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2012/10/25

内容のレベルでは揃っているのだが、小見出しのレベルで揃っていない

10/25

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子どもがインターネットを安全に使う為にというテーマで卒業論文を書こうとしている学生がいる。

第3章の目次案は、今日の卒論ゼミで提出されたものは以下の通りである。

引用開始 ーーーーーーーーーー

第3章 子どものネット安全教育に何が必要か

第1節 有害情報、SNSの規制
第2節 SNS、インターネットの使い方
第3節 学校での安全教育

引用終了 ーーーーーーーーーー



これを読んで頭を抱えるのである。
そうなんだけど、これじゃあ伝わりにくいと思うのである。

『なんで、第3節だけいきなり、学校が出てくるの?』
『学校以外では、どこが指導しているの?』
という話から入る。上手くは答えられない。

『第3節にいきなり学校が出て来ているけど、第1節、第2節の行為の主体は何? つまり誰がやっているの?』
「会社と家です」
『でしょ。そうだとすれば、第3節だけいきなり行為の主体の学校が出ているのは、揃っていないって分かるでしょ?』

内容のレベルでは揃っているのだが、小見出しのレベルで揃っていない。ここに気がついていない。そこを指導する。



で、子どもがインターネットを安全に使う為に、企業、家庭、学校がいましていることは何で、現状で不十分なことは何で、それはどのように解決されるべきなのかを論じれば良いということが分かる。

が、これでいきなり説明しても分かりにくい。そこで、「火」で考えさせることにした。「子どもが火を安全に使う為に」と扱う対象を変えて、そこにある安全のためのフレームを検証することから始めて見ることを指導した。

『火を使えるように、ま、ガス会社は不純物の無いガスを作り、安全に確実に届く設備を作るわな。家庭では基本的な日の使い方を教えるだろう。親と一緒に使うことから始めて、梶になった時の対処の仕方まで。じゃあ、学校は? 学校で火を使うのは?』
「家庭科と理科です」
『どうする?』
「火の種類とか性質とかを教えます」
『そうだな。そもそも火とは何なのかを教えるよな。他には?』
「?」
『火を使う時の心構えも教えるだろ。どんな道具でも、使う人の心構えに寄って凶器にもなるし、道具にもなるということは教え無ければならない。他に?』
「?」
『うーん、ここは教えないのか? 火の面白さだ。面白いということを知れば、使いたくなる。使いたくなるから、きちんと使わないと使わせないよということもできるはずだ。で、これをインターネットの文脈で考えるとどうだ?』
「はい、面白いです」
『できそうか?』
「はい、やれそうです」



アイディアを出す時の一つの方法として、内容を変えつつ、そのフレームを考えるとうものがある。
(こういうのが自分でできるようになると、いいのだがなあ)
と思いながら、
(だけど、そのためのゼミだよな)
とも思う。

2012/10/24

『レクって言うけど、レクってなに?』

10/24

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学級担任論では、学級開きの一部としてのレクを扱う。
『レクって言うけど、レクってなに?』
と発問する。学生達は何を今更のような顔。学級での遊びぐらいのイメージである。
『レクとは、recreationであることを理解するか? re-createなのだよ。再創造なわけだ。じゃあ、何を再創造するのか分かるか?』
と再び発問。
『教室の雰囲気や、人間関係を再創造するということである。学級開きでやると言うことは、四月に新しいクラスのメンバーになった一人一人が、今までの人間関係から新しい人間関係を構築する為の、再創造な訳だ』

この説明をした後、いわゆるアイスブレイクとしてのレクの実際をやる。
『さて、レクの間私は何をしていたでしょうか?』
と発問。
学生達は、レクに熱中していて私を見ていない。
『ところで、今日は大きく4つのレクをやりましたが、なぜこの4つを選んだのでしょうか? また、4番目のレクは4つの項目でやりましたが、なんでこの4つの順番でやったのでしょうか。それぞれの項目はなぜこの項目でなければならなかったのでしょうか?』
と発問。

考えさせた後に、その種明かしをする。
つまり、教師は子どもたちにアイスブレイクをさせるという目的を達成するために、実に細かい配慮をしているということに気がつく。

また、子どもを遊ばせつつ、教師が見ているものは一人一人の子どもであるということを理解させる。楽しむのは子どもでいい。教師は、子ども観察の為の非常に重要な時間なのだ。だから、
『学級通信に載せるから写真を撮るね』
と言ってその時の様子を映像記録として残しておくことも実に大事なのだということを話す。

遊びを指導できる先生はいい先生である。
『さ、今から遊ぼうか?』
と言って嫌がる子どもはあまり居ない。
『さ、今から勉強しようか?』
と言って喜ぶ子どももあまり居ない。

だから、家本芳郎先生が仰っているように、子どもの喜ぶ遊びから、若手の教師は子ども集団を動かす指導の方法を身につけるのが良い。声の出し方、指示の出し方、立ち位置、評価の言葉のタイミング等実に多くの指導の技術を学べる。

授業は、実に種も仕掛けもあるのである。

2012/10/19

人生の四則計算

10/19

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受験勉強は足し算で。写真は引き算で。人脈はかけ算で。仕事は割り算で行うのがいい。

算数が得意ではない私が言うのもなんだが、この四則計算は結構良いのではないかと思う。
学生達の課題のやり方を見ていると、明らかに足し算で行っているのが分かる。一日の時間の過ごし方が足し算なのだ。だから、課題をやって寝る時間が無くなると、それを削って翌日大学に来る。

これは受験勉強には有効だ。勉強時間を積み重ねて積み重ねて、受験に必要な学力を付ける。例えば教員採用試験には2000時間の受験勉強時間が必要だと言われているが、2000時間になるまで積み重ねて行くのである。

しかし、課題や仕事は割り算でやらねばならない。一日の時間、一ヶ月の時間を考えて、今は今日はどれ位やるべきなのかを考えてやらねばならない。若い頃はそれこそ徹夜で仕事をしても翌日はなんとか持ちこたえるだろう。しかし、そう言うときに限って子どもは事件を起こす。そのまま生活指導に突入なんてこともある。

睡眠時間を確保した上で、この仕事を何時間で終わらせると決める、つまり割り算で計画を立てて行う必要があると思うのだ。

写真は、引き算。どうしてもあれもこれも一枚の写真に入れたくなる。これだと写真のテーマがぼやける。写真は、そこにある世界を読解し、その読解した世界を写真という道具で表現する。まずは、読解が大事。読解力が無いとどんなに良いカメラを持っていても良い写真は撮れないと思う。

で、読解した世界の何をどのように表現しようかと考える時、それは引き算になる。あれもこれもと一枚の絵の中に落とし込むと、訳の分からない写真になる。単焦点レンズなら一歩前にでる。マクロ撮影でもあと数センチ近寄ってみる。テーマがはっきりとするはずだ。

で、最後に人脈。仕事は人脈でするものだと、30歳になった頃に教わった言葉だ。コネではない、人脈だ。人脈のある人と無い人は何が違うのか? 私は基本的には
(この人とまた一緒に仕事がしたい)
と思われる仕事を、そのときにしているかどうかだと思う。
名刺を交換する、お礼のメールを出す。これも大事。だが、相手の名刺が手元に残っても、メールアドレスが分かっても
(あの人ともう一回仕事をしたいな)
という思いになっていなければ、その名刺もメールアドレスも活躍しようがない。

逆に言えば、(あの人ともう一回仕事をしたいな)となっていれば、なんとかしてその人と連絡を取ろうとする。そして、その人から誰か紹介してくれないか?となれば、どんどん紹介する。そうやってかけ算で増えて行くことになる。

私の人生の四則計算の考え方だ。

京都の町が炎上していた

10/19

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昨日の夕方は凄かった。
ただ、ただ、凄かった。
京都の町が炎上していた。

研究室を出て印刷に向かおうと思ったときに見た外の景色である。
研究室はめずらしくブラインドを閉めっぱなしで、外の景色を見ることは無かった。

で、外に出たらこれである。
慌てて研究室に戻りiPhoneを手にして窓に向かった。

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数枚写真に収めて、教室に居た学生達に声をかける。
『君たちそんなことをしている場合ではないぞ!』
と窓の外を指差す。
「きゃー!」
と叫びながら出てくる学生達。

ほんの5分程度のことであった。
あっという間にこの炎上は鎮火した。
大学に来て8年目、ここまでの色は見たことが無い。
凄いものを見てしまった。

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地球は一日に二回このような美しい演出を良いしてくれている。
40億年もずっと。
すごいことだ。

2012/10/16

かぎろひ

10/16

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秋が深まって来たのは、落葉樹の紅葉が始まったことでも分かるが、私にとっては琵琶湖の朝の空の色が大きい。夏の間には見ることの出来ない「かぎろひ」が、出現し始めたのだ。

東の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて
 返り見すれば 月傾きぬ 柿本人麻呂

の、かぎろひだ。

この青とオレンジがなす空の輝きは、
一日に10分程度だ。
ただ、ぼーっと見て、時々気がついたようにシャッターを切る。

今日も見えた。
これからさらに深い青とオレンジが琵琶湖を染めて行くことになる。
楽しみだ。

ビールを飲みながら、光の変化を音とともに感じて過ごす

10/16

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第四回の大津ジャズフェスティバル。
秋の空の下で、浜大津のみならずあちらこちらで演奏が繰り広げられました。

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ビールを飲みながら、光の変化を音とともに感じて過ごす。
なんとも良い時間でありました。

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2012/10/15

「評価規準」の観点の5「言語についての 知識・理解・技能」

10/15

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(『ちはやふる』の舞台 近江神宮の空)

国語科教育法2では、「国語科を実技教科にしたい」を主に「諺の学習」を通して具体的に考えている。

言葉を、覚える、使う、作るの三つの場面を想定し、それぞれに実技にするにはどうしたらいいのかということである。ま、勿論、これは三つとも実際にやっていることなのだが、なぜか授業になると説明で終わってしまうことが多い。実際にやるである。

今日の中心は「対義語でポン!」という私が開発した学習ゲーム。そして、その活動を通しつつ、言葉の獲得のポイントを講じる。

言葉は、思考である。言葉の数だけ思考の数が増える。
その際、どうやってその言葉をクリアな意味として中学生に理解させるかを考えさせた。

1)その言葉を深く探る。
2)その言葉の類義語から考える。
3)その言葉の対義語から考える。

この三つのパターンがあるように考えている。

1)大人。これを定義するのはなかなか難しい。辞書や心理学事典などを参照し、用例を見ながら、確定して行く。
2)他者と他人。他は同じ。者も人も人間を表しているように思える。しかし、同じ言葉でない以上は、意味が違う。どこが同じで、どこが似ていて、どこが違うのかを考えることでそれぞれの言葉を理解して行く。愛と恋、旅と旅行などもこれで考える。
3)男と女。どちらも人間である。しかし、どこかにこの男と女を切り分ける線が引けるはずである。その線は一本とは限らないかもしれないが、その線を見つける作業をする。

こういうことを「評価規準」の観点の5「言語についての 知識・理解・技能」、すなわち「伝統的な言語文化に親しんだり、言葉の特徴や決まり、漢字などについて理解し使ったりするとともに、文字を正しく整えて速く書いている。」でやったら面白いのじゃないかああと思うのだ。

寧ろこう言うことをしていないと、説明文でキチンと概念を押さえられなかったり、小説や韻文で象徴を理解できないと思うのだ。

国語科を実技教科にしたいは、国語の学習ゲームとして今日は展開した。そして、それが終わってからその根っこの部分は、言葉をしっかりと獲得させたいという所に繋がっているのだということを説明したのでありました。

優れた教師は授業を通して作られる

10/13

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土曜日は、多賀先生の明日の教室であった。

私は小学校の先生の授業の作り方から、授業を作りを学んで来た部分が大きい。「授業づくりネットワーク」に所属していたことから、良質な小学校の授業づくりに触れることが出来た。小学校の授業づくりは、丁寧なのである。

例えて言えば、中学校でスモールステップの授業をつくるとして、4つのステップをつくったとしたら、小学校では12とか20とかのステップを用意しているというイメージであった。用意しておいて、ここぞという時以外は使わないのである。

使えるようにしておいて使わないと、用意していないから使えない。
外側から見ると同じようであるが、実際は全く違う。
ここに教員生活の初めの頃に気がつけたことは、私にとってかなり大きな意味を持っている。

多賀一郎先生の国語の授業は実に丁寧につくられていた。
面取りがきちんとしてある野菜でつくられた料理。
出汁を取り出すタイミングが絶妙な料理。
包丁を入れる角度と所要時間がぴたっと決まった料理。

なんというかフルコース料理をじっくりと味わった感覚。
それでいて、お腹がもたれることは無く、次のフルコースを楽しみにしたいと思わせてくれるものであった。

優れた教師は授業を通して作られる。その授業は、子供達を理解することによって作られる。授業をエピソードで語れる教師とはそう言うことなのだと思う。

多賀先生の語られる教室での、学校での子ども達とのエピソードは実に豊かであった。先生が間違いに気がついたところから、どう乗り越えて行ったのかを赤裸々に語られていた。省察する教師と言う言葉が無かった頃から、優れた先生は省察をしていたのだということが良くわかる。

私の恩師は、
「実践家は間違えることが出来る。ただし、一回だけだ」
と話していた。その間違いを乗り越えつつ、教師は成長して行く。
その姿を国語の授業づくりということを通して、じっくり学ぶことのできた3時間半であった。

今回もDVDになります。是非お楽しみにして下さい。

2012/10/13

卒業論文の指導を本格的に始めた

10/11

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採用試験も結果待ちとなったところで、卒業論文指導を本格的に始めた。90分のゼミで三人。一人30分の予定だったが、一人目は50分やっていた。「はじめに」の部分を読むのだが、タイトルと中身の整合性や、本文中のパラレリズムの在り方などを説明していたら、あっという間に50分であった。

私が行う卒論指導は、書く前の部分を除けば、

1)タイトル指導
2)目次案指導
3)はじめに、第一章指導

の三つが柱である。
これを通して論理的な文章とは何かを指導する。この三つがきちんとしていれば、あとはテーマの設定(内容、規模)が間違えていなければ書ききれると考えている。

で、学生達の卒論の「はじめに」の部分を読む。
予想していたことではあるが、論理が流れていない。

タイトルと内容がズレていることがあるが、それに気がついていない。
例えば「◯◯に繋がる△△の研究」というタイトルがあった。この卒論の「はじめに」を読むのだが、私には「繋がる」ではなく「繋げる」のように読めたのだ。ところが、書いた本人も、ゼミ生もここに気がつく者がいない。

学生達の検討が終わりそうな時に、このことを指摘した。「繋がる」でいくのであれば、「はじめに」の内容を変えなければならないし、変えないのであれば「繋げる」でなければならないのではないか?と。

また、「このような課題設定は、以下のような課題認識と問題意識にもとづいている」とあるのだが、以下を読むと問題意識しか書いていなかったりする。対応が出来ていないのだ。こういうところを一つ一つ時間をかけて指導する。

だが、合宿で「これは壮大なレポートだねえ」と目次案を批判された学生が、頑張って論文の目次案になりそうな者を作って来た。タイトルも面白い。合宿では、掃除指導をテーマにしてやろうと考えていたのだが、それだと大きすぎるし、『掃除サボリの教育学』を越えるものは書けないから再考しなければならないだろうと指摘したのだが、それに答えて面白いものを提出して来た。

どうやら掃除指導をやりたいのではなく、掃除指導の中に潜んでいる、◯◯◯をやりたいのだなあと言うことが分かった。
『ここが論証できればかなり面白いと思うぞ』
と話す。粘った者勝ちになることを期待したい。

さ、自分とテーマとに向き合う二ヶ月が始まったぞ、四回生。

2012/10/11

「私は、〜だと思います」

10/11

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学生の説明でまだまだ気になるものはあるのだが、もう一つだけ。
説明の最後に
「私は、〜だと思います」
を連発する言い方。この言い方をする学生がいる。
これが気になる。

怒ると叱るの対比で、この「思う」問題を考える。

怒ると言うのは
「先生は、怒ったぞ」
のように使う。怒るは自動詞なので、このように使う。
一方叱るは、
「馬鹿たれ、お前は何だ!」
とか
「君のそこはダメだ。なぜなら、〜」
のように使う。他動詞である。

「先生は、怒ったぞ」
と言ったとき、先生は以下のことを児童生徒に対して想定している。または望んでいる。
(先生が怒ったと言うことは、これはまずいことをしたわけだ。だから、いまやっていることを直さなければ)
ということである。

しかし、児童生徒の中には
(え、だから何?)
(勝手に怒っておけばいいんじゃないの?)
という児童生徒がいるわけである。
つまり、あなたが「自動的」にやっていることで、自分には関係ないと思う訳である。

「私は、〜だと思います」
と言われても、

(へ? だから何?)
(先生はそう思うのね。私は違うけど)

という子どもがいるわけなのだ。先生は怒ったぞと言われて、(え、だから何?)と思う子ども達と同じである。

「思います」
という言葉は、それ以外思ってはいけないというメッセージを送る可能性がある。そして、児童生徒が先生のことを受け入れている場合は、
(ああ、そう思わなければならないのだ)
となる。

しかし、そうではない場合
(あんたはそう思うんだろうけど、だからなに? そう思えっていうこと? 関係ないし)
となる「危険性」を孕んでいる。このことに無自覚である学生がいるのだ。いや、先生の中にもいる。

まあ、小学校の低学年まではこの話法も十分に効き目がある。しかし、小学校低学年までである。この危険性に自覚的になりながら使うなら分かる。ではあるが、これを使う人は大概無自覚である。

私は怖いなあと感じている。

2012/10/10

既知から未知へである

10/10

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18:00に会場に到着。

今日は、嘗て同じ学年を組んでいた先生が校長として修学旅行にやってきた、その中学校三年生に京都のこと、進路のこと等のあれこれを話して欲しいと依頼されてやることになったその日だ。

私がやるのではない。私の四回生ゼミの学生達がやる。
私は彼らのプランを見てアドヴァイスする位である。
彼らが全部やる。
これがいい。

18:30からスタート。
(うわあ、中学校修学旅行だあ。懐かしいなあ。今日はトラブル無かったかなあ)
とか思いながらビデオの用意をする。学生達のために記録だ。

全部終わった後、私は学生達の発表に関して指導を行った。
折角の機会なので、その場で指導だ。

内容に関してはなかなか頑張っていた。
ただ、伝え方がワヤワヤであった。
そこについて、厳しく指導。
というか、これで教育実習をやってきたとしたら、申し訳ないし、
四月から教員になるのであれば、もっと申し訳ないと思いながら指導であった。

一つの例を出す。
スクリーンに今日の町の中の地図を出し説明していた。「あがる」「さがる」の話をしていた。京都御所が北にあり、北の方に行くことをあがるといい、南の方に行くことをさがるという。スクリーンには、京都御所の場所があった。発表者のパートナーが、スクリーンに駆け寄って、

「ここです」

とその場所を示した。

(ああ、ダメだ)
と私は思った。だが、学生達は咄嗟の判断が良かったと思っている様子であった。

この発表について指導の場で聞いた。
『あの場面のあの行動で良かった点と、ダメだった点は?』
と聞いた。
『勿論良かった点は、咄嗟の判断でスクリーンに駆け寄り、京都御所の場所を示したこと。では、ダメなところは?』
と聞くが分からない。うーむ、指導が行き届いていないか。

『ダメだったのは、既知から未知への流れが出来ていないことだ』
と説明する。東京の子ども達にとって、
「ここが京都御所です!」
と地図で示されても、
(はあ?)
と思うのが関の山である。なぜなら、京都御所の名前は知っていても、それがどこにあるのかが分からないからである。京都御所の場所は未知なのである。それをいきなり示されても、子ども達は?????なのである。

ではどうすれば良かったのか? 既知から未知へである。
『この地図で言うと、うーん、京都駅はここ。で、皆さんが泊まっている宿がここ。で、いま話している京都御所はここ。分かった?』
のように、生徒が知っている(既知)の場所の、京都駅や宿泊場所を示すことから、京都御所(未知)への話をしなければならない。

これが出来ないのだ。実に出来ないのだ。
ものすっごく大事なことなのに。
説明をするときの原則として、三つ上げよと言われれば一つに入る原則が「既知から未知へ」だと考えている。

終わった後、これについて丁寧に説明する。
こういう具体に即した学びの機会をえらたのは、とても有意義でありました。
ありがとうございます。

2012/10/09

ベーコンは、忙しいときに作るようにしている

10/9

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冷蔵庫で寝かせておいた塩漬けのバラ肉を、塩抜きして夜風で乾かしてと準備ができたので、ベーコンを作る。肉の熟成に時間が掛かるが行程は極めて簡単。これであの美味しさが手に入るのだからすばらしい。

ベーコンは、忙しいときに作るようにしている。
と言うのは、熟成の時間があっという間に過ぎるからだ。
子どもの頃は、一日が過ぎるのが長かった。一週間なんて気の遠くなるような先で、クリスマスやお正月なんて年に一回しか来ないんじゃないかと思っていた。ま、実際そうなのだが。

だけど、いつごろからだろうか。
サザエさんがあっという間にやってくるようになった。
(あれ、なんか二三日前に見たような気がしたけど、もう一週間経ったの?)
と。
そこからはもう止まらない。どんどん時間の流れが速くなる一方だ。

で、この早くなる時間の流れをどうにか活用できないかと思うのだが、このベーコン作りはいい。子どもの頃だったら気の遠くなるような仕込んでから一週間後の燻煙なんてのが、簡単になる。一週間なんてあっという間に過ぎるからだ。

昨日は午前中かけて作った。
いい感じに仕上がった。

で、午後は大学で授業があったので出掛けた。
半期に15回やるようにというお達しがあったので、どこの大学もやっている。ところが月曜日の休日が多すぎて、月曜日は15回を確保できない。そこで、月曜日に授業というところが多いのだ。

小中高は、休み。だけど大学だけは授業。
なんだかなあと思うのだが、昨日はそれもたまには良いなと思った。
世の中は三連休。だから、休んでいる人がいる。
そして、大学はやっている。
昨日は、キャンパスに卒業生が多くやって来ていた。

採用試験の合格の発表を伝える為にわざわざ岡山から来た者。
授業がこんがらがってしまっていて、クラスがダメになってしまっていて相談しにくる者。
会社勤めの様子を伝えに来た者。
折角の休日なのに、なんでわざわざ大学に来るのだがとは思うのだが、卒業しても必要とされている大学、教員であるということは、まあ、嬉しいことと言って良いだろう。こういうことがあるなら、たまに月曜日が授業でも良いなあと思う。

また、手みやげに地元のビールという卒業生たちが居て、これがまた、
(なんで私がベーコンを作ったと知っているのだ?)
と思うようなタイミングであった。

ああ美味しかった。

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月曜日の休み。
まさか、卒業生が来るとは。
まさか、ビールを持ってくるとは。
そしてまさか、そのタイミングでベーコンを作っているとは。

こういう僥倖が人生にはたまーに、ある。

2012/10/07

琵琶湖は少し雨が降っている

10/6

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今日、友人のお父さんが亡くなったと連絡があった。
その友人は33年前に亡くなっている。

高校二年の冬に亡くなったその友人のお父さんが亡くなったと、Facebook経由で高校時代の友人から連絡があった。
その友人には妹も居て、その時は小学校二年生であった。
私の結婚式にも来てもらった。お母さんとも友人の命日の前後には電話で連絡を取っている。そこは変わらない。

しかし、あっという間に時間が過ぎて行く。
そう言えばスティーブジョブズが亡くなって、もう一年だ。

「池田さん、男の仕事は50代からが本番だよ」

嘗ての校長がそう教えてくれた。
私もそこに足を踏み入れた。
半世紀生きて来て、反省ばかりだ。

だが、今ある命を大事にしなければと、友人に私は33年前に教わった。

琵琶湖は、結構花火が上がる。
今日の花火は、恐らく結婚式の二次会として遊覧船を借り切ってクルーズして、そのフィナーレで打ち上げたものだろう。

私が若い頃から滋賀に住んでいて、それを見ていたら
恐らく私も同じことをしただろう。
そして、こんなことを思ったはずだ。

(私たちの結婚式で、誰かがこの花火を見て嬉しくなってくれたらいいなあ)

と。
自分たちの幸せを見ず知らずの誰かにお裾分けできることの喜びを思って、琵琶湖に花火を打ち上げただろう。

いまでもひょっとしたら何かのお祝いで花火をあげるかもしれない。
だけど、今は流石に分かっている。

私や私たちが幸せで嬉しくて打ち上げているその花火も、
この広い空の下では、悲しみに打ち拉がれている人が同時にいるということを。
幸せのお裾分けだなんて傲慢に思うのは、若さ。

(すんませんが、打ち上げたいんで、そこのところはよろしく)

という思いを心の角に持てるようにはなったのは、流石に半世紀生きたということだ。

琵琶湖は少し雨が降っている。

あちらの世界で、親子で久し振りに会って、
酒を酌み交わしているだろうか。

私もそこに気持ちだけ関わって
献杯しよう。

合掌。

2012/10/05

頭の中にある、タガを外させる

10/5

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読書の秋である。

子ども達に与える目標は、◯冊という単位が標準だと思うが、◯cmとか◯kgという目標の設定も面白いと思う。または、定価の合計が◯円とか。いつも同じ単位の冊より、(を?)と思うだろう。

そうやって子どもの頭の中にある、タガを外させる。いつの間にか打ち込まれたアンカーを取り除く。

子どもたちに提案させても面白いだろうなあ。
「僕は、学校までの距離と同じだけのページ数を読む」
とか
「私は一に必要な基礎代謝のカロリー分だけ読みます」
なんてことは言わないだろうけど(^^)。

2012/10/01

リフレーミングをするのだ

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国語科教育法2では、私の研究の柱の一つである「国語科を実技教科にしたい」についての部分に入った。ここについては、あちこちに書いている。今もそれを整理しつつ本を書いている。なんでこんな提案をしているのか。私は、子どもたちが国語や言葉を楽しいと思わないで過ごすのが悲しいのだ。

言葉は限りなく面白い。しかし、使い方を間違えるとかなり危険だ。この事を社会に出て直接知るのではなく、生徒の時代に擬似的にあれこれ体験させたい。そんな思いがある。子どもたちを分析し、どんな授業プランを作ればいいのかをあれこれ考えて行って来た。その過程を学生たちに示した。

省察をしながら授業をつくるというのはどういう事なのかを示したいと思って話している。下手をすれば単なる私の自慢話になるが、そういう訳ではなく、現場の教師がどう藻掻いたのかを語る事は結構大事な事ではないかと思っているのでやっているのだ。

学生たちから見れば、大学の教員なんて自分には出来ない事を楽々とやってのける人たちのように見えるだろう。私も恩師の事をそう思っていた。勿論、私と恩師は違うが見え方は同じであろう。だが、やってのけて来たことは事実だが、楽々ではないことは理解させたい。

藻掻く。現場にいるということはそう言う事だろう。一つ言える事は、順調に行っている時は人間は成長していないと言う事だ。順調は楽だ。できれば、この楽な中に居たい。しかし、成長はしていない。一刻も早くその苦しみの中から逃げ出したい、解決したいと藻掻いているとき、人間は成長している。

成長している。が、その成長の結果がその時に出てくるとは限らない。その時に出る事もあるし、3年後、5年後、10年後位先にひょっこりと関係のない所から顔を出してくる事もある。「お前なんで今頃?」というように。だが、それは藻掻いていなければあり得ない。また、出てくるとやはり嬉しい。

なぜなんだ?と問う。これは大事。だが、藻掻いているときに、そのなぜ?を問いすぎるのも場合によっては良くない。なぜ?と問うてみてもそれが分からないからそこから抜け出せないのである。また、なぜと問うてそれが分かったところで、過去のことを変えることは出来ないものだ。

そんな時は未来を見る。辿り着きたいゴールを見る。そして、その為に今すべき事は何なのかを考えるのだ。なぜできないのか?と問いを立てるのではなく、あと何があれば、できるようになるのか?と問いのフレームを変えるのだ。リフレーミングをするのだ。これは私の経験からするとかなり有効だ。

授業をデザインするということの、大変さと面白さを学生たちに伝えたい。大変だけど実に面白い事なのだと体験させたい。モダンではなく、ポストモダンの授業を考えさせたいなあと思いながら、後期の授業は進むのでありました。来週は諺の学習をテーマに具体的に「国語科の実技教科化」を考えます。

オリジナルの実践。 大変だけど、大変ではない。

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もう一つ。
今回の明日の教室東京分の特別講座で多かった感想は
「自分もオリジナルの実践を作ってみたい」
というものだった。
なんというかこれも感慨深い。

私は教わるのが苦手である。
なんというか、その教え方が気になってしまうのと、答えを言われるのがどうも嫌なのである。そこを考えるのが楽しいのであって、それを教えられてしまうのがダメなのだ。

勿論、これは効率が悪い事は十分に承知している。数学なんてそれで分かった喜びを得ないまま馬齢を重ねているのも分かる。だが、教わるときにあるいくつかのイライラを考えると、自分でやった方が気が楽で楽しい。いくつかの楽器を触るが、これも一つとして誰かに正式に習った事は無い。歌も音痴だったのを直したが、自分で直した。

そんな私なので、教育実践も誰かの真似をするとかいうことはしなかった。というか出来なかったのかもしれない。私は、

1)教師
2)生徒
3)社会
4)人類

この四つがキーワードになってそこから立ち上がってくるのが授業ではないかと考えている。(『教師になるということ』参照)特に生徒と教師だ。ここが変わるから授業はプレゼンテーションではなくなる。この四つのキーワードの中に立ち上がってくるものを捕まえて、子どもたちを伸ばして行く営みが授業だとすれば、実はオリジナルの授業しか生まれないと思っている。

藤岡信勝氏は、嘗て『教材づくりの発想』で以下のように述べた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

上からの道

個々の科学的概念や法則、知識を分析して、そこに立ちあらわれっるさまざまな事 実、現象の中から子どもの興味・関心を引きつけるような素材を選び出し、構成してゆく。これを、教材づくりにおける「上からの道」と呼ぶ事にしよう。教材構成における中心的な、オーソドックスな方法は当然、この「上からの道」である。

下からの道

われわれは日常、さまざまな情報に接しているが、その中で、子どもの興味や関心を引きそうな事実にゆきあうことがある。そのとき、素材のおもしろさがまず発見され、しかるのち、事後的にその事実を分析し、おもしろさの意味を反すうして、その素材がどんな教育内容と対応しうるかという価値が見いだされる。このような過程を指して、教材づくりにおける「下からの道」というわけである。 

『教材づくりの発想』(日本書籍 藤岡信勝著)

引用終了 ーーーーーーーーーー

多くの授業は、この上からの道を元に教材を作っているであろう。だが、私は、私が出会った子どもたちは、この上からの道という方法で勉強に向かおうとうする者は多くなかった。特に学力の低い子どもたちや、更に言えば学力が高い子どもたちであっても、上からの道で作られた教材に飽きている子どもたちにとって、下からの道は魅力的であった。

この下からの道を選ぼうとすると、教師は大変になる。
「子どもの興味や関心を引きそうな事実にゆきあうことがある」とあるが、ゆきあわないときも沢山あるのだ。だから、ゆきあうためにあれこれをすることになる。

私は実は、そして、おそるおそる言うが、ここで藤岡が "教材づくりにおける「下からの道」"と読んでいる事に関して、教材ではなく、「学習材」と呼び直した方がいいのではないかと考えている。教える側の都合で作られた教材ではなく、学ぶ側の都合に合わせて用意される学習材である。

私はこの学習材を開発し続けて来たのではないかなあと、このごろになって思っている。そして、それは大変だけど良かったなあと思っている。学生たちにもその当たりの事話している。

『クラスに40人の子どもがいる。この40人の興味、関心を捕まえて、そこに応じたオーダーメイドの学習材を作ることは実に大変で実に面白い事である』

と。勿論、40/40の対応は大変である。しかし、それを頭のどこかに置いて、勉強が嫌いと言っている子どもたちに対して、教材ではなく学習材を用意するというパラダイムシフトを行う教師がこれからもっと増える必要があると考えている。私たちはモダンの時代を生きて来たが、今はポストモダンだ。(って、話を始めると長いからこの先は省略)

オリジナルの実践。
大変だけど、大変ではない。

目の前の子どもにあった授業を作ればいい。
それは大変な事だけど、自ずからオリジナルになる。
子どもほどオリジナルな存在はないわけだから。

恐ろしい事に、小中学校では作文の書き方を習っていない

10/1

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(富士川を行く新幹線の車窓から。橋梁と雲の隙間から奇跡のように富士山を眺める)

「池田先生、お忙しい所をありがとうございます」
講座では主催者にこのように挨拶される事が多い。
『いえ、まあ、そんなことないです。お招きいただきまして、ありがとうございます』
と答える事が普通である。だが、この三ヶ月は
『はい、まあ、良く私のことをお分かりいただきまして。ええ、本当に忙しいんです』
と言いたくなるような時間であった。

この三ヶ月は、
「倒れないように」
が自分に言い聞かせていた言葉だ。
綱渡りのようなスケジュールで乗り越えて来た。

いや、まだ終わり切っていないものもあるのだが、大きな山を乗り越えたという実感はある。今週は、授業と大学の会議だけ。なんだか、スケジュールの記録漏れではないかと思ってしまうほど、外に出て行く仕事は何も無い。これで日常に戻ったなあと言う感覚だ。本を読み、原稿を書き、娘(5)と遊びとすることができる。

週末は明日の教室東京分校で講座を務めた。「体験作文の書かせ方」である。案内文にはこう書いた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「運動会のことを書きましょう」
そう言って月曜日の朝、子どもたちに原稿用紙を配る。二ヶ月も前から準備練習に取り組んで、もの凄く盛り上がった運動会。どんな作品が仕上がるかあなたは楽しみにしています。ところが、子どもたちは
「先生、何を書いたら良いか分かりません」
と言ってくる。
「え、だってあんなに書くことがあるでしょ!」
と驚愕。さらに、
「どう書いたらいいのか分かりません」
「なんで書かなければならないのですか?」
と言われ
「とにかく、好きなように書きなさい」
「思った通りに書きなさい」
としか答えられない自分に気がつくものの、さて、どうしたらいいのか分からない。

そんなあなたに贈る、体験作文の指導方法です。
秋の行事の前に、教室が幸せになる体験作文の指導方法を是非身に付けて下さい。
子どもたちは、作文を書き終えると
「早くもう一度作文を書きたい!」
となるでしょう。

引用終了 ーーーーーーーーーー

自分でハードルを上げてどうするんだ?と思ったが正直な気持ちはこれであった。

そもそもこの講座は、特別講座になっている。もう既に9月の予定は決まっていたのに、行事が目白押しするこのタイミングでこの作文の書かせ方の講座をやっておいた方がいいんじゃないのかなあと思っていた所、東京で急遽日程を組み込んでくれたので、手を挙げてやってきた。

一言で言うと、19年間で私が中学校教育現場であれこれやってきた内容と最近考えている事を、3時間30分で語り尽くすと言う無謀な講座であったf(^^;。 会場にはtwitterやFacebookでしかお話しした事の無い方々のお顔もありとても嬉しかった次第。宮崎からの参加者も居た訳で。

恐ろしい事に、小中学校では作文の書き方を習っていない。
(え、習ったけど?)
と思う人はよく考えてみるとわかるのだが、それは恐らく原稿用紙の使い方であり、「タイトルの付け方」「準備の仕方」「書き始めはどうするのか」などは習っていないはずである。

なんでそうなっているのか?
仮説を述べる。
「読み書きそろばん」である。
なんでこれが重視される標語になっているのであろうか。
国語の教師としては「話す聞く」が無い事に疑問がある訳である。

私の仮説は「話す聞く」は遺伝子レベルに組み込まれているので、放っておいてもできるである*1。しかし、「読み書きそろばん(計算)」は、遺伝子に組み込まれていない。教育という営みを持って初めて成すものである。

ところが、この「読み書き」の部分であるが、日本語ではこれが「漢字の習得」に重きが置かれて、文章の「読み書き」のレッスンは行われなくなったというのが私の仮説である。「なった」というのは、嘗ては漢文の素読や全教科書の音読などがあったため、そこで行われていたと思われる。しかし、今は漢字の読み書きに重点が置かれて、文章の読み書き、就中、書きは指導されず、まるで書く事が遺伝子に組み込まれていると思っているかのように放っておかれる。そして、
「書け、自由に書け」
と言われる状況になっているのではないだろうか。

私は無謀にもこの状況を打破するための一歩を作れないかとあれこれ考えてやってきた。
そのあれこれを示したのが土曜日の明日の教室東京分校特別講座だった、つもりである。

講座の感想を、講座で習った方法を活かしつつ書いて、書き込み回覧作文でコメントし合って終わりとした。古くからの友人の千葉大学の藤川さんには「池田さんは疑う人」「池田さんはしつこい人」というありがたい言葉をもらった。

子どもの頃から「それはおかしいでしょ?」と思った事は割と口に出して来た。そして、矢が降ってくる事も何回も経験した。刺さったりもした。だけど、おかしいものはおかしいのだから、曲げなかった。そうなると、世の中はおかしい事をおかしいと主張している私がおかしいというラベルを貼るようになる。ま、そんなもんんだ。

だけど、「それでもおかしい」とコペルニクスじゃあないが、そんなことを思ってあれこれやってきた。かっこうよく言えば、目の前の子どもの事実自分の実感を大事に授業を作って来たつもりだ。そして「この作文の方法が学校の作文指導のスタンダードになるといいなあと思います」という言葉まで貰ってしまった。

教員生活の前半のころの私に聞かせてあげたい(^^)。
『おい、そのまま頑張れ。大丈夫だから』
と言って上げたい。

勿論、現場の参加者のみなさんからも、学生のみなさんからもあれこれ言葉を頂いた。一番嬉しかったのは、

「早く授業がしたい」
「早く子どもたちに会いたい」
「月曜日が楽しみだ」

というような言葉。
講座の感想としてこのような言葉は、とにかく嬉しい。誰かの役に立っている、そしてそれが先生でその結果子どもたちに繋がっている。これが嬉しい。

今回の講座に参加した方の子どもたちは、行事のあとの作文が書けるようになっていくと思えるのが嬉しい。指導する先生が前向きで燃えているとき、それは十分可能だと思う。

あと30分あったらもう少しワークが出来たなあと思いながらも、ま、この位で終わらないとみんな倒れてしまうなとも思う講座でした(^^)。
講座の完成度はある程度の水準で作れたと思うので、これを元に他の所でも講座を受けられますね。本もこのテーマだけで書けそうだなあ。って、また自分で忙しくしている私。

学問の秋であります。

*1 勿論、高度な話す聞くはディベートなどで訓練をする必要があります。

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