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2012/11/26

喧嘩をどう指導するか

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2限。ゼミでの教育実習の報告会。
九州で教育実習を終えた学生の報告に、努力遠足なるものがあるとあった。
「なんだ?」
とゼミ生は聞くが、報告者は
「なんで知らないの?」
と。

自分の常識が世界の常識ではないことに気がつく瞬間であった。

聞いてみると、遠くまで歩く遠足ということであった。
小学校2年生と1年生で200人弱の児童が往復10キロを歩いたとのこと。
「たいしたこと無いんじゃないの?」
というゼミ生があった。

地方ほど車社会になっていて、子どもは歩かない。
その学校でも、タクシー通学があるそうだ。
噂には聞いていたがちゃんと報告を聞くのは初めて。

スクールバスの予算がないので、学校側でタクシー代を出して通学するとのこと。
子どもは、体力を付ける権利と道草をする権利を奪われているわけだ。
だから、10キロ歩くってのは結構な距離ではないかと思うのだ。



他にも喧嘩が頻発していたので困ったということがあった。
喧嘩をどう指導するか。
中学校では原則中の原則がある。
それは、関わった人間を個別に呼び、一斉に事情を聞くということである。

集団で聞いたり、順番に聞いてはならない。
子どもたちが打ち合わせをしてしまうことがあるからだ。
そして、事実が食い違っている所を確認し、事実の認定を行う。
そこから指導が始まる。

ところが、これが小学校の先生には理解されていないことがある。
先生が関わった子どもたちを集めて説教をしておしまいということになる。
実際のところ「関わった人間を個別に呼び、一斉に事情を聞く」というのは、聞く側が複数人数いないとできない。小学校では中々難しいが、ここをしないと事実の認定が難しくなる。

時には、スローモーションで再生という指導もある。家本芳郎先生の指導だ。
その場に居た人たちを集めて、喧嘩の場面をスローモーションで再生するのだ。
人間は、自分の都合のいいように記憶する。その記憶を前提に主張する。私は間違っていないと。だから、スローモーションで再生し、客観的な事実を確認するのだ。立ち位置、語気までも再生する。こうして客観的な事実を確認してのち、指導にはいる。

では、指導のゴールはどこか?
ここは一般社会と違う。
ここは喧嘩両成敗に落とすのが良いと考えている。
これは野中信行先生も仰っている。

どちらかが一方的に悪いということもある。
しかし、できるだけ喧嘩両成敗に基づいたゴールで解決したい。
なぜか? 子どもたちはこの先も同じクラスで生活する。これからもあれこれあるのだ。だから、余程のことがないかぎり一方的に悪者を作るというのはしない方が良い。

先生がどちらかの味方になったと思われてしまう可能性もある。
「先生は、正義の味方だ」
ということが言えるようであればいいのだが、なかなか難しい。
両成敗でいくのがいいのではないだろうか。



で、来週からは新しい本の講読に入る。
今日は20冊ぐらいの本を提示し、ゼミ生が一冊ずつ読んで来て、その中から一冊か二冊に絞って読み進めることにする。

さて、なんの本が選ばれますやら。

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