未来を見る
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3回生ゼミでは教育実習から帰って来たゼミ生の報告会が続く。
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片親の子どもが多いクラスを担当した学生は、
「パパってどうなん?」と子どもに言われて言葉を無くした。
親に殴られて育っている子どもが、つい他の子どもを殴ってしまうものを見て、分かるだけにどう指導していいか分からないとも。
母親が外国籍で、子どもを育てるのに漢字が分からない。だから教えられない。
日本の誰もが知っている昔話を知らないから話について行けない。
小学校の中学年の段階でもうもの凄い学力格差がある。一人の先生で教室で教えることの困難さをしみじみと感じた。
などなどである。
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ゼミ生たちの苦しみはよく分かる。
ただ、その苦しみ以上の苦しみを抱えているのが子どもたちだ。
教師は、
「だって、親がそれじゃあ子どもは大変だよ」と言いたくなる。
そして、だから指導は無理だよとも言いたくなる。
だけど、それを言ってはおしまいだ。
過去は変えられない。だから、子どもが荒れていることの理由をあれこれ詮索しても仕方が無い。過去が分かった所で、だからなんなのだということ。
原因が分かったらそれで指導が終わったかのようになってしまうことはないか?
原因ではなく、その子どもの事情を理解すると言うのであればそれは分かる。
子ども達が苦しい事情を抱えている。それを受け止めるのは大事。
だが、繰り返すが、原因にして、その原因が分かったらそれで指導はおしまいというのは違う。
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未来を見る。
つまり、目標を立てるのだ。
その目標に対して、いまのクラスの状態はどうなのか、どうすればこの目標に近づけるのかを考える。これでいく。
変えられないものを弄くっても、変わらないのだから仕方が無い。
未来は、今の取り組みで変えられる。
そのためには、教師としての指導力が必要だ。
その指導力の根っこの部分をいま必死に育てよ。
力のある先生だから解決できるのだ。
子どもたちを守り、育てる為には、そういう力が必要なのだ。
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