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2012/09/27

諺の体験

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(日の出の場所が、だいたい草津 by GRD4)

四回生ゼミは、卒論の目次案指導の続きと、四回生後期の授業のスケジュール確認。卒論提出まであと10週間。中間発表まであと5週間という大枠を確認ができた。外枠が決まれば、あとはそこに中身を注ぐことが出来る。先ずは一安心。

二回生ゼミは、これから二年後に向けての流れの確認、この夏のことに関する一分間スピーチ、夏休みの課題の確認などを行った。一分間スピーチは指導する側に回るのだから、自分が出来なければならない。簡単な構成と話始めを指示することで割と話せるわけで、これを実感させる。

面白かったのが、夏休みの課題の回覧。夏休みの課題は「諺の体験」である。例えば、二階から目薬とか、ぬかに釘だとかいうのを実際にやってみてその報告をするというもの。

実は、滋賀県大津市は「急がば回れ」の発祥の地。東海道、中山道が合流する草津から大津へは、急ぐ人、お金のある人は船を使う。陸路では瀬田の唐橋を渡る。だが、急いで船に乗った人が、比叡山からの突風に煽られて船が転覆し、陸路の方が早くなることがあるという話。

これが、江戸時代の『醒酔笑』に載っているのだということを前期の最後に話した所、知らないが近畿、滋賀の学生が多かった。そんなところから、急がば回れを実際にやってみたら面白いのではないかということになり、兎に角何かやってみるのが課題となった次第。

実に下らないのが集まって私はとても嬉しかった。
「絵に描いた餅」
「傷口に塩」
「五十歩百歩」
自分で選んだこれらの諺を験するのである。写真入りのレポートで発表するのである。

身体に危険の及ばないものと限定した上で、小学生にやらせるのは面白いだろうなあ。報告文としては、実に面白いものが出来るのではないだろうか(^^)。

因に、私も娘(5)が生まれた時にやった。「目に入れても痛くない」である。本当に痛くなかった(^^)。

学級担任論が今日から始まった

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後期の授業の柱の一つ、学級担任論が今日から始まった。
48人の受講生はちょうどいい。
一回目の授業は、私は基本的には笑いは入れないのだが、殆どの学生が私の授業を受けた事のある学生たちだったので今回は少し入れた。

その事を今日の最後に話した。
すると、学生の感想でそれを驚いているものが割とあった。
私が笑いをコントロールしていることに驚いていたのだ。

『アホか?』

と言いたい(^^)。
その位コントロールできなくてどうする。

この学級担任論の授業を受けると、

1)教師になりたくなくなる。
2)でも、なんとか頑張ろう。
3)ああ。小中学校の先生、ごめんなさいと思う。
4)この授業を受けないで教師になる他大学のみんなは大丈夫なのか?
5)もっと勉強しなければ

という思いを15回の授業の中で思う学生が多い。

大学に移って8年目である。
が、まだ大学で学級担任論を授業として扱っているところは殆どないようだ。
中教審の「教員の資質能力向上特別部会」の答申によれば、
学級担任の仕事は、大学院できちんと扱えとなっている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo11/index.htm

自分で言うのもなんだが、やはりこれは大事だと思う。
私の感覚では、授業が出来なくて退職する一年目の先生は居ないと思っている。
授業ではなくて、学級経営(主に学級作り、学級事務、保護者対応)で大変なことになっている。

たかだか15回の授業で、学級担任の仕事を教え切る事が出来るとは思わない。私が示したこの授業の大きな目標は、

    1)    学級担任としての足下を固める。掬われないように、倒れないように。
    2)    学級担任の仕事の目次項目を頭に入れる。
    3)    学級担任の仕事を真似してみる。

である。   
ま、できないだろう。
その出来なさをどうクリアして、成長に繋げるかがポイント。

校長にならない教員はいる。
しかし、担任にならない教員はいないと考えている。
だとすれば、教員養成過程では学級担任の仕事を教える授業を優先して扱うべきである。
全国の教員養成大学で、必修の授業にすべきだと思うのだ。

2012/09/25

iPhone5は、購入予定である

9/25

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iPhone5は、購入予定である。iPhone4ユーザーであるからして、これは妥当な選択であると思う。だが、まだ予約すらしていない。あれこれ考える要素があるからだ。

1)マップアプリのレベル

これは、事前に,
つまりβ版のころから最低だという話は伝わっていた。殆どお笑いの域であると言う事も分かっていた。だが、発売の頃には直っているかなあと期待していたが、その最低の部分は直っていない。このマップアプリは結構使うのでこれがダメなら、iOSをヴァージョンアップするのは危険。このiOSが最初から搭載されているiPhone5は、ちょっと考えてしまう。

2)auかSoftBankか

決めては、テザリングと値段だ。あれこれ調べてみると、auの方に軍配が上がりそうだ。SoftBankがいま持っているiPhoneを下取りするというプランを出したが、古物商の免許を持っていないからダメという通達を受けたようだ。となると、値段の戦略をSoftBankは出来なくなるだろう。テザリングの繋がりやすさは、auのようだ。だが、これが本当かどうかは検証が必要。ちょっと考えてしまう。

3)後出しじゃんけん

今回この後出しじゃんけんが結構あるなと感じている。auにせよ、SoftBankにせよ相手の出方を見ながら、追加プランを出してくる。この様子を見た方がいいなあと思うのだ。ただし、テザリングが無料と言うのは年内購入者のみとの事。ここがリミットかな。

ちょっと残念なのは、S.ジョブスが居たときには、こういう購入者が躊躇うような提案をAppleはしてこなかったなと思うのだ。なんだかMacらしくないなあと思いながら、もう少し様子を見ようと思う。

「すごい」は話者の説明の言葉ではなく、聞き手の呟きの言葉なのである

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(授業後の、京都の夕景。 by iPhone4)

後期の授業が始まった。
夏休みに何があったのかを簡単に一分スピーチさせた。
いや、指示する方は簡単なのだが、やる方は大変である。簡単に指示をして3分間の準備の時間を与えた。

先生と言う仕事は、やたら自己紹介の機会がある。
特に初任一年目、転勤一年目はそればかりだ。
そして、突然の無茶ぶりでお願いされる事が多い。
一分で自分の説明をする練習や、一分で近況を語れるようになっておく事はとても大事。

私が今回やった方法は、

1)美味しかったもの、美しかった夕陽、面白かった本や映画を枕にする。
2)それに繋げて夏の思い出を語る。

というものである。1)があるので、スピーチの最初は話しやすくなる。それに続けて、場所、時間、その時の様子などを語れば良い。

ま、それなりに話が出来ていた。

その中で、気になったのは、説明をする時の「すごい」「すごく」という言葉が頻繁に出てくる学生である。私は

『安易に形容詞、副詞に逃げるな』

と指導する。話者は、何がどう凄いのかを語るべきなのだが、「もう、とってもすごいんです」と話されるとどうもゲンなりしてしまう。しかも、この「すごい」を口癖のように使う学生は、本人の意識も無く連発する。ある学生は一分間に7回も使っていた。10秒に一回以上使っている事になる。

私は「すごい」という言葉を聞くたびに、
1)凄い以外の言葉を使えない、語彙力がない学生である
2)本当は凄くないものを、無理矢理凄いと言いくるめている
のどちらかではないかと思ってしまう。

『何がどうだったのかをきちんと叙述せよ。そうすれば、聞き手が(すごい)と呟く』

と指導する。「すごい」は話者の説明の言葉ではなく、聞き手の呟きの言葉なのである。

授業の季節が戻って来た。

2012/09/23

学級が安定したということと、授業が上手いと言う事は別

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(懇親会で出た冬瓜のスープ。うまー!)

昨日は久しぶりに、明日の教室京都本校での登壇となった。糸井先生と一緒に。
今回は、というか暫くは明日の教室京都本校は、授業で行く。

新卒の先生たちが困るのは、学級の作り方が分からないということ。
学校を辞める新卒の先生は、授業が出来ないからということはなくて、学級が作れないから、または膨大な事務仕事に潰されるからというのが、私たちの仮説であるが、それについて最近は相当の書籍も出てきて、それなりに社会に流れが出来たなあと思った私たちは、

「だけど、学級が安定したということと、授業が上手いと言う事は別でしょ」

というところを扱う事にした。
学級が安定しないと授業は進まない。安定すれば進む。だが、その進むであっていい授業とはイコールではない。いい授業をして、子どもたちに力を付けて行きたい。だから、授業のあれこれなのだ。

前半は、糸井先生が自分の教材研究について、そのやり方を語った。社会科は資料。それは、自分の?から始まる。その?を解決する為に、足で捜す、本で捜す、ネットで捜す。それを具体的に語られていた。そこまでやるかという丁寧なものであった。

国語の教材研究と同じ部分も沢山あったが、唯一違うなと思ったのが、画像資料であった。これは国語には無いなあということ。いや、なんというか、挿絵とかメディアリテラシーとか非連続テキストとかで、国語の読解の授業はあるのだが、やはり文字を読むことがメインで、あまり重視されていない。

非連続テキストの読解の授業は、社会科の先生にやってもらうのがいいんじゃないかなあ。少なくとも社会科の先生の授業から学ぶ必要があるのではないかなあと思うのでありました。

私は「国語教材を中心に発問を考える」ということで、授業の型の説明から指導言、発問に説明をして、実際に教材を使って発問を作る演習を行った。

発問が難しいということを聞く。一番難しいのは説明だと思うが、それでも発問は難しいと言う。その中でも特に、最初の発問が難しいと言う声を聞く。何を言ったらいいのか分からない。そして、発問をした後の生徒の発言をどう纏めて、どう展開したらいいのかが分からないという。

いやあ、もし本当なら大変だ。それで授業なんてできるわけがない。今やっているのは、授業に似た何かであって、授業ではないだろう(^^)。

ということで、私は新しい教材に入ったときに行う、最初の発問をどう作るのかということについて実際の小学校3年生の教材を元に行った。

正直に言うと、中学校の教員をしているときには、こういうことは余り考えなかったf(^^;。自分では出来てしまっていたからだ。だが、いまの教員養成の立場になればそうはいかない。なぜなら発問で困っている人が沢山いるからだ。

発問、特に最初の発問を作るときにどうしたらいいのかを提示しないと、大学での教科教育法(国語)、国語科教育法の授業にならない。昨日は授業で扱ったものを整理して提案してみた。

頂いたアンケートで、嬉しかったのは
「直ぐに家に帰って、月曜日の授業の教材研究をしたいです。発問を考えたいです」
というものである。5時間もかけて車で長野から来て下さった先生の感想だ。片道5時間かけて来て、講座ががっかりだったら帰りの5時間は辛い事になる。でも、良ければその帰りの時間は、月曜日の授業をどうしようと考える時間になる。

私もこんな経験がある。嬉しくて早く授業をしたくなる感覚だ。
時には私はディベートの研究会で刺激を受けて、研究会で話を聞きながらその場で授業の計画を立てていた事もあった。

早く子どもたちに会いたい、早く授業がしたい。
私たちの講座の後にそんな風に思ってくれるのであれば、本当に幸せである。

来週は、明日の教室東京分校で、体験作文の書かせ方指導について講座を持ちます。
あと数席残っています。良かったらどうぞ。

http://kokucheese.com/event/index/50396/

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