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2012/12/31

七味五悦三会

12/31

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(新年の御酒の用意はできました。良いものが手に入りました。満足)

さて、今年もお世話になりました。

立川談志師匠の「芝浜」を聞きながらあれこれ思っております。
きちんと振り返ることは、相変わらず出来ない私ですので、ざっと。
http://www.youtube.com/watch?v=IitYJzD8rJM

公務では学科の教務委員をやり続けた一年でした。
簡単に言えば、教務主任のような仕事です。大学はノンティーチングスタッフが中学校より居ますが、まったく分離しているわけではなくその間を繋ぐ仕事をする人が必要になります。これが教務委員です。自分の仕事を後回しにして後回しにしてやり続けましたが、これが終わらない。会議は多い。だけど、誰かがやらなければならない仕事なので、やり続けたと言うことです。今年度一杯で取り敢えず終わるので一安心です。

講座講演には沢山呼んでいただきました。
学校教育現場と大学教育現場、研究現場の橋渡しをしたいなと思っている私は、お声がかかれば基本的には伺いたいと思っているのですが、流石に授業期間中は月に二回が限界で、それ以上だと本務に支障を来すことになりかねないので、お断りしております。ということで授業がないときになりますと、はい、ありがとうございました(^^)。今年も8月は全国のみなさんとお会いできました。

公務以外のお仕事では、引き続きNHK教育テレビの番組づくりに関わったり、新しく教科書の編集委員を依頼されたりとなって、人生でこんなに新幹線に乗ることになるとは思わなかったです。7月8月9月は毎週のように東京に日帰り往復していたなあ。だけど、こうして新しい方々と出会えて、新しいことに挑戦できる機会を得られると言うのは、実にありがたい。お誘いのある限り、体力、能力の許す限り、あとしばらく頑張ります。

論文は一本書けた。いま校正中。本は書きかけ。来年の三月には出したいなあ。
明日の教室は御陰さまでまる6年を迎えます。始めたときにはこんなふうな展開になるとは思いもよらなかったけど、これは嬉しい誤算。これからも日本一の方をお招きして、続けます。

家族での旅は、瀬戸内海一周の旅がなかなか楽しかったなあ。
厳島神社では、嘗て一緒に番組を作ったNHKのプロデューサーさんと偶然出会ったり、絶景の露天風呂に入ったり、饂飩を堪能したり。一年で一週間だけの時間だったけど、いい時間だったなあ。

娘(5)との楽しい時間は、それこそ時間を割いて最優先にしてきた心算です。あ、だから仕事が忙しかったのか。夏休みはそれこそ毎日のようにプールに行きました。御陰さまで、娘が始めて泳ぐ瞬間を見ること、動画に収めることが出来ました。歩く瞬間、泳ぐ瞬間の両方ともをみることができたのは、とても幸せです。

大変だったことは、教務委員以上に沢山あったけど、まあ、それは流して良かったことを中心に振り返るのが大晦日の過ごし方です。

それは、「七味五悦三会」という考え方が好きだからなんです。
今年であった七つの美味しい味、五つの悦しみ、三つの出会いを振り返り、良い一年だったねえと話をするというのが、江戸時代の庶民の大晦日の過ごし方だったとのことなのです。

美味しいものは七つに絞れそうも無いなあf(^^;。
喜びも、出会いも絞れないなあと思えるのは、実に幸せなことであります。
リンクには、中学生たちと二学期の最後の学活等でやっていた「七味五悦三会」のプリントを載せました。どうぞご活用ください。

http://kie.nu/FS8

どちらさまも、いい年の瀬をお迎えくださいますように。

2012/12/28

明日も頑張ろうと言う気持ちになれるのが嬉しい

12/26

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そんなにさぼっているつもりも無いのだが、仕事が終わらない。部屋が片付かない。年末には帰省するから1日移動日になるわけで、本来ならば移動の無い人に比べたら一日前倒しで終わらなければならないのだが、これが難しい。

その上、風邪を引いて体調は悪いのに、読み進めたい本数冊に出会ってしまい、読んでしまっている。ああ、ああ。

そんな重い足取りで家に帰る。
すると、娘(5)の異様に明るい声。
昨日届いた櫻の花束の入っていたダンボールで作った、郵便ポストと貯金箱を合体させたオブジェが完成したようで、それの説明をあれこれする娘。

よく見ると、説明書が張ってある。わとはの区別も出来ている。ビックリして、
『いやー。やっぱり、天才じゃないか?!』
と親ばかトークをかます。すると、0.5秒で
「ちがーう! 天才はお父さん!!」
と返してくる。
やっぱり天才だろf(^^;。

明日も頑張ろうと言う気持ちになれるのが嬉しい。ありがたい。

2012/12/27

『僕の死に方 エンディングダイヤリー500日』

12/26
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この頃はとんとテレビを見ないものだから、この人がテレビで活躍している姿を見ることは無かった。だけど、訃報は知っていたし、そういう人が居ることも知っていた。流通ジャーナリストという面白い肩書きがあるんだなあと。

金子哲雄さん。41歳で「肺カルチノイド」にて亡くなる。その500日の壮絶な記録が『僕の死に方 エンディングダイヤリー500日』

http://www.amazon.co.jp/%E5%83%95%E3%81%AE%E6%AD%BB%E3%81%AB%E6%96%B9-%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC500%E6%97%A5-%E9%87%91%E5%AD%90-%E5%93%B2%E9%9B%84/dp/409396520X 

だ。

昨日立ち寄った本屋で目に留まったので買った。
風邪で咳き込んでしまって夜中の三時に起きて、枕元にあったので読み始めた。1時間位読んで、咳が止まったので寝た。
そして、今日授業のあと研究室で写真データをCDに焼く時間に一気に読み終えた。



私はスーパーが好きで、旅に出ると大概「敵情視察」とか「縄張り確認」とか言いながら見て歩く。魚売り場に並んでいる地物の魚を見て、時には買って料理してと言うのが好きで、見て歩く。

金子さんはこれを仕事にし、スーパーから世界の情勢を解説するという仕事をされていたのだ。私の趣味どころの話ではない。



死ぬまで仕事をし続けたい。
ある人はそう思うだろう。
仕事が上手く行っている最中に、この瞬間で死ねたら本望だなと思うこともあるだろう。私もあった。
だが、人生はそう都合良くは行かない。また、死ぬまで仕事をするってことは、実はかなり大変だと言うこともちょっと考えれば直ぐに分かる。

金子さんは、それを死に直面する中で、周りに迷惑をかけてはいけないということで伝えることもせずに、乗り越えて行った。

私なら絶対に言ってしまうだろう。辛くて悲しくて叫ぶだろう。それを我慢して、その日にできる仕事をやり、周りの人に何が残せるのだろうかと考え、計画を立て段取りを整えてなくなられて行った。



あるガンの研究医は、死ぬならがんで死にたいと言っていたのを思い出す。余命が分かれば色々な準備ができる。交通事故で一瞬でなくなる人は、それができない。それに比べればガンの方がいいというのだ。

その観点で言えばそうだ。ガンで死ぬ人は最後に「ありがとう」と言いながら死ねるかもしれない。事故の人の最後の言葉は叫び声かもしれない。だから、ガンの方がいいのかもしれない。

私には分からない。
この壮絶な精神的な苦しみと、肉体的な苦痛を伴いつつも、がんで死ぬ方がいいと言えるのか。いやそもそも、人は死に方を選べるものではない。生まれ方を選べなかったように。
時々育ち方を選べると思ってしまうから、死に方も選べるように思ってしまうのだろうが、選べると思える育ち方だって多くの部分は選べないし、まして死に方なんてのは殆ど選べない。



その日を丁寧に生きることでしか、人は答えを出せないのだと思う。私はこんなに見事にエンディングを迎えることは出来ないと思う。自分が良くわかっている。だが、毎日はもう少し丁寧に生きようと思い直した。当たり前のことを改めて考えさせてもらった。

合掌。

2012/12/25

嘘には人を楽しくする嘘と、人を怒らせる嘘があるんだよ

12/25

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http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0300C_T01C12A1FF8000/

引用開始 ーーーーーーーーーー

【ニューヨーク=杉本貴司】米環境保護局(EPA)は2日、韓国の現代自動車と傘下の起亜自動車が米国で販売した製品に燃費性能の過大表示があったと明らかにした。対象は約90万台。現代自は品質の向上を売り物に北米市場で成長してきただけに、販売への影響は避けられない情勢だ。

 問題となったのは、2010年後半から販売してきた全車種の35%に当たる製品。カナダでも17万台強が対象となる。

 現代ブランドでは、看板車種の中型セダン「ソナタ」や「エラントラ」など8車種、起亜ブランドは小型車「リオ」など5車種が対象。燃料1ガロン(約3.785リットル)当たりの走行距離を最大6マイル(約9.6キロメートル)過大に表示していた。全車種平均では3%の違いだ。

 EPAは2000年から同様の調査を始めたが、発覚は過去2件にとどまり「同じメーカーの大量の車で非常に(数値が)逸脱するのは初めて」と指摘した。

 現代自は原因について、韓国で行った自社試験でミスがあったと主張。米国現代自のクラフチック社長は2日、「誠に申し訳ない」との声明を出した。AP通信によると、現代自幹部は「故意ではない」と組織ぐるみの改ざんを否定した。

 だが、改ざんを疑う声も多い。米国では「1ガロン40マイル」の燃費性能がエコカーの基準。今回の対象13車種のうち6車種が、最大燃費をちょうど1ガロン40マイルとしており、燃費の良さを訴えるため意図的に数値を水増ししていたと受け止めやすい。

 現代自は技術力で日米大手に匹敵することを示すため、米国では燃費性能に重きを置いた広告を打ってきた。問題発覚を受け、過去に遡り、顧客に過大表示分や走行距離などから算出した金額に15%上乗せし、補償することを決めた。ただ、納得しない顧客による大規模な訴訟に発展する可能性もある。

 米国は現代自の世界販売の2割弱を占める重要市場で、通貨ウォン安も追い風に急激に販売を伸ばしてきた。ただ、10月の新車販売では、現代ブランドが2年2カ月ぶりに前年比マイナスに転落するなど、勢いを失いつつあった。10年のソナタを皮切りに、エラントラなど主力車を次々と発売したが、新車投入が一巡していたためだ。

引用終了 ーーーーーーーーーー

の記事を家で話していた。
『これは結構衝撃は大きいだろうなあ。中古車のリセールスまで補償を広げるとなると結構値段が掛かるし、そもそも燃費がいいと言うブランドは成り立たなくなるからなあ。シビックがアメリカで売れたことで確立したブランドとは、逆になるなあ』

と家で話していた。
すると
「それ、どーゆーいみ?!」
と娘(5)が話に割り込んでくる。
『いやあ、これは流石に分からないから』
と話したところ
「嘘はダメっていうことね」
と奥さん。
「そりゃ、そうだよ」
と娘。

『だけどね、嘘には人を楽しくする嘘と、人を怒らせる嘘があるんだよ。人を楽しくして笑わせる嘘は、いいんだけど、怒らせる嘘はついちゃダメだね』
と私。
「そりゃ、そーだよ」
と娘。

『ほら、お父さんが帰って来たときに隠れていて、どーこだ?というのは、楽しい嘘。頭が痛くないのに痛いというようなのは、怒らせる嘘だね』
「うん(^^)」

村岡さんに紹介してもらった『子どもと悪』(河合隼雄 岩波書店)にあるような話になってしまった。いい本です。

日本語では、これを幸せというのだろう

12/24

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この年末感の無さはなんなんだろうと年々思う。
子どもの頃は、大掃除、終業式、クリスマス、レコード大賞、紅白歌合戦とどんどん迫ってくる年末にどきどきしたものだが、これがない。大掃除以外は特に年末感を感じなくなったというのもあるだろうが、一方で師走である。

師走と言うのは、普段ゆったりとしている「師」が、この月は忙しく走り回るということからの命名だそうだが、これが実情に合っていない。ふだんのんびりしているのが、12月だけ忙しくするというから年末感があるのだが、いつも忙しく走り回っているいまの教師には、いつもと同じ感覚しかなくなってきているのではないだろうか。

師走は、実質上の死語になっているかもしれないなあ。
クリスマス用のベーコンを作りながら、そんなことを思う。

http://www.youtube.com/watch?v=PZ2gQirjmBs
http://www.youtube.com/watch?v=sdjkm7W9YX8 ここからのBGM

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クリスマスイブの夜、私は日頃の行いが祟ってか風邪でヒーヒー言っていた。咳、鼻水、熱とまあ大変。子どもの頃から授業のある時は、週末か休日に風邪を引くのだが、今回もこれ。折角のごちそうの味が鈍ってしまうのは残念だが、ま、仕方が無い。

娘(5)は、サンタさんにお手紙を書くと言う。
『ん? なんのお手紙なの?』
見せてもらうと「さんたさんへ」と封筒に大きく宛名が書かれたその手紙にはこんなことが書かれていた。

「世界中を回って疲れているでしょ。プレゼントをあげるよ」

と。
ああ、相手のことを気遣うことができる娘に育ってくれているんだなあと、心の中で涙する。手作りの腕輪がプレゼントであった。

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食事後、娘はケーキも食べないで寝ようとする。歯を磨くと言い出す。
『どうしたの?!』
「だって、寝ないとサンタさんが来ないでしょ!」
http://www.noradsanta.org/ja/track.html
で、確認した所、サンタさんはまだランチの準備中。
『まだ、お昼ご飯を食べているところだよ』
「え! 遅い!」

日頃の自分の食事の遅さを棚に上げて、こういう(^^)。
ところが、
「あ、そうか。世界中を回ってプレゼントを上げるのだから、沢山食べているんだね」
と。なるほど、そう帰結しますか。
「いま、どこ?」
と何回も、こっちが風邪でゴホゴホやっているのに、何回も聞いてくる。
「いま、どこ?」
『まだ、お昼寝しているんじゃないの?』
「えー!遅い。あ、そうか、沢山寝ておかないと配る時疲れちゃうもんね」
人間は、こうして自分が納得するストーリーを作るんだなあと妙になっとく。

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「いま、どこ?」
『えーと、ニュージーランドのねえ』
「どこ」
『よし、じゃあ、地球儀で説明しよう』
と地球儀を持って来てテーブルの上に置いて説明を開始。
そのとき、北海道に来たことが分かる。

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「うわあ。寝る寝る。もう寝る!」
と布団に飛び込む娘。

勿論、布団の中でも興奮は覚めやらず寝られない。
私は風邪で早く寝たいのに、娘が寝ないことには靴下の中にプレゼントを入れることが出来ない。静かな戦いが小一時間続いた。

私が勝った。
プレゼントをしまい、娘からサンタさんへの手紙とプレゼントを取り出し、お礼の手紙は明日朝書けばいいと思い、ベッドに雪崩れ込んだ。
日本語では、これを幸せというのだろう。

メリークリスマス。

2012/12/24

眼下に広がる世界を見るような爽快さ

12/23

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岩手から佐藤正寿先生をお招きした明日の教室。
いつもと参加者が大きく変わった。
それは、佐藤正寿さんのコアなファンが大挙して参加されたということなのだろう。

東北にも敬愛する教師は何人もいるが、佐藤正寿さんは実に東北の先生の、その懐の大きさと実直さを具現化されている先生だと思う。私も半分東北の血が流れているので、そうでありたいなあと思いつつ、ああ、無理だといつも思う。こんなに等身大で実直に仕事に当たる先生にはなれないなあと思う。

なんというのだろう。
華やかさがあるというのではない。
例えて言えば、一歩ずつ歩き通して山の頂から、眼下に広がる世界を見るような爽快さが佐藤正寿さんの授業にはある。

手を抜くこと無く、一つ一つ積み重ねている授業設計、実践記録を感じるのだ。
難所に出くわしたら、じっくりとそこで腰を据えて難所を登り切るまで準備をして、アタックをしてということを繰り返して乗り越えて来たことが分かるのだ。

模擬授業は奇をてらったものではない。
ただ、
(え、そこまで準備するの?)
というところまで準備してある。
そう感じた若手の先生は多いと思う。
そして、その準備がどういう意味を持っているのかをメタで認識して授業展開に活かす。

懇親会の二次会は、京都駅近辺の隠れ家へ。
10席しかない店で、4人で行っても座れないかなあと思ったのだが、なんと奇跡的に席を確保。佐藤正寿さんの日頃の行いだろう(^^)。

私たちに残された時間は、あとざっくりと言えば10年。
この10年をどう過ごすのか。
ま、簡単に言えばあがくしかなくて、あがきながら若手をどう育てるかということで一致。出会った頃にはそんなことを考える暇もなく、自分の実践だけをどうしようかと考えていたのになあと思い出すと、時の流れのはやさを実感する。

「また会う約束等することもなく、それじゃあまたなと分かれる時の、お前がいい」

ってのは、私たちの世代のテーマソングの一つだ。
そんな歌が頭の中に流れながら、再会を思った。
また、京都に来てね(^^)。


2012/12/23

私たち教師は、発表することにそれほど力をかけなくなって行く

12/20

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四回生ゼミは、卒論の発表会。パワーポイントかキーノートを使ってやれと指示。一回ぐらいそう言うのが合っても良いだろうという思い。
勉強の部分は良く出来ているなあと思うものが多い。しかし、問いと解決の部分、また、発表そのものの在り方が弱いと感じる。

私たち教師は、発表することにそれほど力をかけなくなって行く。なぜなら、毎日先生の話を聞く児童生徒が必ず居るからだ。欠席、不登校、さぼりなどで教室に居ない児童生徒もいるが、基本的には教室に居る。だから、話し方などの工夫をしなくても、聞いてもらって当たり前ということになる。そこで話し方、発表の仕方を磨かなくなる。

そのことを戒めとしつつ、学生達に指導をする。

二回生ゼミは、佐伯先生の「学びのドーナッツ理論」についてなおも食い下がって読み進める。今回は「私のもの」と「自分のもの」は、同じなのか違うものなのかという問いが提出されてこれで60分以上延々と議論を重ねた。

この「学びのドーナッツ理論」の所は難しいので飛ばして、実践記録の所をやったらどうか?という話も学科の中では出た。私も難しいなあと思った。が、飛ばさなくて良かったと今は思っている。合唱コンクール等があり、レポーターは忙しかったと思うのだが、良く挑戦した。ゼミの議論をうまくファシリテートし、深めて行った。

先週の議論が、今週の議論の土台を作り、その上に乗ってさらに議論が展開されるというようなゼミになって行った。危ない所だった。AかBか指導の方向を決めるとき、学生のことを「思って」優しいものを選ばなくて良かった。そんなことをしたら、彼らの学びは弱いものになっただろう。

二つのゼミは、今日の授業で年内はおしまいとなる。

学級担任としての写真講座

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水曜日は、学級担任論。

午後からの学科の合唱祭に関連して話をしていたら、結構そこに時間が掛かってしまった。合唱コンクールをコントロールする先生方の舞台裏の仕事を、嘗て文化行事委員長をしていたときのエクセル資料を見せながら説明する。

学生達にとっては驚愕の事実が続出する。
一週間前から、学校全体、学年ごと、職員、保護者などへ10分おきの時程を組んでいたのだが、その資料を見せながらあれこれ話した。
教師は当日目立つこと無いように事前の準備を周到に行う。そして、当日は子どもたちに光が届くように動く。そのあれこれを話した。

後半は「学級担任としての写真講座」。なんで学級担任がカメラなのかということになるのだが、私は学級担任の仕事とカメラは非常に相性がいいと考えている。

担任は、子どもの側に居られる。そして、その子どもが自分でも気がつかない良い表情をするのを見ることが出来る。この表情を子ども達にプレゼントすることが出来るのが写真だ。

また、子どもの癖を直す為にその事実を画像情報でその場で示せば、まさに一目瞭然である。例えば、テニス部の顧問をしていたときのことである。サーブの時のトスは体の前方1mぐらいのところに上げなければならない。ところがどうしても体の上に上げてしまう生徒が多い。そのとき、一枚撮影してその事実を見せれば直ぐに理解する。

他にも学級経営そのものにもいろいろと活用することが出来る。そこで、去年から学級担任論に写真撮影の項目を入れて教えている。

私が子どもの頃でも、先生の中には子どもの写真を撮る先生がいた。自分でフィルムを買い、現像してとしていた先生もいた。私もそうだった。高校時代から白黒フィルムを缶で買って来て、パトローネにダークバックで詰め込んで(なんて殆ど誰も分からないと思うが)やっていたので、カメラに触っている時間は結構長い。

だが、まあ、まかさ大学の授業で写真のことを扱うことになるとは、夢のまた夢ぐらいありえないことだったが、行っている。実に不思議なもんだ。

この日は、なぜ学級担任が写真なのかという理論の部分を話しておしまい。来週は実際に写真を撮ってみることになるかな。

2012/12/19

学生達が育って行く姿を見るのは、なんと言っても嬉しい

12/19

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学生達が育って行く姿を見るのは、なんと言っても嬉しい。
私が直接指導に関わったのもあれば、環境だけ整えたのもあるし、他の先生が関わったのもある。だが、そんなところは大きな問題ではなく、彼らが私たちの児童教育学科で学び成長する姿があることが嬉しい。

自分を表現する。
自分たちを表現する。
自分で表現する。
自分たちで表現する。
仲間を表現する。
仲間を演出する。
仲間を気遣う。
仲間に感謝する。

こういうことが彼らの一年を通して行われ、回生ごとにそれが深まって行く。その姿を見ることが出来る。これを喜ばずに何を喜ぶと言うのだ。

写真は、
三回生がフォトストーリーを使って四回生との思い出を流しつつ、歌を歌っている所。最初にフォトストーリーを学生達に紹介した私としてはこういう風に自然と使われて広がっているのもとても嬉しい。

今日の合唱コンクールで、児童教育学科は、また少し質を高めたと思う。
その現場にいられることの幸せを感じつつ、リビングで乾杯である。

2012/12/12

「おけい」ボタン

12/11

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ビックリ。

つい先日、娘(5)に紙からノートを作る方法を教えてあげた。
http://k.e-kuchikomi.info/K_140266/
良く遠足のしおりなどでやるやり方だ。
家にA3の紙があったので、教えてあげた。

とても気に入ったようで、10冊位作っていた。
驚いた。
だが、驚いたのはこの先。

「お父さん、押して!」
と何やら持ってくる。
(なんだこれ?)
と思ってじーっと見ていたら分かった。
ノートパソコンである!

「おけい」ボタンと、→ボタンまである。

モニター部分にはあれこれ書かれていて、切り込みがある。
遊ぶ時は、ここを折って隠しておいて
「お父さん、押して!」
と言ってくる。
『あいす!』
というと左側にあるアイスが見えるようになり、
『おと!』
というと、音符が見えるようになるのだ。

近所の年上の子どもが、箱を首からぶら下げてコンピュータごっこをしているのを見たのだろうとは奥さんの説明だが、それにしても私は凄いと思った。

MacBook Airが娘(5)のものになる日は近い(^^)。

モンブラン No.221 585

12/11 

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普段使わない引き出しを開けて探し物をしていたら、出て来てしまった。
「モンブラン No.221 585」である。カートリッジではなく、吸引のタイプのもの。
古い万年筆だ。もう40年以上も前のものだろう。父親から貰ったものだ。

ペン先が極めて細く、弾力があって嘗ては書きにくいと思っていたもの。
だから、引き出しの中に入っていたのだと思う。

折角だからと思ってメインテナンスをして使ってみた。
いやあ、書ける。
更に言えば、なかなか書きやすい。
ペンを立ててしまわずに、寝かせて書くと書きやすい。

愛用の149と比べると、軸の細さが良くわかると思う。
中古のマーケットで見ると、大した値段にはなっていない。
が、そこで判断するのもばかばかしい。
そういうもんじゃあない。

年賀状に一言を書くときに、今年はこれを使おうかなあなんて思っている。

2012/12/11

吉例の、池田教え子関係新年会のご案内

12/11

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吉例の、池田教え子関係新年会のご案内です。

なんらかの関係があって、時間が空いている方、お待ちしております。

池田にメールか、このエントリーにレスで連絡をください。



◆

さて、2013新年会の幹事、高山&大澤より日時のご案内です。

2013新年会!〜今年も良い年にしよう!〜

日時:2013年1月3日午後1時
集合
場所:昭島駅改札前

会場:居酒屋坂元(昭島駅南口1分)

会費:5000円/人+@
幹事:大澤



参加連絡については、12月25日までにお願いします。

今回幹事の我儘で店長に特別に店を開けてもらえました!
美味しい料理と各種取り揃えられた酒を酌み交わし、新年を祝いましょう!



◆



ということです。よろしくどうぞ。

2012/12/10

しかし、昨日の関西授業づくり研究会は面白かった

12/10

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しかし、昨日の関西授業づくり研究会は面白かった。

基本的に私は異質なものからの学びが性に合っているなと改めて思う。教育のことを教育の人から学ぶのは、まあ、ストックとして必要だと思うが、それは若いうちに行うことであり、中年以降は自分でやることだと思う。

が、最新のフロー情報はその分野の第一人者の方に、あれこれ聞くのが一番だ。昨日は、「LINE」について。このところ急激にユーザーを増やしている日本初の世界標準のSNSのプラットホームだ。

教育関係者のみが参加できるという条件であった。奥さんの誕生日のお祝いを一日前に繰り上げて行った甲斐はあったなあ。あの内容では教育関係者がクローズで話すしかないよなあという話ばかりであった。

で、結論は、私はまだLINEをやらない方が良いということが分かった。
とてもいいサービスであることは分かったが、ま、やらないでおこうと思った。私のような人はレアケースなので、使える人はどんどん使った方がいいなとも思った。

その後の懇親会。
さらに突っ込んだ話を聞く。
また、新しい交流もできる。

二件目では美味しい日本酒。
なんだか酔っぱらってしまい、結構妄想を語ってしまった気がするf(^^;。 単位の違う話をした気がするf(^^;。

気がついたら終電近く。
慌てて大阪駅に向かうと、快速が待っている。
が、調べてみるとこの快速でも京都駅の最終湖西線には間に合わない。がーん。
しかし、その後は普通列車なので兎に角乗る。
乗って、山科駅からタクシーだとあきらめる。
ま、議論が充実していたからいいかと。

ところが、なんと京都駅に最終湖西線がいるではないか。
北陸からの列車が遅れた関係で、この湖西線も遅れたとのこと。
いやあ、ラッキー。
慌てて飛び乗って、寝過ごさずに帰宅できましたとさ。

出かけて行って大正解の研究会でした。

2012/12/07

最初の人でありたい

12/7

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知り合いのFBに掲載されていた場所が、なんとなく見覚えのある場所だった。
聞いてみたら、なるほどあの辺りかと言う場所だった。
午前中の仕事を終え、
(天気もいいし昼ご飯前にちょっと行ってみるか)
と思って足を運んだ。
大変だった。

仙石岩と呼ばれる場所である。
関西のロッククライミングでは結構有名らしい。
近くの公園の駐車場に車を停めて徒歩20分らしい。
最寄りの神社から、700mと看板があったし、まあ、それならそんなに大変ではないだろうと思って歩みを進めた。
大変であった。

道と言えば道だが、雨が降ったら川と言えば川だろうと言う道を登る。
確かに700mぐらいなのだろうが、手をついて登って行く道の700mはかなりきつい。

後少しかなと思った所、前方に見える岩を攀じ登る人影があった。
到着したようだ。そして、ロッククライミングがされているようだ。

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私は岩の背後から上り、眼下に琵琶湖を見下ろす。
なんというか空から見ている感覚だ。
横の岩、私が座っている岩ではロッククライミングが行われていて、下手をすると方向感覚や平衡感覚を奪われそうで、クラクラした。

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道。

私は川のような道だと思いながら登った。
しかし、明らかに人が歩いた道であり、丁寧に方向を示す看板までもがあった。
あの岩の場所に行こうとして、歩き始めた人がいる。
そして、その跡を確かなものにしようとして、看板を立てた人がいる。

私は、その完成された道であってもヒーヒー言いながら歩く。
(最初の人は、どうして、この山の中を、あの岩の方向を間違えないで、辿り着くことが出来たのだろうか?)
と思う。
いや、間違えただろう。しかし、
(あの岩の所に行ってみたい)
という思いが、道の発見に繋がり、あの岩を見せてあげたいと言う人が看板を作り、興味を示した人が歩いて道をなしたのであろう。

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岩の上で持参した水を飲み、見える限りの景色を目に収め、カメラに収め、下山した。
いや正確に言うと、下りるというよりは転がるというような角度のの道を行った。

私は、目的地にたどり着く最初の人でありたいなと、改めて思った。

2012/12/05

子どもたちは忘れ物をしたくてしているわけではない

12/5

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(比叡山から琵琶湖を眺める)

本日の学級担任論は、忘れ物指導と遅刻指導について。忘れ物指導を重点的に。

忘れ物指導に当たる大前提は、「子どもたちは忘れ物をしたくてしているわけではない」ということである。それを踏まえて、どうしたら忘れ物が減るのかを考えて行く必要がある。

人間は忘れるという素晴らしい能力を持っている。

だから、忘れ物をゼロにすることはできない。問題は、大事なものを持ってくることを忘れないようにするにはどうしたらいいのか。これをその子どもの性格に応じて考えさせることにある。



考えるポイントは、次の3点。

(1)減らすには、移動するものを減らす。
(2)忘れ物のシステムを理解する。
(3)どんなものが忘れやすいのかを理解する。

(1)子どもが家と学校で移動させなければならないものは、かなり多い。『忘れ物の教育学』の家本芳郎先生の調査によれば、ある小学校では

1)学習用具。教科書・教材・ノートなどである。
2)筆記・文具類。ある学校の例だが「筆箱・筆記用具・消しゴム(無臭)・下敷(無地)・メモ帳・ハサミ・のり・セロテープ・定規・カッター・分度器・コンパス・バンドエイド・サインペン・マジック・色鉛筆(十二色以下)・十円玉一個(緊急電話用)・小型ソーイングセット(女子だけ)・くし(女子だけ)」とある。
3)宿題。学習に関連したレポート・作品などの提出物も、ここに入る。
4)提出物。清掃用のぞうきんとか保健指導上の検便など
5)提出書類。進路希望調査・家庭調査簿やPTAの出欠席・委任状などの類。
6)徴収金。学校納付金・PTA会費・社会見学費などのお金。
7)校則できまっている規則に関するしたく。交通安全カード・記名・生徒手帳など。
8)置き忘れ。更衣室に時計を置き忘れたり、音楽室に笛を置き忘れるといったこと。

のようになる。大人は仕事道具は仕事場においておくことが原則なので、子どものの方だけ圧倒的に大変だと分かる。学校に置いておけばいいもの、クラスに一つあればいいもの、学校にあればいいものと考えて共有、共用できれば、移動させることが無くなり、分母が減るだけに、忘れ物は減る。

(2)忘れ物はどういうプロセスで出来るのかを理解する。私は「忘れ物のの作り方」というワークシートで学ばせている。どこでつまずいたら忘れ物になってしまうのかを理解するのだ。自分の癖を理解することで減る。

(3)忘れものの少ない授業は、怖い先生の授業、楽しい先生の授業、面白い内容の授業だという。恐怖で減らしても、恐怖が無くなれば元に戻る。または、恐怖を乗り越えてしまっては元も子もないし、そのために最終的には暴力に走るようになる。これは却下。

後の2つは、実は先生の努力でなんとかなる部分である。先生が良い先生で、面白い授業をすれば、子どもたちは忘れ物をなくそうと思うのだ。だから、忘れ物の多い授業というのは、実は子どもだけの責任ではないと言うことが分かる。



「忘れ物をするな!」
という指導は簡単である。だが、それは指導ではなく単なる脅しの命令だと私は考える。どうしたら忘れ物が減るのか。それを子どもたちと考えてあれこれやる。その上で「忘れ物をするな!」というのであれば子どもたちも納得する。

担任は、学級に繰り広げられる問題解決型の学習を子どもたちと一緒にしながら、クラスを育てて行くのだと私は考えている。

2012/12/04

机間巡視と机間指導は別物である

12/4

R0015730

『走れメロス』の模擬授業が終わった。「山賊は、王の放った刺客である。是か非か」というテーマで討論を行うことを計画した模擬授業であった。
教科書に根拠を求めて、自分の立場を決めて討論を行うのである。

今回は机間巡視がポイントになった。
机間巡視は、昨今では机間指導と言われることがあるが、机間巡視と机間指導は別物である。机間指導は、その場で生徒を指導する。しかし、机間巡視は違う。

今回の授業は、「山賊は、王の放った刺客である。是か非か」ということで、

1)自分がどちらの立場なのかを判断し、
2)その後立場ごとのグループに分かれて意見を交わし、
3)相手側と討論する。

という三段階の流れになっていた。
ということは、1)をしている最中、2)をしている最中に机間巡視できることになる。

机間巡視は散歩ではない。
この後の授業展開のための情報を集めるための時間である。

つまり、1)のタイミングでは、クラスの中でどちらの立場の人が多いのかを数える。2)では、3)では何が争点になるのかを予測するのである。これが机間巡視の目的である。そして、これを前提にして黒板に書く為の準備等をしながら待つのである。

今回の模擬授業では、ここが不十分であった。
だから、その後の展開を奇麗にコントロールしにくかったと言える。
勿論、大学三年生の模擬授業にそれを求めることが難しいことは分かっている。しかし、原理原則で言えば、そうなることを教えなければならない。

模擬授業ではこういうことが具体的に教えられる。

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