながら二階に下りる。
すると、目に飛び込んで来たのが短冊であった。
四回生ゼミの諸君は、自分たちで短冊を作り、他の学生たちが書けるように準備をしていたのであった。

しみじみ。嬉しいと言うのはこういうことである。
みんなで楽しもうと彼ら彼女らで準備をしていたのである。
事前に私が買い込んで用意をしておかなくて良かったなあと思うのだ。

児童教育学科、池田ゼミ4回生。
育っている。
よし。

万葉集を読み返している。山上憶良がいい

7/4

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万葉集を読み返している。山上憶良がいい。

生きている限り
穏やかで安らかでありたいと思う
事故も死の悲しみもいらないと願う
けれども現実は憂鬱でつらい
ひどい痛みの傷に
さらに塩をすりこむように
重い荷を負う馬に
さらに重い荷を負わせるように
老いた身に病気までわずらった私は
ただただ嘆いて昼間をすごし
ため息ばかりで夜を明かす
病気が長びけば心も弱り
いっそ死のうとさえ思うけれど
騒ぐ子供らを見捨てて死ぬこともできず
彼らをじっと見つめるうちに
いつしか胸は熱くなる
結局のところ私には
あれこれ悩み 泣き濡れる
ただそれしかできないのか 

山上憶良 『万葉集』897番歌

たまきはる うちの限りは 平らけく 安くもあらむを 事もなく 喪なくもあらむを 世間(よのなか)の 憂けく辛けく いとのきて 痛き瘡(きず)には 辛塩(からしほ)を 注くちふがごとく ますますも 重き馬荷(うまに)に 表荷(うはに)打つと いふことのごと 老いにてある 我が身の上に 病をと 加へてあれば 昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息づき明かし 年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ ことことは 死ななと思へど 五月蝿(さばへ)なす 騒く子どもを 打棄(うつ)てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ かにかくに 思ひ煩ひ 音(ね)のみし泣かゆ

『SONG OF LIFE』の翻訳による

だんだん、万葉集の歌人が身近な友人のように思えてきた。
嘗て中野孝次先生が
「私はもう現代の人よりも、古の人の方が本当の友人のように思えて仕方が無いのです」
のようなことをおっしゃっていたのを読んだ記憶があるが、私もだんだんそうなっていくのかなあと思う。

四十代最後の夜に思う。あ、あと20分だf(^^;。
おやすみなさい。

2012/07/04

MEISTER STUCK NO.149

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MEISTER STUCK NO.149
私たちの世代にとっては憧れの一品だ。
モンブランの最高峰の万年筆。

まだワープロが出現する前、作家は万年筆で執筆していた。
ウオーターマン、ペリカン、モンブラン。
舶来ものはこういうメーカーが人気で、私はその当時ハマりハマっていたムツゴロウこと、畑正憲さんがこのMEISTER STUCK NO.149で原稿を書いているのを知って、いつか自分のものにしようと思った。

20年前に買った。
新婚旅行のお土産で、買った。
私のはこれだけで良いからと言って買った。

それ以来、書斎から持ち出すことはせず、主に手紙と通信簿を書く時だけに使って来た。
嘗て、学級通信にこの万年筆のことを書いたことがある。

引用開始 ーーーーーーーーーー

人は何故、働かなければならないのか? そもそも働くってなんだ? 答えはいくつもあると思う。ただ、自分が納得する答えはそんなにはない。その自分が納得する答えを得るきっかけの最初の体験が、今回の職業体験である。

写真は、君たちの答案を採点する万年筆と通知表を書くために用意している万年筆である。新婚旅行の時、

『オレのお土産はこれだけで良いから買わしてくれ』

と言って成田空港の免税品店で買った一品である。

特に通知表の万年筆は、私の大好きなムツゴロウさんが、原稿を書くときに使っている万年筆で、中学時代だからあこがれていた一品である。

この万年筆の調子がちょっと悪かったのだが、近くのデパートに万年筆クリニックが来たので見て貰うことにした。

『この細いのは採点用に使うんです』

使い道によってペン先の調子を変えてくれるというので用途を話した。すると、

「司法試験では一時間に千八百字書くんだよね。採点ではだいたい千六百字。このぐらいの軸の細さだと先生は、採点だけして疲れてしまうよ。太い方がいいね。そして、疲れなかった分で、頑張った子どもたちに「頑張ったね」と書いてあげてね」

と教えてくれた。

もう一本の万年筆の調子を見終えた時、

『こっちの万年筆は、通信簿を書くときに使うんです』

と言ったところ、

「あ、ちょっと貸して」

と、もう一度調整に入ってしまった。

「はい」

と渡された万年筆の見た目は何も変わったところはなかった。

「通信簿だと細かい数字も書くでしょ。その時は裏返して書いてみてね」

と言われる。

万年筆ではやってはいけないとされているのが、この裏返して書くということなのだ。これをやると一発でペン先の調子が壊れる。それを専門家がやれと言う。おそるおそる書いてみる。

(え?)

書けるのである。

「先生は、通信簿で細かい数字とかも書くだろうから、裏側でも書けるよう研いでおいたよ。先生が気持ちよく書けると、子どもたちにも沢山書けるでしょ。僕は勉強が出来たなかったけど、先生の言葉が多いと嬉しかったんだよね」

七十歳を有に過ぎた万年筆のお医者さんは仰った。

諸君のことなぞ絶対に知らないこの万年筆先生は、その諸君のために万年筆の調整をしてくださる。これが「仕事」なのだと思う。

引用終了 ーーーーーーーーーー

この太い万年筆が、MEISTER STUCK NO.149であり、この万年筆のお医者さんが、ペン先の神様 現代の名工 長原宣義さんである。

で、昨日軸が壊れてインクが漏れるようになってしまったMEISTER STUCK NO.149が、修理から戻って来た。勿論、モンブランのロイヤルブルーのインクを沢山吸い込ませて、昨日今日は、もうあれこれ書きまくった。

ペン先が見事に調整されているこの一本は、なんとも心地よい。
良いものを大事に大切に使う。修理しながら使う。
これを書いていたら、長原さんがおっしゃっていた言葉をもう一つ思い出した。

「先生、この万年筆はね、先生の子供の子供の子供ぐらいまで使えるよ。大切に使って下さいね」

20年間は、約束を守れたと思う。
これからも門外不出で、大切に使おう。

2012/07/03

とても美しく心にしみる挨拶だった

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キャンパスで歩いている時、挨拶をする学生の中に、イヤフォンをしたままという学生たちがいる。昨日の授業でそれはだめだと話をした。

『それでは挨拶にならない。
私が返事をしたときに、イヤフォンをしているということは
(あなたの挨拶は聞きませんよ)
というメッセージを送ってしまっていることになる。

それは、挨拶しない人よりも悪いかもしれない。
挨拶しない人は、私に気がつかなかったかもしれないという可能性はある。
しかし、イヤフォンしたままはそれはない』

挨拶は立ち止まって、姿勢を正してするのが美しい。

最初に赴任した中学校は、坂道を上って行くところにあった。
仕事を終えて駐車場に向かうにはその坂道を降りて行くことになる。
私が仕事を終えて坂道を下って行くと、その坂道を自転車を押しながら上ってくる人がいた。学校警備員の渡辺さんだ。

当時渡辺さんは70歳を超えている年齢であったと思う。
私は24歳だ。
渡辺さんは、遠くで私を見掛けると最初に私に笑顔で手を振る。
そして、自転車を停め、汗を手拭で拭いて
「先生、今日も一日ご苦労様でございました」
と私に頭を下げられた。

私は恐縮する。
若造にここまで丁寧に頭を下げられる人生の大先輩。
私も立ち止まって
「今日もよろしくお願いいたします」
と挨拶をした。

動きを止めて姿勢を正しての挨拶。
とても美しく心にしみる挨拶だった。
私は渡辺さんから多くのことを学んだ。

嘗て中学生にこの話をした。
大学生にもしなきゃあなあと思う。

2012/07/02

だって、万葉集面白いんだもん

‎7/2

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(今日の夕暮れ。東の空に西の夕焼けが反射していました)

今日の教科教育法(国語)は満載。ライティングワークショップ、群読、さらに短歌から俳句へという流れについての授業であった。WWでは、先週までの私の指導方法つまり、入り口を狭くして書きやすくする方法と対比させながら考えさせた。客観主義と社会構成主義の観点からも比較してみた。



群読では、仏教の声明の話、家本芳郎先生の話、群読の構成の仕方を話しつつ、実際に小さな作品をやってみた。単純にみんなで声を出すのは気持ちの良いことだということが分かる。小学校では呼びかけがあるので、群読の指導に長けていることは大事だろう。



読み方として、テキスト読み(音訳)と朗読読みのあることを説明する。物語文などでは朗読読みをして感情を入れて読むことが多い。先生の解釈を読み方で示し、その解釈で子どもの読解を促す。小学校低学年には必要だ。ところが、高学年になってくるとその感情が耳障りになってくる。



先生の読解の押しつけが耳障りになり、恥ずかしくなってくる。中学校では私はテキスト読みをメインとして物語文を読んでいた。感情を入れる読み方で読むと、生徒達が自分でそこにある感情を読み取る時の邪魔になるからである。だからこの二つの読み方を教師は出来なければならない。



逆に言えば、感情をしっかりと入れて読むと、よく分からない古文も実に分かってしまうものなのである。今日は見本として「那須与一」を朗読読みで読んでみた。他にも「高名の木登りといひしをのこ」などは朗読読みで読むと一発で分かってしまう教材である。お試しあれなのである。



で、本日のメインの「短歌から俳句へ」の流れの説明。約1300年間の日本の和歌の歴史を30分で説明しようと思った私が間違っていました。こことっても面白いんだよねえ。やっている私が楽しい。予想通りだったのは、短歌から俳句が生まれたのを説明できない学生が多数だったこと。これは残念。



小中学校で短歌や俳句を作らされたことの無い人は少なくないだろう。日本の学校ではその優劣は別にして、作らされる。そしてこれは日本人の共通した教養として捉えられていい部分だと思う。しかし、詳しく教えられることは無い。非常に勿体ないことだと思っている。義務教育できちんと教えたい。



その為には教員がしっかりと理解する必要がある。今日は短歌から俳句への1300年の歴史を9ページに簡単に纏めたプリントを使って説明を始めたのだが、1ページ目で玉砕であったf(^^;。だって、万葉集面白いんだもん。例えば、なぜ資料集には二番歌からしか載っていないのか。



相聞歌の大津皇子と石川郎女の「ふ・ざ・け・る・な」の話。東歌「多摩川に さらす手作り~」とジブリの「耳をすませば」の話。これらの話をしながら、人間の本質、日本人の根っこの部分をあれこれ考えるのだ。これでまだ万葉集で話したいことの半分以下f(^^;。終わらない。特別講座かな。



来週は、課題で出してある作句をもとに句会をやって、残りの8pを突き進むぞ。それで終わらなかったら本当に、特別講座かな。幼児教育コースの学生達や英語コミュニケーションコースの学生達にもこの内容は理解しておいてほしいなあと思いつつ、来週の準備に突入するのであった。

2012/07/01

玉置先生は、大人の後半を生きていらっしゃった

7/1

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(雨上がりの琵琶湖 by GR4)

昨日は「夏越しの祓(なごしのはらい)」である。茅の輪をくぐりながら、一年間の前半の穢れを落とす式が関西では行われる。関東にいた時はこれを意識したことは無かったが、関西、特に京滋では結構気にしている。

そんな昨日、私たちは明日の教室で玉置崇先生をお迎えした。

子どもの頃、大人になったら何でも出来ると思っていた。
自分が困ったことを解決できないのは、子どもだからだと思っていた。
子どもが大人になれば、いろんなこと、またはありとあらゆることが解決できると思っていた。

解決できない人は大人ではないと思っていた。

そして、私も大人になるわけである。
そして、笑ってしまうのである。
(問題だらけだ。解決なんて出来るわけがない)
と思ったのだ。
(俺の人生の時間で、この解決は無理だ)
と思ったのだ。これが大人の前半

その後、もう少し大人になり、
(俺の人生の時間で解決できなくても、これ以上悪くしないこと、または、やや少し次世代が解決できる道筋を残すことができればなあ)
と思うのようになったのが、大人の中半。

そんな定義が正しいとすれば、今日お越しいただいた玉置先生は、大人の後半を生きていらっしゃった。
激務の教頭職をしながら、また、校長職、教育委員会職をして、さらにそのことで得た体験からの知見を現在の校長職に注ぎ込みながら、問題を課題に変えて
(うんにゃろおおおおおおおおおおおお!)
という思いを胸に持ちながら、冷静に解決されていた。

凄いなあと思うのは、大きく三つある。

1)玉置先生がやられる政策は誰もやっていないこと。だから、どうなるかは分からない。その上で、このプランを採った場合、どうなるかということを綿密にシミュレーションした上で、それへの対応を予め考えていること。勿論、全てとは言えないが、どういうクレームが来るかを予め想定した上で、手を打っていること。

2)子どもを伸ばそう、職員を大事にしようという理念を具体化できるということ。具体的にはICTを活用してあれこれされるのであるが、それが、私利ではなく、公利に則ったやり方であって、それが凄い。

3)落語

例外を排除した上で、場合分けをしつつ考える数学を専門とされているにも関わらず、例外だらけ、寧ろ例外の中で生きている人を描く落語を趣味とされている先生のありかた。今日の講座でも、高座ではないかと思うような模擬授業。レベルを下げるのではなく、低いレベルでのネタフリから始まって、最後は学習者が考えざるを得ない学習環境条件への導き方などを具体的に教えて頂いた。

で、そのときのキーワードが、落語であった。
これは説明できない。玉置先生の講座か、DVDで実感して頂けるのがいいかなと。   

現場にいた時、結果的に私も良い校長に7割位恵まれたと思っている。自分で言うのもなんだが、人のことを悪く言うのが好きではないタイプなので7割と言うのは実はもっと低いのかもしれない。が、まあ、このぐらいの数字かなあと思っている。

その中でも頭抜けて素晴らしい校長にも出会えたとき、私は本当に成長させてもらったと思っている。私のような教員が職員室にいたらやりやすいか、やりにくいかだとは思う。だが、敬愛している校長は好き放題させてくれたし、自分も好き放題やっていた。
(なんだ、こんな風にやってもいいんだ)
と思わせてくれた。子どもたちに向き合っていれば、いいんだと実感させてくれた。

玉置先生の学校で働く先生たちは、いいなあと思う。
大変だとは思うけど、いいなあと思う。
学校を見学にいきたいなあと思った。

玉置先生、ありがとうございました。
一年の前半の締めくくりの日に素晴らしい学びを頂きました。

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