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2012/07/06

天命を知る

7/6

Hikari

確か、山口瞳さんの『新入社員諸君!』だったと思う。

「そこいらにいる50歳のおじさんに聞いて見なさい。50年は長かったですか?と みな声を揃えて言うだろう。『あっという間だったよ』とね」

これを読んだのは大学生の頃であったか。『酒呑みの自己弁護』でファンになってから山口瞳さんの本は読み進めた。ここから高橋義孝先生、内田百閒先生と読み進めることになるのだが、まあそれはいい。兎に角50歳はあっという間ということを読み、
(まあ、山口瞳さんがいうんだから本当なんだろうなあ)
と思っていた。

本当であった。
あっという間であった。
御陰さまで昨日、天命を知るの年になってしまった。
いや、だからね、なったでははくて、なってしまったというのが正直な思いなのである。

孔子先生は、「四十にして惑わず 五十にして天命を知る」とおっしゃっている。私の実感としては、四十にして惑わずというのは自分の意志で「惑わず」というよりは、惑っている暇もなくという感じであったなあ。

特に私にとってこの10年は、大学院に通う、都内の中学への転勤、大学への転職、学生たちとの出会い、突発性難聴、新居の購入、家族が増える、「明日の教室」の立ち上げ、GPの責任者就任、NHK教育テレビの出演、編集委員の就任、本の執筆などなど
(いったい誰がこんなにドラマチックな私の人生のシナリオを書いたのだ?)
と思ってしまう10年で、惑っている暇もないというものであった。

誕生日は、自分の両親にありがとうをという気持ちが年々増してくる。
「産んでくれなんて頼んだ覚えは無い!」
と言う台詞は、言うか言わないかは別にして思春期の青年は一回は親に思うことであろう。私も親に産んでくれと頼んだ記憶は無い(^^)。因に人類で、誰も頼んだ記憶は無いはずだ。

頼んだ思いも無いのに、この世に命を授けられた。親は勝手に私を愛しみながら育ててくれた。そして、そこからもうすでに50年が経った。
電話で母親と話した。
『産んでくれて育ててくれて、ありがとう』
「お前の時は大変だったんだよ」
と誕生日のたんびに話される話を聞く。これが嬉しい。
嘗ては面倒くさいと思っていたこの会話が、嬉しい。

山上憶良の長歌がまた別の味わいで読める。

 瓜食(うりは)めば 子ども思うほゆ 栗食めば まして偲はゆ 
 何処(いずく)より 来りしものを
 眼交(まかなひ)に もとな懸(かかり)て 安眠(やすい)し 寝(な)さぬ

 瓜を食べては 子どもを思い 栗を食べては 子どもを思う 
 まったく何の因果で俺たち親子になったのだろう 
 かわいい あの子のその姿 やたらとまぶたにちらついて 俺はちっとも眠れない 

                            『万葉集』巻5 802
                            訳は「SONG OF LIFE」より

子として、父として両方の思いでこの長歌を読めることに幸せを感じる。

ちょうど昨日は、大学で4回生ゼミがあった。
まあ、誕生日だと口にして言うほどのものでもないので、そのことには触れずゼミを進めた。卒論の進捗状況と採用試験に向けての勉強の進捗状況の報告、言ってみれば近況報告である。学生たちがそれぞれ自分を見つめて頑張っていることが再確認できた。

で、昼食を急いで済ませて3限の準備をしていたら4回生に呼び出された。
3、4回生が誕生日のお祝いの歌を歌ってくれた(^^)。
そしてプレゼントをくれた。
こういう手作りのは嬉しいなあ。
(私、恩師に大学時代にお祝い等しなかったよなあ)
と思いながらも、有り難く頂く。

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3限後、大学の七夕飾りのあれこれをして、家での七夕飾りをするために早く帰ろうと準備をしていたら、卒業生が相談にやってくると言うので待つことに。そしたら、そこに2回生ゼミの学生がやってきた。また、お祝いの歌を歌って色紙を貰った。2回生ゼミからも?! なんだかびっくり。私そんなに甘い先生になってしまったかなあ?と変な反省をしつつ、やはり嬉しいf(^^;。有り難く頂く。

Watashi

で、卒業生の悩みをあれこれ聞いてたら18:00を過ぎてしまっていた。
そこから慌てて帰る。
家では七夕飾りが完成していたf(^^;。


「お父さん、お誕生日おめでとう!」
と娘(4)に起こされたので、両親からiPad経由でおめでとうのメールをもらった私はまあ、それだけで結構満足していたのだが、家でもお祝いをしてもらった。
夕食を取り、寝る時間になったときにリビングの灯りを娘が消した。
(ま、もう眠いから朦朧としているのかな。後で点けなおすか)
と思っていたら、
ロウソクに火をつけてブルーベリータルトを持って来てくれた。

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一日に三回もお誕生日の歌を歌ってもらえるなんて、
人生で初めてであろう。
ありがたいことだ。

さらに、もの凄い数のFacebook経由でのお祝いメッセージ。
50歳のおじさんの誕生日としては、なんとも申し訳ない位のありがたさであった。
みなさん、ありがとうございます。

さて、天命を知るである。

このことを意識してこの頃は天を見上げては、天の意思を聞こうと耳を傾けてみたのだが、突発性難聴の後遺症の耳鳴りのせいか、私には良く聞こえてこない。
聞こえては来ないが、耳鳴りの調子がやや良いときに
(あれ、これか?)
と聞こえることがある。たぶん、それなんだと思う。私は何教を信じているわけではないが、私の意思とは違う何かはあるんじゃないかなあとこの10年を生きてみてつくづく感じる。それを天命と呼ぶのであれば、私の天命は「これ」なんだろうなあと思うことがある。

50歳迄の10年がジェットコースターのようだったように、恐らくこれからの10年も同じようなものになるのだと思う。今迄育てて下さった方、支えて下さった方の御陰で半世紀を生きることができたのだから、あと半世紀生きる勢いで、後半人生のスタートを切ろうと思う(^^)。

よろしくお願いいたします。

2012/07/05

育っている

7/5

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今日の四回生ゼミでは、児童教育学科の使っている校舎、児優館に
『七夕飾りを飾るぞ』
と四回生には伝えておいた。

数年前迄は学生たちが大学の山から竹を切って来て、飾れるようにしていたのだが、去年はなかった。今年復活せねばと思っていた。教師は、日本の文化を次世代に伝える役割を担っていると思っている。1000年以上も続いた七夕を、この世代で終わらせるわけにはいかない。今朝、飾りがなければやるぞと思って大学に向かった。

見てみると、七夕の飾りは無い。
やるしかない。
大学の敷地に生えている竹を営繕の方の協力で切り取って設置した。

七夕飾りには、短冊、飾りの二つが必要になる。
私は今日地元のスーパーで折り紙と紙縒りを買って行くつもりだった。が、家を出る前に思いついてしまった原稿のアイディアを書き続けていたため、寄れなくなってしまった。

家には、今晩準備をする為の娘(4)の折り紙と紙縒りがある。
これを持って行って帰りに買ってくれば良いかなとも思ったが、で変えてしまえば何があるか分からないのが仕事。

(ま、でも短冊は研究室にあるし、紙縒りは作れば良い)

と思って手ぶらで出掛けた。
これが大正解であった。

4回生ゼミ生に短冊を配り、
『さ、書け』
と言って私の書いた物は渡して、私は3限の授業に向かった。
そして、後悔した。

(あ、短冊を渡したのはうちの四回生ゼミだけだ。ということは、あの竹に飾られる短冊は、私のゼミ生の書いたものだけになってしまう。これじゃあ、学科全体で七夕祝いをするということにならんなあ。いかん)

と思った。いや、今日は昼休みが忙しく、色紙を買ってくるとかすることができなかったのだ。

3限の授業が終わって、私は筆ペンと短冊を持って、七夕飾りがしてあるところに行こうとエレベーターの前に立った。ドアが開いたら、4回生ゼミの学生が
「先生、筆ペンをお借りしようと思ってきました」
という。私は
『短冊と筆ペンを持って今行こうと思ってエレベーターを待っていた』
と言った。なんだかリアル「啐啄の機(そったくのき)」であった。

で、筆ペンと短冊を持ちながら二階に下りる。
すると、目に飛び込んで来たのが短冊であった。
四回生ゼミの諸君は、自分たちで短冊を作り、他の学生たちが書けるように準備をしていたのであった。

しみじみ。嬉しいと言うのはこういうことである。
みんなで楽しもうと彼ら彼女らで準備をしていたのである。
事前に私が買い込んで用意をしておかなくて良かったなあと思うのだ。

児童教育学科、池田ゼミ4回生。
育っている。
よし。

万葉集を読み返している。山上憶良がいい

7/4

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万葉集を読み返している。山上憶良がいい。

生きている限り
穏やかで安らかでありたいと思う
事故も死の悲しみもいらないと願う
けれども現実は憂鬱でつらい
ひどい痛みの傷に
さらに塩をすりこむように
重い荷を負う馬に
さらに重い荷を負わせるように
老いた身に病気までわずらった私は
ただただ嘆いて昼間をすごし
ため息ばかりで夜を明かす
病気が長びけば心も弱り
いっそ死のうとさえ思うけれど
騒ぐ子供らを見捨てて死ぬこともできず
彼らをじっと見つめるうちに
いつしか胸は熱くなる
結局のところ私には
あれこれ悩み 泣き濡れる
ただそれしかできないのか 

山上憶良 『万葉集』897番歌

たまきはる うちの限りは 平らけく 安くもあらむを 事もなく 喪なくもあらむを 世間(よのなか)の 憂けく辛けく いとのきて 痛き瘡(きず)には 辛塩(からしほ)を 注くちふがごとく ますますも 重き馬荷(うまに)に 表荷(うはに)打つと いふことのごと 老いにてある 我が身の上に 病をと 加へてあれば 昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息づき明かし 年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ ことことは 死ななと思へど 五月蝿(さばへ)なす 騒く子どもを 打棄(うつ)てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ かにかくに 思ひ煩ひ 音(ね)のみし泣かゆ

『SONG OF LIFE』の翻訳による

だんだん、万葉集の歌人が身近な友人のように思えてきた。
嘗て中野孝次先生が
「私はもう現代の人よりも、古の人の方が本当の友人のように思えて仕方が無いのです」
のようなことをおっしゃっていたのを読んだ記憶があるが、私もだんだんそうなっていくのかなあと思う。

四十代最後の夜に思う。あ、あと20分だf(^^;。
おやすみなさい。

2012/07/04

MEISTER STUCK NO.149

7/4

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MEISTER STUCK NO.149
私たちの世代にとっては憧れの一品だ。
モンブランの最高峰の万年筆。

まだワープロが出現する前、作家は万年筆で執筆していた。
ウオーターマン、ペリカン、モンブラン。
舶来ものはこういうメーカーが人気で、私はその当時ハマりハマっていたムツゴロウこと、畑正憲さんがこのMEISTER STUCK NO.149で原稿を書いているのを知って、いつか自分のものにしようと思った。

20年前に買った。
新婚旅行のお土産で、買った。
私のはこれだけで良いからと言って買った。

それ以来、書斎から持ち出すことはせず、主に手紙と通信簿を書く時だけに使って来た。
嘗て、学級通信にこの万年筆のことを書いたことがある。

引用開始 ーーーーーーーーーー

人は何故、働かなければならないのか? そもそも働くってなんだ? 答えはいくつもあると思う。ただ、自分が納得する答えはそんなにはない。その自分が納得する答えを得るきっかけの最初の体験が、今回の職業体験である。

写真は、君たちの答案を採点する万年筆と通知表を書くために用意している万年筆である。新婚旅行の時、

『オレのお土産はこれだけで良いから買わしてくれ』

と言って成田空港の免税品店で買った一品である。

特に通知表の万年筆は、私の大好きなムツゴロウさんが、原稿を書くときに使っている万年筆で、中学時代だからあこがれていた一品である。

この万年筆の調子がちょっと悪かったのだが、近くのデパートに万年筆クリニックが来たので見て貰うことにした。

『この細いのは採点用に使うんです』

使い道によってペン先の調子を変えてくれるというので用途を話した。すると、

「司法試験では一時間に千八百字書くんだよね。採点ではだいたい千六百字。このぐらいの軸の細さだと先生は、採点だけして疲れてしまうよ。太い方がいいね。そして、疲れなかった分で、頑張った子どもたちに「頑張ったね」と書いてあげてね」

と教えてくれた。

もう一本の万年筆の調子を見終えた時、

『こっちの万年筆は、通信簿を書くときに使うんです』

と言ったところ、

「あ、ちょっと貸して」

と、もう一度調整に入ってしまった。

「はい」

と渡された万年筆の見た目は何も変わったところはなかった。

「通信簿だと細かい数字も書くでしょ。その時は裏返して書いてみてね」

と言われる。

万年筆ではやってはいけないとされているのが、この裏返して書くということなのだ。これをやると一発でペン先の調子が壊れる。それを専門家がやれと言う。おそるおそる書いてみる。

(え?)

書けるのである。

「先生は、通信簿で細かい数字とかも書くだろうから、裏側でも書けるよう研いでおいたよ。先生が気持ちよく書けると、子どもたちにも沢山書けるでしょ。僕は勉強が出来たなかったけど、先生の言葉が多いと嬉しかったんだよね」

七十歳を有に過ぎた万年筆のお医者さんは仰った。

諸君のことなぞ絶対に知らないこの万年筆先生は、その諸君のために万年筆の調整をしてくださる。これが「仕事」なのだと思う。

引用終了 ーーーーーーーーーー

この太い万年筆が、MEISTER STUCK NO.149であり、この万年筆のお医者さんが、ペン先の神様 現代の名工 長原宣義さんである。

で、昨日軸が壊れてインクが漏れるようになってしまったMEISTER STUCK NO.149が、修理から戻って来た。勿論、モンブランのロイヤルブルーのインクを沢山吸い込ませて、昨日今日は、もうあれこれ書きまくった。

ペン先が見事に調整されているこの一本は、なんとも心地よい。
良いものを大事に大切に使う。修理しながら使う。
これを書いていたら、長原さんがおっしゃっていた言葉をもう一つ思い出した。

「先生、この万年筆はね、先生の子供の子供の子供ぐらいまで使えるよ。大切に使って下さいね」

20年間は、約束を守れたと思う。
これからも門外不出で、大切に使おう。

2012/07/03

とても美しく心にしみる挨拶だった

7/3

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キャンパスで歩いている時、挨拶をする学生の中に、イヤフォンをしたままという学生たちがいる。昨日の授業でそれはだめだと話をした。

『それでは挨拶にならない。
私が返事をしたときに、イヤフォンをしているということは
(あなたの挨拶は聞きませんよ)
というメッセージを送ってしまっていることになる。

それは、挨拶しない人よりも悪いかもしれない。
挨拶しない人は、私に気がつかなかったかもしれないという可能性はある。
しかし、イヤフォンしたままはそれはない』

挨拶は立ち止まって、姿勢を正してするのが美しい。

最初に赴任した中学校は、坂道を上って行くところにあった。
仕事を終えて駐車場に向かうにはその坂道を降りて行くことになる。
私が仕事を終えて坂道を下って行くと、その坂道を自転車を押しながら上ってくる人がいた。学校警備員の渡辺さんだ。

当時渡辺さんは70歳を超えている年齢であったと思う。
私は24歳だ。
渡辺さんは、遠くで私を見掛けると最初に私に笑顔で手を振る。
そして、自転車を停め、汗を手拭で拭いて
「先生、今日も一日ご苦労様でございました」
と私に頭を下げられた。

私は恐縮する。
若造にここまで丁寧に頭を下げられる人生の大先輩。
私も立ち止まって
「今日もよろしくお願いいたします」
と挨拶をした。

動きを止めて姿勢を正しての挨拶。
とても美しく心にしみる挨拶だった。
私は渡辺さんから多くのことを学んだ。

嘗て中学生にこの話をした。
大学生にもしなきゃあなあと思う。

2012/07/02

だって、万葉集面白いんだもん

‎7/2

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(今日の夕暮れ。東の空に西の夕焼けが反射していました)

今日の教科教育法(国語)は満載。ライティングワークショップ、群読、さらに短歌から俳句へという流れについての授業であった。WWでは、先週までの私の指導方法つまり、入り口を狭くして書きやすくする方法と対比させながら考えさせた。客観主義と社会構成主義の観点からも比較してみた。



群読では、仏教の声明の話、家本芳郎先生の話、群読の構成の仕方を話しつつ、実際に小さな作品をやってみた。単純にみんなで声を出すのは気持ちの良いことだということが分かる。小学校では呼びかけがあるので、群読の指導に長けていることは大事だろう。



読み方として、テキスト読み(音訳)と朗読読みのあることを説明する。物語文などでは朗読読みをして感情を入れて読むことが多い。先生の解釈を読み方で示し、その解釈で子どもの読解を促す。小学校低学年には必要だ。ところが、高学年になってくるとその感情が耳障りになってくる。



先生の読解の押しつけが耳障りになり、恥ずかしくなってくる。中学校では私はテキスト読みをメインとして物語文を読んでいた。感情を入れる読み方で読むと、生徒達が自分でそこにある感情を読み取る時の邪魔になるからである。だからこの二つの読み方を教師は出来なければならない。



逆に言えば、感情をしっかりと入れて読むと、よく分からない古文も実に分かってしまうものなのである。今日は見本として「那須与一」を朗読読みで読んでみた。他にも「高名の木登りといひしをのこ」などは朗読読みで読むと一発で分かってしまう教材である。お試しあれなのである。



で、本日のメインの「短歌から俳句へ」の流れの説明。約1300年間の日本の和歌の歴史を30分で説明しようと思った私が間違っていました。こことっても面白いんだよねえ。やっている私が楽しい。予想通りだったのは、短歌から俳句が生まれたのを説明できない学生が多数だったこと。これは残念。



小中学校で短歌や俳句を作らされたことの無い人は少なくないだろう。日本の学校ではその優劣は別にして、作らされる。そしてこれは日本人の共通した教養として捉えられていい部分だと思う。しかし、詳しく教えられることは無い。非常に勿体ないことだと思っている。義務教育できちんと教えたい。



その為には教員がしっかりと理解する必要がある。今日は短歌から俳句への1300年の歴史を9ページに簡単に纏めたプリントを使って説明を始めたのだが、1ページ目で玉砕であったf(^^;。だって、万葉集面白いんだもん。例えば、なぜ資料集には二番歌からしか載っていないのか。



相聞歌の大津皇子と石川郎女の「ふ・ざ・け・る・な」の話。東歌「多摩川に さらす手作り~」とジブリの「耳をすませば」の話。これらの話をしながら、人間の本質、日本人の根っこの部分をあれこれ考えるのだ。これでまだ万葉集で話したいことの半分以下f(^^;。終わらない。特別講座かな。



来週は、課題で出してある作句をもとに句会をやって、残りの8pを突き進むぞ。それで終わらなかったら本当に、特別講座かな。幼児教育コースの学生達や英語コミュニケーションコースの学生達にもこの内容は理解しておいてほしいなあと思いつつ、来週の準備に突入するのであった。

2012/07/01

玉置先生は、大人の後半を生きていらっしゃった

7/1

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(雨上がりの琵琶湖 by GR4)

昨日は「夏越しの祓(なごしのはらい)」である。茅の輪をくぐりながら、一年間の前半の穢れを落とす式が関西では行われる。関東にいた時はこれを意識したことは無かったが、関西、特に京滋では結構気にしている。

そんな昨日、私たちは明日の教室で玉置崇先生をお迎えした。

子どもの頃、大人になったら何でも出来ると思っていた。
自分が困ったことを解決できないのは、子どもだからだと思っていた。
子どもが大人になれば、いろんなこと、またはありとあらゆることが解決できると思っていた。

解決できない人は大人ではないと思っていた。

そして、私も大人になるわけである。
そして、笑ってしまうのである。
(問題だらけだ。解決なんて出来るわけがない)
と思ったのだ。
(俺の人生の時間で、この解決は無理だ)
と思ったのだ。これが大人の前半

その後、もう少し大人になり、
(俺の人生の時間で解決できなくても、これ以上悪くしないこと、または、やや少し次世代が解決できる道筋を残すことができればなあ)
と思うのようになったのが、大人の中半。

そんな定義が正しいとすれば、今日お越しいただいた玉置先生は、大人の後半を生きていらっしゃった。
激務の教頭職をしながら、また、校長職、教育委員会職をして、さらにそのことで得た体験からの知見を現在の校長職に注ぎ込みながら、問題を課題に変えて
(うんにゃろおおおおおおおおおおおお!)
という思いを胸に持ちながら、冷静に解決されていた。

凄いなあと思うのは、大きく三つある。

1)玉置先生がやられる政策は誰もやっていないこと。だから、どうなるかは分からない。その上で、このプランを採った場合、どうなるかということを綿密にシミュレーションした上で、それへの対応を予め考えていること。勿論、全てとは言えないが、どういうクレームが来るかを予め想定した上で、手を打っていること。

2)子どもを伸ばそう、職員を大事にしようという理念を具体化できるということ。具体的にはICTを活用してあれこれされるのであるが、それが、私利ではなく、公利に則ったやり方であって、それが凄い。

3)落語

例外を排除した上で、場合分けをしつつ考える数学を専門とされているにも関わらず、例外だらけ、寧ろ例外の中で生きている人を描く落語を趣味とされている先生のありかた。今日の講座でも、高座ではないかと思うような模擬授業。レベルを下げるのではなく、低いレベルでのネタフリから始まって、最後は学習者が考えざるを得ない学習環境条件への導き方などを具体的に教えて頂いた。

で、そのときのキーワードが、落語であった。
これは説明できない。玉置先生の講座か、DVDで実感して頂けるのがいいかなと。   

現場にいた時、結果的に私も良い校長に7割位恵まれたと思っている。自分で言うのもなんだが、人のことを悪く言うのが好きではないタイプなので7割と言うのは実はもっと低いのかもしれない。が、まあ、このぐらいの数字かなあと思っている。

その中でも頭抜けて素晴らしい校長にも出会えたとき、私は本当に成長させてもらったと思っている。私のような教員が職員室にいたらやりやすいか、やりにくいかだとは思う。だが、敬愛している校長は好き放題させてくれたし、自分も好き放題やっていた。
(なんだ、こんな風にやってもいいんだ)
と思わせてくれた。子どもたちに向き合っていれば、いいんだと実感させてくれた。

玉置先生の学校で働く先生たちは、いいなあと思う。
大変だとは思うけど、いいなあと思う。
学校を見学にいきたいなあと思った。

玉置先生、ありがとうございました。
一年の前半の締めくくりの日に素晴らしい学びを頂きました。

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