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2012/10/01

リフレーミングをするのだ

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国語科教育法2では、私の研究の柱の一つである「国語科を実技教科にしたい」についての部分に入った。ここについては、あちこちに書いている。今もそれを整理しつつ本を書いている。なんでこんな提案をしているのか。私は、子どもたちが国語や言葉を楽しいと思わないで過ごすのが悲しいのだ。

言葉は限りなく面白い。しかし、使い方を間違えるとかなり危険だ。この事を社会に出て直接知るのではなく、生徒の時代に擬似的にあれこれ体験させたい。そんな思いがある。子どもたちを分析し、どんな授業プランを作ればいいのかをあれこれ考えて行って来た。その過程を学生たちに示した。

省察をしながら授業をつくるというのはどういう事なのかを示したいと思って話している。下手をすれば単なる私の自慢話になるが、そういう訳ではなく、現場の教師がどう藻掻いたのかを語る事は結構大事な事ではないかと思っているのでやっているのだ。

学生たちから見れば、大学の教員なんて自分には出来ない事を楽々とやってのける人たちのように見えるだろう。私も恩師の事をそう思っていた。勿論、私と恩師は違うが見え方は同じであろう。だが、やってのけて来たことは事実だが、楽々ではないことは理解させたい。

藻掻く。現場にいるということはそう言う事だろう。一つ言える事は、順調に行っている時は人間は成長していないと言う事だ。順調は楽だ。できれば、この楽な中に居たい。しかし、成長はしていない。一刻も早くその苦しみの中から逃げ出したい、解決したいと藻掻いているとき、人間は成長している。

成長している。が、その成長の結果がその時に出てくるとは限らない。その時に出る事もあるし、3年後、5年後、10年後位先にひょっこりと関係のない所から顔を出してくる事もある。「お前なんで今頃?」というように。だが、それは藻掻いていなければあり得ない。また、出てくるとやはり嬉しい。

なぜなんだ?と問う。これは大事。だが、藻掻いているときに、そのなぜ?を問いすぎるのも場合によっては良くない。なぜ?と問うてみてもそれが分からないからそこから抜け出せないのである。また、なぜと問うてそれが分かったところで、過去のことを変えることは出来ないものだ。

そんな時は未来を見る。辿り着きたいゴールを見る。そして、その為に今すべき事は何なのかを考えるのだ。なぜできないのか?と問いを立てるのではなく、あと何があれば、できるようになるのか?と問いのフレームを変えるのだ。リフレーミングをするのだ。これは私の経験からするとかなり有効だ。

授業をデザインするということの、大変さと面白さを学生たちに伝えたい。大変だけど実に面白い事なのだと体験させたい。モダンではなく、ポストモダンの授業を考えさせたいなあと思いながら、後期の授業は進むのでありました。来週は諺の学習をテーマに具体的に「国語科の実技教科化」を考えます。

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