天命を知る
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確か、山口瞳さんの『新入社員諸君!』だったと思う。
「そこいらにいる50歳のおじさんに聞いて見なさい。50年は長かったですか?と みな声を揃えて言うだろう。『あっという間だったよ』とね」
これを読んだのは大学生の頃であったか。『酒呑みの自己弁護』でファンになってから山口瞳さんの本は読み進めた。ここから高橋義孝先生、内田百閒先生と読み進めることになるのだが、まあそれはいい。兎に角50歳はあっという間ということを読み、
(まあ、山口瞳さんがいうんだから本当なんだろうなあ)
と思っていた。
本当であった。
あっという間であった。
御陰さまで昨日、天命を知るの年になってしまった。
いや、だからね、なったでははくて、なってしまったというのが正直な思いなのである。
孔子先生は、「四十にして惑わず 五十にして天命を知る」とおっしゃっている。私の実感としては、四十にして惑わずというのは自分の意志で「惑わず」というよりは、惑っている暇もなくという感じであったなあ。
特に私にとってこの10年は、大学院に通う、都内の中学への転勤、大学への転職、学生たちとの出会い、突発性難聴、新居の購入、家族が増える、「明日の教室」の立ち上げ、GPの責任者就任、NHK教育テレビの出演、編集委員の就任、本の執筆などなど
(いったい誰がこんなにドラマチックな私の人生のシナリオを書いたのだ?)
と思ってしまう10年で、惑っている暇もないというものであった。
◆
誕生日は、自分の両親にありがとうをという気持ちが年々増してくる。
「産んでくれなんて頼んだ覚えは無い!」
と言う台詞は、言うか言わないかは別にして思春期の青年は一回は親に思うことであろう。私も親に産んでくれと頼んだ記憶は無い(^^)。因に人類で、誰も頼んだ記憶は無いはずだ。
頼んだ思いも無いのに、この世に命を授けられた。親は勝手に私を愛しみながら育ててくれた。そして、そこからもうすでに50年が経った。
電話で母親と話した。
『産んでくれて育ててくれて、ありがとう』
「お前の時は大変だったんだよ」
と誕生日のたんびに話される話を聞く。これが嬉しい。
嘗ては面倒くさいと思っていたこの会話が、嬉しい。
山上憶良の長歌がまた別の味わいで読める。
瓜食(うりは)めば 子ども思うほゆ 栗食めば まして偲はゆ
何処(いずく)より 来りしものを
眼交(まかなひ)に もとな懸(かかり)て 安眠(やすい)し 寝(な)さぬ
瓜を食べては 子どもを思い 栗を食べては 子どもを思う
まったく何の因果で俺たち親子になったのだろう
かわいい あの子のその姿 やたらとまぶたにちらついて 俺はちっとも眠れない
『万葉集』巻5 802
訳は「SONG OF LIFE」より
子として、父として両方の思いでこの長歌を読めることに幸せを感じる。
◆
ちょうど昨日は、大学で4回生ゼミがあった。
まあ、誕生日だと口にして言うほどのものでもないので、そのことには触れずゼミを進めた。卒論の進捗状況と採用試験に向けての勉強の進捗状況の報告、言ってみれば近況報告である。学生たちがそれぞれ自分を見つめて頑張っていることが再確認できた。
で、昼食を急いで済ませて3限の準備をしていたら4回生に呼び出された。
3、4回生が誕生日のお祝いの歌を歌ってくれた(^^)。
そしてプレゼントをくれた。
こういう手作りのは嬉しいなあ。
(私、恩師に大学時代にお祝い等しなかったよなあ)
と思いながらも、有り難く頂く。
3限後、大学の七夕飾りのあれこれをして、家での七夕飾りをするために早く帰ろうと準備をしていたら、卒業生が相談にやってくると言うので待つことに。そしたら、そこに2回生ゼミの学生がやってきた。また、お祝いの歌を歌って色紙を貰った。2回生ゼミからも?! なんだかびっくり。私そんなに甘い先生になってしまったかなあ?と変な反省をしつつ、やはり嬉しいf(^^;。有り難く頂く。
◆
で、卒業生の悩みをあれこれ聞いてたら18:00を過ぎてしまっていた。
そこから慌てて帰る。
家では七夕飾りが完成していたf(^^;。
朝
「お父さん、お誕生日おめでとう!」
と娘(4)に起こされたので、両親からiPad経由でおめでとうのメールをもらった私はまあ、それだけで結構満足していたのだが、家でもお祝いをしてもらった。
夕食を取り、寝る時間になったときにリビングの灯りを娘が消した。
(ま、もう眠いから朦朧としているのかな。後で点けなおすか)
と思っていたら、
ロウソクに火をつけてブルーベリータルトを持って来てくれた。
一日に三回もお誕生日の歌を歌ってもらえるなんて、
人生で初めてであろう。
ありがたいことだ。
さらに、もの凄い数のFacebook経由でのお祝いメッセージ。
50歳のおじさんの誕生日としては、なんとも申し訳ない位のありがたさであった。
みなさん、ありがとうございます。
◆
さて、天命を知るである。
このことを意識してこの頃は天を見上げては、天の意思を聞こうと耳を傾けてみたのだが、突発性難聴の後遺症の耳鳴りのせいか、私には良く聞こえてこない。
聞こえては来ないが、耳鳴りの調子がやや良いときに
(あれ、これか?)
と聞こえることがある。たぶん、それなんだと思う。私は何教を信じているわけではないが、私の意思とは違う何かはあるんじゃないかなあとこの10年を生きてみてつくづく感じる。それを天命と呼ぶのであれば、私の天命は「これ」なんだろうなあと思うことがある。
50歳迄の10年がジェットコースターのようだったように、恐らくこれからの10年も同じようなものになるのだと思う。今迄育てて下さった方、支えて下さった方の御陰で半世紀を生きることができたのだから、あと半世紀生きる勢いで、後半人生のスタートを切ろうと思う(^^)。
よろしくお願いいたします。
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コメント
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こんにちは。
20ン年前に、中学3年の時にお世話になりました(旧姓:土井)麻子と申します。
もう覚えていらっしゃらないかもしれませんね。
池田先生のブログを見つけ、懐かしくて思わずコメントしてしまいました。京都で大学の先生をしておいでだったのですね。
お誕生日、おめでとうございます(^^)。
天命をお知りになったのですね。
私は・・・歳は言わない方が良いでしょうか。
おととし結婚して、ちょこっと働きながら主婦をしています。
突然失礼いたしました。
投稿: 相田麻子 | 2012/07/06 17:05
はい、天命を知ってしまいました(^^)。
勿論覚えているよ、聖蹟桜ヶ丘校のD麻子さんでしょ
う? 元気ですか? 私の東京の家は聖蹟桜ヶ丘にあります。
あれこれあって今は京都でご覧の通り大学の教員をしています。こうして卒業生と連絡が取れるのは、うれしいことです。
投稿: 池田修 | 2012/07/06 17:35
覚えていてくださってうれしいです(^^)。
なんだか胸がいっぱいで、何を書いていいやら(笑)。
この10年間、私もとってもいろんなことがありました。
ずいぶん歳をとったような気がしますよ~。
投稿: 相田麻子 | 2012/07/06 22:22