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2012/10/15

優れた教師は授業を通して作られる

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土曜日は、多賀先生の明日の教室であった。

私は小学校の先生の授業の作り方から、授業を作りを学んで来た部分が大きい。「授業づくりネットワーク」に所属していたことから、良質な小学校の授業づくりに触れることが出来た。小学校の授業づくりは、丁寧なのである。

例えて言えば、中学校でスモールステップの授業をつくるとして、4つのステップをつくったとしたら、小学校では12とか20とかのステップを用意しているというイメージであった。用意しておいて、ここぞという時以外は使わないのである。

使えるようにしておいて使わないと、用意していないから使えない。
外側から見ると同じようであるが、実際は全く違う。
ここに教員生活の初めの頃に気がつけたことは、私にとってかなり大きな意味を持っている。

多賀一郎先生の国語の授業は実に丁寧につくられていた。
面取りがきちんとしてある野菜でつくられた料理。
出汁を取り出すタイミングが絶妙な料理。
包丁を入れる角度と所要時間がぴたっと決まった料理。

なんというかフルコース料理をじっくりと味わった感覚。
それでいて、お腹がもたれることは無く、次のフルコースを楽しみにしたいと思わせてくれるものであった。

優れた教師は授業を通して作られる。その授業は、子供達を理解することによって作られる。授業をエピソードで語れる教師とはそう言うことなのだと思う。

多賀先生の語られる教室での、学校での子ども達とのエピソードは実に豊かであった。先生が間違いに気がついたところから、どう乗り越えて行ったのかを赤裸々に語られていた。省察する教師と言う言葉が無かった頃から、優れた先生は省察をしていたのだということが良くわかる。

私の恩師は、
「実践家は間違えることが出来る。ただし、一回だけだ」
と話していた。その間違いを乗り越えつつ、教師は成長して行く。
その姿を国語の授業づくりということを通して、じっくり学ぶことのできた3時間半であった。

今回もDVDになります。是非お楽しみにして下さい。

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