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2012/10/01

オリジナルの実践。 大変だけど、大変ではない。

10/1−2

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もう一つ。
今回の明日の教室東京分の特別講座で多かった感想は
「自分もオリジナルの実践を作ってみたい」
というものだった。
なんというかこれも感慨深い。

私は教わるのが苦手である。
なんというか、その教え方が気になってしまうのと、答えを言われるのがどうも嫌なのである。そこを考えるのが楽しいのであって、それを教えられてしまうのがダメなのだ。

勿論、これは効率が悪い事は十分に承知している。数学なんてそれで分かった喜びを得ないまま馬齢を重ねているのも分かる。だが、教わるときにあるいくつかのイライラを考えると、自分でやった方が気が楽で楽しい。いくつかの楽器を触るが、これも一つとして誰かに正式に習った事は無い。歌も音痴だったのを直したが、自分で直した。

そんな私なので、教育実践も誰かの真似をするとかいうことはしなかった。というか出来なかったのかもしれない。私は、

1)教師
2)生徒
3)社会
4)人類

この四つがキーワードになってそこから立ち上がってくるのが授業ではないかと考えている。(『教師になるということ』参照)特に生徒と教師だ。ここが変わるから授業はプレゼンテーションではなくなる。この四つのキーワードの中に立ち上がってくるものを捕まえて、子どもたちを伸ばして行く営みが授業だとすれば、実はオリジナルの授業しか生まれないと思っている。

藤岡信勝氏は、嘗て『教材づくりの発想』で以下のように述べた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

上からの道

個々の科学的概念や法則、知識を分析して、そこに立ちあらわれっるさまざまな事 実、現象の中から子どもの興味・関心を引きつけるような素材を選び出し、構成してゆく。これを、教材づくりにおける「上からの道」と呼ぶ事にしよう。教材構成における中心的な、オーソドックスな方法は当然、この「上からの道」である。

下からの道

われわれは日常、さまざまな情報に接しているが、その中で、子どもの興味や関心を引きそうな事実にゆきあうことがある。そのとき、素材のおもしろさがまず発見され、しかるのち、事後的にその事実を分析し、おもしろさの意味を反すうして、その素材がどんな教育内容と対応しうるかという価値が見いだされる。このような過程を指して、教材づくりにおける「下からの道」というわけである。 

『教材づくりの発想』(日本書籍 藤岡信勝著)

引用終了 ーーーーーーーーーー

多くの授業は、この上からの道を元に教材を作っているであろう。だが、私は、私が出会った子どもたちは、この上からの道という方法で勉強に向かおうとうする者は多くなかった。特に学力の低い子どもたちや、更に言えば学力が高い子どもたちであっても、上からの道で作られた教材に飽きている子どもたちにとって、下からの道は魅力的であった。

この下からの道を選ぼうとすると、教師は大変になる。
「子どもの興味や関心を引きそうな事実にゆきあうことがある」とあるが、ゆきあわないときも沢山あるのだ。だから、ゆきあうためにあれこれをすることになる。

私は実は、そして、おそるおそる言うが、ここで藤岡が "教材づくりにおける「下からの道」"と読んでいる事に関して、教材ではなく、「学習材」と呼び直した方がいいのではないかと考えている。教える側の都合で作られた教材ではなく、学ぶ側の都合に合わせて用意される学習材である。

私はこの学習材を開発し続けて来たのではないかなあと、このごろになって思っている。そして、それは大変だけど良かったなあと思っている。学生たちにもその当たりの事話している。

『クラスに40人の子どもがいる。この40人の興味、関心を捕まえて、そこに応じたオーダーメイドの学習材を作ることは実に大変で実に面白い事である』

と。勿論、40/40の対応は大変である。しかし、それを頭のどこかに置いて、勉強が嫌いと言っている子どもたちに対して、教材ではなく学習材を用意するというパラダイムシフトを行う教師がこれからもっと増える必要があると考えている。私たちはモダンの時代を生きて来たが、今はポストモダンだ。(って、話を始めると長いからこの先は省略)

オリジナルの実践。
大変だけど、大変ではない。

目の前の子どもにあった授業を作ればいい。
それは大変な事だけど、自ずからオリジナルになる。
子どもほどオリジナルな存在はないわけだから。

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