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2012/12/28

明日も頑張ろうと言う気持ちになれるのが嬉しい

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そんなにさぼっているつもりも無いのだが、仕事が終わらない。部屋が片付かない。年末には帰省するから1日移動日になるわけで、本来ならば移動の無い人に比べたら一日前倒しで終わらなければならないのだが、これが難しい。

その上、風邪を引いて体調は悪いのに、読み進めたい本数冊に出会ってしまい、読んでしまっている。ああ、ああ。

そんな重い足取りで家に帰る。
すると、娘(5)の異様に明るい声。
昨日届いた櫻の花束の入っていたダンボールで作った、郵便ポストと貯金箱を合体させたオブジェが完成したようで、それの説明をあれこれする娘。

よく見ると、説明書が張ってある。わとはの区別も出来ている。ビックリして、
『いやー。やっぱり、天才じゃないか?!』
と親ばかトークをかます。すると、0.5秒で
「ちがーう! 天才はお父さん!!」
と返してくる。
やっぱり天才だろf(^^;。

明日も頑張ろうと言う気持ちになれるのが嬉しい。ありがたい。

2012/12/27

『僕の死に方 エンディングダイヤリー500日』

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この頃はとんとテレビを見ないものだから、この人がテレビで活躍している姿を見ることは無かった。だけど、訃報は知っていたし、そういう人が居ることも知っていた。流通ジャーナリストという面白い肩書きがあるんだなあと。

金子哲雄さん。41歳で「肺カルチノイド」にて亡くなる。その500日の壮絶な記録が『僕の死に方 エンディングダイヤリー500日』

http://www.amazon.co.jp/%E5%83%95%E3%81%AE%E6%AD%BB%E3%81%AB%E6%96%B9-%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC500%E6%97%A5-%E9%87%91%E5%AD%90-%E5%93%B2%E9%9B%84/dp/409396520X 

だ。

昨日立ち寄った本屋で目に留まったので買った。
風邪で咳き込んでしまって夜中の三時に起きて、枕元にあったので読み始めた。1時間位読んで、咳が止まったので寝た。
そして、今日授業のあと研究室で写真データをCDに焼く時間に一気に読み終えた。



私はスーパーが好きで、旅に出ると大概「敵情視察」とか「縄張り確認」とか言いながら見て歩く。魚売り場に並んでいる地物の魚を見て、時には買って料理してと言うのが好きで、見て歩く。

金子さんはこれを仕事にし、スーパーから世界の情勢を解説するという仕事をされていたのだ。私の趣味どころの話ではない。



死ぬまで仕事をし続けたい。
ある人はそう思うだろう。
仕事が上手く行っている最中に、この瞬間で死ねたら本望だなと思うこともあるだろう。私もあった。
だが、人生はそう都合良くは行かない。また、死ぬまで仕事をするってことは、実はかなり大変だと言うこともちょっと考えれば直ぐに分かる。

金子さんは、それを死に直面する中で、周りに迷惑をかけてはいけないということで伝えることもせずに、乗り越えて行った。

私なら絶対に言ってしまうだろう。辛くて悲しくて叫ぶだろう。それを我慢して、その日にできる仕事をやり、周りの人に何が残せるのだろうかと考え、計画を立て段取りを整えてなくなられて行った。



あるガンの研究医は、死ぬならがんで死にたいと言っていたのを思い出す。余命が分かれば色々な準備ができる。交通事故で一瞬でなくなる人は、それができない。それに比べればガンの方がいいというのだ。

その観点で言えばそうだ。ガンで死ぬ人は最後に「ありがとう」と言いながら死ねるかもしれない。事故の人の最後の言葉は叫び声かもしれない。だから、ガンの方がいいのかもしれない。

私には分からない。
この壮絶な精神的な苦しみと、肉体的な苦痛を伴いつつも、がんで死ぬ方がいいと言えるのか。いやそもそも、人は死に方を選べるものではない。生まれ方を選べなかったように。
時々育ち方を選べると思ってしまうから、死に方も選べるように思ってしまうのだろうが、選べると思える育ち方だって多くの部分は選べないし、まして死に方なんてのは殆ど選べない。



その日を丁寧に生きることでしか、人は答えを出せないのだと思う。私はこんなに見事にエンディングを迎えることは出来ないと思う。自分が良くわかっている。だが、毎日はもう少し丁寧に生きようと思い直した。当たり前のことを改めて考えさせてもらった。

合掌。

2012/12/25

嘘には人を楽しくする嘘と、人を怒らせる嘘があるんだよ

12/25

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http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0300C_T01C12A1FF8000/

引用開始 ーーーーーーーーーー

【ニューヨーク=杉本貴司】米環境保護局(EPA)は2日、韓国の現代自動車と傘下の起亜自動車が米国で販売した製品に燃費性能の過大表示があったと明らかにした。対象は約90万台。現代自は品質の向上を売り物に北米市場で成長してきただけに、販売への影響は避けられない情勢だ。

 問題となったのは、2010年後半から販売してきた全車種の35%に当たる製品。カナダでも17万台強が対象となる。

 現代ブランドでは、看板車種の中型セダン「ソナタ」や「エラントラ」など8車種、起亜ブランドは小型車「リオ」など5車種が対象。燃料1ガロン(約3.785リットル)当たりの走行距離を最大6マイル(約9.6キロメートル)過大に表示していた。全車種平均では3%の違いだ。

 EPAは2000年から同様の調査を始めたが、発覚は過去2件にとどまり「同じメーカーの大量の車で非常に(数値が)逸脱するのは初めて」と指摘した。

 現代自は原因について、韓国で行った自社試験でミスがあったと主張。米国現代自のクラフチック社長は2日、「誠に申し訳ない」との声明を出した。AP通信によると、現代自幹部は「故意ではない」と組織ぐるみの改ざんを否定した。

 だが、改ざんを疑う声も多い。米国では「1ガロン40マイル」の燃費性能がエコカーの基準。今回の対象13車種のうち6車種が、最大燃費をちょうど1ガロン40マイルとしており、燃費の良さを訴えるため意図的に数値を水増ししていたと受け止めやすい。

 現代自は技術力で日米大手に匹敵することを示すため、米国では燃費性能に重きを置いた広告を打ってきた。問題発覚を受け、過去に遡り、顧客に過大表示分や走行距離などから算出した金額に15%上乗せし、補償することを決めた。ただ、納得しない顧客による大規模な訴訟に発展する可能性もある。

 米国は現代自の世界販売の2割弱を占める重要市場で、通貨ウォン安も追い風に急激に販売を伸ばしてきた。ただ、10月の新車販売では、現代ブランドが2年2カ月ぶりに前年比マイナスに転落するなど、勢いを失いつつあった。10年のソナタを皮切りに、エラントラなど主力車を次々と発売したが、新車投入が一巡していたためだ。

引用終了 ーーーーーーーーーー

の記事を家で話していた。
『これは結構衝撃は大きいだろうなあ。中古車のリセールスまで補償を広げるとなると結構値段が掛かるし、そもそも燃費がいいと言うブランドは成り立たなくなるからなあ。シビックがアメリカで売れたことで確立したブランドとは、逆になるなあ』

と家で話していた。
すると
「それ、どーゆーいみ?!」
と娘(5)が話に割り込んでくる。
『いやあ、これは流石に分からないから』
と話したところ
「嘘はダメっていうことね」
と奥さん。
「そりゃ、そうだよ」
と娘。

『だけどね、嘘には人を楽しくする嘘と、人を怒らせる嘘があるんだよ。人を楽しくして笑わせる嘘は、いいんだけど、怒らせる嘘はついちゃダメだね』
と私。
「そりゃ、そーだよ」
と娘。

『ほら、お父さんが帰って来たときに隠れていて、どーこだ?というのは、楽しい嘘。頭が痛くないのに痛いというようなのは、怒らせる嘘だね』
「うん(^^)」

村岡さんに紹介してもらった『子どもと悪』(河合隼雄 岩波書店)にあるような話になってしまった。いい本です。

日本語では、これを幸せというのだろう

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この年末感の無さはなんなんだろうと年々思う。
子どもの頃は、大掃除、終業式、クリスマス、レコード大賞、紅白歌合戦とどんどん迫ってくる年末にどきどきしたものだが、これがない。大掃除以外は特に年末感を感じなくなったというのもあるだろうが、一方で師走である。

師走と言うのは、普段ゆったりとしている「師」が、この月は忙しく走り回るということからの命名だそうだが、これが実情に合っていない。ふだんのんびりしているのが、12月だけ忙しくするというから年末感があるのだが、いつも忙しく走り回っているいまの教師には、いつもと同じ感覚しかなくなってきているのではないだろうか。

師走は、実質上の死語になっているかもしれないなあ。
クリスマス用のベーコンを作りながら、そんなことを思う。

http://www.youtube.com/watch?v=PZ2gQirjmBs
http://www.youtube.com/watch?v=sdjkm7W9YX8 ここからのBGM

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クリスマスイブの夜、私は日頃の行いが祟ってか風邪でヒーヒー言っていた。咳、鼻水、熱とまあ大変。子どもの頃から授業のある時は、週末か休日に風邪を引くのだが、今回もこれ。折角のごちそうの味が鈍ってしまうのは残念だが、ま、仕方が無い。

娘(5)は、サンタさんにお手紙を書くと言う。
『ん? なんのお手紙なの?』
見せてもらうと「さんたさんへ」と封筒に大きく宛名が書かれたその手紙にはこんなことが書かれていた。

「世界中を回って疲れているでしょ。プレゼントをあげるよ」

と。
ああ、相手のことを気遣うことができる娘に育ってくれているんだなあと、心の中で涙する。手作りの腕輪がプレゼントであった。

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食事後、娘はケーキも食べないで寝ようとする。歯を磨くと言い出す。
『どうしたの?!』
「だって、寝ないとサンタさんが来ないでしょ!」
http://www.noradsanta.org/ja/track.html
で、確認した所、サンタさんはまだランチの準備中。
『まだ、お昼ご飯を食べているところだよ』
「え! 遅い!」

日頃の自分の食事の遅さを棚に上げて、こういう(^^)。
ところが、
「あ、そうか。世界中を回ってプレゼントを上げるのだから、沢山食べているんだね」
と。なるほど、そう帰結しますか。
「いま、どこ?」
と何回も、こっちが風邪でゴホゴホやっているのに、何回も聞いてくる。
「いま、どこ?」
『まだ、お昼寝しているんじゃないの?』
「えー!遅い。あ、そうか、沢山寝ておかないと配る時疲れちゃうもんね」
人間は、こうして自分が納得するストーリーを作るんだなあと妙になっとく。

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「いま、どこ?」
『えーと、ニュージーランドのねえ』
「どこ」
『よし、じゃあ、地球儀で説明しよう』
と地球儀を持って来てテーブルの上に置いて説明を開始。
そのとき、北海道に来たことが分かる。

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「うわあ。寝る寝る。もう寝る!」
と布団に飛び込む娘。

勿論、布団の中でも興奮は覚めやらず寝られない。
私は風邪で早く寝たいのに、娘が寝ないことには靴下の中にプレゼントを入れることが出来ない。静かな戦いが小一時間続いた。

私が勝った。
プレゼントをしまい、娘からサンタさんへの手紙とプレゼントを取り出し、お礼の手紙は明日朝書けばいいと思い、ベッドに雪崩れ込んだ。
日本語では、これを幸せというのだろう。

メリークリスマス。

2012/12/24

眼下に広がる世界を見るような爽快さ

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岩手から佐藤正寿先生をお招きした明日の教室。
いつもと参加者が大きく変わった。
それは、佐藤正寿さんのコアなファンが大挙して参加されたということなのだろう。

東北にも敬愛する教師は何人もいるが、佐藤正寿さんは実に東北の先生の、その懐の大きさと実直さを具現化されている先生だと思う。私も半分東北の血が流れているので、そうでありたいなあと思いつつ、ああ、無理だといつも思う。こんなに等身大で実直に仕事に当たる先生にはなれないなあと思う。

なんというのだろう。
華やかさがあるというのではない。
例えて言えば、一歩ずつ歩き通して山の頂から、眼下に広がる世界を見るような爽快さが佐藤正寿さんの授業にはある。

手を抜くこと無く、一つ一つ積み重ねている授業設計、実践記録を感じるのだ。
難所に出くわしたら、じっくりとそこで腰を据えて難所を登り切るまで準備をして、アタックをしてということを繰り返して乗り越えて来たことが分かるのだ。

模擬授業は奇をてらったものではない。
ただ、
(え、そこまで準備するの?)
というところまで準備してある。
そう感じた若手の先生は多いと思う。
そして、その準備がどういう意味を持っているのかをメタで認識して授業展開に活かす。

懇親会の二次会は、京都駅近辺の隠れ家へ。
10席しかない店で、4人で行っても座れないかなあと思ったのだが、なんと奇跡的に席を確保。佐藤正寿さんの日頃の行いだろう(^^)。

私たちに残された時間は、あとざっくりと言えば10年。
この10年をどう過ごすのか。
ま、簡単に言えばあがくしかなくて、あがきながら若手をどう育てるかということで一致。出会った頃にはそんなことを考える暇もなく、自分の実践だけをどうしようかと考えていたのになあと思い出すと、時の流れのはやさを実感する。

「また会う約束等することもなく、それじゃあまたなと分かれる時の、お前がいい」

ってのは、私たちの世代のテーマソングの一つだ。
そんな歌が頭の中に流れながら、再会を思った。
また、京都に来てね(^^)。


2012/12/23

私たち教師は、発表することにそれほど力をかけなくなって行く

12/20

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四回生ゼミは、卒論の発表会。パワーポイントかキーノートを使ってやれと指示。一回ぐらいそう言うのが合っても良いだろうという思い。
勉強の部分は良く出来ているなあと思うものが多い。しかし、問いと解決の部分、また、発表そのものの在り方が弱いと感じる。

私たち教師は、発表することにそれほど力をかけなくなって行く。なぜなら、毎日先生の話を聞く児童生徒が必ず居るからだ。欠席、不登校、さぼりなどで教室に居ない児童生徒もいるが、基本的には教室に居る。だから、話し方などの工夫をしなくても、聞いてもらって当たり前ということになる。そこで話し方、発表の仕方を磨かなくなる。

そのことを戒めとしつつ、学生達に指導をする。

二回生ゼミは、佐伯先生の「学びのドーナッツ理論」についてなおも食い下がって読み進める。今回は「私のもの」と「自分のもの」は、同じなのか違うものなのかという問いが提出されてこれで60分以上延々と議論を重ねた。

この「学びのドーナッツ理論」の所は難しいので飛ばして、実践記録の所をやったらどうか?という話も学科の中では出た。私も難しいなあと思った。が、飛ばさなくて良かったと今は思っている。合唱コンクール等があり、レポーターは忙しかったと思うのだが、良く挑戦した。ゼミの議論をうまくファシリテートし、深めて行った。

先週の議論が、今週の議論の土台を作り、その上に乗ってさらに議論が展開されるというようなゼミになって行った。危ない所だった。AかBか指導の方向を決めるとき、学生のことを「思って」優しいものを選ばなくて良かった。そんなことをしたら、彼らの学びは弱いものになっただろう。

二つのゼミは、今日の授業で年内はおしまいとなる。

学級担任としての写真講座

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水曜日は、学級担任論。

午後からの学科の合唱祭に関連して話をしていたら、結構そこに時間が掛かってしまった。合唱コンクールをコントロールする先生方の舞台裏の仕事を、嘗て文化行事委員長をしていたときのエクセル資料を見せながら説明する。

学生達にとっては驚愕の事実が続出する。
一週間前から、学校全体、学年ごと、職員、保護者などへ10分おきの時程を組んでいたのだが、その資料を見せながらあれこれ話した。
教師は当日目立つこと無いように事前の準備を周到に行う。そして、当日は子どもたちに光が届くように動く。そのあれこれを話した。

後半は「学級担任としての写真講座」。なんで学級担任がカメラなのかということになるのだが、私は学級担任の仕事とカメラは非常に相性がいいと考えている。

担任は、子どもの側に居られる。そして、その子どもが自分でも気がつかない良い表情をするのを見ることが出来る。この表情を子ども達にプレゼントすることが出来るのが写真だ。

また、子どもの癖を直す為にその事実を画像情報でその場で示せば、まさに一目瞭然である。例えば、テニス部の顧問をしていたときのことである。サーブの時のトスは体の前方1mぐらいのところに上げなければならない。ところがどうしても体の上に上げてしまう生徒が多い。そのとき、一枚撮影してその事実を見せれば直ぐに理解する。

他にも学級経営そのものにもいろいろと活用することが出来る。そこで、去年から学級担任論に写真撮影の項目を入れて教えている。

私が子どもの頃でも、先生の中には子どもの写真を撮る先生がいた。自分でフィルムを買い、現像してとしていた先生もいた。私もそうだった。高校時代から白黒フィルムを缶で買って来て、パトローネにダークバックで詰め込んで(なんて殆ど誰も分からないと思うが)やっていたので、カメラに触っている時間は結構長い。

だが、まあ、まかさ大学の授業で写真のことを扱うことになるとは、夢のまた夢ぐらいありえないことだったが、行っている。実に不思議なもんだ。

この日は、なぜ学級担任が写真なのかという理論の部分を話しておしまい。来週は実際に写真を撮ってみることになるかな。

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