「すごい」は話者の説明の言葉ではなく、聞き手の呟きの言葉なのである
9/25
後期の授業が始まった。
夏休みに何があったのかを簡単に一分スピーチさせた。
いや、指示する方は簡単なのだが、やる方は大変である。簡単に指示をして3分間の準備の時間を与えた。
先生と言う仕事は、やたら自己紹介の機会がある。
特に初任一年目、転勤一年目はそればかりだ。
そして、突然の無茶ぶりでお願いされる事が多い。
一分で自分の説明をする練習や、一分で近況を語れるようになっておく事はとても大事。
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私が今回やった方法は、
1)美味しかったもの、美しかった夕陽、面白かった本や映画を枕にする。
2)それに繋げて夏の思い出を語る。
というものである。1)があるので、スピーチの最初は話しやすくなる。それに続けて、場所、時間、その時の様子などを語れば良い。
ま、それなりに話が出来ていた。
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その中で、気になったのは、説明をする時の「すごい」「すごく」という言葉が頻繁に出てくる学生である。私は
『安易に形容詞、副詞に逃げるな』
と指導する。話者は、何がどう凄いのかを語るべきなのだが、「もう、とってもすごいんです」と話されるとどうもゲンなりしてしまう。しかも、この「すごい」を口癖のように使う学生は、本人の意識も無く連発する。ある学生は一分間に7回も使っていた。10秒に一回以上使っている事になる。
私は「すごい」という言葉を聞くたびに、
1)凄い以外の言葉を使えない、語彙力がない学生である
2)本当は凄くないものを、無理矢理凄いと言いくるめている
のどちらかではないかと思ってしまう。
『何がどうだったのかをきちんと叙述せよ。そうすれば、聞き手が(すごい)と呟く』
と指導する。「すごい」は話者の説明の言葉ではなく、聞き手の呟きの言葉なのである。
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授業の季節が戻って来た。
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