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2012/04/25

『あるけど、教えない』

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(キャンパスの青紅葉 by GR4)

授業後、キャンパス内の桜の写真を撮りに行こうと思ったら、4回生が相談があるとのこと。どうぞと研究室で話を聞く。教育実習で古典と小説をやることになった。古典はなんとかなりそうだが、小説がどうもだめだとのこと。何をやるのかと聞いたら『羅生門』とのこと。

どうも自分が受けた授業でも、良い思いが無いとのこと。『何が良くなかったの?』と聞くと、「だらだらしていて、メリハリの無い授業だった」とのことだった。『それは、先生が説明を重ねるだけの授業ということ?』と聞くとそうだという。『だったら、原則は簡単だよ』と。

『だらだらと説明をしないで、生徒が考えて議論を交わす授業を作れば良い』。ま、そういうことである。「先生、何か参考書はないでしょうか?」と聞くので、『あるけど、教えない』と話す。それは、学生の読みがまだ足りないと感じたからだ。まず、指導者が教材を大人の解釈で読む。これが大事。

そして、大人の読解力、解釈で読んでも分からないことを調べ、考え、教えたいことを見つけ出すことが先。そして、これが極めて大事。岩下修先生が60歳になった時にもこれをされているノートを私は見せていただいたし、野口芳宏先生も70歳を越えてもされている。

この作品では、これをどうしても教えたいというものを手に入れる前に、やり方ばかりあれこれいじり回してもダメだし、誰かの何かを持ってきて授業を作ろうとしても、結局ダメだと私は考えている。勿論、授業を作るには「追試」という方法があるのは知っている。

しかし、折角授業を1から作れるチャンスとして教育実習の機会がある。まだ一ヶ月も先である。じっくりと考えて作ることなんて、教師になってからは実はなかなか出来ない。特に若い教師の時には。
『本文を覚えるぐらいまで読み込んでみて、見えてくるものを待つ。そういう教材の研究をせよ』

そんなことを話した。すると学生は自分が改めて読み直して感じていた疑問を出してきた。をを、面白い。それをベースにして発問のあれこれを指導する。参考書を示す。そして、私ならどういう授業をするのか。『羅生門』の冒頭の部分で実際にやってみる。一読総合法と分析批評の手法で。

『羅生門』に関する知識を得ること、文学的評価を知ること、解釈のあれこれを知ることは大事。また、授業の展開例を知っておくのも役に立つこともある。しかし、私はまず自分でやることだと考える。自分が考えて仮説を立てて授業のプランを作る。その後で、確認するのは良い。そのとき、自分の間違いやもっといい方法に気がつく。そして、教師が鍛えられる。

誰かの何かの授業プランをさっと持ってきて、それを自分の授業で並べても、目の前にいる生徒に届くとは到底思えない。そもそもやっている本人が楽しくないだろう。

そういう持ってきた者をやる先生は、一般化された授業案を自分の子どもたちにあった授業にするために手を入れることはしない。だから、オリジナルの、またはオーダーメイドの授業を作る力量はつかない。それでは困る。

新しい時代には新しい授業が必要である。授業を開発できない者が、30年以上も教壇にちゃんと立つことはかなり厳しい。教育実習は、チャンスである。生意気に、謙虚に、授業作りに挑戦せよと私は思うのだ。まだ見ぬ生徒のために、届く授業を作れ。そのチャンスなのだ。そんなことを話したのだ。

こういう時間は本当に楽しい。勿論、事務や学内行政も大事ではあるが、事務の時間ではなく、学生の指導の時間になれば、いいなあと思うのだ。因に、参考書は『読むことの教育―高瀬舟、少年の日の思い出』(竹内常一)、『発問の作法』(野口芳宏)。名著である。

チョークの持ち方等に関する連続ツイート  その2

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(1.5キロ続く、背割堤の桜 by GR4)

昨日の授業では、チョークの持ち方、使い方について講義をした。内容は、「チョークの持ち方等に関する連続ツイート」http://bit.ly/cTwIpN で、去年とほぼ同じ。授業では、この初級、中級、上級の説明をした後、それぞれを実際にやってみせた。教育技術入門ってな感じの授業になった。

板書は、普段の文字が奇麗に書けていてれば書けると言うものではない。本学の書道コースの学生たちであっても、相当訓練を重ねないと板書の字は書けない。腕を上や前に突き出して直角に書くということは通常しない。

書道の歴史を見ると、竹に隷書で書くときはそうしていたが、それ以外は通常ない。しかも、竹に隷書であれば筆で書くので毛先の弾力性を生かしながら書ける。しかし、黒板は硬いチョークである。この弾力性を生み出すのが指先、手首、肘、肩、膝であり、チョークの材質なのである。ということは板書と言うのは全身を使って書く作業なのである。

正月に大きな筆で床に書く書道があるが、あれを90度立てて、筆ではない書きにくいチョークで書くのが板書だと言っても良い。だから相当訓練が必要なのである。にも関わらず、教育実習のときに初めて板書をするという大学生は珍しくない。だめである。

学生にチョークの使い方を指導していて、最初に直すのが持ち方である。簡単に言えば、人差し指で黒板に字を書くことをイメージさせる。その人差し指の下にチョークを置く。人差し指の爪でチョークを押し付けて書き続けることができるようになったら初級である。

『よく見るように』と言って初級のまま文字を書く。すると、どんどん線が太くなる。手首を回さないとこうなる。これを見せる。中級ではチョークの持ち方を人差し指で押さえる持ち方から、小筆の持ち方に変えて手首を回すようにしていくのだが、ここに行く前に手首を傾ける事を意識させると、回しやすくなる。 もっと言えば、手首というか人差し指を軸にして左右にねじるという感覚である。

人という字を書いてみる。左に払う一画目は、右に人差し指を傾ける(野球のカーブ)。二画目は右払いのところで、親指を押し込むようにして(野球のシュート)書く。人差し指の爪の角度が変わるので分かる。つまり、人差し指を軸にしてチョークを回すのである。

この感覚を掴めたら、チョークを回転させる、または、チョークの角の部分を意識しながら書く事を始めるのである。チョークの角がどこにあるのか、一回一回見なくても黒板に書きながら感じられるようになる。そうなると、中級として安定した文字が書けるようになるだろう。

チョークの使い方は私も大学時代に練習して身につけたのであり、特に誰かに習ったものでもない。恩師が板書した文字をその上からなぞって練習した。書道をやっていた私が書けないのはなぜかと考えながら、試行錯誤してきて身につけたものを、授業で教えている。最低半年間は掛かると思っている。隂山先生は、教師になって一年間修行したと話されていた。しかし、やれば結果はでる。

教員生活が30年として、その中の半年間、一年間をできるだけ最初の頃に持ってくるのが良い。できれば、教員になる前が良い。「先生、字がうまいですね」と言われるのも嬉しいが、何より何が書いてあるのか分からないまま授業を受けなければならない子どもたちの悲哀をなくせるではないか。

教える、伝えることが仕事の教師としては、しっかりと身につけたい基礎的な教育技術が、板書である。

さあ、みなさん。今すぐ黒板の前に行って書いてみましょう(^^)。これが先週の板書課題です。「世の中に絶えて桜のなかりせば / 春の心はのどけからまし / 古今和歌集△巻1春ー53△在原業平」/で改行し、△はひと文字分あけます。

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