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2012/10/10

既知から未知へである

10/10

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18:00に会場に到着。

今日は、嘗て同じ学年を組んでいた先生が校長として修学旅行にやってきた、その中学校三年生に京都のこと、進路のこと等のあれこれを話して欲しいと依頼されてやることになったその日だ。

私がやるのではない。私の四回生ゼミの学生達がやる。
私は彼らのプランを見てアドヴァイスする位である。
彼らが全部やる。
これがいい。

18:30からスタート。
(うわあ、中学校修学旅行だあ。懐かしいなあ。今日はトラブル無かったかなあ)
とか思いながらビデオの用意をする。学生達のために記録だ。

全部終わった後、私は学生達の発表に関して指導を行った。
折角の機会なので、その場で指導だ。

内容に関してはなかなか頑張っていた。
ただ、伝え方がワヤワヤであった。
そこについて、厳しく指導。
というか、これで教育実習をやってきたとしたら、申し訳ないし、
四月から教員になるのであれば、もっと申し訳ないと思いながら指導であった。

一つの例を出す。
スクリーンに今日の町の中の地図を出し説明していた。「あがる」「さがる」の話をしていた。京都御所が北にあり、北の方に行くことをあがるといい、南の方に行くことをさがるという。スクリーンには、京都御所の場所があった。発表者のパートナーが、スクリーンに駆け寄って、

「ここです」

とその場所を示した。

(ああ、ダメだ)
と私は思った。だが、学生達は咄嗟の判断が良かったと思っている様子であった。

この発表について指導の場で聞いた。
『あの場面のあの行動で良かった点と、ダメだった点は?』
と聞いた。
『勿論良かった点は、咄嗟の判断でスクリーンに駆け寄り、京都御所の場所を示したこと。では、ダメなところは?』
と聞くが分からない。うーむ、指導が行き届いていないか。

『ダメだったのは、既知から未知への流れが出来ていないことだ』
と説明する。東京の子ども達にとって、
「ここが京都御所です!」
と地図で示されても、
(はあ?)
と思うのが関の山である。なぜなら、京都御所の名前は知っていても、それがどこにあるのかが分からないからである。京都御所の場所は未知なのである。それをいきなり示されても、子ども達は?????なのである。

ではどうすれば良かったのか? 既知から未知へである。
『この地図で言うと、うーん、京都駅はここ。で、皆さんが泊まっている宿がここ。で、いま話している京都御所はここ。分かった?』
のように、生徒が知っている(既知)の場所の、京都駅や宿泊場所を示すことから、京都御所(未知)への話をしなければならない。

これが出来ないのだ。実に出来ないのだ。
ものすっごく大事なことなのに。
説明をするときの原則として、三つ上げよと言われれば一つに入る原則が「既知から未知へ」だと考えている。

終わった後、これについて丁寧に説明する。
こういう具体に即した学びの機会をえらたのは、とても有意義でありました。
ありがとうございます。

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