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2012/07/27

「見る、看る、診る、視る、観る」

7/27

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(キャンパス中庭の百日紅。燃える紅。盛夏に似合います)

昨日は、前期最後の授業。2限は、4回生ゼミ。この一週間のことをあれこれ報告させ、交流する。採用試験が終わった彼ら彼女ら。あれこれ振り返る。広島の試験問題がなかなか面白いことが分かった。共同学習を意識した採用試験のように思えた。

最悪の状態を想定し、その上で、最高の状態も考えて、今できる事をやるようにと話す。
実際は中々出来ないし、想定していたこととは違う所に辿り着くのが人生ではあるが、たとえ違う所に辿り着いたとしても、勉強をすること、準備することをにおいてやっておいて意味が無かったということはない。

3限は、2回生ゼミ。大学祭でのゼミの取り組みの打ち合わせのため、実際のゼミで使える時間が1時間になってしまった。が、その時間でやりくりして、フィールドワークのまとめを行った。

この纏めは、学生たちが書いて来たハンドアウトから行うことをする予定であった。ところが、朝の風呂読書をしているときに、授業のアイディアが浮かんでしまった。急遽資料を作り、準備をしてと作り替えることにした。

何をしたかといえば、学生たちが前期の間に「見て来た」クラスのチェックリストを示した、チェックートである。学生たちが通っているクラスのことを思い出させ、それを書かせた。例えば教室環境に関しては

1)一番大きな掲示物は何でしょうか?
2)子どもの目の高さの位置に掲示してあるものはなんですか?
3)一番高い所に掲示してあるものはなんでしょうか?
4)教室で一番価値がありそうなものは何でしょうか?
5)一番大きな文字で書かれているものは何ですか?
6)子どもたちの名前が覚えられるような工夫がしてあるところはどこですか?
7)先生の机の周りに常備されているものはなんですか?

等の項目を挙げた。

彼らが見えていれば書けるはずである。しかし、これはなかなか難しい課題であろう。ほとんどの学生が満足に書けず、イメージで書いていた。それで良いと思っている。そして、そのシートを持って、フィールドワーク先の教室に出向いて行って、自分が書いたものと比較することを課題とした。

人は、見たいものだけを見るようにできている。
脳みそがそのように働くということは、『未来を発明するためにいまできること スタンフォード大学集中講義2』(ティナ・シーリグ  阪急コミュニケーションズ)にも書かれている。

フィールドワークは、現場での観察が重要になる。ところが、現場にさえ行けば、観察が出来ていると思い込みがちである。現場にいることと、観察が出来ていると言うことは別なのだと言うことを学生たちに、理解させたいと思うのだ。

そもそも、見ると言う言葉だって、「見る、看る、診る、視る、観る」と色々な漢字が使われている。白川静先生せよれば、見るは、膝を折って見る、看るは、手をかざして見る...とそれぞれ見方や見る対象、内容が違う。授業ではこの五つの見るの説明をしつつ、フィールドワークではこの5つの「見る」を駆使して、子どもたちを観察するのだということを説明した。

私たちは、見たいものだけを見る癖がある。
見たくないものは、見ないものだ。
日常生活であればそれでいい。

しかし、子どもたちを人間的に成長させようと思う時、この「見たくもないものを見る」という姿勢は重要になる。学級での問題、事件、トラブルは、ほとんどの場合、この「見たくないもの」の中に存在している。そこに目を向けて「見る」ことをしなければならない。元々見たいものしか見ないように出来ている人間の脳みそに対して、「見えなかった」または、「見たけど、見なかったことにする」とならないように、私たちは「見る、看る、診る、視る、観る」のだ。

観察について、考察してみた。

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