学級担任としての写真講座
水曜日は、学級担任論。
午後からの学科の合唱祭に関連して話をしていたら、結構そこに時間が掛かってしまった。合唱コンクールをコントロールする先生方の舞台裏の仕事を、嘗て文化行事委員長をしていたときのエクセル資料を見せながら説明する。
学生達にとっては驚愕の事実が続出する。
一週間前から、学校全体、学年ごと、職員、保護者などへ10分おきの時程を組んでいたのだが、その資料を見せながらあれこれ話した。
教師は当日目立つこと無いように事前の準備を周到に行う。そして、当日は子どもたちに光が届くように動く。そのあれこれを話した。
◆
後半は「学級担任としての写真講座」。なんで学級担任がカメラなのかということになるのだが、私は学級担任の仕事とカメラは非常に相性がいいと考えている。
担任は、子どもの側に居られる。そして、その子どもが自分でも気がつかない良い表情をするのを見ることが出来る。この表情を子ども達にプレゼントすることが出来るのが写真だ。
また、子どもの癖を直す為にその事実を画像情報でその場で示せば、まさに一目瞭然である。例えば、テニス部の顧問をしていたときのことである。サーブの時のトスは体の前方1mぐらいのところに上げなければならない。ところがどうしても体の上に上げてしまう生徒が多い。そのとき、一枚撮影してその事実を見せれば直ぐに理解する。
他にも学級経営そのものにもいろいろと活用することが出来る。そこで、去年から学級担任論に写真撮影の項目を入れて教えている。
私が子どもの頃でも、先生の中には子どもの写真を撮る先生がいた。自分でフィルムを買い、現像してとしていた先生もいた。私もそうだった。高校時代から白黒フィルムを缶で買って来て、パトローネにダークバックで詰め込んで(なんて殆ど誰も分からないと思うが)やっていたので、カメラに触っている時間は結構長い。
だが、まあ、まかさ大学の授業で写真のことを扱うことになるとは、夢のまた夢ぐらいありえないことだったが、行っている。実に不思議なもんだ。
◆
この日は、なぜ学級担任が写真なのかという理論の部分を話しておしまい。来週は実際に写真を撮ってみることになるかな。
« 学生達が育って行く姿を見るのは、なんと言っても嬉しい | トップページ | 私たち教師は、発表することにそれほど力をかけなくなって行く »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント