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2012/10/19

人生の四則計算

10/19

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受験勉強は足し算で。写真は引き算で。人脈はかけ算で。仕事は割り算で行うのがいい。

算数が得意ではない私が言うのもなんだが、この四則計算は結構良いのではないかと思う。
学生達の課題のやり方を見ていると、明らかに足し算で行っているのが分かる。一日の時間の過ごし方が足し算なのだ。だから、課題をやって寝る時間が無くなると、それを削って翌日大学に来る。

これは受験勉強には有効だ。勉強時間を積み重ねて積み重ねて、受験に必要な学力を付ける。例えば教員採用試験には2000時間の受験勉強時間が必要だと言われているが、2000時間になるまで積み重ねて行くのである。

しかし、課題や仕事は割り算でやらねばならない。一日の時間、一ヶ月の時間を考えて、今は今日はどれ位やるべきなのかを考えてやらねばならない。若い頃はそれこそ徹夜で仕事をしても翌日はなんとか持ちこたえるだろう。しかし、そう言うときに限って子どもは事件を起こす。そのまま生活指導に突入なんてこともある。

睡眠時間を確保した上で、この仕事を何時間で終わらせると決める、つまり割り算で計画を立てて行う必要があると思うのだ。

写真は、引き算。どうしてもあれもこれも一枚の写真に入れたくなる。これだと写真のテーマがぼやける。写真は、そこにある世界を読解し、その読解した世界を写真という道具で表現する。まずは、読解が大事。読解力が無いとどんなに良いカメラを持っていても良い写真は撮れないと思う。

で、読解した世界の何をどのように表現しようかと考える時、それは引き算になる。あれもこれもと一枚の絵の中に落とし込むと、訳の分からない写真になる。単焦点レンズなら一歩前にでる。マクロ撮影でもあと数センチ近寄ってみる。テーマがはっきりとするはずだ。

で、最後に人脈。仕事は人脈でするものだと、30歳になった頃に教わった言葉だ。コネではない、人脈だ。人脈のある人と無い人は何が違うのか? 私は基本的には
(この人とまた一緒に仕事がしたい)
と思われる仕事を、そのときにしているかどうかだと思う。
名刺を交換する、お礼のメールを出す。これも大事。だが、相手の名刺が手元に残っても、メールアドレスが分かっても
(あの人ともう一回仕事をしたいな)
という思いになっていなければ、その名刺もメールアドレスも活躍しようがない。

逆に言えば、(あの人ともう一回仕事をしたいな)となっていれば、なんとかしてその人と連絡を取ろうとする。そして、その人から誰か紹介してくれないか?となれば、どんどん紹介する。そうやってかけ算で増えて行くことになる。

私の人生の四則計算の考え方だ。

京都の町が炎上していた

10/19

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昨日の夕方は凄かった。
ただ、ただ、凄かった。
京都の町が炎上していた。

研究室を出て印刷に向かおうと思ったときに見た外の景色である。
研究室はめずらしくブラインドを閉めっぱなしで、外の景色を見ることは無かった。

で、外に出たらこれである。
慌てて研究室に戻りiPhoneを手にして窓に向かった。

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数枚写真に収めて、教室に居た学生達に声をかける。
『君たちそんなことをしている場合ではないぞ!』
と窓の外を指差す。
「きゃー!」
と叫びながら出てくる学生達。

ほんの5分程度のことであった。
あっという間にこの炎上は鎮火した。
大学に来て8年目、ここまでの色は見たことが無い。
凄いものを見てしまった。

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地球は一日に二回このような美しい演出を良いしてくれている。
40億年もずっと。
すごいことだ。

2012/10/16

かぎろひ

10/16

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秋が深まって来たのは、落葉樹の紅葉が始まったことでも分かるが、私にとっては琵琶湖の朝の空の色が大きい。夏の間には見ることの出来ない「かぎろひ」が、出現し始めたのだ。

東の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて
 返り見すれば 月傾きぬ 柿本人麻呂

の、かぎろひだ。

この青とオレンジがなす空の輝きは、
一日に10分程度だ。
ただ、ぼーっと見て、時々気がついたようにシャッターを切る。

今日も見えた。
これからさらに深い青とオレンジが琵琶湖を染めて行くことになる。
楽しみだ。

ビールを飲みながら、光の変化を音とともに感じて過ごす

10/16

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第四回の大津ジャズフェスティバル。
秋の空の下で、浜大津のみならずあちらこちらで演奏が繰り広げられました。

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ビールを飲みながら、光の変化を音とともに感じて過ごす。
なんとも良い時間でありました。

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2012/10/15

「評価規準」の観点の5「言語についての 知識・理解・技能」

10/15

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(『ちはやふる』の舞台 近江神宮の空)

国語科教育法2では、「国語科を実技教科にしたい」を主に「諺の学習」を通して具体的に考えている。

言葉を、覚える、使う、作るの三つの場面を想定し、それぞれに実技にするにはどうしたらいいのかということである。ま、勿論、これは三つとも実際にやっていることなのだが、なぜか授業になると説明で終わってしまうことが多い。実際にやるである。

今日の中心は「対義語でポン!」という私が開発した学習ゲーム。そして、その活動を通しつつ、言葉の獲得のポイントを講じる。

言葉は、思考である。言葉の数だけ思考の数が増える。
その際、どうやってその言葉をクリアな意味として中学生に理解させるかを考えさせた。

1)その言葉を深く探る。
2)その言葉の類義語から考える。
3)その言葉の対義語から考える。

この三つのパターンがあるように考えている。

1)大人。これを定義するのはなかなか難しい。辞書や心理学事典などを参照し、用例を見ながら、確定して行く。
2)他者と他人。他は同じ。者も人も人間を表しているように思える。しかし、同じ言葉でない以上は、意味が違う。どこが同じで、どこが似ていて、どこが違うのかを考えることでそれぞれの言葉を理解して行く。愛と恋、旅と旅行などもこれで考える。
3)男と女。どちらも人間である。しかし、どこかにこの男と女を切り分ける線が引けるはずである。その線は一本とは限らないかもしれないが、その線を見つける作業をする。

こういうことを「評価規準」の観点の5「言語についての 知識・理解・技能」、すなわち「伝統的な言語文化に親しんだり、言葉の特徴や決まり、漢字などについて理解し使ったりするとともに、文字を正しく整えて速く書いている。」でやったら面白いのじゃないかああと思うのだ。

寧ろこう言うことをしていないと、説明文でキチンと概念を押さえられなかったり、小説や韻文で象徴を理解できないと思うのだ。

国語科を実技教科にしたいは、国語の学習ゲームとして今日は展開した。そして、それが終わってからその根っこの部分は、言葉をしっかりと獲得させたいという所に繋がっているのだということを説明したのでありました。

優れた教師は授業を通して作られる

10/13

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土曜日は、多賀先生の明日の教室であった。

私は小学校の先生の授業の作り方から、授業を作りを学んで来た部分が大きい。「授業づくりネットワーク」に所属していたことから、良質な小学校の授業づくりに触れることが出来た。小学校の授業づくりは、丁寧なのである。

例えて言えば、中学校でスモールステップの授業をつくるとして、4つのステップをつくったとしたら、小学校では12とか20とかのステップを用意しているというイメージであった。用意しておいて、ここぞという時以外は使わないのである。

使えるようにしておいて使わないと、用意していないから使えない。
外側から見ると同じようであるが、実際は全く違う。
ここに教員生活の初めの頃に気がつけたことは、私にとってかなり大きな意味を持っている。

多賀一郎先生の国語の授業は実に丁寧につくられていた。
面取りがきちんとしてある野菜でつくられた料理。
出汁を取り出すタイミングが絶妙な料理。
包丁を入れる角度と所要時間がぴたっと決まった料理。

なんというかフルコース料理をじっくりと味わった感覚。
それでいて、お腹がもたれることは無く、次のフルコースを楽しみにしたいと思わせてくれるものであった。

優れた教師は授業を通して作られる。その授業は、子供達を理解することによって作られる。授業をエピソードで語れる教師とはそう言うことなのだと思う。

多賀先生の語られる教室での、学校での子ども達とのエピソードは実に豊かであった。先生が間違いに気がついたところから、どう乗り越えて行ったのかを赤裸々に語られていた。省察する教師と言う言葉が無かった頃から、優れた先生は省察をしていたのだということが良くわかる。

私の恩師は、
「実践家は間違えることが出来る。ただし、一回だけだ」
と話していた。その間違いを乗り越えつつ、教師は成長して行く。
その姿を国語の授業づくりということを通して、じっくり学ぶことのできた3時間半であった。

今回もDVDになります。是非お楽しみにして下さい。

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