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2012/11/28

国連人権委員会が報告している、原発事故に関する事実が出てこない

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本来ならばトップニュースで報じられなければならないことだ。

しかし、流れているニュースには、この国連人権委員会が報告している、原発事故に関する事実が出てこない。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=DeWz2Xj8jH0#!

私はFBの知り合いの書き込みからこのことを知った。
その方の書き込みにはこのような記述があった。許可を貰って転載する。

引用開始 ーーーーーーーーーー

年間20mSv超えは世界から見ればチェルノブイリ以上の非道。背景線量を0.07μとしても2.35μSv/hの所に人が住むのは無茶。


http://www.nnistar.com/gmap/fukushima.html
の図のピンク(紫ではなく)のところはすべて無茶。須賀川、郡山・・・
日本が正気だった3.11以前では年間1mSvが限度だった。それを適用すると地図上で黄色以外はすべてアウト。東京にもそうんな地点がたくさんある。

引用終了 ーーーーーーーーーー

さらに、

引用開始 ーーーーーーーーーー

池田様、どんどん紹介してください。ちなみに上に書き忘れましたが放射線管理区域(一般人がみだりに立ち入ってはいけない)の定義が3ヶ月で1.3mSvで すから、年間5.2mSvです。時間当たり0.6μSv弱。背景線量0.07足して0.67μSv。地図では濃い紺色は1μSv以上ですから、一般人が 入ってはいけないところです。そこに人が住んでいる。

引用終了 ーーーーーーーーーー

と説明してもらいました。
なんとか避難できないものでしょうか。

【講座案内】 明日の教室 12月22日(土) 佐藤正寿先生

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2012年最後の12月は、岩手県から社会科授業の名人佐藤正寿先生をお招きします。

佐藤先生のお人柄、実践は、一つの大きな木が生長するような姿に似ているように思えます。近くに居るものが安心できて、思わず近寄ってしまいたく なるような、そんな感じです。風雪に耐えながら伸び続けた大木でなければ感じることのできない、懐の大きなやすらぎのある教育実践。

今回の講座では、社会科授業について、縦横無尽に語っていただく予定です。
模擬授業なども入れながら、佐藤先生が今考えられている社会科授業、ICTの活用の仕方等々盛り沢山の内容を熱く語っていただきます。

どうぞ、この機会に佐藤ワールドを御堪能下さい!
お申し込みはこちらから。

http://kokucheese.com/event/index/64010/

プロフィールです。

1962年、秋田県生まれ。秋田大学を卒業後、1年間民間会社勤務。1985年から岩手県公立小学校に勤務。現在、岩手県奥州市立広瀬小学校副校長。
「地域と日本のよさを伝える授業」をメインテーマに、社会科を中心に教材開発・授業づくりに取り組んでおられる。
地域素材を扱った総合的な学習の実践(「宮古の自慢CMを作ろう」)や歴史学習の実践、ICTを活用した実践等、特徴的な授業実践等がテレビや新聞等のメディアで取り上げられています。

著書多数(社会科に限って紹介させていただくと・・・)
『「力をつける授業」成功の原則』(ひまわり社)
『やる気と集中力を持続させる社会科の授業ミニネタ&コツ101』(学事出版)
『これだけははずせない!小学校社会科単元別「キー発問」アイデア』(明治図書)
『スペシャリスト直伝!社会科授業成功の極意』(明治図書)
『プロ教師直伝「教師力」パワーアップ講座0からプロになる秘訣23箇条』(明治図書)
等々・・・。

『鬼平犯科帳』は、15巻を読み終えた

11/27

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『鬼平犯科帳』は、15巻を読み終えた。
この巻は、『鬼平犯科帳』始まって以来の長編。つまり、一冊に一話しか収録されていない。じっくりと池波正太郎の描写を楽しむことが出来るということだ。

私は授業のある期間は、楽しみの読書はしないとしている。もう10年以上はそうしてきた。が、『鬼平犯科帳』はいいかなと自分を許して、少しずつ楽しんでいる。この15巻も少しずつ、のはずだったが結構一気に読み進めしまっていた。

350pの一冊である。318pまで読み進めて、ふと思った。
(まだ回収されていない伏線や謎を書き出してみるか)
さっと書き出した所で5つほどあった。

残りの32pで、池波正太郎はどう回収して行くのだろうか。
まさか、回収漏れがあるのだろうか。

と、そんな嫌らしい読者になりながら読み進めた。

流石であった。
全部回収し、謎にも答えを出していた。

いや、さらに、
(あれが伏線だったのか)
とか
(この構成は、あの構成と対になっていたのね)
とかのあれこれも描いていた。

急ぐことをせず、たっぷり楽しみの読書をしよう。

2012/11/26

山賊は王の刺客である。是か非か。

11/26

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5限。来週の模擬授業のグループの事前指導の2回目。
来週は、物語文の読解。『走れメロス』をやる。
先週の指導で、このグループが1時間の授業としては広すぎる範囲を扱おうとしていたので、却下した。

今回持って来たのは
「山賊は王の刺客である(まわしものである)」。これについて是か非かを論じると言うのである。これは実は以前にこの授業で模擬授業をやったときに、この テーマでやったことのある学生が居たということを話していたのを思い出して、それでやりたいということになったそうだ。実はこれ

はなかなか面白い。

青空文庫から、来週学生達が扱う部分を取り出してみよう。
引用開始 ーーーーーーーーーー

メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。
「待て。」
「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」
「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」
「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」
「その、いのちが欲しいのだ。」
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」
 山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒《こんぼう》を振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、
「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙《すき》に、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、 流石《さすが》に疲労し、折から午後の灼熱《しゃくねつ》の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈《めまい》を感じ、これではなら ぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。

引用終了 ーーーーーーーーーー

この部分を読み込ませて、この山賊は王の放った刺客なのか、元々の山賊なのかを読み取る授業を作る。

私の指導は

1)この部分を教師が読む際に、「ここに出てくる山賊は、どっちの立場なのかを考えながら聞くように」と読み始める前に指示を出すこと。
2)この部分を教師が読む際には、朗読読みをせずに、音訳読みをすること。
3)生徒には、「◯pの△行目に〜と書いてあるから、〜の立場です」と教科書を引用して発言することを求めること。

などを行った。
そして、
『この授業のゴールは、自分が読み取った立場を表現できる朗読読みで読むことが出来るようになることだな』
と指導。

さ、どうなるか。
模擬授業のオオトリとなる。
楽しみ。

初めてだからあっさりと説明する

11/26

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4限。
模擬授業。漢詩に取り組んだグループであった。
「中学生は初めて漢詩に触れるのだから、嫌いにならないように注意したい」
と目標を立てていた。

この意図を持った授業というのは評価したい。
ただ、「嫌いにならないように」とネガティブな表現をすることは避けさせたい。別の言い方、ポジティブな表記を考えよと指導。


また、「初めてだから丁寧にしっかりと説明したい」と話していたことに、疑義を挟んだ。教師は、どうしても説明したがる。説明しないと不安なのだ。しかし、説明し切ったら子ども達が理解して、子ども達が不安なく学習するかと言えば、私は違うと思う。

寧ろ、しっかりと説明するほど
(あー、もうどうでもいいけど)
と思うのではないかと思う。
ディベートの指導を始めた頃にこれを思った。
立論、質疑、反駁と説明して試合をするのと、だいたいディベートってのはこういう感じと説明してすぐに試合とするのでは、後者の方がいいのだ。

『初めてだからあっさりと説明する。そして、やって行く中で理解させ、説明を深める』

というのがいいのではないかと思うのだ。
パラダイムを変える必要がある。

喧嘩をどう指導するか

11/26

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2限。ゼミでの教育実習の報告会。
九州で教育実習を終えた学生の報告に、努力遠足なるものがあるとあった。
「なんだ?」
とゼミ生は聞くが、報告者は
「なんで知らないの?」
と。

自分の常識が世界の常識ではないことに気がつく瞬間であった。

聞いてみると、遠くまで歩く遠足ということであった。
小学校2年生と1年生で200人弱の児童が往復10キロを歩いたとのこと。
「たいしたこと無いんじゃないの?」
というゼミ生があった。

地方ほど車社会になっていて、子どもは歩かない。
その学校でも、タクシー通学があるそうだ。
噂には聞いていたがちゃんと報告を聞くのは初めて。

スクールバスの予算がないので、学校側でタクシー代を出して通学するとのこと。
子どもは、体力を付ける権利と道草をする権利を奪われているわけだ。
だから、10キロ歩くってのは結構な距離ではないかと思うのだ。



他にも喧嘩が頻発していたので困ったということがあった。
喧嘩をどう指導するか。
中学校では原則中の原則がある。
それは、関わった人間を個別に呼び、一斉に事情を聞くということである。

集団で聞いたり、順番に聞いてはならない。
子どもたちが打ち合わせをしてしまうことがあるからだ。
そして、事実が食い違っている所を確認し、事実の認定を行う。
そこから指導が始まる。

ところが、これが小学校の先生には理解されていないことがある。
先生が関わった子どもたちを集めて説教をしておしまいということになる。
実際のところ「関わった人間を個別に呼び、一斉に事情を聞く」というのは、聞く側が複数人数いないとできない。小学校では中々難しいが、ここをしないと事実の認定が難しくなる。

時には、スローモーションで再生という指導もある。家本芳郎先生の指導だ。
その場に居た人たちを集めて、喧嘩の場面をスローモーションで再生するのだ。
人間は、自分の都合のいいように記憶する。その記憶を前提に主張する。私は間違っていないと。だから、スローモーションで再生し、客観的な事実を確認するのだ。立ち位置、語気までも再生する。こうして客観的な事実を確認してのち、指導にはいる。

では、指導のゴールはどこか?
ここは一般社会と違う。
ここは喧嘩両成敗に落とすのが良いと考えている。
これは野中信行先生も仰っている。

どちらかが一方的に悪いということもある。
しかし、できるだけ喧嘩両成敗に基づいたゴールで解決したい。
なぜか? 子どもたちはこの先も同じクラスで生活する。これからもあれこれあるのだ。だから、余程のことがないかぎり一方的に悪者を作るというのはしない方が良い。

先生がどちらかの味方になったと思われてしまう可能性もある。
「先生は、正義の味方だ」
ということが言えるようであればいいのだが、なかなか難しい。
両成敗でいくのがいいのではないだろうか。



で、来週からは新しい本の講読に入る。
今日は20冊ぐらいの本を提示し、ゼミ生が一冊ずつ読んで来て、その中から一冊か二冊に絞って読み進めることにする。

さて、なんの本が選ばれますやら。

2012/11/25

紅葉は一つのピークを迎えていた

11/25

いや、することは沢山あるのだが、娘(5)との紅葉めぐりを選んだ。
額田王や柿本人麻呂が散策したであろう山裾を娘と散策した。

今日は雲一つない空。
紅葉は一つのピークを迎えていた。

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ふう。
滋賀は美しい。

2012/11/22

天気予報は、どういう風に報道している?

11/22

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私の指導が不十分なんだろうなあと思いながら、今日も卒論の指導をする。
学生の卒論にこのような記述がある。

引用開始 ーーーーーーーーーー

このいじめの問題に対して、これまで、以下のようないじめ論があった。
森口朗氏の著書から引用する。

「いじめのない学校を実現するためには、『命の大切さ』を子どもたちに教える必要がある」〜

しかし、このような対応策には以下のような問題点がある。

引用終了 ーーーーーーーーーー

のような記述をしているのだ。
先週も先々週も指摘しているのだが、直らない。

私は、以下のようにすべきだと指導している。

引用開始 ーーーーーーーーーー

このいじめの問題に対して、これまで、以下のようないじめ論があった。
『いじめの構造』(森口朗 2007)から引用する。森口は、【  】だと述べている。

「いじめのない学校を実現するためには、『命の大切さ』を子どもたちに教える必要 が ある」〜

しかし、このような対応策には以下のような【   】の問題点がある。

引用終了 ーーーーーーーーーー

引用の前に引用する部分の結論を端的に纏めよと指導している。これをしないと、実に分かりにくい。

『あのね、天気予報は、どういう風に報道している? 「今日の天気は、以下のようです。天気図です。この天気は今後、このようになるでしょう。天気図です」なんてしないでしょ。

「今日の天気は晴れです。天気図です。この天気は今後、雨になって行きます。天気図の変化です」のようにするでしょ。結論を端的に纏める。そして、その証拠の資料を出す。これをしなさい。そうでないと実に読みにくい。

また、「今日の天気は、以下のようです。天気図です。このように晴れです」というのもダメ。結論を先に持ってくること』

この論述の仕方をしつこく言っているのだが、まだまだ浸透しない。うーむ。

2012/11/19

未来を見る

11/19

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3回生ゼミでは教育実習から帰って来たゼミ生の報告会が続く。

片親の子どもが多いクラスを担当した学生は、
「パパってどうなん?」と子どもに言われて言葉を無くした。
親に殴られて育っている子どもが、つい他の子どもを殴ってしまうものを見て、分かるだけにどう指導していいか分からないとも。

母親が外国籍で、子どもを育てるのに漢字が分からない。だから教えられない。
日本の誰もが知っている昔話を知らないから話について行けない。

小学校の中学年の段階でもうもの凄い学力格差がある。一人の先生で教室で教えることの困難さをしみじみと感じた。

などなどである。

ゼミ生たちの苦しみはよく分かる。
ただ、その苦しみ以上の苦しみを抱えているのが子どもたちだ。

教師は、
「だって、親がそれじゃあ子どもは大変だよ」と言いたくなる。
そして、だから指導は無理だよとも言いたくなる。
だけど、それを言ってはおしまいだ。

過去は変えられない。だから、子どもが荒れていることの理由をあれこれ詮索しても仕方が無い。過去が分かった所で、だからなんなのだということ。
原因が分かったらそれで指導が終わったかのようになってしまうことはないか?

原因ではなく、その子どもの事情を理解すると言うのであればそれは分かる。
子ども達が苦しい事情を抱えている。それを受け止めるのは大事。
だが、繰り返すが、原因にして、その原因が分かったらそれで指導はおしまいというのは違う。

未来を見る。
つまり、目標を立てるのだ。
その目標に対して、いまのクラスの状態はどうなのか、どうすればこの目標に近づけるのかを考える。これでいく。

変えられないものを弄くっても、変わらないのだから仕方が無い。
未来は、今の取り組みで変えられる。
そのためには、教師としての指導力が必要だ。
その指導力の根っこの部分をいま必死に育てよ。

力のある先生だから解決できるのだ。
子どもたちを守り、育てる為には、そういう力が必要なのだ。

2012/11/12

小学校六年生の「40秒は何分でしょうか?」という分数の問題

11/12

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本日は、1限から。スペシャルである。
国語科教育法2の模擬授業の事前指導を行う。
『枕草子』である。

学生が作って来た資料は、新聞形式で清少納言のあれこれを書くというものになっていた。レイアウトを見ると、いかにもWordで作りましたというもの。大きく嘘をつくことはいいのだが、細かい所が作り込まれていないとフィクションはしらける。なんと言ってもいまは「虚構新聞」の時代である。それらを作り込むように指示。

また、第一段のイメージの写真を見せようと言う指導案だったので、ちょっとまったを掛けた。イメージとして写真を見せるというのは、私はどうもダメなのだ。文字情報よりも画像情報の方が強いので、ちゃんとしたイメージ写真を出さないと、学習者にイメージが固定されてしまうだけに、怖い。

出し方を工夫するように提案。
一枚の写真を出すのではなく、4枚ぐらいの写真を出して、どれがこの文章に合っているのかを考えさせるというものにせよと。文を良く読まないと、正解の写真に辿り着けないというもの。その際、例えば春ならば、「曙」の理解は鍵になるんじゃないかなと話す。

2限は、3回生ゼミ。
教育実習の振り返り。
自慢と困ったことを話す。

ちょっと確認して驚いたのは、実習をして来た学生達は、ほとんどが30人以下の学級で実習を体験していた。学年で単級というのがスタンダードであった。学級づくりを考える上でもポイントにしなければならないなと思う。

で、算数を研究授業で行った学生が多かったので、算数の分からなかった池田少年は、あれこれ質問をする。生活の文脈にない算数の問題が出されても、本当に興味が湧かなかった私。

小学校六年生の「40秒は何分でしょうか?」という分数の問題が今日は出されたが、
(だから何?)
としか思わなかったろうなあ。40秒を分で表す必要性がないもの。
カップラーメンを固めに仕上げるとか、キッチンタイマーが分数表示しか出来ないとかというならば、まあ、少しはやったかなあ。

で、小学校二年生に直角を教えるという授業もあったが、そもそも直角を学ぶ必要性が感じられない。感じられないまま授業は進むのが普通だろう。そして、
(あの時やっておけば良かった)
となるのが授業だ。
実は、必要性を感じさせながら授業を進めるってのは相当難しい。

だから、私は思う。
必要性はまあ横においておいても良い。
面白い!と思わせて進むのが重要なんだろうと。面白さで授業を牽引するのだ。

「将来役に立つから」
「後で困るよ」

それはその通り。だが、なんでもかんでも将来に責任を負わせて進める授業は、今を生きている子どもたちには届かないんじゃないかなあと思うのだ。

「いいからやれ」
と、
「面白そうだろ?やってみたい?」
の両方から指導できるようでありたい。

2012/11/07

「授業に関係のない話をする子どもがいます」

11/7

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野口芳宏先生は、子どもの発言には次の四種類があると仰っている。曰く、音声発言、ノート発言、表情発言、音読発言である。まさにその通りである。しかし、私はここの音声発言の中に「呟き発言」があると考えている。

子どもたちは、教師の指導言(指示、説明、発問)に対して、「呟く」。その呟きは、疑問、反論、驚き、喜び、怒り、悲しみなどである。つまり、ぽろっと出てくる呟きには、子どもの本音が出ているのだ。この部分を無視して授業しては深い所に辿り着くことは出来ない。子どもの本音を無視することになるからである。

ただ、教師の側の無視には何種類かの無視がある。

1)子どもの呟きが聞こえないので、結果的に無視。
2)子どもの呟きが聞こえたのだが、その呟きの意味するところが理解できないので、無視。
3)子どもの呟きが聞こえたし、その意味する所も理解できたのだが、その後の対応が出来ないので無視。

ま、どれであっても子どもの側からすると無視されていることには変わらない。

昨日の教育実習生の授業の冒頭で、こんな指示があった。
「慣用句とは、いくつかの言葉が組み合わさって◯◯をもつようになった決まり文句です。何でしょう。」
というものである。

◯◯には、「意味」を入れさせたいという発問である。
これを授業で読んだ所、教室では
「文句?」
「文句?」
「文句!」
と呟きが広がった。
教師は、◯◯を考えさせたいが、子どもは文句に注目したのである。つまり、フォーカスが割れたわけである。

この状況で実習生は、2)を選択した。(後で確認した)
非常に勿体ない。
『文句が気になる? ああ、君たちひょっとして親に言われている?「いちいち文句を言うのではない!」とか。そうだねえ、その文句だねえ。だけど、この場合はね〜』
と子どもの呟きを拾って、解説をし、授業で扱う文句とは違うことを説明すれば、授業は深みを増したはずだ。

「授業に関係のない話をする子どもがいます」
と教師が困る場合、

1)子どもが本当に授業と関係のない話をしている。
2)子どもは授業に関係のある話をしているのだが、教師にはその関係が見えない。

の二種類がある。1)の場合の原因の殆どは、授業がつまらないであり、子どもには責任はない。2)の場合、その繋がりを説明するのは子どもの仕事だが、なかなかそうも言えない。だから、教師がその繋がりを発見して、授業の流れに押し込んであげる必要がある。

それが、今回の「文句」のことなのだ。
ここが出来るようになると、授業が面白くなるのだ。時間はオーバーするけど(^^)。

『「馬が合う」の絵を描きなさい』

11/7

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今日は教育実習の訪問指導であった。実習生の授業は児童に助けられて、可もなく不可もなくというもの。子どもが落ち着いているので、そこに依拠して流れて行く授業であった。慣用句の授業。小学校4年生だ。

授業後の指導でその事を話した。
授業として成立しているかどうかと聞かれれば、まあ、教科書と子どもたちのお陰で成立はしているが、面白くない。読めば分かることを一つ一つ教えている感じだ。教育実習生の授業としては、及第点だとは思うが。子どもがお付き合いしてくれている授業であった。

例えば、「虫の居所が悪い」という慣用句を使って単文を作れという指示があった。子どもたちは辞書(これが凄い付箋だらけの辞書で、日頃のご指導のようすが分かる辞書だった)を使って意味を確認して、例文を作っていた。だから授業は成立している。

だが、私はつまらないと思う。
授業後の指導の時間に実習生に聞いてみた。
『この虫は何という名前の虫ですか?』
「え?」
カブトムシのはずもないし、かといっててんとう虫ということでもない。
しかし、そんなことを疑問にも思わないであろう。

これはちょっと大きな辞書を見れば分かる。『大辞林』には、このようにある。
「人間の体内にいて、意識や心理状態を左右すると考えられていたもの。潜在する意識や、感情の動きをいう。」
だから、insectではないのだ。このことを分かっているといないとでは、説明の質が違う。
子どもはこんなところに疑問を持たない。だからこそ先生が疑問を投げかける。そうして子どもたちを巻き込む。

「居所が悪い」ということであれば、どこにいれば良いの?ということを聞くこともできる。子どもごとに違うだろう。これを交流しても面白い。

これをやっておくと、次に扱う「馬が合う」という慣用句をやるとき、子どもたちは
(馬って言うけど、馬なのか?)
と思うだろう。また、
(合うっていうけど、何?)
とも思うだろう。

私は実習生にこういう指示を出した。
『「馬が合う」の絵を描きなさい』
である。
絵がうまく描けないということなので、馬と言う漢字を使って説明していた。曰く、馬の漢字の上に、また馬を重ねるようなものである。

『ブブー。間違い』
「え!」
『それでどんな意味になるの?』
「だから、馬と馬が気が合う?」
『ブブー。合うだから確かにAとBとが合致するという意味だが、AとBは、馬と馬ではない』
「うーん、人ですか?」
『正解。馬と人の相性である。人と馬が合うか合わないかから始まって、他に転用されているのである』
「なるほど」
『だから、今風に作り替えることをさせても面白い。例えば、鉛筆が合うとかいうのもあっていいのだ』

子どもとの関係が上手く作れている実習生である。だから、一見授業はうまくいっているように見える。だが、実際は子どもと教科書のお陰で流れているだけで、面白くはない。

『どうだ。もう一回授業がしたくなったろ? 子どもたちに対してごめんなさいと思うだろ』
「はい」

彼は明日もう一度説明をし直すであろう。
教材研究の大切さを学んだことであろう。

2012/11/05

凄い。 説明文が物語文になっている

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http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=cBlRbrB_Gnc

凄い。
説明文が物語文になっている。
物語で説明している。
こういう授業を作ってみたいなあ。
ニュージーランド航空の客室乗務員の説明。

授業における指示の語尾

11/5

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教育実習から帰ってくる学生が
「実習先で、池田先生に指導されたことと同じことを言われました」
ということはよくあるのだが、今年はこの言葉が多い。
子どもに対する指示の言葉だ。

学生達は、つい児童に
「お願いします」
とお願いしてしまう。指示なのだから、お願いではないのに、お願いしてしまう。

お願いであれば、
「イヤだ」
という子どもの反応は認められることになる。だってお願いなのだから。しかし、指示はお願いではない。どんな言葉があるだろうか。

授業における指示の語尾には、

1)    しなさい。
2)    する。
3)    すること。
4)    しよう。
5)    しましょう。
6)    しませんか?
7)    してくれますか?
8)    おねがいします。

学生達は、6)、7)、8)でやってしまうのだ。それでは指示にならない。

丁寧に行きましょう

11/5

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後期は月曜日の一限はないのだが、今日は特別に行う。
国語科教育法で模擬授業を行うので、その事前指導だ。
学生達が書いて来た学習指導案を見てあれこれ指導をする。

さっと見た感じは可もなく不可もなくである。
『これは、オリジナル? それとも何かの追試?』
と聞くと、学習指導書にあるものをもってきたという。
『ああ、やはり可もなく不可もなくで、このままで授業はできるが、面白くはないなあ』
と。

いや、学習指導書が悪いのではない。学習指導書は、対象としている生徒や先生がもの凄く多く、そのレベルもまちまちなので、どうしても鋭く書くことができない。ぼわっとしたものになってしまうという構造上の問題がある。学生達も、具体的な学習者の姿が特定できないのでこの傾向は加速する。

また、どうしてもコナン型の授業作りになってしまう。古畑型にならない。説明を多くして、最後に結論を述べる形の授業になってしまうのだ。結論を述べ、その根拠を捜す授業にならないのだ。

さらに、エピソードが不足し、小さなクイズや活動などのアウトプットを意識した授業構成を作り出せない。先生の有り難いお話を聞かせるというスタイルになってしまう。その辺りを指摘し、具体的にはどの本を読んで、どう改良する可能性があるかを解説。

さ、本番は一週間後だ。しっかり。

その後、三回生ゼミ。
ゼミのプロジェクトの進行具合を私の方から報告。
学生達が行う部分と私が請け負う部分があって、学生達の方はほぼ終わっているので、あとは私が請け負っている部分が上手くいくかどうかが一つの鍵になっている。

この部分が上手く動き出したことを伝えた。
学生達は狐につままれたような顔。
実感が伴わない様子。
ま、私もそうだけど。
だけど動き出したと思う。
凄い。

後半は、教育実習の報告の続き。自慢と失敗談を語らせる。
具体例があるので、どこが良かったのかまた問題だったのかをはっきりと解説できる。
同じ教育実習を体験して来ている学生達。
学校や子どもは違っていても、実習という部分で大きくうなずくことの出来る内容であった。だから、解説もすっと彼らに入る。

良い感じだ。
だが、こう言う時に事故や事件が起りやすい。
丁寧に行きましょう。

2012/11/03

一番大きな山が動いた

11/3

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(なんだか、\(^^)/のような朝だな)

ジャイアンツが日本一になった。
あの時代に東京で少年をしていたら、大概はジャイアンツファンになった。
いまでもジャイアンツが勝つと、まあ、嬉しい。

そんな日本一になった今日。
私にとってはかなり大きなことになるであろう
動きがあった。

一番大きな山が動いた。
動くようにあれこれ準備をしていたのだが、動いた。

もう大丈夫。
これで問題が生まれるようだったら、
どこでやっても問題が生まれる。

なんのことだか分からないと思うけど、
メモとして。

いやあ、あれこれ凄い。

2012/11/02

5つの疑問で論文を構想する

11/2

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5つの疑問で論文を構想する。

「え?」 :テーマの発見
「何?」:問いの発見
「なぜ?」 :根拠の発見
「本当?」:予想される反論の発見。
「だから?」 :結論の発見

2012/11/01

論文の構造 口語編



え? これなんだろう。

みんなはいままでどう思って来たんだろう?

なるほど、そうだったのか。

でも、ここはどうなの?

違うんじゃないの?

その先はどうなの?

こうなんじゃないの?
なぜって?

うん、調べて考えてみよう。
こういう方法でやってみるね。

分かった、それはね、こうこうこうだからだよ。

分かった?

ということでここまで分かったら、つぎはここを考えてみたいなあ。

あ、参考にした本はこれね。

それから、協力してくれたみなさん、感謝しています。

ま、大雑把ですがこんな感じで説明と言うのもありかな。

書く教師は力量を付ける。読む、実践する、書く。この流れを良循環にすることが大事

11/1

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(なんだかマグリットのような写真だなあ by iPhone4)

教務委員の仕事をうりゃりゃりゃああああああとしながら授業もしている。大学も小中学校と同じように校内分掌がある。大学は学内行政というが、まあ同じようなものである。大学は文科省の監督下にはあるが、教育委員会の監督下にはない。だから、大学は独自に人事権を持っていたり(ま、これも資格審査とかもあるけど)、あれこれ仕事はある。

その仕事をしながら授業をしている。
学級担任論では、学級内の集団、公的集団と私的集団のその種類。学級集団の分析の目的とその方法を中心に行った。

クラスをこの方向に導きたい。その為には、学級集団がどのようになっているのかを分析する必要がある。できれば一ヶ月に一回ぐらいは分析したい。また、日々の記録をデータベースにして、分析をする等をしたい。そのことを具体例で示した。

まさか、自分がやっていたことが、こんなところで生きるとは思わなかったが、その当時のものが生きている。学級を分析していた資料だ。私が中学校にいたときはQ-Uも無かったので、自分でコツコツやるしかなかった。ま、あっても使わなかったかもしれないがf(^^;。

その時の資料を元に授業を行っている。
学級分析の方法はいろいろとあるが、その手の打を学生達に見せると、驚愕する。そんなところまで見ているのかと。見ているのである。
そんな方法でやっていたのかと。やっていたのである。ま、ブログは公の場所なので詳しくは書けないが、やっていたのである。種も仕掛けもあるのである。

全ての先生がそんな方法でやっているとは到底思えないが、それでもやっている人はやっていた。そうやって基礎データを集めて、学級経営に取り組むのだ。情報が無いままで経営ができるわけがない。

また、今回は学生達に毎週書かせている課題の学級通信の参考にと、私の現役時代の学級通信を三つ持ち込んでみせた。4年目、5年目、7年目の学級通信一年分である。この当時はまだ手書きの通信で、まあ、若い頃の私の字が残っている。

学生達には

『教師は省察が必要だ。自分がやってきたことが正しいと思って次の実践を作り出そうとするが、当たり前だが、去年のクラスで上手く行ったことが今年上手く行くとは限らない。生徒も、教師も去年とは違うからだ。

いや、年単位ではなく日々違って行くものだ。その時の流れの中で、立ち止まり、自分の実践をまとめ、何があったのかを考えて行く。そして、どうしたらいいのかを考えて行く、その営みが書くということであり、教師には学級通信を書くということは、そういうことなのだ。

書く教師は力量を付ける。読む、実践する、書く。この流れを良循環にすることが大事。兎に角書くのだ』

と話す。

私も原稿を書かねばならないf(^^;。

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