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2012/10/11

「私は、〜だと思います」

10/11

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学生の説明でまだまだ気になるものはあるのだが、もう一つだけ。
説明の最後に
「私は、〜だと思います」
を連発する言い方。この言い方をする学生がいる。
これが気になる。

怒ると叱るの対比で、この「思う」問題を考える。

怒ると言うのは
「先生は、怒ったぞ」
のように使う。怒るは自動詞なので、このように使う。
一方叱るは、
「馬鹿たれ、お前は何だ!」
とか
「君のそこはダメだ。なぜなら、〜」
のように使う。他動詞である。

「先生は、怒ったぞ」
と言ったとき、先生は以下のことを児童生徒に対して想定している。または望んでいる。
(先生が怒ったと言うことは、これはまずいことをしたわけだ。だから、いまやっていることを直さなければ)
ということである。

しかし、児童生徒の中には
(え、だから何?)
(勝手に怒っておけばいいんじゃないの?)
という児童生徒がいるわけである。
つまり、あなたが「自動的」にやっていることで、自分には関係ないと思う訳である。

「私は、〜だと思います」
と言われても、

(へ? だから何?)
(先生はそう思うのね。私は違うけど)

という子どもがいるわけなのだ。先生は怒ったぞと言われて、(え、だから何?)と思う子ども達と同じである。

「思います」
という言葉は、それ以外思ってはいけないというメッセージを送る可能性がある。そして、児童生徒が先生のことを受け入れている場合は、
(ああ、そう思わなければならないのだ)
となる。

しかし、そうではない場合
(あんたはそう思うんだろうけど、だからなに? そう思えっていうこと? 関係ないし)
となる「危険性」を孕んでいる。このことに無自覚である学生がいるのだ。いや、先生の中にもいる。

まあ、小学校の低学年まではこの話法も十分に効き目がある。しかし、小学校低学年までである。この危険性に自覚的になりながら使うなら分かる。ではあるが、これを使う人は大概無自覚である。

私は怖いなあと感じている。

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