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2012/03/17

卒業パーティのお土産をもらったかの気分だった

3/17

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卒業式が終わり、卒業パーティに参加する。
児童教育学科は翌日に学科の学生主催のパーティがあるので、大学全体の卒業パーティへの参加者はさほど多くはない。

娘たちが艶やかに着飾って参加するのに、参加しないのも失礼だなあと思い私は大学に着任してからずっと参加している。着任当時は、まだ女子大であった。ゼミ生がいないときから。授業で担当した学生たちが卒業するのだから、祝ってやりたいなあと思って参加している。

このごろは謝恩会とは言わない。卒業パーティである。だから先生もしっかりと参加費を払う。ま、払うのはいいが、私は謝恩会でいいのではないかと思っている。謝恩されるぐらいしっかりと指導すれば良いんだと思う。そして、謝恩したくない学生はそれはそれでいい。パーティをやればいいし、参加しなくても良い。私は古いのかなあ。

ではあるが、卒業パーティでは卒業生たちに、ビールを注いであげたりする。
卒業生たちが注いでくれるが、私も注ぐ。

http://www.youtube.com/watch?v=1xj08mRrOGQ

自分が卒業するときは、卒業パーティは無かった。
だから、曲の中だけでそんなもんかなあと思っていた。
この曲の二番の歌詞の冒頭がいま、そうだよなあと思うのだ。
だから、卒業生たちにビールを注ぐ。

もちろん、授業は忘れて欲しくないが(^^)。

パーティ会場を離れて、同僚の先生と〆のラーメンを食べに木屋町に立ち寄った。
私たちが帰るときに入れ替えで入って来た若い三人の男性の一人が声をかけてきた。
「今日は何かあったんですか?」
『ん? 今日は落語の高座があったのですよ』
「またまた〜」

実は卒業パーティも紋付袴で出席していた。
『ははは。いやね、今日は私の学生たちの卒業式だったんだよ』
「えー、そりゃあいいですねえ」
『ありがとう』
「自分も昨日だったんですよ」
『そうか。おめでとう。立派な社会人になるんだぞ』
「はい。ありがとうございます」

なんかさわやかだった。
卒業パーティのお土産をもらったかの気分だった。

あまりに気分が良かったので、タクシーで帰ろうと思ったが
春の夜を味わいたくなって、歩いて帰ったのでありました。

2012/03/16

ご卒業おめでとうございます

3/16

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卒業式を終えた。
これからパーティだ。児童教育学科は明日も学科主催のがある。
まあ、遊ぶことも大事な勉強と教えて来た児童教育学科の学生たちである。しっかりとやるわい。

卒業、おめでとう。
と、学生たちにいう。

いろいろあって大学を辞めざるを得なかった者たちがいるなかで、卒業できたことはそれだけでおめでとうだと思う。四年間、または五年間以上あれこれあるなかで走り抜けて卒業できたことは実にめでたいことだ。天気も幸いにして晴れて、笑顔で、こんなにいい卒業式で実に良かったなと思う。

だけど、思うのだ。
ここが頂点ではだめだと。
幸せの、その一番良いときの姿を私たち教員は見ることが出来る。それも毎年見ることが出来る。なんと幸せなのだ。

だが、その度に思うのだ。
ここが頂点ではないぞ。この先まだまだ幸せになるのだぞ。
そして、この先いろいろな災いが降り注いで来ても、なんとか凌いで行きて行くんだぞ。
当たり前だが良いことばかりが人生ではない。

私たちは君たち卒業生のことは大事にしたいと思う。
だけど、当たり前だけど、四月からは今目の前にいる、授業に必死に向かっている学生たちに力を注ぐ。君たちは君たちで一日を過ごし、自分を成長させ、社会を復興し成長させる一翼を担わなければならない。

あっという間の四年間だったと思う。
そして、早く過ぎる時間ほどあとからゆっくり思い出せるというこの人生の時間の仕組みにあと10年もすれば実感するだろう。
これからはもっと早いぞ。
もっと早く過ぎる人生であって欲しい。
それは充実していることと同義だと思うのだ。

ご卒業おめでとうございます。
君たちの活躍を期待しています。

2012/03/15

『で、どうするの? 自宅から通うのかね?』

3/15

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卒業式が明日になった。児童教育学科の二期生の学生たちも、いよいよこの学び舎を巣立って行く。今日は、教員免許証などを渡した。勤務先が決まった学生たちがあれこれ報告に来る。

『で、どうするの? 自宅から通うのかね?』
「1時間位かかるので下宿をしようと思います」
『うーん、できるだけ自宅がいいぞ』
「そうですか」
『君は、自宅生だったろ。働くと一人で暮らすが同時にあるというのは、かなり大変だぞ。それに、採用試験の勉強もするのだろ?』
「はい」
『それなら、自宅だ。疲れて帰って来た娘に「掃除、洗濯、食事を作りなさい」とは親は流石に言わないだろう。が、下宿ではこれはマストだからな』
「は〜」

『ま、どうしても家を出ると言うのであれば、私のお薦めはマンスリーマンションだな』
「?」
『家具が付いていて、あとは服を持って行けば生活できる奴だ。勤務のときはここに戻ってきて、土日は実家に戻る。そして、7月ぐらいまでここで過ごす。土地勘が分かり、採用試験が終わったら、夏休みに引っ越しというのが良いと思う』
「夏休みですか」
『その方が、引っ越し代は安い。さらに、引っ越し帰りの空トラックを使うともっと安くできるけどね』
「先生、詳しいですね」
『私も東京からの引っ越しはそうしたからな』
「そうなんですか」
『ただし、非常勤講師の場合は来年度もここで仕事をするとは限らないので、引っ越しは本当に慎重にね』

その後、研究室で卒業式の準備。
中学校の担任のときに比べれば、比較にならないぐらいの仕事量だが、卒業と言うことでは人生でほぼ最後の卒業式となる。ま、私の恩師がしてくれたことぐらいはしてやりたいなあと思う。

なんとか準備も完了。
さ、明日は晴れろよ。

校庭で 小野十三郎

卒業を迎えた教師の気持ちをこれほど見事に書いた詩はないだろうなあ。
卒業式を迎えようとするたびに、読み返す。

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本学は、明日卒業式です。
児童教育学科はお陰さまで、無事二期生を社会に送り出すことができます。
どこかでご縁を頂きましたら、厳しくご指導ください。


2012/03/14

叱るのが大変なのは、叱るのゴールが、褒めるだから

3/14

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子育ては、ときどき譲れない場面がある。
今朝、娘(4)は結構な我がままを言い、暴言を吐いた。
暴言を吐くに至った事情は分かる。
その言葉を覚えた事情も分かる。
ただ、言葉は大事にしたい。

心から言葉が生まれるという考え方を持っている人が多いが、
私は逆だと考えている。
言葉が心を生むのである。
言葉を手に入れたときに、その感情や思いや考えが固まるのだ。
だから、言葉は大事。
言葉遣いは大事。

謝らなければならないときに謝れない子どもは厳しく叱らなければならない。
今日は、幼稚園に行かなくても良いという判断で厳しく。
謝るまで、泣こうが叫ぼうがベランダから部屋に入れないとした。
ご近所のみなさん、すみません。
でも、今日が暖かい日で良かった(^^)。

叱るのが大変なのは、叱るのゴールが、褒めるだから。
叱り飛ばすだけなら簡単。叱ったことができるようになったときに「よし(^^)」と褒めるまでが叱るであって、これが大変。その子どもを見守り続けなければならない。

子どもの成長とともにこの見守る時間が長くなる。
小さいときは、直ぐに謝るが成長すればするほど
(なんで、謝らなければならないの?)
とか、プライドとかが出てくる。

そんなに簡単に子どもが大人の考えを理解できる訳が無い。理由を説明しても分からないことだらけである。だから大人の責任で叱るのだ。根拠は大人なのだ。嫌われようがなんだろうが、叱るのだ。そして見守るのだ。

大人は辛抱である。

ちなみに、最後は謝れたので抱っこしてあげました。
ギリギリで幼稚園には行けましたf(^^;。

2012/03/12

多賀塾のご案内

甲南小学校の多賀先生からご案内を頂きました。
多賀塾です。

多賀先生の国語の授業は、とっても丁寧に作り込まれています。
子どもの姿をきちんと描いてその姿に対応した作り込みをされています。
しかし、その授業があまりにも自然なので、授業がよく見えていない人には何が凄いのか分からないかもしれません。そして、その作り込みの凄さが見えないかもしれません。

そんな多賀先生から、勉強会を開くというご案内を頂きました。
若者に残す、伝える。
これを本当に考えていらっしゃる先生です。
神戸近辺の先生方、チャンスだと思います。

ご著書は、子どもの心をゆさぶる多賀一郎の国語の授業の作り方
ブログは、http://www.taga169.com/

資料は「taga.doc」をダウンロード です。

ご案内致します。

2012/03/11

終業式まであと少し

3/11

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今日は、震災から一年経った日である。
あっという間の一年だった。
沢山の尊い命が犠牲になり、さらにまだ30万人以上の人が避難生活をしているという現実。
この国がどんな国になってしまったのかが良くわかった一年だった。

この日は、私たちの大学の児童教育学科の一期生の卒業式でもあった。
午前中に式を終えて、午後学科の会議をしているときに、私は揺れを感じた。
(誰だ? 貧乏揺すりをしているのは?)
と思ったのだが、誰もしていない。それどころか会議をしている部屋の書棚が微かに揺れている。
手元にあったiPhoneで確認したら、地震。それも話にならない規模。

マグニチュードが8.6というニュースが流れたときに、理科担当の先生が、「そんな地震、日本ではいままでにないだろう」と言っていたのを思い出す。会議は途中で終わりにしてその後の対応に走り始めた。

一期生は、9人が関東に就職した。
この9人は、児童教育学科に入学して来たとき、将来は関東の小学校の先生になろうと決めていた者は一人もいない。ところが、あれこれあって関東の小学校の先生になった。

そして、卒業式の日に震災があり、これから教師の最初の一年を過ごして行く不安に、さらに大きな不安が重なったことになる。働くと言うことはそういうことであると言えばそれまでだが、それにしても大きすぎるものを背負ってのスタートとなった。

その後、教職保育職支援室の先生が、アフターケアを受けながら、この一年間を走り抜けて来た彼ら彼女らである。それでなくても教師の一年目は大変なのにだ。

終業式まであと少し。
体に気をつけて辿り着いて欲しい。

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