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2012/09/27

諺の体験

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(日の出の場所が、だいたい草津 by GRD4)

四回生ゼミは、卒論の目次案指導の続きと、四回生後期の授業のスケジュール確認。卒論提出まであと10週間。中間発表まであと5週間という大枠を確認ができた。外枠が決まれば、あとはそこに中身を注ぐことが出来る。先ずは一安心。

二回生ゼミは、これから二年後に向けての流れの確認、この夏のことに関する一分間スピーチ、夏休みの課題の確認などを行った。一分間スピーチは指導する側に回るのだから、自分が出来なければならない。簡単な構成と話始めを指示することで割と話せるわけで、これを実感させる。

面白かったのが、夏休みの課題の回覧。夏休みの課題は「諺の体験」である。例えば、二階から目薬とか、ぬかに釘だとかいうのを実際にやってみてその報告をするというもの。

実は、滋賀県大津市は「急がば回れ」の発祥の地。東海道、中山道が合流する草津から大津へは、急ぐ人、お金のある人は船を使う。陸路では瀬田の唐橋を渡る。だが、急いで船に乗った人が、比叡山からの突風に煽られて船が転覆し、陸路の方が早くなることがあるという話。

これが、江戸時代の『醒酔笑』に載っているのだということを前期の最後に話した所、知らないが近畿、滋賀の学生が多かった。そんなところから、急がば回れを実際にやってみたら面白いのではないかということになり、兎に角何かやってみるのが課題となった次第。

実に下らないのが集まって私はとても嬉しかった。
「絵に描いた餅」
「傷口に塩」
「五十歩百歩」
自分で選んだこれらの諺を験するのである。写真入りのレポートで発表するのである。

身体に危険の及ばないものと限定した上で、小学生にやらせるのは面白いだろうなあ。報告文としては、実に面白いものが出来るのではないだろうか(^^)。

因に、私も娘(5)が生まれた時にやった。「目に入れても痛くない」である。本当に痛くなかった(^^)。

学級担任論が今日から始まった

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後期の授業の柱の一つ、学級担任論が今日から始まった。
48人の受講生はちょうどいい。
一回目の授業は、私は基本的には笑いは入れないのだが、殆どの学生が私の授業を受けた事のある学生たちだったので今回は少し入れた。

その事を今日の最後に話した。
すると、学生の感想でそれを驚いているものが割とあった。
私が笑いをコントロールしていることに驚いていたのだ。

『アホか?』

と言いたい(^^)。
その位コントロールできなくてどうする。

この学級担任論の授業を受けると、

1)教師になりたくなくなる。
2)でも、なんとか頑張ろう。
3)ああ。小中学校の先生、ごめんなさいと思う。
4)この授業を受けないで教師になる他大学のみんなは大丈夫なのか?
5)もっと勉強しなければ

という思いを15回の授業の中で思う学生が多い。

大学に移って8年目である。
が、まだ大学で学級担任論を授業として扱っているところは殆どないようだ。
中教審の「教員の資質能力向上特別部会」の答申によれば、
学級担任の仕事は、大学院できちんと扱えとなっている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo11/index.htm

自分で言うのもなんだが、やはりこれは大事だと思う。
私の感覚では、授業が出来なくて退職する一年目の先生は居ないと思っている。
授業ではなくて、学級経営(主に学級作り、学級事務、保護者対応)で大変なことになっている。

たかだか15回の授業で、学級担任の仕事を教え切る事が出来るとは思わない。私が示したこの授業の大きな目標は、

    1)    学級担任としての足下を固める。掬われないように、倒れないように。
    2)    学級担任の仕事の目次項目を頭に入れる。
    3)    学級担任の仕事を真似してみる。

である。   
ま、できないだろう。
その出来なさをどうクリアして、成長に繋げるかがポイント。

校長にならない教員はいる。
しかし、担任にならない教員はいないと考えている。
だとすれば、教員養成過程では学級担任の仕事を教える授業を優先して扱うべきである。
全国の教員養成大学で、必修の授業にすべきだと思うのだ。

2012/09/25

iPhone5は、購入予定である

9/25

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iPhone5は、購入予定である。iPhone4ユーザーであるからして、これは妥当な選択であると思う。だが、まだ予約すらしていない。あれこれ考える要素があるからだ。

1)マップアプリのレベル

これは、事前に,
つまりβ版のころから最低だという話は伝わっていた。殆どお笑いの域であると言う事も分かっていた。だが、発売の頃には直っているかなあと期待していたが、その最低の部分は直っていない。このマップアプリは結構使うのでこれがダメなら、iOSをヴァージョンアップするのは危険。このiOSが最初から搭載されているiPhone5は、ちょっと考えてしまう。

2)auかSoftBankか

決めては、テザリングと値段だ。あれこれ調べてみると、auの方に軍配が上がりそうだ。SoftBankがいま持っているiPhoneを下取りするというプランを出したが、古物商の免許を持っていないからダメという通達を受けたようだ。となると、値段の戦略をSoftBankは出来なくなるだろう。テザリングの繋がりやすさは、auのようだ。だが、これが本当かどうかは検証が必要。ちょっと考えてしまう。

3)後出しじゃんけん

今回この後出しじゃんけんが結構あるなと感じている。auにせよ、SoftBankにせよ相手の出方を見ながら、追加プランを出してくる。この様子を見た方がいいなあと思うのだ。ただし、テザリングが無料と言うのは年内購入者のみとの事。ここがリミットかな。

ちょっと残念なのは、S.ジョブスが居たときには、こういう購入者が躊躇うような提案をAppleはしてこなかったなと思うのだ。なんだかMacらしくないなあと思いながら、もう少し様子を見ようと思う。

「すごい」は話者の説明の言葉ではなく、聞き手の呟きの言葉なのである

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(授業後の、京都の夕景。 by iPhone4)

後期の授業が始まった。
夏休みに何があったのかを簡単に一分スピーチさせた。
いや、指示する方は簡単なのだが、やる方は大変である。簡単に指示をして3分間の準備の時間を与えた。

先生と言う仕事は、やたら自己紹介の機会がある。
特に初任一年目、転勤一年目はそればかりだ。
そして、突然の無茶ぶりでお願いされる事が多い。
一分で自分の説明をする練習や、一分で近況を語れるようになっておく事はとても大事。

私が今回やった方法は、

1)美味しかったもの、美しかった夕陽、面白かった本や映画を枕にする。
2)それに繋げて夏の思い出を語る。

というものである。1)があるので、スピーチの最初は話しやすくなる。それに続けて、場所、時間、その時の様子などを語れば良い。

ま、それなりに話が出来ていた。

その中で、気になったのは、説明をする時の「すごい」「すごく」という言葉が頻繁に出てくる学生である。私は

『安易に形容詞、副詞に逃げるな』

と指導する。話者は、何がどう凄いのかを語るべきなのだが、「もう、とってもすごいんです」と話されるとどうもゲンなりしてしまう。しかも、この「すごい」を口癖のように使う学生は、本人の意識も無く連発する。ある学生は一分間に7回も使っていた。10秒に一回以上使っている事になる。

私は「すごい」という言葉を聞くたびに、
1)凄い以外の言葉を使えない、語彙力がない学生である
2)本当は凄くないものを、無理矢理凄いと言いくるめている
のどちらかではないかと思ってしまう。

『何がどうだったのかをきちんと叙述せよ。そうすれば、聞き手が(すごい)と呟く』

と指導する。「すごい」は話者の説明の言葉ではなく、聞き手の呟きの言葉なのである。

授業の季節が戻って来た。

2012/09/23

学級が安定したということと、授業が上手いと言う事は別

9/23

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(懇親会で出た冬瓜のスープ。うまー!)

昨日は久しぶりに、明日の教室京都本校での登壇となった。糸井先生と一緒に。
今回は、というか暫くは明日の教室京都本校は、授業で行く。

新卒の先生たちが困るのは、学級の作り方が分からないということ。
学校を辞める新卒の先生は、授業が出来ないからということはなくて、学級が作れないから、または膨大な事務仕事に潰されるからというのが、私たちの仮説であるが、それについて最近は相当の書籍も出てきて、それなりに社会に流れが出来たなあと思った私たちは、

「だけど、学級が安定したということと、授業が上手いと言う事は別でしょ」

というところを扱う事にした。
学級が安定しないと授業は進まない。安定すれば進む。だが、その進むであっていい授業とはイコールではない。いい授業をして、子どもたちに力を付けて行きたい。だから、授業のあれこれなのだ。

前半は、糸井先生が自分の教材研究について、そのやり方を語った。社会科は資料。それは、自分の?から始まる。その?を解決する為に、足で捜す、本で捜す、ネットで捜す。それを具体的に語られていた。そこまでやるかという丁寧なものであった。

国語の教材研究と同じ部分も沢山あったが、唯一違うなと思ったのが、画像資料であった。これは国語には無いなあということ。いや、なんというか、挿絵とかメディアリテラシーとか非連続テキストとかで、国語の読解の授業はあるのだが、やはり文字を読むことがメインで、あまり重視されていない。

非連続テキストの読解の授業は、社会科の先生にやってもらうのがいいんじゃないかなあ。少なくとも社会科の先生の授業から学ぶ必要があるのではないかなあと思うのでありました。

私は「国語教材を中心に発問を考える」ということで、授業の型の説明から指導言、発問に説明をして、実際に教材を使って発問を作る演習を行った。

発問が難しいということを聞く。一番難しいのは説明だと思うが、それでも発問は難しいと言う。その中でも特に、最初の発問が難しいと言う声を聞く。何を言ったらいいのか分からない。そして、発問をした後の生徒の発言をどう纏めて、どう展開したらいいのかが分からないという。

いやあ、もし本当なら大変だ。それで授業なんてできるわけがない。今やっているのは、授業に似た何かであって、授業ではないだろう(^^)。

ということで、私は新しい教材に入ったときに行う、最初の発問をどう作るのかということについて実際の小学校3年生の教材を元に行った。

正直に言うと、中学校の教員をしているときには、こういうことは余り考えなかったf(^^;。自分では出来てしまっていたからだ。だが、いまの教員養成の立場になればそうはいかない。なぜなら発問で困っている人が沢山いるからだ。

発問、特に最初の発問を作るときにどうしたらいいのかを提示しないと、大学での教科教育法(国語)、国語科教育法の授業にならない。昨日は授業で扱ったものを整理して提案してみた。

頂いたアンケートで、嬉しかったのは
「直ぐに家に帰って、月曜日の授業の教材研究をしたいです。発問を考えたいです」
というものである。5時間もかけて車で長野から来て下さった先生の感想だ。片道5時間かけて来て、講座ががっかりだったら帰りの5時間は辛い事になる。でも、良ければその帰りの時間は、月曜日の授業をどうしようと考える時間になる。

私もこんな経験がある。嬉しくて早く授業をしたくなる感覚だ。
時には私はディベートの研究会で刺激を受けて、研究会で話を聞きながらその場で授業の計画を立てていた事もあった。

早く子どもたちに会いたい、早く授業がしたい。
私たちの講座の後にそんな風に思ってくれるのであれば、本当に幸せである。

来週は、明日の教室東京分校で、体験作文の書かせ方指導について講座を持ちます。
あと数席残っています。良かったらどうぞ。

http://kokucheese.com/event/index/50396/

2012/09/21

人生はこうやって、さまざまな伏線を用意してくれている

9/21

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一泊二日で九州の高校にディベート入門講座をしに行って来た。
体育館に机と椅子を入れて、マイクロディベートを行った。
受講した生徒は高校二年生で365人。
今まで私が行って来た授業では、最大の人数だと思う。
なんだか、授業と言うよりはソロコンサートをやっているかのようであった(^^)。

この授業のご縁は今からもう20年近く前になる、ニフティサーブのパソコン通信「授業づくりの部屋」、16番会議室になる。

当時そこでは、それこそ日本中の授業に関心のある「新しい物好き」の先生たちが、毎日定額制のネット料金体制等なかったにも関わらず、画像や音声、ましてや動画なんて夢の夢の世界であったときにも関わらず、文字だけで電話線を熱くしながら、日本の教育をなんとかしようと、連日連夜語りあっていたのでありました。

私が最初に受けたディベートの講座もここの会議室で情報を得たし、その後長くお付き合いをしていただく事になる先生たちとも、この会議室を通して出会った方が本当に多い。(つーか、誰か16番会議室の歴史を書いてくれないかなあ。日本の教育史においてそれなりに重要な役割を果たしていると思うのだが)

この会議室で出会った方の中のとても大切な先生が、故穴見嘉秀先生であった。ピグマリオンを名乗り、国語に関しての情報量はピカイチで、何を聞いても即座に答えてくれる穴見先生は、本当はドラえもんではないかと噂されるほどであった。

その穴見先生から依頼をされて、九州でディベート講座をしたのが、18年ほど前。その時の講座に参加されていたのが、今回私を九州にお招きいただいたI先生でありました。

最寄りの駅まで車で迎えに来て下さると言うので待っていました。久しぶりにI先生にお会いするので、お顔を覚えているかなあと思ったのですが、相変わらずのお優しい笑顔で、直ぐにわかりました。なんだか自分でもびっくりでした。

校長先生と講座の前にあれこれとお話をしていたらあっというまに時間。校長先生がいい先生だとこの時間が本当にあっという間になる。

体育館でMacBook Airとプロジェクターの設定、またMacBook AirのKeynoteとiPhoneのRemoteの設定等をして開始の時間を待つ。これはなかなかの優れもので、iPhoneの画面でKeynoteの画面を無線(この場合はwifi経由)で変えられるである。iPhoneに画面が出るので、なかなかいい。

講座開始と同時に簡単に自己紹介をした。
実は、この学校とは私は、縁があるのだ。それは35年も前の事になる。
私が進学した高校が甲子園に出場し、私は初めて甲子園に応援に行った。その対戦相手がこの高校であったのだ。

結果は延長10回の裏、三塁牽制悪送球でサヨナラ負けをしたのであった。
これは昨日の事のように、はっきりと覚えている。

『んーと、こんな話は君たちの今日の講座には全く関係のない話ですね(^^)。ですが、できれば覚えておいて欲しいのですよ。私が君たちの年齢のときに、私はまさか自分の母校が甲子園に出場するとは思っていなかったし、将来こうしてその対戦校で授業をするなんて、夢の夢にも思っていなかったわけです。ですが、今回I先生に講座を依頼されたとき、穴見先生のことを思い出したり、対戦のことを思い出したりして
(ああ、これは色々な縁なんだろうなあ)
と思い、直ぐにお引き受け致しますと答えました』

のようなこと話して講座を始めた。

講座はあっという間の2時間であった。
ダレる事無く、余計な私語がでる訳でもなく、集中して講座を受けていた生と諸君でありました。素晴らしい。是非ディベート甲子園に出場してほしいなあとも語りました。この生徒たちなら、初出場で全国大会出場権を掴む事は十分に可能だと思うのです。

人生はこうやって、さまざまな伏線を用意してくれている。
いま、私が生きているこの瞬間も、私の人生の何かの伏線になっているんじゃないか、いや、誰かの人生の伏線にもなっているんじゃないかなあと思うと、なんだかむずむずしてワクワクする。

私が野球の甲子園でこの高校と繋がったことで、彼らと今度はディベートの甲子園でも繋がりたいなあと思うのでありました。

2012/09/17

9/17の日の出

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台風の影響だろうか。
風があって雲もあっての空であった。

だが、こういう時はいい空になる事が多い。
勿論、写真を撮る私にとってのことだ。

久しぶりに早く起きてハンモックに寝転がって
二度寝しながら空を見ていた。

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(写真は全てiPhone4で撮影)

毎日見ていても見飽きない。

親は未来から子どもを見ているのだよ

9/17

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いつかやると思っていた。椅子の転倒。
娘(5)は、後ろに体重をかけて揺らしていた。
『危ないからやめなさい』
と言い続けたが、一方で
(これは失敗しないと、だめだな)
とも思っていた。

椅子の後ろに物を置かないで、倒れても大丈夫なようにはしていたが、
そう言うときに限ってものがあるものである。
一眼レフのカメラバックがあった。
転倒したときさっと見た限りでは、ギリギリ触れたかどうかの場所。

腕を見る。かすった感じは無い。
カメラを見る。ぶつかった感じもない。
良かった。怪我はしていない。
とまあ、この間5秒位。
娘は椅子で固まったまま。

その後奥さんが抱えたら泣き出した。
ま、良かった良かった。

失敗はデータである。
これからこのデータを活かして、娘は考えて行く事になるだろう。
『危ないからやめなさい』
の言葉も真実みを増すだろう。

親は未来から子どもを見ているのだよ。

三連休の最初は、四回生ゼミの合宿

9/17

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三連休の最初は、四回生ゼミの合宿。
卒論の目次案検討であった。

7人参加した四回生のうち、三人は論文になりそうで、四人は壮大なレポートであった。
問いが明確になっていないから、論文にならない。
ここの一点が論文が論文ではないかの違いになる。
ゼミではゼミ生がそれぞれの論文の目次案について意見を交換する。
私が指摘しようと思っていた事を、指摘する学生が増えて来た。
これはいいことだ。
力が付いて来た学生たちを見るのは嬉しい。

あと二ヶ月半、努力せよ。

ゼミ合宿は半分が勉強で、半分が遊び。
夜は大学から琵琶湖の湖畔キャンプ場に場所を移動してバーベキュウ。
嫌な予感はした。
キャンプ、バーベキュウ初心者だらけであったのだ。

初心者に限って昼間から始めない。
日が落ちてから始める。
そして、ランタンを用意していない。
慌ててキャンプ場からレンタルする事を指示。
合宿では基本的に学生たちに任せるのだが、
流石にランタンのないキャンプはアウトだからこれは緊急避難。

いや、もう一つ。炭の火起こしもやってしまった。
着火材があるから大丈夫だと思い込んでいるのだが、
見ていたら、それじゃあかなり火はつかないぞというのが一目で分かった。
ここも仕方なしにやる。
17時位からなら1時間位放っておくのだが、流石に19時になっていたので。

あれこれ語って飲む。
かなり飲んだ。
ま、そういう夜もある。

翌日は卒業生がやってきてくれて、就職して半年経った今の近況を報告してくれた。運動会の翌日にも関わらず。

単級の担任ということで、一年目から学年主任の仕事もしている者や、落ち着いた学校でのんびり育てられている者など、学校によってばらばら。
だが、その中でそれなりに頑張っているのが分かる。うれしい。
いくつかのことについてアドヴァイス。

私は用事があったので、ここで帰宅。
学生たちは、その後も卒論のことやらなんやらであれこれ語っていた。
よしよし。

2012/09/13

仕事は割り算でしなければならない

9/13

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「秋は夕暮れ」 by iPhone4

今日は12時間ぐらい研究室で論文と格闘していた。
大学の教員になれば、まとまった時間を使って文章が書けるかなと思っていたが、
私の仕事の仕方だとこれがなかなか難しい。

ではあるが、今日は集中した。
やるべきことと、締め切りが決まっているのでもう集中。

仕事は、足し算ではなくて割り算でやらなければならないと気がついたのは、当たり前だが就職してから。学生時代は足し算で勉強をする。簡単に言えば、勉強時間が増えれば増えるほど勉強した気になるし、実際に勉強をしているわけだ。

ところが、仕事は割り算でしなければならない。
足し算で仕事をしていたら、いくら時間があってもたりない。睡眠時間もなくなる。
足し算だけで勉強していた学生時代とはパラダイムが違うのだ。

引き算でもなく、割り算なのだ。
すべき仕事の割合を考えて、これにどの位の時間をかけられるのかを考える。その為には割るのだ。そして、割り振った時間の中で最高のパフォーマンスを出す事を目指すのだ。

でまあ、その通りなのだが、実際は足し算やら引き算やらをしながら仕事を進める。
突然あれこれ降ってくるのでね(^^)。

だけど、割り算だという基本的な考え方は大事にしたい。

2012/09/12

なかなかやるな、耳鳴りは

9/12

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大学に移った年の冬。入試の最終日の事だったと思う。
突然右耳が聞こえなくなった。
近くに居た看護学部の先生に相談したら、
「突発性難聴だと思います。直ぐに病院にいって。72時間が勝負です」
と言われた。

で、勝負に負けてその後耳鳴りの後遺症が残る事になる。
耳鳴りなんて簡単に治るかと思っていたら、あにはからんや。
治らないのだ。
簡単に言えば、一生この耳鳴りの世界に住む事になってしまったのだ。
その時は、一瞬だが右耳をピストルで撃ってしまいたいと思う位の絶望感に包まれた。

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医者は言った。
「ま、なかなか治りませんが、慣れますから」
と。
余りの言い方に
(本当に、人ごとだよなあ)
と思ったのを良く覚えている。

いまでも耳鳴りはする。
居酒屋等に行くともう殆ど聞こえない。
悪口は聞こえる事もあるがf(^^;、聞こえない。

今日は、七十二候では、鶺鴒鳴(せきれいなく)である。
秋が深まって行くのが分かる。

研究室から出て車に入る。
車の中は日中の太陽で暖められた熱がこもっている。
だが、その熱も随分と穏やかになって来ている。

窓を全開にしてゆっくりと流しながら走る。
ああ、そうかと思う。
車窓からは秋の虫の鳴き声が聞こえてくる。

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少し前までは蝉の鳴き声であった。
右耳の耳鳴りは、夏のときには確かに蝉の鳴き声のように感じていたのだが、
いま、左の耳から入ってくる秋の虫の音に刺激されてか、
右耳の耳鳴りは、秋の虫の音のように響いている。

(なかなかやるな、耳鳴りは)
と思ったりする。
耳鳴りになった御陰で、こんなことも味わえるんだなあと
秋の夜に思う。

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研究室から見えた今日の夕暮れの空は、こんなにも変化していた。
私も少し変われたようだ。

人生はなかなか味わい深い。

2012/09/11

だが、まあそうなんだろうなあとも思う

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滋賀県 甲南インター付近の空 by iPhone4

9/11

小学校四年生のときに、半ズボンを履いて野球帽を被って近所の池で釣りをしていた、池田少年は、恐らく自分と同じ年ぐらいの少年に衝撃的なコドバを掛けられた。
「おじさん、何か釣れた?」

おい、野球帽を被っていたので、顔が見えなかったのは分かる。しかし、半ズボンを履いて釣りをしているおじさんがどこにいる。しかも、少年の履く半ズボンである。確かに年少の時から老けてはいたが。

因にこの老け顔のピークは14歳。
そこから余り、本人は、老けた顔になったとは思っていない。
ま、確かにこの顔で14歳だったら相当老けているとは思うが、
今はどちらかというと年齢の割には若い顔でいると思う。

で、昨日。
幼児教育コースの学生たちが実習をしている今、その実習先に訪問指導をしに行った。大津市内の保育園と名張の保育園である。

大津市内の保育園で、学生が二歳児と三歳児の保育実習をしている所にお邪魔した。子どもたちからすると、先生(実習生)の先生(私)は、もっと面白いだろうと考えてくれるようで、基本的にはどこでも歓迎してくれる。こちらもとても嬉しい。

そこで久しぶりに衝撃を受けた。
「おじいちゃんだ!」
と言われたのだ。

今、夏休み期間で授業が無いと言う事もあり、鬚を伸ばしている。
(あ、随分と白いものが増えたなあ)
と久しぶりに伸ばすと、その白い鬚の本数の増加に自分でも驚くのだが、それを「おじいちゃん」という表現で「純粋無垢な」子どもに指摘されたのは、衝撃であった(^^)。

だが、まあそうなんだろうなあとも思う。
私の年齢で、本当のおじいちゃんになっている人は、そろそろ珍しくないだろう。おじいちゃんになれるってのは、結構いいことなんだなと思い始めている。

娘はまだ5歳だから、本当のおじいちゃんになるにはまだまだ時間があるが、社会的におじいちゃんになるのは、そろそろなのかもしれないなあと思い始めている。

なんなく「フレディもしくは三教街」を聞きたくなったなあ。← これが分かる人は、同世代(^^)。

2012/09/08

私は今久しぶりに英語の頭が動き出しています

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(瀬戸大橋)

私の中学生の頃の夢の一つは、自分の書いた文章が活字になる事であった。
書道をやっていた私は、当時、字はうまかった。
だから、手書きで良いと言えば良いのだが、活字に憧れた。
(一生の内に、一冊で良いから本を書き国会図書館に収蔵されたい。それがダメなら、何かの雑誌に文章が載って活字になりたい)
と思っていた。

で、昨今である。e-mailはもとより、HP、blog、twitter、Facebook。
全て活字である。なんてこったい。

しかも、HP、blog、twitter、Facebookは書いた瞬間に、原理的には世界中に発信され、未来永劫残るのである。なんてこったい。

で、最近のFacebookで感じた事がある*1。英語を読むようになったのだ。HP、blogは発信がベースなので、自分から英語を書く事は基本的に無い。twitterもフォローする人に英語圏の人は居ないので英語は無い。

ではあるがFacebookは、世界中でおきた面白い、美しい場面を写真で配信してくれるものがある。これを見ていると、その写真のキャプションの英語を読む事になる。大した長さではないので、さっと読める。ま、もっと正確に言うと読むよりは見るかもしれない。しかも、写真と言う画像情報をヒントにし乍ら読めるのだからいい。

短いキャプションではあるが、一日に10枚位の写真を読めば、それなりの分量にはなる。

んなことをやっていたら、なんとなくだが、私も英語の文章を書きたくなって来た。手書きで万葉集の和歌を書きたくなったのと同じ流れかもしれないf(^^;。

中学校の国語の教員のときには、ディベートで英語の文献を読む事があった位で、英語とは基本的には関わりのない生活をしていた。必要性を感じないわけでありました。ところが、今も必要性はさほど感じないのに、興味が私を刺激して、英語の文章を読むようになったわけです。

これは私に取っては実に大きな変化です。

また、最近読んだ『のうだま2』には、脳みそは入力より出力に刺激されるということが書かれていました。簡単に言うと、覚えるよりjも使うことで記憶が活性化されるということです。

で、Facebookでは急に英語で書き込みを始めるようになりました(^^)。

やってみて思うのは、ワープロで英語を書くというのは、随分楽なんだなということです。
スペルチェックもそうですが、辞書引きも簡単。例文検索も簡単。中学校三年生ぐらいの英語力があれば、かなりできるのではないかと思うのです。

私が中学校の生徒だったときは、Queenの楽曲を聴いて歌詞を手に入れて、必死に英和辞典で翻訳して意味を考え、英語の先生にそれを見てもらいに行っていました。なんて面倒くさい(^^)。それが良かったと言うことを言いたいのではなく、今の生徒は今の環境を使えばいいと言う事です。

選択肢は多い方がいい。只多すぎると、自分に合った選択肢に出会う可能性が少なくなる。だから、それは先生にコーチしてもらうのが良いとは思います。だけど、何もしないのは勿体ないなあと思うのです。

携帯電話のあるときに生まれた今の子どもたちに、携帯電話の無い世界の大変さを語る事は意味が無いと思います。だってあるんだから。しかし、ある事によってのチャンスの広がりは、無かった事を知らない彼らには分かりにくいかもしれないなとも思うわけです。

ということで、私は今久しぶりに英語の頭が動き出しています(^^)。

*1  Facebookでは、直接お話をしたことがあって、お酒も飲んだ事があって、顔と名前が一致した事のある方とだけ友人申請をしております。よろしくどうぞ。

娘(4)から、娘(5)になったわけで

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ほんの短い時間だが、淡路島でオフを取って来た。
娘の誕生日に合わせて、この数年同じホテルに泊まっている。
9月に入ると、流石に人は少なくなる。
しかし、夏の名残というかまだ淡路島は夏本番で、十分に楽しめる。

また、ホテルのスタッフが私たちの事を良く覚えていてくれて、
丁寧に対応して下さる。
年に一度なのに。

本当は一週間位居たい。
その中で、この一年を振り返り、この先の一年間をなんとなく思う。
その為には最低一週間が欲しいと思う。

流されるのではなく、流す。
聞かされるのではなく、聞く。
やらされるのではなく、やる。

今まで以上にそれは考えなければならない事。
やりたいこと、やらねばならないこと、やってはいけないこと。
皆さんは信じないだろうがf(^^;、このバランスの中で生きて来たと、私は思っている。

でも、そろそろ前者に力量を置くべきだと考えている。

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娘(4)から、娘(5)になったわけで、
ますます、親バカになっている自分を感じる。
ありがたい時間を過ごしていると、改めてあちらこちらに感謝である。

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