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2012/09/23

学級が安定したということと、授業が上手いと言う事は別

9/23

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(懇親会で出た冬瓜のスープ。うまー!)

昨日は久しぶりに、明日の教室京都本校での登壇となった。糸井先生と一緒に。
今回は、というか暫くは明日の教室京都本校は、授業で行く。

新卒の先生たちが困るのは、学級の作り方が分からないということ。
学校を辞める新卒の先生は、授業が出来ないからということはなくて、学級が作れないから、または膨大な事務仕事に潰されるからというのが、私たちの仮説であるが、それについて最近は相当の書籍も出てきて、それなりに社会に流れが出来たなあと思った私たちは、

「だけど、学級が安定したということと、授業が上手いと言う事は別でしょ」

というところを扱う事にした。
学級が安定しないと授業は進まない。安定すれば進む。だが、その進むであっていい授業とはイコールではない。いい授業をして、子どもたちに力を付けて行きたい。だから、授業のあれこれなのだ。

前半は、糸井先生が自分の教材研究について、そのやり方を語った。社会科は資料。それは、自分の?から始まる。その?を解決する為に、足で捜す、本で捜す、ネットで捜す。それを具体的に語られていた。そこまでやるかという丁寧なものであった。

国語の教材研究と同じ部分も沢山あったが、唯一違うなと思ったのが、画像資料であった。これは国語には無いなあということ。いや、なんというか、挿絵とかメディアリテラシーとか非連続テキストとかで、国語の読解の授業はあるのだが、やはり文字を読むことがメインで、あまり重視されていない。

非連続テキストの読解の授業は、社会科の先生にやってもらうのがいいんじゃないかなあ。少なくとも社会科の先生の授業から学ぶ必要があるのではないかなあと思うのでありました。

私は「国語教材を中心に発問を考える」ということで、授業の型の説明から指導言、発問に説明をして、実際に教材を使って発問を作る演習を行った。

発問が難しいということを聞く。一番難しいのは説明だと思うが、それでも発問は難しいと言う。その中でも特に、最初の発問が難しいと言う声を聞く。何を言ったらいいのか分からない。そして、発問をした後の生徒の発言をどう纏めて、どう展開したらいいのかが分からないという。

いやあ、もし本当なら大変だ。それで授業なんてできるわけがない。今やっているのは、授業に似た何かであって、授業ではないだろう(^^)。

ということで、私は新しい教材に入ったときに行う、最初の発問をどう作るのかということについて実際の小学校3年生の教材を元に行った。

正直に言うと、中学校の教員をしているときには、こういうことは余り考えなかったf(^^;。自分では出来てしまっていたからだ。だが、いまの教員養成の立場になればそうはいかない。なぜなら発問で困っている人が沢山いるからだ。

発問、特に最初の発問を作るときにどうしたらいいのかを提示しないと、大学での教科教育法(国語)、国語科教育法の授業にならない。昨日は授業で扱ったものを整理して提案してみた。

頂いたアンケートで、嬉しかったのは
「直ぐに家に帰って、月曜日の授業の教材研究をしたいです。発問を考えたいです」
というものである。5時間もかけて車で長野から来て下さった先生の感想だ。片道5時間かけて来て、講座ががっかりだったら帰りの5時間は辛い事になる。でも、良ければその帰りの時間は、月曜日の授業をどうしようと考える時間になる。

私もこんな経験がある。嬉しくて早く授業をしたくなる感覚だ。
時には私はディベートの研究会で刺激を受けて、研究会で話を聞きながらその場で授業の計画を立てていた事もあった。

早く子どもたちに会いたい、早く授業がしたい。
私たちの講座の後にそんな風に思ってくれるのであれば、本当に幸せである。

来週は、明日の教室東京分校で、体験作文の書かせ方指導について講座を持ちます。
あと数席残っています。良かったらどうぞ。

http://kokucheese.com/event/index/50396/

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