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2012/07/26

教師は、過去の自分にも擬似的にプレゼントを上げることが出来る

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前期の授業が終わった。
学生たちは
「こういう国語の授業を小学校のとき、中学校のときに受けたかった」
と書く。

授業者としては、嬉しい感想である。
だが、嘗ての小中学生として一言言えば、
『私だって受けたかった』
のである。

教師は、過去の自分にも擬似的にプレゼントを上げることが出来る。
私が指導している中学校のクラスには、私はいない。
だが、嘗ての私がいたら喜んでくれるかなと思ったりすることもあった。

授業の質が上がると言うことはどういうことかと言うと、
(今の子どもたちは良いなあ。こういう授業が受けられて)
ということを言えるようになると言うこともあるのではないかと思う。

俺が小中学生の頃には、こんな授業は受けられなかったぞ。
と思うのであれば、その学生は幸せである。
指導方法を身につけて、やがて持つ自分の教室にいるであろう
嘗ての自分のような児童、生徒に対して指導できるからである。

自分が受けたかった、受けられなかった授業を、
自分が担当する子どもにプレゼントすることが出来る。
これが教師。

なんとも贅沢なことだ。
幸せなことだ。
学生たちはここに気がつくべきである。

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