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2012/12/24

眼下に広がる世界を見るような爽快さ

12/23

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岩手から佐藤正寿先生をお招きした明日の教室。
いつもと参加者が大きく変わった。
それは、佐藤正寿さんのコアなファンが大挙して参加されたということなのだろう。

東北にも敬愛する教師は何人もいるが、佐藤正寿さんは実に東北の先生の、その懐の大きさと実直さを具現化されている先生だと思う。私も半分東北の血が流れているので、そうでありたいなあと思いつつ、ああ、無理だといつも思う。こんなに等身大で実直に仕事に当たる先生にはなれないなあと思う。

なんというのだろう。
華やかさがあるというのではない。
例えて言えば、一歩ずつ歩き通して山の頂から、眼下に広がる世界を見るような爽快さが佐藤正寿さんの授業にはある。

手を抜くこと無く、一つ一つ積み重ねている授業設計、実践記録を感じるのだ。
難所に出くわしたら、じっくりとそこで腰を据えて難所を登り切るまで準備をして、アタックをしてということを繰り返して乗り越えて来たことが分かるのだ。

模擬授業は奇をてらったものではない。
ただ、
(え、そこまで準備するの?)
というところまで準備してある。
そう感じた若手の先生は多いと思う。
そして、その準備がどういう意味を持っているのかをメタで認識して授業展開に活かす。

懇親会の二次会は、京都駅近辺の隠れ家へ。
10席しかない店で、4人で行っても座れないかなあと思ったのだが、なんと奇跡的に席を確保。佐藤正寿さんの日頃の行いだろう(^^)。

私たちに残された時間は、あとざっくりと言えば10年。
この10年をどう過ごすのか。
ま、簡単に言えばあがくしかなくて、あがきながら若手をどう育てるかということで一致。出会った頃にはそんなことを考える暇もなく、自分の実践だけをどうしようかと考えていたのになあと思い出すと、時の流れのはやさを実感する。

「また会う約束等することもなく、それじゃあまたなと分かれる時の、お前がいい」

ってのは、私たちの世代のテーマソングの一つだ。
そんな歌が頭の中に流れながら、再会を思った。
また、京都に来てね(^^)。


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コメント

佐藤正寿です。
思い出深い京都になりました。大変お世話になりました。
それにしても池田さんの洞察力には驚かされます。全てを見透かされているような・・・。
明日の教室会場は東北人の私にとってはアウェイではなくホームのような感覚でした。
また京都に行かせてください。ありがとうございました。

※中村雅俊は私と同名なので中学時代からファンです。「俺たちの旅」・・・田舎でも夢中になっていました。

素晴らしい講座をありがとうございました。

佐藤正寿さんとお会いするたび、(俺ももっとちゃんと生きなければなあと)反省します。大概懇親会の段階で諦めるのですがf(^^;。

でも、今回は懇親会もあの店に入れて本当にラッキーでした。次は、市内の大人の店にいきましょう(^^)。またお待ちしております。

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